第十六変『混沌の布石と訪問者・1』
〈出張! 天使ちゃんの夜咄ディテクティブ〉
「私は、決してギャンブルは好きではない、ということに気がついた」
片方の天使が言った。
透けるような金色の長いストレートに、甘いクリームのような色合いの肌。山の奥ひっそりと流れる誰も知らない名前の川の水のように澄んだ瞳。シミ一つない、埃一つもまとわない背羽根。どこを切り取っても彼女は白い。陽の光もないのに彼女のいる周囲だけ光満ち、輝いているようにすら見える。
一方の天使は素朴極まる風貌だった。
田舎から上京してきて、安いアパートに下宿し、日々高い家賃やら学費やらエンゼル係数やらのために本分よりもバイト漬けになって、これでは本末転倒、ここに来ればナニかが変わると思ってた。けれど、それはバイト・下宿先間の電車移動やサークル内の不道徳な人間観察で虚無になる自分との対話に時間が埋め尽くされるって意味じゃない。望んでいた生活にはほど遠く、休む暇のない身体は疲れるというより傷付き、癒す間もなく、朝が来る、あれ、私、いつからベッド使ってないっけ? 要る? ベッド。あれ? 要る……? 私……。
サイゼリヤの間違い探しを繰り返すような毎日と一向に訪れないドラマみたいな出会い、都会育ちや二世・三世とのギャップに触れるたび、私の人生そのものに疑念が湧きあがってくる。私も初めからこうなら良かったのか? 何が違ったんだろう? 幸せだと思ってた私の人生は、奴らからすればまるで井の中の蛙だった。主人公っていうのは奴らのことだ。私はさしずめ奴らの装備品を整えるための道具屋の店員さん。奴らはネス、私はポーキー。武器屋や防具屋ですらない。序盤にしか使わない、人によっては序盤だって使わない、まんげつそうなんかを売っている、あの道具屋だ。武器や防具はまだしも、道具は魔法のほうが便利だから、勇者はそのうち寄らなくなる。
なら、いいよね。
道具屋の私がいてもいなくても、どっちみち勇者は世界を救うだろう。
なら、いなくても、いいよね。
私。
物理・精神の双方から自意識がざわざわと音を立てて崩れ始めたその日、田舎のお母さんの声が、有難くも憎たらしくも、聞こえて、「ごめん。いま、忙しいから」って冷たく電話を切った。地元の友人たちの楽しそうなSNSがあんまり眩しくて、画面が揺れる。寒さじゃなく、スマホを持つ手がくやしさで震えた……私、なにやってんだろ……? どうしてここに来てしまったんだろう? こんなとこにさえ来なければ、知らないままでいられたのに。それなのに、格好がつかなくて、入学費のことも思えば思うほど、今更帰れもしない……って、とほうにくれて夜空を見上げる大学生のような土臭さが黒い髪に、黄色い肌に、それから仕草にも出る。
一見したところ、金髪の天使のほうがどう見ても凛々しく貴く見えるのが、素朴なほうの天使、マギにとっては、最大の理不尽で目の上のたんこぶだ。
なぜって。
マギは、この人以上になまぐさで、注意が必要な人格を知らない。
つまり、マギのほうが真面目かつ漢気すらある竹を割ったように実直一途な性格で、一方の金髪の天使こそ、才色兼備を恣にしながら、その薄皮一枚越しの中には極から極に変動する複数の人格が混在し、自分でも制御不能かと思われるぐっちょぐちょのカオスで形成されているのである。
しかも、シラフ、すなわち平常運転でこれ。手の施しようがないとはこのことで、彼女はハイロゥのスイッチを切り替えるのに特定の儀式を必要としない。山の天気のように突然かつ無条件(およそ他者には計算・理解しがたい理屈で)に切り替わるところが、メンヘラのメンタルヘルスたる所以であった。
言い換えれば、誰が何をして、どのように接しようが、翌る日には突如希死念慮に襲われてAmazonブラックフライデーで安くなったハンギングロープを大量に購入しかけていたり、かと思えば海外の資産家のごとくヨットでサングラスをかけてデコった写真を投稿していたり、天使の奇跡でナレーションを乗っ取って好き放題したりするのだ。マギの形容で遊ぶのも今に始まったことじゃない。
まさにスロット。出目次第で悪魔にも聖母にもなるミカだったが、そんな彼女が唯一頼りにしているものがあるとすれば、それがバファリンだった。しかし、彼女に頼りにされたところで、ライオン製薬だって『どうして?』って困惑するだろう。
ときどきマギは、自分が人生に現れるまで、この人はどんなふうに過ごしていたんだろうか? とすら考えることがあった。
あるいは、自分が現れたから、まだ対人向けの、まともな人格が生まれてきたのか。
とにかく、それは二人がまだ人間界にいた頃のこと。
またしても突然始まったミカの独白に、マギは答えた。




