三百三十九話 空いた穴もいずれは埋まる
火葬まではなんの問題もなく、邪魔ものも入らず平穏に終わった。
棺に入れられた姜さんが、木を組んだ焼き台の上でメラメラと燃え上がり、もうもうと煙を立てる。
「見て見て獏さん。あの煙の形、姜さんの顔みたいじゃない?」
「怖いこと言わないでくれないかな……」
私のセンスは理解されなかった。
けれど、これで終わったと一息ついてもいられない。
神台邑での建設土木作業に入る前に、私にはやるべきことがまだ二つ、残っているのだから。
一つは姜さんが引き起こした叛乱蜂起の裁判に参考人として出廷し、私が知っている情報を述べること。
もう一つは姜さんの遺灰を、南東の海に撒くことだ。
裁判に関しては、当然ながら長い調査の時間がかかるものである。
もうじき斗羅畏さんが昂国に召喚されて、必要なことを説明する段取りになっている。
彼は作戦中における私の管理監督者であったため、基本的に私の行動については斗羅畏さんに責任がある、という建前があるわけだね。
私の仕事は、その後に斗羅畏さんの発言を追認することくらいで、今はフリーの身だ。
「というわけで今のうちに、散骨のため腿州へ行きます。準備もろもろよろしくね」
私が一方的に言い付けると、超めんどくせえ、という表情を隠さずに椿珠さんがボヤいた。
「お前さんよ、行くのはいいが本当に今まで貯まったツケは払えるんだろうな?」
「大丈夫大丈夫、そのうち偉くなって返すから」
「その台詞を吐いて本当に借金を清算できたやつを、俺は一人も知らないんだが……」
まったく、小うるさい守銭奴だのう。
わずかなゼニをどうのこうの言う大人にはなりたくないものですね。
反対に、まだ純粋さを失っていない想雲くんが、目を輝かせて言った。
「ぼ、僕も一緒して構わないでしょうか? あ、もちろん自分の路銀は自分で出しますので」
「大歓迎だよーぅ。一緒に灼熱の陽光を浴びて魅惑の小麦肌になろうぜ。ねえ翔霏?」
旅は道連れ世は情け。
テンション上げてそう水を向けると、意外にも翔霏は難しい顔で。
「ん。まあ、いいんじゃないか」
と、よそよそしく言っただけだった。
気になることでもあるのかな。
お出かけ前に憂いを残すのは良くないですぞ?
そう思った私は、夜のうちにちゃんと話し合おうと決めた。
「なにか腿州に行きにくい理由でもあるの?」
泊まらせてもらっている司午別邸の客間の一つ。
私のストレートな問いに、寝支度をしていた翔霏は少し考えた顔を見せて。
「別に、私が勝手に気にしているだけだ。麗央那は心配しなくていい」
などと水臭いことを言うのであった。
「そんな思わせぶりな言い方されたら余計にモニョるじゃん。YOU吐き出してスッキリしちゃいなYO」
「なんだその喋り方、気持ち悪い……」
「乙女にキモいって言っちゃダメ!」
バカを言ってる私に呆れて毛布をひっかぶり、背中を向けた翔霏。
どうやら口は堅そうだ。
諦めて、私もネムネムしようかしらと思ったそのとき。
「別に、なんの約束をしたわけでもないが……」
独り言のような小声で、翔霏が呟き始めた。
「鶴灯も、相浜の街のみんなも、あの大バカ蛉斬たちをずいぶんと慕っていた。元気な体であの街に還してやれなかったことが、負けたことのように、悔しいんだ。いや、実際に私は負けたのだしな……」
「わかるよ。私もそう思ってる」
失ったものが多すぎた。
だからあの戦いは、実質的に私たちの負けと言っていい。
いつも最強を貫き、どんな敵にも勝ってきた翔霏にとって、今回のダメージは心身ともに、おそらく生涯で最も大きい。
果たせなかった存在しない約束を懺悔しつつ。
翔霏は自分の中の憂いを丁寧に言語化した。
「南部の街に行って、どんな顔でみんなに会えばいいかわからない。私がだらしないから大勢死んだんだ、助けられなかったんだと責められてしまえば、返す言葉もないしな。私ならそれができるはずだと、期待していた人間も多かったはずなんだ……」
「それも受け入れるしかないし、誰もそんなことで翔霏を責めないよ。みんな精一杯やったじゃん」
「わかってる。そんなやつはばかりでないってことは。だが、それでも私は、まだ自分に納得できていないんだ……」
布団の上で体を丸め、小さくなって吐露する翔霏。
その姿を見て私は、ああそうかと、心が晴れた感覚で悟った。
「翔霏も、大人になったんだね」
「なにぃ?」
まるで「今まで子ども扱いしていたのか」と反駁するような声だった。
ツンケンした翔霏の気当たりを受け流し、私は大人ぶって講釈を垂れる。
「だって前までの翔霏なら絶対に『死にたがりが何人死のうが知ったことか。私にはなんの関係もない。勝手に死んで野良犬にでもかじられていろ』って言い捨ててたでしょ」
「麗央那の中で私の印象はそんなに冷酷で傍若無人だったのか……」
茶々を入れないでくださいませ。
「でも今はそう思ってないってことは、気にする視野がそれだけ広がったんだよ。それって、大人になったってことじゃん」
「む、そんなことは……いや、そうなのか?」
自問し考え込む翔霏。
変化するというのは色々な方向や可能性があり、その一つに「大人になる」ということがあるだけなのだ。
ま、これは腿州の三角州で、私が軽螢に言われたことの受け売りでもあるのだけれどね。
はじめて会ったころの翔霏は、自他の境界というか、自分や仲間たちといった「内側」と、他人や敵といった「外側」の区別が、怖いくらいにハッキリしている子だった。
自分に関係するものしか必要じゃないし、守る価値もないという厳格なまでの峻別があったのだ。
好き嫌いもはっきりしてるし。
私は当初、それこそが翔霏の強さだと思っていた。
実際にそう割り切って考えることで、迷いの生まれない状況に自分を置き続けることも、強さの一側面だとは思う。
けれど今、翔霏は「他人とも仲間とも言い難い、顔も知らない多くの人たち」の心情に思いを馳せて、そのせいで悩み、迷い、怖気づいている。
「多分それって、翔霏が見て、感じてる世界が広がったってことだよ。今まで見えてなかったものが見えるようになったんだから、翔霏はきっと一段高く、一層深く、大人の女になったんだと思うな」
きっと、小獅宮の断崖から大空めがけて飛び出したときに。
濠に囲まれた小さな邑で育った女の子は、知ったのだ。
世界が、こんなにも広いということを。
風を受け宙を舞ったとき、まさにその体で実感したのだ。
目に見えない空気が、飛んでいる自分の身体を支えて持ち上げているように。
この世に存在するすべては、自分に無関係ではないのだと。
「迷うのは弱くなったからではなく、大人になったからか……」
「きっとそうだよ。世間知らずの子どもなら細かいことを一々気にしたりしないでしょ」
「麗央那の言う通りかもな。がきんちょなんて、いつだってどこだって、自分のことしか考えない生きものだ」
元気になった翔霏はふふっと笑い、寝ている姿勢を仰向けに直した。
そして中空に手を伸ばし、なにかを掴むような動作をして、言った。
「麗央那がモヤシ野郎の後始末から逃げなかったように、私も覚悟して踏ん張ってみるか」
「無理しないで楽に構えなよ。なんとかなるって」
「麗央那、ここ一、二年で軽螢の物言いに似て来たな。前はもう少し神経質そうだった記憶があるが」
「マジでやめて。私はあそこまで楽天的じゃない……」
偉そうにお説教された仕返しのつもりかいな、翔霏さんや。
そんなわけで翔霏の憂鬱も克服された。
優秀なAD椿珠さんが支度を進めてくれたこともあり、私、翔霏、椿珠さん、想雲くんの四人は慌ただしく南部の腿州へ。
「思ったより早く着いたな」
騎馬に慣れている面子が揃っていたし、お骨くらいしか特別な荷物もない身軽な旅なので、あっと言う間に腿州の都、相浜に到着しました。
「海に焼いた骨を撒くのなら、鶴灯に小舟でも出してもらおうか。家にいるかどうかわからんが」
椿珠さんが妥当な提案を出す。
農業留学中に通い慣れた路地をくぐり、鶴灯くんとお母さんが住む長屋へ。
「き、聞きしに勝る暑さですね……さすが太陽のお膝元、南部の街です」
少し歩いただけで、想雲くんは額に汗の玉を光らせていた。
「ここなんか海沿いだからまだマシな方じゃん。風が吹けば涼しいし。私の地元はもっと暑いよ。地面の暑さで卵が茹でれるくらいに」
「なんでそんなところに住んでいたんですか央那さん!?」
いかんな、つい埼玉マウントを取ってしまった。
もっと暑い日、暑い場所はいくらでもある。
この程度でへばっていては日本の夏では生きていけない……。
「さすがに道も人が少ないな。前はもっと騒がしい街だったが」
翔霏が通りを観察して感慨深げに言った。
姜さんと一緒に乱を起こしたのは、腿州でも特に相浜の街に駐屯していた水兵隊が主力だ。
もちろんそのリーダーは私たちもよく知る、あの蛉斬だったわけだ。
彼らの多くが戦死したり、罪に問われて首都に召喚されたり、あるいは禁固軟禁の状態にある今。
街はまるで喪に服しているかのように、水を打った静けさに包まれている。
「あ……じ、地獄吹雪……」
「なにしに来やがった、今さら」
私たちの顔を見るなり、コソコソと噂話をして建物の中に慌てて引っ込む住民もいる。
「気にしちゃダメだよ翔霏。私も気にしないから」
「ああ、わかってる」
燦々と降り注ぐ日光の中、私たちは少し暗く哀しい気持ちで、鶴灯くんの家の戸を叩いた。
「鶴灯、奥さん、いるかい? 椿珠だ」
声をかけて少し間があったのち、中から鶴灯くんが顔を出した。
「い、いらっしゃい。みんな、げ、元気、そうだ。良かった。そっちの、子は、は、はじめ、まして」
「ど、どうも。司午想雲と申します。角州から来ました」
「あ、ああ、きみが、司午家の。お、お父さんには、港で、お、お世話に、なった」
にこやかに挨拶を交わす若い男二人。
けれど私の目は見逃さなかったのでした。
想雲くんがいまだかつて見せたことのない、暗い視線を一瞬だけ、鶴灯くんに向けたことを……。
「翔霏も罪な女だねえ」
「なんの話だ?」
当人はなにも意識していないところが、余計に小悪魔ポイント高くて、野次馬としては楽しさしかない。
なんて下品な妄想をしている間に、中に通される私たち。
鶴灯くんのお母さんが椅子に座り、仕立物らしい大きな布地を膝の上に広げていた。
「ああ、いらっしゃい。大変だったみたいねえ」
前よりやつれたお母さんが手にしている、その布は。
「蛉斬の、刺繍……」
翔霏が呟いた通り、彼が一張羅にしていた鳳凰の刺繍入り長衣だった。
確かに決戦の場で、蛉斬はこの宝物と言える勝負服を着ていなかった。
汚し、傷付けることになるのを勿体ないと思ったのかな……。
お母さんはそれを撫でて、泣きそうな笑顔で教えてくれた。
「乱が起こる少し前にね、柴将軍がわざわざこんなところにまで足を運んで、刺繍を足してくれないかって言って、置いて行ったのよ」
炎と太陽を思わせる、見事な朱の羽を広げる鳳凰。
その飾りに、ところどころ白い粉が足されていた。
「吹雪……」
詰まった声で翔霏が呟いた。
蛉斬は自分と真っ向勝負を演じてくれた翔霏に敬意を表して、自慢の衣服に翔霏の象徴である、吹き荒れる雪片をあしらいたかったのだろうか。
目に涙をいっぱい貯めたお母さんは、それでも無理して笑顔を保ち。
「でももう、取りには来られないのよね」
本当に心から、残念だ、という気持ちだけを口にした。
「わ、私が……」
寂しそうに顔を伏せるお母さんへ、翔霏がなにかを言いかけた、ちょうどそのとき。
ドスドスと足音が近付いて。
「たのもーう! ここが相浜にこの人ありと謳われた、刺繍の添御婦人のお宅だろうか!?」
家の外から怪音ならぬ快声が、けたたましく鳴り響いた。
乱暴なまでに勇ましく聞こえるけれど、良く徹る澄んだ女性の声だ。
「は、はい、はい。誰かな、か、母ちゃんの、お客さん?」
突然来た大声の勢いに腰を抜かしかけた鶴灯くんが、うろたえて応対に出る。
戸の向こうには、家の入口よりも頭一つ分は背の高い、胸の大きな腰周りの広い女性が仁王立ちしていた。
ずい、と身を屈ませて入口から顔を覗かせたその珍客は。
「あ! それが兄さんの頼んだ衣の刺繍か!? 兄さんは北方でくたばっちまったからな! 私が受け取りに来たんだ! もちろん代金は払うぞ!」
「え……?」
お母さんの膝にある派手な刺繍を見とめて、そう叫んだ。
まさか、まさかの。
蛉斬の下に十二人いるという噂の、彼の妹、その一人か!?
聞いてもいない身の上話を、声とタッパとケツのデカいその妹がまくしたてる。
「兄さんや除葛宰相がいろいろわけのわからんことをやらかしてくれたおかげで、私の家も官憲の群れに見張られていてな! いやあ脱け出してここまで来るのに苦労した! なにせ私の顔と身体は目立つからな! イイ女も困りものだ、ハッハハハ!!」
「うーんこの、どう見ても間違いなく蛉斬の妹感、主張がいちいち強すぎる」
突然の出会いに私は考えるのをやめて、目の前の状況をただ受け止めることにした。
「あの大バカ野郎の、大バカ妹か。こんなやつが十二人もいるとかちょっとした悪夢だな」
翔霏の評価に「ん?」と面白そうな顔で反応した妹さん。
気安くバンバンと翔霏の背中を、結構な強さで叩きながら。
「安心しろ! 体がこんなに大きいのは私だけだ! 他の妹たちはみんな、人形みたいに可愛いこと花の如しだ! うちは父さんも母さんも美形の血筋だからな!!」
と、ウザい自慢を撒き散らし。
「おや、そっちの兄さんもなかなかの男前だが、もう少し筋肉を付けなきゃいかんな! 体を鍛えろ! 船乗りになるといい!」
「いや、俺は他に仕事があるから……」
ついでのように椿珠さんにダメ出ししていた。
こいつ一人が場にいるだけで、空気が完全に支配されている!
さっきまでしんみりしていたはずでは?
感情の整理がつかないくらいに混乱してしまった鶴灯くんのお母さんは、それでも気を取り直して。
「お、お受け取りになるのでしたら、受領に名前をいただけるかしら」
台帳と墨筆を、妹に手渡した。
「受け取りのしるしか! うん、書くぞ!」
紙面一杯に彼女がガガガッと書いた名前。
姓が柴、名は蟷震。
蜻蛉が斬ると書く兄と同じく、名の一部に肉食昆虫、蟷螂の字が与えられている。
代金を支払い、品物を満足げに確かめた蟷震は、私たちの顔をぐるりと見渡して訊いた。
「ずいぶんと肌が白いな? 北の人か? 南には商売にでも来たのか? 今は時期が悪いぞ! 街中が葬式状態だからな!!」
「いえちょっと、私たちも亡くなられた人の弔いみたいなもので」
当たり障りのないことを言ってはぐらかす。
彼女がこちらの素性に気付いていない以上、正直に明かして面倒が増えても嫌だ。
「実はこの女があの地獄吹雪でございます」
なんて紹介しちゃったら、局面がカオスの極みに突入することは必定!
私の雑な説明になにを納得したのか、蟷震はうんうんと頷いて。
「それはお悔やみ申し上げる! 私も今回の変事で、大切な人たちをいっぺんに多く失くした! しかし、しかしだな旅の人!」
彼女は、特になんの変哲もないように見える自分のお腹を、実に優しく愛おしむように撫でさすって。
「別ればかりが人生でも、世の中でもないのだ! 俯いていては素敵な出会いを逃してしまう! 前を見て生きようじゃないか!」
晴れ晴れとした顔で、言ってのけた。
まさか、よもやの立て続けだけれど。
私は彼女に、こう訊かずにはいられなかった。
「と、蟷震さん、お腹に子どもが……?」
「ふふ、わかるか!? どんな子が産まれて来るのやら、まったく想像がつかなくて、楽しみで仕方がない! まさに神が出るか魔が出るか、だ!!」
「それはまことに、おめでとうございます」
私は祝福の言葉を口にしながら。
自分が今、どんな顔をしているのか、わからない。
どこまでも誇らしげに、高らかと蟷震は告げた。
天下に知らしめるように。
命と円環、その彼女なりの答えを。
聞きたくもあり、聞きたくもなかった、強烈過ぎる真実を。
「この私が、除葛宰相の子を産むのだ! 最高の子か、ひょっとすると最悪の子が産まれるのかもな! 旅人さんもそう思うだろう!?」
部屋にいる全員を絶句させて。
「いかん、衛士の犬どもが私を追って来てる! これにて失礼! 素晴しい刺繍をありがとう!!」
大きな女は、大股で飛ぶように逃げて行った。
嵐が過ぎ去った後に、翔霏がぽつりと漏らした。
「私が気に病んでいたことなど、なんて小さなことだろうか……」
「来て良かったでしょ、やっぱり」
脱力しながら笑い、私たちは港へと向かった。
姜さんの遺灰は腿州の海へと還したい。
その考えは実際のところ、ただの思い付き、直感だったのだけれど。
「ここを選んで間違いじゃなかったなあ。姜さん、赤ちゃんだってさ。嬉しいでしょ」
小舟からさらさら、ちゃぽちゃぽと海にお骨を流しつつ、私は囁く。
なにか、必然的な力に引っ張られていたのではと、不思議な気分だ。
これから先も、どんな出会いがあることやら。
わからなさすぎるから、面白い。




