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陽性変異 Vol.2  作者: 白雛
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第一変『陽性変異 Vol.2 ・2』





 十三年前に産まれた私にとって、例の震災はすでに産まれる前のこと。

 名前を言えない例の感染症にも結局かからなかった。

 こういうと不謹慎厨が湧くかもしれないけれど、

 けれど、正直惜しいことをしたと思う。

 自然に死ねるチャンスだったのに。

 自殺は角が立つ。殺されるには相手がいる。

 だから、自然災害による不幸な事故。

 それが一番どうしようもなくてありがたい。

 こう見えて希死念慮とは違う。

 積極的に死にたいわけじゃないのだ。

 けれど、積極的に生きていたいわけでもない。

 違う。

 私のようなものは生きていてはいけないのだ。

 それに、なんか知らんけど気がついたら産まれ、流されるままに生きる私たちなら、なんか知らんけど気がつかないうちに死んでるのが自然な気がする——それも嘘だ。ごめんなさい。わかってます、方便です。こんなのは。

 私はこんな風に自分でも嘘ばかりよくつくけれど、それでも嘘は嫌いだった。はっきりとした真実が好きだった。真っ直ぐで、純粋な気持ちの底から染み出した、それだけに耳を塞ぎたくなるくらいのグロテスクな真実が。その追求が。底にある、あまり人の手には触れられていない、最も純粋なるものを理解したいという欲求こそが私だと言えた。

 結局、痛いのが嫌なのだ。苦しいのが嫌なのだ。死に至る数秒から数分間の苦痛をただ嫌がってるだけなんだ。

 人と付き合っていかなければならないこと。受験。面接。就職。営業。結婚。生活。その他、愛のないコミュニケーションと形骸化した愛想を続けることの全て。一方、生きるにはこれだけのことが嫌なのだ——そこまで考えて、私は思考を止めた。

 いや、まだ矛盾するな?

 私が真実を好むのは、より深く傷付きたいからに他ならない。痛みだけがそうして私の心に充足をくれる。そのたび私は、私たちの最も純粋なところを一つわかった気になれた。それを愛おしいとすら思うのに。

 矛盾している。

 矛盾ではない? つまり——逆なのか?

 正位置がすでに、逆なのか。

 苦しみは苦しみで、痛みは痛みで、それらを本能的に嫌がり遠ざけようとする力の一方、まるでワインのテイスティングでもするかのように引き寄せ、尊ぶ。

 睡眠にも近しいものを覚えて、私は核心に触れかけた。

 そう、逆なのね。

 生きることと死ぬことは、きっと。

 私は、また一つ、脳に皺を刻んだ。

 そんな私は、単純化された社会性動物とそれが信仰してやまない共同体からすれば、病気であり、異常であり、そして——そうであるということはつまり——比類なき公共の敵(ヴィラン)だった。

 私が真実を振りかざして生きることは、彼らの欺瞞だけれど穏やかで変化のない生活をぶちこわすこと。

 嘘が嫌いで吐くのも億劫な私は——。

 欺瞞の平和に泥玉をぶつけてやりたい私は——。

 子供たちの希望を残酷に踏みにじりたい私は——。

 私は、私は、私は。

 とどのつまり、産まれてきてはいけなかったのだ。

 産まれてこないほうがみんなのためになったのだ。

 結論はそこに至る。

 なぜって。そうでしょう。

 私という悪徳は、産まれさえしなければ、咲くこともなかったのだから。

 だからこれ以上、余計で不道徳な私のために誰かを傷つけ、悩ます前にいなくなりたい。

 それがせめてもの、人間への、偽らざる私にできること(の愛)だった。

 明快な真実の前に他はすべて誤魔化しだ。

 動脈は肉体の奥にあるのがネックだ。大抵の人が指す表面の血管はみな『静脈』だ。(とう)骨静脈、頸静脈……。それらはどれだけ切られようが失われようが大したことにはならないパフォーマンス。本気の傷痕(スティグマ)は横にはつかないで、縦につく。

 さておき、手首にしろ、首にしろ、麻酔もなしに動脈に達するほどそんな奥まで切開するだなんて、転んで擦りむくだけで泣いたことのある私には痛みの想像をはるかに超えている。

 となると、なぜだか、心臓を貫くのが一番痛みがないように思われるけど、間違いはあって余計な臓器を傷つけたり、肋骨にでも食い込んだらそれこそ目も当てられない。抜いて、また刺し直さなければならない。もがき苦しむことになるだろう。

 縊頸もまた同様のことが言える。こちらはうまく動脈洞に食い込めばよい。わずか数秒で意識は途絶えて、途絶えているうちに肉体は活動を停止する。しかし、縄がずれて気道を絞めたら最悪だ。その場合は単なる窒息。逆に長い時間苦しんでから意識をなくすことになる。水の中でほんの数分も息を止めていられない私が、窒息なんて想像するだに恐ろしい。

 電車なんて以ての外。賠償金の問題じゃない。四肢や胴体の重みはおよそ自覚できないが、電車の慣性を利用して吹き飛ばせば容易く人体を破壊する砲丸になる。そうして周りの無関係な人たちを物理的に傷つける確率も高いし、そのショッキングなフラッシュバックで何年も苦しませることも十分に想定できる。確かに自分は一瞬かもしれないが、素っ裸になって見苦しい様を見せつけることにもなりかねない、まったくもってナンセンス。論外だ。

 遺された死体のことも考えていけば……腐敗は死亡直後から始まり、半日も経たないうちに肉体は雑菌だらけになる。第一発見者には、筋肉が緩むために染み出した汚物まみれの惨くあまりに汚い絵面を見せることになろう。もしかしたら一生拭えないかもしれないほどの、臭くて、凄惨な光景を。

 ……結局、どんなに配慮しようが、楽に死ねる方法なんて、そんな都合のいいことなんてないのだ。ピストルですら撃ちどころを考え、冷静に引き金が引けなければ、失敗する。

 だから、永遠に続くかに思われたこの焼けた肌にひりつくようなぬるま湯の終わりは、誰の負い目にもならず、私の恥ずかしい部分(精神・物理、そのどちらも)を殊更に周囲に晒すようなこともなく、半ば強制的に訪れ、誰にでも起こり得る、仕方がなかった、しょうがなかった、それが彼女の寿命だった。そんな風に思えるような、事故死や病死が最もありがたいのだ。

 しかし、それすらも真実には足りない。

 それにはもう一歩奥に、あるいは先に、踏みだす必要があった。







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