第四変『小天使カミュ登場! ミカさまの大いなる計画! ・前』
「ああぁぁーーーーーうるさいうるさいうるさいうるさい! うるさいよーーーーーーーっ!」
目も眩む閃光の中心で、何かが一際やかましく喚く声だけがした。
「あんたたちねぇ! せっかく人が"自信"ってやつを分けてあげたと思ったら、すぐこれだもの! そんなにいがみ合いたいわけ?! ほんっとに救いようがないったらないわっ!」
「だ、だれ?! なにっ?!」
「これじゃあ、お姉さまも浮かばれないわっ!」
かろうじて——……白く、薄い視界の中に飛び交うハエの影みたいなものが見えた。
セミ、アリ、カナブンときて、今度はハエか! 私は絶叫したいようなストレスを感じた。
「ほら、私の後光が差してるうちに、ずらかるわよっ! ほんっとにもう、人間って鈍臭いんだから!」
「後光ってそういうもんなの——?!」
ふと、指にしがみつく小さな何かの感触がして、私は背筋がぞくり、思わず払いかけた。私でそうだったのだから、この時のこの子の選択は正しかった、と思った。
皐月だったら、きっと瞬間、叩き潰していただろう。
◇
学校の裏にある集合住宅のガゼボまでやってきた。
運動部のランニング外周コースから石段のある塀を登ってすぐのところにあり、専らヤンキーやだらしない部員のサボりに利用される場所だ。格子状に隙間の空いた天蓋があり、計算されたものかはさておき、長い年月で伸びた植物の蔓が四隅の柱に張って、自然のヴェールを作り上げている。
中には四人がけのテーブルと数の足りない……とにかく近所の公園から持ってきたようなペンキのはげた丸い椅子が三脚あった。
私はそこには座らず、朽ちて表皮が削れた木製のテーブルの端に手をついて、ひとまず息を整えた。ブラウスは無惨に汗でぐっしょりだった。
「若いのに、ちょっと運動不足なんじゃないの? あんたったら……」
私は身を翻して、テーブルの端に腰を半ばもたれかからせて、やっとの思いで切り返す。
「飛んでる奴……に、言われたくない……」
「あら。飛ぶのだって筋肉が必要なんだからね。この世は金パワーや才能パワーじゃないわ、力パワーよ」
その子は綿棒のように小さな腕を折ると、ムキっと、ない力こぶを精一杯盛り上がらせて言った。
「私が飛んでるのはクマバチと同じ理屈だし」
「——待って! もう生き物の名前は出さないで! 次はそれが話しかけてきそう! 私たち……ほんと……もうお腹いっぱいだから……」
心の底からの嘆願だった。
私は神に懺悔したくなる。
あぁ、私たちが悪いのは十分以上にわかってます、神様。私たちはほんの十数時間前に、ありがたくも神様から授かったはずの御命に唾を吐き、その顔面に泥をぬりたくるような行いを確かにしました。けれど、そこから私はゾンビに、友達はオバケになり、それだけに飽き足らず、翌日からセミやアリやカナブンの声が聞こえるようになったかと思えば、それが近世風の紳士に化けて追いかけてきて、挙げ句の果てに、この子……この子の登場だ。
もう、自分の見るもの、何もかもが信じられない。
私は息継ぎをしながら、それでも直視せずにはいられない。首の角度を上げて、ようやくその子の姿をはっきりと捉えた。
校舎の三階(うちの学校は二年の教室が三階にある)からここまで駆けてくる間にも確認したが……背中から生えた、全長ほどもある大きな白く輝く羽根。日差しに透き通るようなトウヘッドのストレートヘアー。その頭上にミゼ卿の頭にもあった、ぷかぷか浮かぶ金色の輪っかに、全身を軽やかに包んだこれまた純白のローブ。
改めて見るまでもなく、その姿はまさしく天使だった。
白い羽根の生えた小さな天使が、まるでハチドリのように目の前を浮遊している。
しかし、クマバチと同じ理屈で飛んでいると本人は言い、私はハチドリに例えたものの、彼女の羽根は一切動いているようには見えず、また風切音も一切なかった。
空気の粘度を利用した気合いだというのか、この不条理の全てが。天使というのはこうもテキトーなのか? だいぶ聞いてたのと違う……。
「やれやれ……、突然現れたと思ったら、人の子は騒がしいわねぇ」
すると、腰の辺りから、そんなしわがれた声がした。
「まぁまぁ。元気があっていいことじゃあないか、お前さんや。さぁ、イタズラされんうちに、俺たちは地底に帰るとするかね」
「ま! イタズラだなんて……おじいさんは奴らに甘いんですよ。『あ、ダンゴムシだ。身を守るため、丸まったところに接着剤垂らしたろ!』って悪魔か! 奴らは……」
「しかしなぁ。ほら、近頃はもうそんなことすらなくて、『あ、ムシだ!』『えっ! 無理無理無理無理! ウリヤッ!』 ぺしゃ! だろ。発見、即、無理無理ラッシュからの容赦ない殺害……まだ遊んでくれてたほうが可愛げがあったんじゃないかと俺は思うのよーお」
「可愛げで接着された私らはたまんないですよ! 結局殺害されてることに変わりはないし……おじいさんったら、ほんと、人間に甘いんだから……」
テーブルの柱を伝うダンゴムシの夫婦の会話だった。
私はもう慣れた。もうこの世は生きとし生けるもの全ての声が聞こえる世の中になったのだ。受け入れ、そして、目下の最大の関心事に追求すべきだ。
もしかしたら全ての原因が、この天使のせいかもしれない……。
私は息を整えると、冷静に回り出した頭で考えながら発言しようとして……皐月がいないのに気付いた。
「皐月……?」
瞬間、先ほどの小競り合いが脳裏に浮かんだ。
◇
皐月は遅れて陸上部の外周コースの内縁を歩いていた。
後ろからは二人の紳士がついてきている。
当然ながら通りすがる同級生や他学年の生徒たちが奇異の目を向けてきている。けれど、いつものことだから、それは気にならなかった。
「……娘。追いかけなくてよいのか」
クロ提督が癖のように髭の先を伸ばしつつ言った。触角のような親近感を抱いているのかもしれない。もう片方の手は腰の後ろにつけている。
「あの娘は遥か先に行ってしまったぞ」
「私、走るのって苦手で……」
「マイペースなヤツ……」
ミゼ卿が呆れたように言った。こちらは頭の後ろに手を組んでいる。何人かの女生徒がチラチラと見ていた。
「急いだってなにもいいことないし。疲れるだけだー、私はゆっくりいきたい」
「ふむ。一理ある。余裕を以て優雅足らんとす、その意気や良し! 若輩ながらに見上げたものである」
「そうかぁ? 俺様はびゅんっ! びゅんっ! って駆け回ってたほうが気持ちがいいがな」
皐月は、先日もみよちんの数歩先でそうしたように、とぼとぼと二人の少し前を行きつつ、呟くように言った。
「提督たちはどうして私についてくるの。それとも、みよちんに?」
「橋頭堡を求める」
皐月は難しい顔を返して、ない口髭を撫でる素振りを見せながら言った。
「ふむ。きょーとーほxを求めるか。先にyを定めて、連立するのかな」
「すなわち、人間殲滅のための足がかりとなる基地のようなものである」
クロアリに数学は通じなかった。皐月の返答は無視して、提督は続けた。
「娘らは話のわかる者とみた。そこで人間界攻略のために力を貸してほしいのである」
「人間界攻略って……」
「不服があるのだろう? 今の世に」
クロは皐月の目を覗き込んだ。
薄い金色の虹彩。皺の刻まれた鋭い眼光。それら合わせて異国の面差しが、元より浮世離れした皐月にさらなる陶酔を錯覚させるかのようだった。
外周コースの外は集合住宅の敷地とを隔てる小さな林になっている。夏だから、生い茂る木々には青い葉が鬱蒼と茂って、コースの地面に木漏れ日の光陰をきらきらと象っていた。
その風情も相まって、いつのまにか童話の森の中にでも迷い込んだみたいだ。皐月はそう思った。
クロ提督は続けた。
「あの跳ねっ返り娘もそのように見えたが……違うのか」
「跳ねっ返りって……みよちんのこと?」
皐月は少し笑いかけたが、すぐに神妙に俯いた。
「私は……」
クロ提督は挟んだ。
「仔細までは我輩、聞いておらぬ。しかし、ならば、同じ志を掲げるもの同士、人も蟻もあるまい。それとも、所詮JのC、そのような些事を気にかける度量であったか……」
「しかし、そう言うてもアリだしなー……?」
「うむ……そう言われては、我輩、返す言葉もない」
「なんだ、そのすっとぼけた会話……」
みよちんが不在なのでミゼ卿が代わりを務める一方、彼は続けて少し後ろを歩く女生徒たちを指した。
「——ところで、あれは何だ? JのC」
皐月とは別学年だったが、下級生の子たちで、ミゼ卿が指差すと囁きあい、小さく手を振ってくる。
「あれもJのCじゃー」
「それ、我輩の発明である。勝手な使用は遠慮願いたい……」
クロ提督が困って言ったのをかぶせるように皐月は続けた。
「私より成り立てじゃー」
「ほう。羽化したての着色も済んでいないセミ——というところか」とミゼ卿。
「……なんでも自分たちに例えるのやめない?」
「で、何してる? なんか手を振るといいのか?」
ミゼが後ろ向きに歩きながら手を振りかえすとその一角で嬌声があがり、ミゼは大きく肩を震わせて笑った。
「はっはっはっ! なかなかこの学校ってところは、好奇心が強い奴らが多くて良いところじゃないのか? なぁ! クロ提督。俺様もそう悪い気はしない」
「うむ。我々の前線基地として大変望ましい土地である」
「それは二人が侵略者だと知らないからなんだよなー……」
表情には顕れないが、皐月は呆れたようにそう言ってから、今度は少し目を細めて二人の紳士に尋ねた。
「本気なの? それ。二人は、不服があるってこと?」
二人の紳士は互いに目を見合わせて答えた。
「無論。現状に満足する我輩たちではない」
「そうじゃなくて……」
「だが、当然それだけではない」
「どういうこと?」
「それは——」
クロ提督が言いかけてやめたので、皐月は振り向いた。
その目の前で、ぱしっと、音がした。




