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陽性変異 Vol.2  作者: 白雛
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第十二変『犬と骨・後』





 私ことみよちんの、おじいちゃん、おばあちゃんの家は、関東の郊外にある今なお田園風景が残るような、いわゆる田舎だった。

 家も木造平屋を増築したような二階建てで、玄関はいつも開きっぱなし。ドアを閉める代わりに膝上辺りまでのあみ(・・)が張ってあるのが印象的だった。

 出迎えるのは、ウェルシュ・コーギーの雄のロマ。

 そのあみ(・・)を乗り越えようとすると、彼はそれを邪魔しにくるのが仕事だと思っているのか、土間を所狭しと駆け回って、私たちの足の踏み場をなくしたものだ。

 彼を踏まないよう気をつけて、私たちは土間にあがり、靴を脱ぎつつ、

「きたよー」

 そう言って家の中に呼びかける。それが、インターフォンの代わりになる。

 そんな家だった。

 さておき、その田舎の家には奇妙な空間があった。

 祭壇とでも言えばいいか。

 ロッジのような雰囲気の居間の一画に木の枝が積まれているのである。それは歳を重ねるごとに減ったり、増えていたり、日によって本数や積まれている枝自体もまちまちに変わる。

 ある時、縁側に座りながら幼少の私は尋ねてみた。すると、おじいちゃんはこう答えた。

「あれはね、ロマの場所」

「ロマの?」

 おじいちゃんは縁側から見える裏山のほうを指した。

 兄の美汐を連れたロマが、短い脚をちょこちょこちょこちょこ動かして、悠然と、そこから帰ってくるところだった。

 口には木の枝が咥えられている。

 勇ましい顔つきでそうして帰宅したのをおじいちゃんが出迎えると、ロマは木の枝をおじいちゃんの手元に落とした。

「ほらね。こうやって気づくと、どっからか持ってくるんで、飾っておくことにしてるのさ」

「ふーん」

「ねぇ、じいちゃん。投げていい?」

 美汐が枝の端を持ち、ブーメランのように投げる。

 ロマは目でしっかりとその軌道曲線を追いながら、広い空き地に落ちたそれを咥えて戻ってくる。

「ロマの宝物置き場なんだ」

 私は、ぼんやりとそれを眺めていた……記憶。それが一息に蘇ってきて、私の脳髄を刺激する。

 ——これだ!

 私にも多少の覚悟がいる。しかし、出来ないことはないだろう。

 私は、鼻から息を吸って口から吐く。もしかしたら痛いかもしれない。けれども、きっと、大丈夫……大丈夫……。そう自分に言い聞かせながら、自らの指を、左の肘の内側に突っ込んだ。


 ◇


 感覚はない。

 けれど、見ているだけで痛い映像ではあった。

 自分の指を肘の内側に突っ込む。ドス黒い血がとたんに溢れ出した。

 そして、その奥にある骨を掴むと、ベリベリと軟骨から剥がれる嫌な音が聞こえてくる。私は、しまいに患部から目を逸らしながら、渾身の力を込めて引き抜いた。

 痛くない痛くない。

「う……あああぁぁっ!」

 知らず、私は荒い呼吸を繰り返していた。

 私が引き抜いたのは、腕のいわゆる外側についている骨、橈骨(とうこつ)という部位だった。青い筋繊維と黒々としたゼリーみたいな脂肪、または血液が付着している。

 泥化した私の血液が辺りに飛び散っていた。

 気がつけば、またゾンビ化の影響だろう。私の肌は青くなっている。そして、ゾンビとはいえど、筋肉が削げたからか、骨を抜かれた左腕は持ち上がらなくなっていた。

 しかし、この汚れ具合はうってつけだろう。臭いがキツければキツいほど、奴らは興奮する。それを、私はロマを通して学んでいる。

 私は、自分の剥き出しの左橈骨を眺めながら、脂汗混じりににやりと笑い、狼男に向き直り、そして——。

「ほらほら、おいでー。骨だよー」

 彼の者の懐に、くすぐるように振るったのだった。

 臭いに反応してか、狼男はすぐに空を仰いだ。そして、鼻をすんすんとヒクつかせると、私に気付いて振り返る。

 来た——。私は、かつてロマにそうしたように渾身の甘え声で言った。

「あぁっ?! どちたの? え? ほら、骨だよ? 骨。うん? さびしかったのー?」

 彼は私を見た。

 なんというか、憐れみさえ伝わってくるような、ひどく冷ややかな目線に思われたのは気のせいではないだろう。

 私は意識して深く息を吸うと、原因を他に求めた。

 いや、断じて違う。そうじゃない。ロマならもう飛び込んできているはずだ。何か、私の仕方に不具合があるのだ。

 私は考えに考え抜いて、結を出した。

「ねー! 皐月ー! この子の名前って、なんて言うのかなー?」

「名前?! 知らねえ!」

 皐月は、小天使と仁義なき天の引っ張り合いの最中だった。

 私は続けて考えを呟いた。

「名前ー……李徴?」

「虎じゃなくない? だし、犬にそんな名前、つける奴いる?」

「んじゃあ、なんて名前だよ。大体この人、誰? なんか知らんが、ラブホに中学生ときて、狼男なんかになりやがって……」

「あ! そ、そういえば、マタロウだ!」

「マタロウ……?」

「天ちゃんがー! そんなこと言ってたー!」

「マタロウ……マタロウねぇ……」

 いたく、気に入らない人物が一人、脳裏にあがったが、見ず知らずの中学生とラブホに来ることはあっても、天とこんなとこで密会し、その果てに狼男になっているわけもないだろう。

 私は除外した。

「まぁいいや! じゃあ、マタロウ! ほら、ほら! 美味しい肉だよー! 腐ってるけど、ぴっちぴちのはずだよー」

 すると、少し反応があった。

 マタロウと呼ばれた狼男は私に呼ばれるがまま、鼻を鳴らして、橈骨の臭いを嗅ぎに近づいてくる。

「よし……よし……」

「がう……ううう……」

 私はマタロウをおびき寄せつつ、ゆっくりと廊下につながる通路を後退。入り口まで来ると、後ろ手にドアを開け、

「おら、とってこーい!」

 勢いよく廊下に向かって投げた。

 しかし、次の瞬間、信じられないことが起きた。

 私の骨が即座に跳ね返ってきたのである。

 私はその時ほど自分の目を疑ったことはなかった。

 バカな……いったい、なぜ……? まったく理解し難い光景が、目の前に広がっている。

 そこは、廊下ではなかった。

 なんと、ドアの向こうに、またドアがあるのだ。

 廊下に続いているはずのドアの向こうに、意味のわからん小部屋があって、またドアが!

 私の投げた骨は、その抜けるまでもない小部屋を抜けた先のドアにぶつかって、すげなく跳ね返ってきたのだった。

 玄関……とでも呼べというのか?

 よほど地団駄を踏み鳴らしたかった。

 私は叫び出したい欲求に駆られた。

 これではかえって部屋の中に狼男を押し留めたに過ぎない! なんだってこんなとこにドアがあるのだ?! ラブホってのはみんなこうなのか?! なぜ?! 何しにきてんだよ! バカじゃないのか?! 要る?! この部屋! 何をするための部屋なの?!

 私は存外、理屈にそぐわないこと。人の手にありながら不条理なものや出来事に遭遇し、余計に飛び出た(飛び出ていない)タンスの角に小指をぶつける時のような耐え難い苦痛を味わされることや、人が通るとわかっていながら通り道に荷物を置いておくようなヤツ、自分できちんと場所を把握してあるのに勝手に片付けてしまって物の位置をわからなくさせときながら、満足そうな顔で「片付けておいたよー」とか言うような……からあげにレモンをかける女子みたいな、蛇口の下にそのままコップを放置する男子みたいな、総じて、自分では気を回せるヤツとか思ってんだろうけど、破滅的に下手をこいてるヤツ……!

 度合いにもよるが、人の設計による人災! そういうバカが果てしなく嫌いだった。考えれば避けられることを、トラップのように仕掛けるアホな人間がこの上なく嫌いだったのだ。

 迷惑をかけあうのはいい、しかし、それを迷惑だと思っていない輩のすることには舌を巻く。

 足元を見ると、床に落ちた骨にはむしゃむしゃと狼男が喰らい付いている。この体躯なら程なく平らげて、次はいよいよ私という肉の番だ。

 思いもよらない窮地だったが、面白くなってきた。

 私はもう一本の尺骨まで差し出す覚悟を決めて、不敵に笑うのだった。







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