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三百三十八話 寝ずの番

 さらに次の日。

 皇帝陛下、並びに重責ある百官が参列し、朝議が行われた。

 その場における詳しいことは、私は見ていないので又聞きでしかない。

 私に教えてくれた玄霧げんむさんも、そこに立てるほどには偉くないのだ。

 彼が上官である「角州かくしゅう左将軍どの」からざっと聞いたところを、私に伝えた話によると。


「主上が除葛じょかつの功罪を明らかにし、やつの遺体を鞭で打たれたのだそうだ。形式だけのものだろうがな」


 皇帝陛下が振るった鞭は、きょうさんの身体を外れて、台の角に当たったのだと言う。

 懲罰は懲罰として、被疑者が死んでいても必ず行わなければならない。

 けれど死体をいたずらに辱めても得ることなどない、という合理的な解釈も両立するところが、実にこの国らしい。

 死人相手の儀式的な罪状認否が終わったことで、姜さんの遺体を今後、私が煮ても焼いても問題ないことになった。

 生きている人の裁判も、これから順々に進んでいくようだ。

 司午家しごけの別邸に逗留しているジュミン先生も話の場にいる。

 彼女は差し当たっての問題を口にした。


「葬儀自体は私と百憩ひゃっけいでなんとかしましょう。けれど、本当にご遺族の方は納得しているのでしょうか」


 その疑問に、玄霧さんは目を伏せて答える。


「やつの親御と細君は、乱が起こって間もなく首を吊った。除葛本宗家も、こちらからの連絡に『好きにしてくれ』と返して来たのみだ」


 やっぱり、そうなったか。

 姜さんのご家族がどんな人たちなのかは知らないけれど、あの姜さんの近くに、長い年月ずっと一緒にいた人たちである。

 どこか、私たち凡人では計り知れないものを行動の基盤に置いていても不思議ではない。

 一方で縁のそれほど近くない親戚たちは、姜さんに関わりたくないという思いでいっぱいなのだろう。

 ま、今回の叛乱に陰でどれだけ支援を送っていたのかは、姜さんが遺したメモの中にしっかりと書かれているんですけれどね。

 どうせ姜さんに


戌族じゅつぞくをボコボコにいてもうたら、商売の権益もごっそりこっちに奪えるでな。ほいだらみんなでたんまり分け合おうやないか」


 とか唆されて、危ない橋にジャバジャバ投資するような連中なのだろう。

 裁きのお縄がかかるその日まで、知らんぷりして笑ってりゃいいさ。


「子どもは、いなかったんですね」

「うむ」


 それだけが救いであるかのように、私と玄霧さんは揃って嘆息した。

 こうして姜さんのお葬式の段取りをしながら、訪れない親類縁者たちを待ち続けて過ごした、二日後。


「生の始まりは朝。命の終わりは黄昏。宵闇は朝陽に照らされ、旭日は地の果てに沈みゆく。万物はすべて繋がり繰り返し、天地の理はまさに円なり……」


 やっとの思いで弔いの句を述べる百憩さん。

 私たちは新築された中書堂の裏庭、陽の当たらない場所で姜さんの遺体を囲んでいる。

 明日の朝、遺体を焼く前段階の葬送、言うなればお通夜だ。

 関係者の数は多くない。

 実は昨夜、れんさまの侍女頭である孤氷さんが私のところに来て、こう言ったのだ。


「……葬儀の場に、漣さまが出ることは叶いません」


 彼女の顔からは、それが不本意であるという感情が滲んでいた。

 経緯はどうであれ、尾州びしゅう除葛氏にこの人ありと謳われたほどの人物が亡くなったのだ。

 同じく尾州の貴族を代表する漣さまが、顔を出せない道理などあるものか。

 けれど、おそらくは複雑に絡み合った政治的要因のせいで。

 後宮の貴妃であり陛下からの寵愛も多大なる漣さまが、大罪人の弔いに足を運ぶべきではないと、決まったのだろう。

 やんごとなき方々の事情は私にはわからないし、わからない方がいい。


「わざわざ知らせてくれて、ありがとうございます」


 出られない、ということを、気を回して伝えに来た。

 それだけで、漣さまたちのお気持ちは十分にわかるというものだ。

 詳しく述べられないことに歯噛みしながら。

 それでも努めて笑顔を作り、孤氷さんは言った。


「麗、ありがとうございます。なにもかもを、私たちの分まで……」

「いえいえ。好きでやってることですから」


 去り際、何度も何度もこちらを振り返り、狐氷さんはお礼に頭を下げていた。

 想像だけれど。

 彼女の中で姜さんは、故郷の反乱を鮮やかに平定した英雄だったのだろうな。

 まさか少女時代の初恋の人だったりして。

 なんてね。

 んなわきゃないか、あの孤氷さんに限って。

 でも姜さんってば、ホントにいろんな顔を持ってたんだねえ。

 その一面を、今、弔辞を読んでいる百憩さんも知っているのだ。


「行きては帰らぬ時の流れ。されど命は巡り、想いは廻る。やがて果てまで辿るとも、いずれ一へと還り来る。生まれて死に、寄せては返し、光ののちに暗く、始まりては終わりに至る。円環は我らであり、すべては一であるのだから……」 


 姜さんの死を知った百憩さんは、目に見えて狼狽し、憔悴していた。

 私がお葬式の段取りを頼んだときも、心ここにあらずという感じで、細かいことのほとんどは姉のジュミン先生にやってもらった。


「ふ、ぐ、ぐぅ……っ」


 今もとうとう、式事の最中だというのに嗚咽して膝を崩し。

 俯いた顔から地面にぽたぽたと涙を落として、別人のように、子どものように泣きじゃくった。


「どうして……どうして幼麒、わたしよりも先に……」


 その短くも真に迫った嘆きから、私は一つのことを知る。

 きっと、百憩さんは。

 なにがあっても、どうどんな状況に見舞われても、姜さんは死なないと、心のどこかで思っていたのだろう。

 危ないことをしでかすし、罪を負うかもしれないし。

 けれどなんだかんだ切り抜けて生き延びて。


「いや~今回も参ったわぁ。かなんな~毎度毎度」


 なんて言いながら、ひょっこり姿を現してくれる、再会できると、無意識に信じていたのだ。

 実を言うと私も、なんか謎の仕掛けや演技、お芝居で身代わりの姜さんが死んだだけで、本物はどっかに生きてるんじゃないかとちらりと思ったりもする。

 けれど四日間も円周率の計算に明け暮れるような影武者を用意できるはずもなく、そのたわけた妄想は塵と消えた。

 姜さんは間違いなくあの姜さんであることを、私の目の前で強烈に証明して、死んだのだから。


「央那さん、弟に気を遣ってくれたんですね」


 泣き崩れる百憩さんを見つめながら、ジュミン先生が言う。


「そういうわけでも……いえ、そうかもしれませんね」


 曖昧な答えを私は返す。

 まだ小学生のころ、遠い親戚が亡くなったときに、お母さんが教えてくれた。


「お葬式が忙しいのはね。哀しみに潰されちゃわないようにってことなのよ」


 大事な人を失ったとき。

 なにかしていないと、体を動かしていないと、心が悲しみに支配されてしまう。

 そうならないように、お葬式というのは忙しくできているものなんだと。

 そのときは喪主のおじさんもその奥さんも、葬儀屋さんとの段取りや来客への対応など、とにかくずっと動き回って、喋り倒していた。

 一人で、黙って悲しんでいては、人はその重みに耐えられない。

 そのことを私は、神台邑じんだいむらが焼かれたときに嫌というほど思い知ったし。

 きっと、お母さんも学んだんだ。

 お父さんを喪ったときに。

 せわしなく動き回ったことが、あの日の自分を救ったのだと。

 ジュミン先生が、厳しい教育者ではなく、ただの姉の顔をして告げる。


「特に弟は、紅顔の美少年だったころから姜を知っています。子どもを持てない身体のこともあって、思い入れは余計に強かったのではないでしょうか」

「ええ、百憩さんが姜さんの昔話をしているときは、いつも楽しそうでした……」


 私は涙に濡れる百憩さんの手を取り、一緒に姜さんの棺桶まで進み出る。


「ああ……幼麒、また会えると思っていたのに、どうして、どうしてこんなことに……」

「ごめんなさい。生きたまま連れ帰ることができなくて」


 誰がなんと言おうと、それは私の責任であり。

 私はその重みから逃げるつもりはないと、心に誓ったのだ。

 百憩さんは遺体に縋り、愛おしそうに姜さんの痩せた顔を、震える手で撫でた。

 

「病なら、私たちに言ってくれれば……できたことがいくらでもあったはずなのに……」


 取り返しのつかない状況を目の前にしたとき、私たちは必ずこう思う。

 あのとき、ああしていれば。

 その想いは呪いとなり、いつまでも個人を過去へと縛り付ける。

「あのとき」なんてものはとうに過ぎ去り、もし、ならばという仮定はなんの意味も持たないのに。

 どんな人にだって「これから」しか存在しないのに。

 なぜだろう、誰しもその呪縛から逃れられないのだ。

 長い年月、真面目に勉強し、研鑽し、修行を積んだ百憩さんでさえそうなのだから。

 残念だけれど、私はその呪いが一発で解けるような、イカした方法を知らない。

 これからの百憩さん次第、私次第でしかない。

 私たちが愁嘆に塗れて言葉少なに過ごしている、その夕方。

 

「あ、いたいた! 央那ちゃん、まだ燃やしちゃってないよね?」


 通夜に似合わぬ明るい男の声が、突然に響いた。


「あらばくさん。あんたも来たの」


 中書堂で学んでいる若き官僚候補生。

 苗字は皇族と同じ涼氏りょうしだけれど、別に親戚でもなんでもなくて紛らわしいチャラ男、獏さんがやってきた。

 てかこいつ、神台邑で水路とか土壁とか造ってるはずじゃなかったのかよ。

 邑に帰った軽螢けいけいから姜さんのことを聞いて、駆けつけたのかな。


「そりゃあ来るさ。だって焼いちゃんだろう? そうしたらもうお目に掛かれないじゃないか」


 TPOも弁えず軽く言った獏さんは、興味深げに棺桶で眠る姜さんをじろじろ観察し。


「偉大なる先輩、安らかにお休みください。あとは僕たちに任せてね」


 そう言って、横たわる姜さんの胸の上に、算術クイズの本を乗せた。

 一緒に焼いてあげよう、ということか。


「あ、これは僕が書写した分だから安心してよ。姜帥が作った原本は中書堂にちゃんとあるから」

「獏さんのくせに粋なことするじゃん。生意気だぞ」

「相変わらず僕のことだけバカにするんだなあ」

「そうでもないですよ。あちこちで色んな人をバカにして生きてます、私」


 アハハ、フフフ、と私たちが笑っていると、本日の仕事を終えた中書堂の書官たちが、ぞろぞろと裏庭に降りて来た。

 

「我らも、中書堂きっての天才を悼むため、同席してもよろしいか」


 真面目腐った顔でその中の一人が言う。


「ええどうぞ。でも偉い人たちに睨まれても知りませんよ。そこは自己責任でお願いします」

 

 意地悪な顔で私が答えると、彼らはフッと一笑に付した。


「学問の完成に、功罪も善悪も是非も、本来はありえないのだ。器用に世渡りして出世したいような俗物なら、初めからここで学んだりしない」

「惜しむらくは、もっと気楽に教えを請えば良かったという後悔があるだけだな」

「死体に罪はなかろう」

「魔でも鬼でも、正しい面は正しいし、誤りは誤りだ。それ以上でもそれ以下でもないさ」


 それぞれ個人的に想うことを述べ、順番に姜さんを前にして伏礼する一同。

 私はその光景を見て、やっと理解した。

 中書堂の面々が姜さんによそよそしかったのは、決して嫌っていたからでも、軽蔑していたからでもない。

 姜さんを尊敬するあまり、おいそれと話しかけることすら、畏れ多かったのだと。

 次々と訪れる人が増えて行く中で、こんな声が上がった。


「どうせ燃やすのだから、ころもの切れ端を頂戴しよう」

「ふん、俗物め。そんなまじないめいた行いになんの意味がある。しかしせっかくの記念だから貰っておこうか」

「文句があるならお前は取るなよ」


 私が許可していないのに、彼らは短刀で以て姜さんの着ている青白衣の袖や裾を、サクサクと切り始めた。

 知恵と学問の御利益アイテム扱いされた姜さんの衣服が、瞬く間に大勢の人に取り分けられて行く。

 それを見て、遅れて顔を出した椿珠ちんじゅさんが私の耳元で提案する。


「おい、これは金を取れるんじゃないか」

「あんたはそれしか考えられないんかい……でも、それもアリかあ。私たちらしいし」


 私は椿珠さんの被っている帽子を奪い、それをさかさまに、丼や鉢のように手に持って集まっている衆に呼びかける。


「はいはいみなさん! 記念に持って行くのはいいけど、せめてお気持ちを残して行ってね! タダで手に入れたものに霊験も効能も期待できませんよ!」


 聞いてないよ~、とブーイングが巻き起こる。

 ケチ臭い連中だこと、お給金が低いのかしら。

 そこで気を利かせたのが、椿珠さんと一緒に到着した想雲そううんくんだ。


「確かに除葛将軍も、死出の旅往きに衣服を剥ぎ取られたのでは困るでしょうね。このお金で新しいものを買っていただきませんと、送り出した僕たちの恥となってしまいます」


 チャリンリン、と私の構える帽子の中に小銭を入れて、姜さんの前で瞑目し、衣服の裾を切り取った。

 年若い想雲くんが真っ先に分別ある行動を取ったのだ。

 それを見せつけられた書官たちも、渋々と金銭を投げ入れて行った。

 衣服お守りを得たのちも、何人かは残って輪を作り、姜さんの思い出話に花を咲かせている。


「確かに算術では一歩先を行かれたが、古来からの法解釈に関しては私の方が通じていたと思っている。一度だけ、姜氏が私に質問して来たことがあるのだ。あれは確か、盗んだものを更に高い値で売った祭に得た利益は誰のものか、という問題だったな」

「フン、そんなくだらないことか。除葛が戦地で行った築城術は、俺が朝廷に提出した土木や石材の資料を参考にしていたのだぞ。要するに除葛の戦功は半分以上が俺のものだと言うことだ」


 いや、それはない、と心の中で突っ込む。

 また別の人々曰く。


「東海の潮の流れと風向きは、冬から春にかけて大きく変わるはずだ。実地で船に乗った除葛どのは、その資料を残してくれただろうか……」

「尾州は西方の科学や算術がいち早く伝わる地域だな。そう遠くないうちに、第二第三の天才がまたかの地から輩出されるのでは?」


 揃いも揃ってみんな、死体の横でガリ勉トークしかしてやがらねえ。

 でもそれが良い、それだから良い。

 姜さんのお葬式は、こうでなくっちゃね。

 集まった人々が嬉々として難しい話をしているのを、呆然と眺める百憩さん。

 私は彼の手を引いて、輪の中に連れて行く。


「これが姜さんの作った縁、姜さんの辿り着いた円環ですよ。ここから私たちが、また新しいことを始めるんです。姜さんの死は決して、終わりじゃないんですから」


 それはきっと、幼い姜さんに百憩さんが教えたから。

 この世は円であり、終わりもなく始まりもなく、永遠に循環して行くのだと。

 想いも命もその輪の中にあり。

 私たちはみんな、生きていても、すでに死んでも、これから生まれるとしても。

 同じ輪の中で、一緒に命を運んで行くんだ。

 涙に濡れた顔を袖で拭い。

 やっと、百憩さんはこの日初めて、笑った。


「そうか、これが幼麒が私に教えてくれた、円の答えなのですね……」


 次は私たちが、姜さんから託されたものを糧にして。

 新しい円の答えを、導き出さなきゃならない。

 涙に濡れた目では、問題用紙は読めないんだ。


「さあ、行きましょう。みんな面白い話をしてますよ」


 陽が沈み、かがり火が焚かれる。

 まだ姜さんの横には人がいて、めいめい勝手なことを話している。

 夜は来ても、今日が終わっても。

 新しい明日は、必ず始まる。

 私たちの手で、運ぶんだ。

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