二百八十三話 予習済みの小試験
徐々に大きくなる蹄の音。
まったく愚かにも、この神台邑を襲って荷馬車から金品を強奪しようと企む連中が近付いているのだ。
頭に血が昇った私は、側にいた椿珠さんの襟首を掴んで引きずり回しながら叫ぶ。
「荷物の中に油や燃料はある!? なるべく燃えやすいやつ!!」
「あ、ああ? あるにはある。亜麻仁油がいくらかと、肥料用の燐……って、お前さん、まさか」
目を白黒させて、ついでに横槍を差してきそうな椿珠さんの口を塞ぐため、私はさらに怒鳴りつけた。
「さっさと出せやコラァーーーー! 使った分はツケといて!!」
「滅茶苦茶言いやがる……だがこの際、しゃあねえか!」
私と椿珠さんは急いで馬車の荷物に掛かる幕を外し、燐石の粉末と油壺を抱えて邑の出入り口に走る。
群がる少年たちも、私たちの迷いがない動きを見て色めき立つ。
「おっなんだなんだ、やんのか麗央那」
「喧嘩か!? 出入りだな!!」
「どこの誰に手ぇ出したか、バカ野郎どもに思い知らせようぜ!!」
みんなそれぞれが武器や燃料を手に、邑の入り口めがけて駆ける。
「用心棒さん! そこから離れて! とばっちりで焼かれるよ!!」
「んなぁっ……!?」
一人で入り口を守ろうとしてくれた黒ずくめの剣客さんに、私は注意の声をかける。
私を含めた小娘小僧どもが全員、ガンギマリの目つきをしているのでドン引きしていた。
目に見えるすぐのところまで、何人もの下品な顔した連中が馬で迫って来ている。
「おお? お出迎えとはな、降参か?」
「わざわざ手土産持って迎えてくれるたあ、気が利いてるじゃねえか!」
平和な頭の持ち主だ。
しかもお前らが風下だぞ、分かってもいないのか、ド素人め!
ならばその、めでたい脳みそのまま。
「炎と後悔に巻かれて死んで行け!!」
私たちは燃料を一斉に、地面へとぶちまける。
「ほれほれ逃げろ! 尻に火が点くぞ!」
椿珠さんが軽やかに言って、合間に準備してくれていた火種を放り投げる。
なんだかんだ、ことが起こってしまえばノリのいい男なのだ。
普段は酔っぱらいのお喋りクソ美男子でしかないけれど、決めるところは決めてくれる。
瞬く間に炎が地から立ち上がり、その火勢が口を開けて、暴徒たちを馬ごと飲んだ。
「ブヒッ!? ブヒヒーーーーーン!!」
「うぉわっ! こ、このガキどもなんてことしやがる!!」
周囲をぐるりと水濠に守られている神台邑の、たった一つしかない入口。
下調べもしていないような考えナシの連中は、決まってそこから侵入しようとする。
分かっていれば、翔霏が戻るまでの時間稼ぎくらい、なんてことないんだよ!
「おらおら当たると痛ぇぞ~~~~!」
「バッカお前、馬は可哀想だから人を狙えよ!」
火の手に巻かれた悪者たちめがけて、十数人の少年が一斉に小弓からの矢を浴びせかける。
彼らのうち半数以上は、前回の覇聖鳳の襲撃を生き延びた子たちだ。
悪党にかける情けなど、馬を可愛がる気持ちほども持ちあわせていないのが頼もしい。
完全にカウンター攻撃を喰らい、混乱している賊徒。
けれどその中にも多少は頭の働くやつがいるようで。
「てめえら散れ! 左右に回って濠の幅が狭いところを見つけろ! そこから乗り込むんだ!」
燃え盛る狭い入口で渋滞することの愚かさに気付いたのか、別の攻略点を探ろうと動き出す。
しかしその行動は、もはや詰将棋で悪あがきをする駒の運命でしかなく。
「今日はもう店じまいだ。死んでからまた来るんだな」
「ぶごっ!?」
ヒュオン、と風を切り伸びてくる鉄の塊に、男の顎は粉砕された。
声を聞きつけた翔霏が、外の見回りから戻って来たのだ。
ヒュンヒュンヒュンヒュンヒュン、と自分の体を中心として、まるで見事な曲芸のように紐付き分銅を、無限の軌道で振り回している。
おそらく紐の先端は、音速を超えているのだろう。
あまりに速すぎて、人の目で追うのは不可能なその攻撃に。
「あっが!」
「いぎっひぃ! 脚がァ! 骨がァ!!」
「おごっ……うげ、げぇぇ……」
脳天を割られ、脛を折られ、喉を潰されて行く男たち。
入口に溜まっていた面子も、横から回って入ろうと試みた連中も、見事に全員が半死半生の有様となった。
鋼鉄の錘に付着した血糊を布で拭いながら、翔霏がつまらなさそうにまとめる。
「ふん、子どもばかりだと思って甘く見られたか。地の利がこちらにあることにも考えが及ばんとは、哀れなほど無能なクズどもだ」
まったくその通り。
私も翔霏も、去年の惨劇を生き残った少年たちも。
もし「次」があったらどうしてくれようかと、何度も繰り返し頭の中でシミュレーションしていた。
決して、二度と同じ形で涙を流すまいと、誰もが心に誓ったのだ。
だから全員が同じ光景と段取りを共有していて、いちいち説明しなくても体が自然と動いたのだよな。
「あーあー派手にやっちまってまあ。誰が片付けるんだよこれ」
「メェッ!」
すっかり終わった後で、特に役に立っていなかった軽螢がボヤく。
やれやれと言う顔で椿珠さんが提案した。
「隣の邑に銀月兄ぃたちを呼びに行くんだろ? そのときに役人たちに知らせて引き取ってもらおう。大きな街からも応援を寄越してもらわんと間に合わんな」
そのような次第になったので、少年たちの中から二人に加えて。
「俺も行ってやる。近いと言っても道中なにがあるかわからん」
黒ずくめの用心棒さんが同行を名乗り出てくれた。
私たちが暴れている最中に、後方で戦えない子たちを守ってくれていたのだ。
「よろしくお願いします。ありがとうございました」
私のお礼に、彼は軽く手を振って、珍しく楽しげな声で答えた。
「良いものを見せてもらった。なるほど、陸の守戦ってのはこうやるものなのか」
敵の侵入経路を邪魔して時間を稼ぎ、外からの援軍、この場合は翔霏の帰還を待った今回の作戦。
シンプルだけれど非常に効果的で、兵力が拮抗していたとしてもこの構図を崩すのは容易ではない。
陣地が存在する戦いの場合、えてして守る側、すなわち地形を思い通りに使える側が有利なのだ。
用心棒さんが興味深い顔を見せたのも、地形と言う要素の存在しない海の上と、勝手が大きく違うからだろう。
「さてと、じゃあ銀月さんや兵士さんたちが来る前に、ちゃちゃっとやっちゃいますか。邪魔されたら面倒だし」
「だな。銀月兄ぃにはあまり見られたくないこともしなきゃならん。早めに済まそうかね」
私と椿珠さんは、這いつくばって悶絶している賊徒たちにスタスタと歩み寄る。
最初の標的は、顎を割られてどうせろくに喋られないようなやつに決めた。
「椿珠さん、毒の毛針貸して」
「おう。手に刺さらんよう気を付けろ」
文字通り、毛ほどの細さしかない毒針。
椿珠さんの切り札的な隠し武器である。
どんなに屈強な男でも毒には勝てないことは、南部の巨漢相手に実証済みだ。
「お、おああ、うぉあ……」
痛みに呻き、恐怖の色を目に浮かべる男。
「えいえい」
ぷすっ、ぷすっ。
私はそいつの頸元とか手とか、肌が露出している部分に無造作に二つ、毛針を打ちこんだ。
そして待つことしばし。
「あ、ががが、ごぶごぶごぶ……!!」
毒を打たれた男は打ち上がった魚のようにびくびくと痙攣し、口の中から血の混じった泡を吹く。
目線も完全に飛んで行ってしまっている。
うむうむ、実に良い効き目だ。
椿珠さんってば、こんなものを平気な顔して持ち歩いてるんだから恐ろしいな。
「……ぁあ、や、やめろぉ! 完全に伸びちまってるじゃねえか! これ以上、どうするつもりだぁ……」
隣で一部始終を見ていた、別の男が悲痛な声を上げる。
彼はあばらと脛の骨を折られているけれど、話す分には不自由がないようだ。
毛針を喰らって震える仲間を目の当たりにして、次は自分の番だと思っているのだろう。
ちょっとだけ、違うのだけれどね。
私は恐怖におののく彼に、にっこりと笑って説明する。
「これは死ぬような毒じゃありません。一日くらい、身動きが取れずに震えるだけです。でもこっちは違います」
私は懐から今度は自分の毒串を取り出して、続けて言う。
「こっちは、一本刺したらどれだけ苦しむのか、私にもよくわからないんですよね。体に麻痺が残って一生の間、寝たきりになっちゃうのか。刺された側の半身だけ二度と動かせなくなっちゃうのか。一思いに殺しちゃうのか。作った私もイマイチ把握できてなくて」
「あ、う、うあぁ、く、来るなァ……!」
薄ら笑いを浮かべる私から遠ざかるように、不自由な身体で頑張って地面を扇動する男。
「後学のために、みなさんの体を使って実験してみてもいいですか? 私もすっごく心苦しいんですけど、科学の発展に犠牲はつきものです。つまらない罪を犯したあなたたちの命でも、世の中で困っている他の人の役に立てるかもしれないなんて、素敵なことじゃありません?」
「わわわわわかった! なんでも喋る! 頼むからやめてくれえ!!」
涙と鼻水に塗れて命乞いをする男。
けれど私の狂ったような微笑が途切れることはない。
「私はただ、学問の話をしているだけです。あなたがどこから来た何者かなんて興味もありません。どうせ死んだら誰だって肉の塊ですし」
「その辺でやめておけ。恐怖で頭がいかれちまったら情報も聞けないぞ」
慈悲深い椿珠さんが小声で私に告げた。
ま、いじめるのはこのくらいでいいでしょ。
歯をガタガタと鳴らしながら、わなわなとふるえる唇から、男が情報を告白し始める。
「お、お、俺たちは、元々は覇聖鳳の部下で、青牙部のもんだ。新しい頭領の斗羅畏と、反りが合わなくってよ……」
「テキトーなフカシこいてんじゃねーぞコラァーーーーッ! 覇聖鳳の手下連中にはなあ、夢に出てくるくらい、私たちの恐ろしさを骨身に叩き込んでやったんだ! 今さらこの邑を襲いに来るバカがいるわけねーだろォォォォン!?」
明らかなデマ情報。
私は菩薩の表情を崩して、山も揺れよとばかりの怒声を浴びせた。
青牙部の本拠地に乗り込み、あそこまで好き勝手に暴れてアホ覇聖鳳を殺してのけた私たち。
今さら報復に来るやつなんて、いるわけがないのだ。
第一、そんな連中が仲間内から出ることを、あの斗羅畏さんが許すはずがない。
「ぜぜ、全部お見通しなのか……」
完璧に図星を突かれて驚いた男は、許して下さいとばかりに両手を頭の上に掲げて降参の意を示した。
ただでさえ怒ってるんだから、つまらんことを言ってくれるなよ、ホント。
賊徒を注意深く観察していた椿珠さんが、代わりに真相を教えてくれた。
「こいつらは多分、黄指部から来たんだろう」
「へえ。そう思う根拠は?」
私の問いに、椿珠さんは転がっている男の頭を一つ、蹴っ飛ばした。
「いでっ。や、やめてくれぇ……」
嘆く男は毛皮帽子の下に、髪形をまとめるための網状の内帽子をかぶっている。
「俺の実家から、黄指部のやつらに卸してた帽だ。やっこさん、今まで独占的に商売をしていた利権が解体されて、白髪部の突骨無に儲けを奪われちまったからな。減った食い扶持を稼ぎたくて、商人の振りをして物盗り稼業をして歩いてたんだろう」
「なるほど。商売人に化けて昂国に紛れ込んでいたから、国境を少し離れたこの地域にも出没するわけか」
尋問を後ろで見守ってくれていた翔霏が納得する。
特にこの地域は放棄された邑がいくつかあるので、軍の防備も薄い。
変なやつがうろつくには格好のエリアなんだよな。
「姜さんとのつながりは、とりあえずなさそうだねえ」
「なんでもかんでもあのモヤシに結び付けるのは、麗央那の悪い癖だな」
私と翔霏がそんなことを話していると、情報を吐いた男が、恐る恐る言った。
「そそそ、そういやあ、今は国境の検問も緩いから、簡単に関を抜けられる、そう言って俺たちを関所から通したのが、西の、尾州辺りの訛りのある役人だった……」
「ホントかよ。またつまんないデタラメ吹いてると、いろんなところを少しずつ何百回にも分けてちょん切るよ?」
イラつく私の脅しに、さらに怯えて身を小さくしながらも男は続ける。
「ほ、本当だ。こんなことで嘘を吐く理由なんかねえよ。北辺に西の訛りがある役人なんて珍しいから、はっきり覚えてるんだ……」
「フーム?」
情報が欲しかったのは本心。
だけれど、錯綜してきて整理がつかないな。
姜さんが本当に私を守っているのなら、話の分からん危ないやつを神台邑に引き入れるわけがない。
けれど真実がそうでないのなら、姜さんが私の命を本格的に狙うことも、あり得る。
いや、もっと現実的な推論として。
反乱を勃発させて以降、姜さんでもコントロールしきれていない状況が発生している?
やつの本心はどこにあるのか。
なにが真で、なにが偽なのか。
まったくわからんと匙を投げていたのは、玄霧さんだっけ。
真正面から知恵比べと騙し合いをしても、勝負にならないな。
「ねえ想雲くん」
「はい、なんでしょう央那さん」
打ちのめした賊どもが死なないように、最低限の治療に当たっていた想雲くん。
私は彼に、いつだかのシャチ姐を思い出して、こう頼んだ。
「ちょっと死んでくれない? 翔霏と一緒に」
「はっ?」
彼に大事なことを頼む機会が、いつかあると思って連れて来たけれど。
これは本当に、一世一代の大きな頼みごとになりそうだ。