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陽性変異 Vol.2  作者: 白雛
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第三十四変『愛にすべてを・1』




 たっ、たっ、たっ、たっ。

 都内に残る警察病院。

 みよちんはそのリノリウムの廊下に高く足音を響かせながら、そして駆けていた。

 珍しくまじめくさった表情で。


 もちろん、大学病院で起きた一連の騒動について通報を受けて来たのであった。

 が、皐月から直接メッセージを受け取ったとき、みよちんはというと、この世ならざる異界の僻地にいた。

 ニャーオンスパーク&スプリングオータム臨時支社、となったそこは、本社跡地の地下駐車場からあのちゃんの穴によって空間的につながった異界の事務所(アパート)である。

 初春から原稿を受領した帰り、あのちゃんの井戸タクシーで鏡生ともども連れてこられた彼女は、そこで、ボス猫メリナにこっぴどく叱られているところだったのだ。

「誰が再来週分の原稿とってこいって言ったにゃメリ! 今、再来週の持ってきてどうすんのにゃメリ! ほしいのは来週分に決まってるだろうがにゃメリにゃ!」

「だって、メリナさん、何にも説明しなかったじゃん! そんでいきなり井戸タクシーで放り出しといて、そんなん言うなっ!」

 しかし、みよちんは怒鳴られて萎縮するタイプではなかった。むしろ、俄然(がぜん)元気ハツラツ、つべこべ言い返したのだった。

「それに、これだねー!って初春さんが!」

「トッポみたいに言ったんですね」とカボ。

「そうそう。うぷぷぷぷ」

 みよちんは美人秘書の白猫と笑い合った。

 即座にメリナがデスクをばんっと叩いて話を戻した。

「やかましいにゃメリ! あのアホは確信犯もとい故意犯にゃメリ! どうせ終わってなかったんにゃメリ。んで、適当なの寄越したんだにゃメリ! お前はまんまとあの微笑みに騙されたってことにゃメリ!」

 メリナは俄然凄みを込めて、続けた。

「編集とは、常コレ作家との騙しあい……もとい、戦争にゃメリ! 奴らはいつもいかにウチらを騙して、遊ぶ時間を確保するか、そんなことばっか考えてるにゃメリ! そのためなら、どんなふざけた手でも大真面目な顔して使ってくるアホばっかにゃメリ! だから、ウチらが要るにゃメリ! いいか、みよちん! 大人になったらにゃ、人を信じすぎては自分がアホを見るにゃメリ! 社会勉強的にも、すぐ戻ってもらいなおし……いにゃ、あのアホの尻を叩いて書かせてくるにゃメリ!」

「んー、でもさーメリナさん……」

 みよちんはまったく悪びれず、今度は突然もじもじしだして言った。

「あ? にゃメリ」

「あの二人だって、ほら……いわゆる、その、男と女っていうか……」

「はぁ? にゃメリ。何を言いたいのにゃメリ」

「だから、もう遅いしさー、いま行って、妙な場面にでくわしでもしたら、もう私、合わせる顔がないっていうか……きゃー!」

 しかし、みよちんこそ本気の確信犯もとい故意犯であった。どういうことかと言うと、彼女は14歳で耳年増。つまり、二人を慮るふりをして、それらしい心配をすることに酔いたい時期なのだ。

 そこで鏡生が言った。

「でも、男のほうは童貞のドM野郎って言ってたじゃん。どうせ何も起きないよ」

「それもそうか。じゃあ、行こっか」

「あのちゃん! タクシー、またお願いするにゃメリ!」

 そう声をかけるメリナだったが、オフィスはもう一面真っ暗だった。人っ子一人残っていない。否、残っているのはメリナたちだけの様子だった。

 メリナが唖然と口を空けて、時計を見ればもう五時を過ぎている。

 カボがとことこと歩き、メリナのデスクに飛び乗って言った。

「あのちゃんさんなら、さっき帰りましたよ。これからドジャースの試合録画観るからって」

「にぃやぁぁぁぁーーーーーっ!」

 メリナはいきなり耳の前の毛をむしりながら憤慨した。

「どいつもこいつも仕事をなんだと思ってるにゃメリ! なにがメジャーにゃメリ! 普段野球どころか、スポーツなんざ毛ほども興味ないくせにっ! それでいて日本の野球は興味ないとか偉そうにほざくにゃメリ! 勝ち馬に乗りたいだけの無の空っぽやろうがよぉっ! 知ったかぶって語んなボケェ! 印刷間に合わねえよこれー!」

「あ、そしたらさ、」

 みよちんがメリナのデスクに置かれた再来週分(かっこ♡と可愛らしい絵文字が添えられている)の原稿封筒を指差して言った。

「とりあえず今回はこれを載せといて、んで後で、あ~間違えちゃった~! コツン! って謝罪文載せればいいじゃん。あくまでウチらは気付かなかった体で。初春さんは再来週分が浮いて、ファンは先の話をちらっと見れて、ちょっとした刺激と話題にもなって一石三鳥。作家が編集を騙すんなら、編集は読者を騙そうぜ」

「きさま……」

「え、これもダメ?」

 メリナは言った。

「ほんとすげぇやつにゃメリ……そのイカれた発想がどこからくるにゃメリ。さっきは怒ってごめんにゃメリ」

「えへへ、いいよ」

「(クソみたいな作家と編集と雑誌だな)」

 鏡生は死んだ目でそう思った。

 みよちんと鏡生のスマホにほぼ同じタイミングでメッセージが入ったのは、そんな矢先のことだった。

 みよちんには皐月の、鏡生には陽毬の、それは、尋常ではないその日の出来事、それから現状を報せるものだったのだ。


 ◇


 そして、二人はそれぞれの元へと駆けた。

 印刷はメリナとカボに任せて、みよちんはメッセージに記述されていた警察病院に向かった。

 お見舞いにしろ、もうかなりぎりぎりの時間帯だったが、受付で皐月の名前を出すなり、医療事務のお姉さんはすぐに答えてくれた。もう院内では広まっている事情のようだった。

 消毒液の匂いが充満し、ひそひそ声が聞こえる――独特な雰囲気のあの廊下。みよちんは指示された四階に上がると、あの廊下を息を切らしながら早足で通り抜け、部屋の前で番号を確かめると、そのまま病室へと足を踏み入れた。

「……皐月っ!」

「おう」

 しかし、みよちんは間もなく硬直した。

 眉根に深く寄せられたシワ。デフォルトで見事な角刈りに、首や指先に飾られたごつい貴金属をつけ、みな、お高そうなスーツを着て、かつ香水の匂いがぷんぷんとしている。

 その病室に集まっていたのは、そんな男より漢というのが相応しい、なんか、あの、筆舌に尽くしがたい反社会的なあれの人たちだったのだ。

 他の患者たちもそそくさとしている中、門番のように控えていた一人の男がみよちんを睨み返して言った。

「おう、コラ」

 それが彼らの国の挨拶であった。

「あ、ちがいました」

 みよちんはすぐさまそう切り返して回れ右しようとしたが、その矢先に肩を掴まれて、人生が終わったと思った。

「ワレ、コラ。今、なんつった? お嬢のこと……」

「あ、まちがえました。すみませんでした」

「何いきなり謝っとんねん。コラァ、ワレェ」

 ところで、みよちんのような所謂コミュニケーション障害者が軽くパニックに陥ると、普段なら入れないチグハグな一言を口走ってしまう、早口語りとはまた別の症状がある。

 そんなときの彼らの目的はこうだ。

 どうにかしてこの人ともっと打ち解けたいな。もう一歩、勇気を出して踏み込みたいな。引いては、自分に敵意がないことを知ってほしいな。

 純真無垢である。

 しかし、それはコミュニケーションに障害のある者が行う手段なのであって、彼らがコミュニケーションに不得手であるということが災いし、往々にして時と場合を弁えられなかったり、もっと距離感の近いもの同士がするようなキワドイ皮肉になったり、回りくどくてわかりづらいネタであったり、笑えないブラックジョーク、時には意味の通じない嫌味にまでなってしまわれるのである。

 哀しいかな、あの妙にねちっこいジョークやツッコミはこのようにして健気な気持ちから生まれるのだ。

 決して他意があることではない、むしろ好意しかないのだが、この時のみよちんも例に漏れず、その場の会話を穏便に終わらせたいあまりに、こう言ったのだった。

「可愛い語尾ですね、それ! ワレェコラァって! あはははは!」

「なにわろとんねん、ゴラァッ!」

「誰だ? そこで何やっとんじゃあボゲェ」

 強面の看板男がいよいよ怒鳴り上げた直後、奥からしわがれた声がして、看板男は振り返った。

「オヤジ、この娘がいきなり……」

「じゃかあしいこと抜かすな。誰だ? って聞かれたら誰かってことをまず答えんかいボゲェ」

「あぁ……娘ェ。お前、誰じゃコラァ」

「え、あ、えっと……あー」

「あぁっ?」

「何しとんねん、このボゲッ!」

 ベッド周りのカーテンが開いた。

 中から姿を見せたのはおじいさんだった。百歳くらいの見た目で杖をつき、全身頭髪から髭からもわもわのたんぽぽの白い綿毛に包まれているような老人。衣装まで全部白いのに、しかし、眼光だけは(いささ)かも衰えを見せていない。

 その向こうのベッドにちょこんと皐月が上体を起こして座っている。

「皐月!」

「みよちん!」

 皐月は続けて呆れたように言った。

「てか、みよちんだったの……なんか騒がしいと思ったら」

 みよちんは橋頭堡を確保するためにも、とにかくベッドに擦り寄った。

「びっくりした。すんごい怖い、あれの人たちに囲まれてんだもん。漏らすかと思った」

「……できれば見せたくなかったなぁ」

 皐月は遠い目をして言った。

「なんじゃあ、皐月の知り合いか?」

「うん。……友達だよ」

「ほうほう。てことはあれか……」

 おじいさんは皐月には年相応らしい笑顔を見せた直後、振り向くと鬼の形相に戻ってみよちんを見た。

「ウチの孫がこんなんに巻き込まれたんは、貴様のせいかゴラァッ!」

「ひぇぇぇぇ、おたすけぇーーーーっ!」

「違う……とも言い難いけど、じいちゃん。違うから、やめて」

 皐月はわりとガチだった。

 ガチで懇願している。

 誰でもそうだけど、それを快く思っていない場合、友人に家族を見せるのはガチで恥ずかしいものなのだった。

「ねぇ。じいちゃん、席外して」

「なるかボゲェ」

「はぁ……じゃあ、私らが行こう。みよちん」

「させるかボゲェ」

「どうしろっつーの」

「だから、いうとるやんけ。お前をこんな目に遭わした奴の名を吐け。明朝、豚の餌にして骨は東京湾に沈めたるわ」

「だから、嫌なんだってーーーーーーーーーーっ! 構うなやぁァァァァーーーーーッ! 頭おかしくなるぅぅぅーーーーーっ!」

「ただでさえ嫁も息子もあんなんなって、孫の心配してなにが悪いんじゃボゲェェェェーーーーーッ! 目の届くとこで、大人しくしてろやァァァァーーーーーッ!」

 皐月とおじいちゃんの双方の絶叫が響き渡った。

「うわぁ……(皐月んとこも大変そう)」

 みよちんとこも毒親ゆえ、すぐに察するのだったが、不意におじいちゃんの目がそちらにも向いて、彼女はとっさに身構えた。

「ひぃっ」

「あんたもあんたやで! 話は聞いたが、どうせ闇バイトだかなんだかの連中に騙されてんねん! 違うか!」

「だからおじいちゃん、それは言ったでしょ! ともかく平気だって!」

「平気じゃないからこうなっとんのやろうがボゲェ!」

 このように毒親と子どもの会話はいつも平行線なのが常である。

 誤解のないように補足すると、心配することが悪いのではない。その心配を足がかりに人の自由を束縛しようとするところが悪い。

 それが自主性を奪うし、自主性を持った人間は殊更煙たがるのだ。

 この心配を態度で示すことも毒親はやりがちだが、実は以ての外。そこまでいくともう独裁的支配であり、子どもはパブロフの犬という心理状態に陥る、虐待行為であると見直されるべきだし、こうなるともう関係の改善はほぼ不可能である、危険視されるべき愚行である。

「とにかくな! 君、これからはちょっと皐月と会うの控えてくれや。こんなんになった以上!」

「ちょ! おい。ふざけんな。マジで!」

「誰がふざけとんねん! わしゃ、真面目じゃボケ!」

「……~~っ!」

 終いにパニック寸前の頭を抱えるようにして、皐月はみよちんに目で合図した。

 重ねて、みよちんにもその気持ちはよくわかるものだ。みよちんも目で応えるだけにして、その場は大人しく立ち去ることにした。

 みよちんも内心相当ムカムカきていたが、その去り際、看板男がちょいちょいと手でやって、廊下のすぐ出たところで話した。

 しかし、看板男の様子は想像とは違った。

「すまんのぅ。聞いてるか知らんけどな、お嬢は父親も母親も失ってな。オヤジが唯一の肉親やねん。親戚は他にもいるが、オヤジの稼業も稼業だしな」

「えっ」

「しかし、それはつまり、オヤジにとっては……息子と、義理とはいえ娘っちゅうことや。オヤジがお嬢に厳しいのも、その反動っちゅうか、まぁ裏返しっちゅうか、そんなとこやねん」

「……でも」

「わかっとる。うざいのは。おれもそうや。医者とか弁護士とか……いや、そんな裕福じゃなくても、家族と仲良しこよしの良いご家庭に産まれてたなら、そもそもこんな稼業にもついてねェ。今頃自分でも家族こさえて他愛のない生活を送っとるわ。そうやろ。……でも、あいにく、そうはならんかった」

「看板男さん……」

「看板男さんって……」

 看板男はそこで改めて名前を榊原 恭介と名乗った。

 それから、やはり意味深に続けた。

「なんでやろうな。なんで神様はこんな仕打ちをする人と、しない人と、それぞれ産むんやろうな。おれにはわからんし、あんたにもオヤジのことをわかってくれなんぞ言うつもりはねェ。けど、これからもお嬢とは、良い友達でいたってくれや」

 みよちんはやっと心からほっとする。

「それはもちろん」

「ああ見えて荒れることもあんねん、お嬢な。学校ではどうか知らんけどな、それを普段は必死に堪えて笑っとるんや。いつでも戦ってんねん。自分の運命と。強い子や」

「うん。知ってる」

「嬢ちゃん、重いこともあるかもしれんがな。支えてやってくれや。頼むで」

 榊原はみよちんの肩をそのごつい手で叩くと、病室に戻っていった。

 その手にこそ温もりを感じられたから、みよちんも黙って病院を後にした。


 その日の帰り道、みよちんはとある少年と遭遇することになるが、それはまた別の話だ。




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