第八変『黒い髪のメジェドとサラリーマンの手刀・前』
〈天使どんの小噺こぉなぁ〉
「先生っ! それがし、乙牌がしとうございまする!」
「乙牌はするものにあらず! しかるにこれにて仕舞いにござる」
「やや! これはしたり! ならば、問いかけまする!」
「これにて仕舞いにござる!」
「先生にとって乙牌とはいかなるものなるか?」
「……盛るものにござる」
「盛らずともそれがしには百全に足りてお」
「うるぁっ!」
マギは静かに刀を抜くとミ—のちょんまげを刎ねた。
◇
故あって、散らばってしまったミカの羽根。
それを把握し、生暖かい目で見守ろうという、天使と悪魔の秘密のお仕事の話を遮り、私は、二人を見据えて言った。
「あの……それ、私にも手伝わせてください!」
「絶対いやだっ!」
にべもなくクソバンギャ天使が即答すると、悪魔のタマお姉さんがその肩を指先でつついて、奥の校舎の際に引っ張っていった。
一方、皐月が心配そうな顔で私を見上げる。
「……みよちん」
「……っふぅーーーー」
私は一度長いため息をもらして、彼女に答えた。
「大丈夫、大丈夫」
ここまできっぱりノーを突きつけられようとはまったく想定外だった。それにしても言い方くらいもう少しあるでしょとは思ったものの、まぁまぁ、一回噛んじゃった手前、確かに私にも悪いところはあったのかな……と言い聞かせて、自分を落ち着かせた。
「……うぁぁ」
ゾンビよりもゾンビらしい、そんな唸り声がして振り返ると、円形に集まっていた面子から、長い黒髪のメジェドみたいな女性が立ち上がっている。
霊障の手を出したりしまったりできる子だ。
「ふむ……」
その隣にいたクロ提督がメジェドに頷くと、私たちに通訳した。
「なに。時として、大人というのは、今時分の若者が自分たちの頃より恵まれている、甘やかされているかのように思われて嫉妬することがある。上手くいっていない奴ほどみじめったらしくそうなる。リツというのは、その哀しき権化のようなものだ。気にすることはないぞ、みよ殿。……と言っている」
「なっが! あの一言の解釈」と皐月。
「うぁぁぁ」
「それから、私は令和の夜にミカちゃんがビデオテープ……正確には仄暗い井戸の底から連れ出してくれた、正真正銘、例の"あの子"なんだけど、しょーみ呼びづらいから、いつメンの間では略して"あのちゃん"で通ってるし、しくぴよー。……と言っている」
「かつてない次元のギャルっぽい口調が申し訳程度に混ざるけど、この人は悪い人じゃないよ、みよちん。人は見かけによらないねー」
クロ提督の長い解釈に、皐月が補足を添える。
「うぁぁ」
「ミカちゃんの口調が移ったんだ。……と言っている」
「移ってはないけどね、聞ける範囲では」
他の面々は、私が寝ている間にも交流があったのだろう。さて……どう対応したらいいものやら。
私が何も言わずに眺めていると、その子のほうから寄ってきた。
のっそり、のっそりと歩いて……くるかと思いきや、突如瞬間移動を挟む、非常に心臓に悪い近寄り方だったが、彼女は目の前に来るなり、胸の辺りに鋭い手刀を繰り出してくる。
三分間しか戦えない巨大ヒーローの構えに見えて、握手のフリらしい。……確かに、見かけによらず、機敏なところがあるようだった。
「……ど、どうも。みよちんで通ってます」
「うぁぁ……」
手刀が、私の胸の前で、相手を求めてたゆたっている。
「…………」
先ほどまでの流れも鑑みれば……天使・悪魔同盟の中で、この人こそが、最も私たちに友好的であることは言うまでもない。
……言うまでもないのだが、その手を取るにはいささか以上に躊躇してしまうのだ。
(いやいや、皐月。見かけもけっこう……大事じゃない……?)
と思う一方である。『いやいや、違うぞ、私』頭の中の白いヒゲを生やした老婆の私が、こう反論する。
『この不健康そうな見かけは、確かに、こじ……邪な想起を促すに何ら不釣り合いではなかろう。握手をしたとたん、呪いをかけられそう……とか思っても仕方あるまい。しかし、みよよ。見よ』
私は、頭の中にわいたヒゲの老婆に促されるままに目線を、胸の前の手刀に落とした。
(こ、これは——まさか……!)
全身、黒い髪の毛に覆われたメジェドのごとき見かけのくせに、そこから突き出された手刀の一寸の曇りもない指の並びが、実に綺麗だった。
『すいません……』
脳裏に過ぎる決めセリフと共に、私は幾度となく見たことがあるのを思い出し、戦慄する。
これは、まさに、あれだ。
電車の中のサラリーマンのおじさんの奥義『ちょっと後ろ、通ります。すいません……』のポーズに他ならない。
通行、または視界の妨げにならないよう、角度、配置を計算し尽くされた手刀は無刀流……愚かなる争いの果て、刀を捨て去り、代わりに配慮を極めし武士たちの奥義にして、わーくにが世界に誇る譲り合い精神の証……!
ぴたりと揃った五指。照明の灯りを反射してきらめく爪先を前に、人は自然とひれ伏し、すごすごと道を開けてしまうという……。
こんな美しい『すいません』が繰り出せる者に敵意などあろうはずもなかった。
『みよよ、見よだって……プッ。自分で言って笑っちゃうわ』
(やかましい。……で? 見たが?)
『言わずもがな。彼女が求めるものが分からぬ私ではあるまい。いや、むしろ、分かっているからこそ、戸惑っているのだろう? つまり、先を越された気がしてな』
私は頭の中でさえ沈黙する。
その通りだ。自分の小ささを思い知ったのだ。
『この場合、見かけに反して、狭いのはどちらかな』
(……わかってるよ。見かけなんか関係ない。人間らしい見かけの私のが、よっぽど陰気で狭い見方をしている……見かけはさ◯子みたいな、この子のほうがずっと人付き合いが良くて、陽キャだ)
『左様。さぁ、良かろう……もう、意地を張らなくても……』
(うん……)
『左様、さぁよかろうだって……ププ。自分で言って——』
(黙れ。いったい私のどこから出てきた私だ、あんたは)
私は頭の中で煙を払うように腕をばたばたさせると、老婆の私を黙らせた。そして——眼前に差し出された手刀を手に取る。
思った通りの、ひんやりとして、きめの細かい手のひらだった。
「ごめん。私はよ——」
「すんすん」
そうして私が偏見を改めているうちに、彼女は痺れを切らしたか、もう次のフェーズに入っていた。
私の手を取るや間もなく、そうして鼻を鳴らし始めたのだった。
私は改めたばかりの偏見を呼び起こしながら、尋ねる。というのも、ちょっと髪が臭うのだった……。これは偏見ではない。
「……えぇっと」
「うぁぁ」
「君からは懐かしい匂いがする。……と言っている」
複雑な心境に身じろぎできずにいると、クロ提督が通訳して言った。
「懐かしい匂い?」
「うぁぁ」
「ミカちゃんの匂いだ。……と言っている」
「……でも、ミカの羽根ならみんな持ってるわけでしょ?」
「たぶん私ね」
実際の耳を通した声がして、ぽんっ、と爆ぜる程度の発光があり、そこから小天使のカミュが姿を現した。
長い黒髪の隙間でメジェドの目が輝いた。
「うぁぁ!」
「ミカちゃんだ! ……と言っている」
「え、カミュが?」
私と皐月が顔を見合わせていると、カミュはあのちゃんの周りを一回り飛んでみせて言った。
「そりゃ、私はミカの羽根そのもの……アメーバ状に分解された彼女の細胞の一つだからね。ある意味ではミカお姉さまとも言えるけど……」
カミュは、私たちに次いで、忙しなくあのちゃんにも釈明するように続けた。
「でも、本人ではないのよ。私は私! ミカお姉さまはミカお姉さま!」
「うぁぁ(ミカちゃん! ミカちゃん!)」
しかし、あのちゃんはそんなことはまったく聞こえていないかのように喜んでいるようだった。
「もう、弁えてほしいものだわ……!」
カミュは困ったように言うが、私はその姿におばあちゃん家のロマのようなかいがいしさを覚えてしまう。
(そんな好きなんだ……見た目はメジェドだけど、こういうとこは、ちょっと可愛いかも)
それに、この人……長い髪に隠れていてわかりづらく、こうして横から見るとよくわかるのだが……上から下まで出るところはしっかり出ている。
果てしないほどナイスバディだった。




