三百三十五話 次
気付いたら朝だし。
姜さんはピクリとも動かないし。
納屋の外ではなんだかゴチャゴチャ言い争っている声が聞こえるし。
「よっこいしょういちっと」
私は姜さんの遺体を右肩に担いで、屋外へ。
いい加減、左の鎖骨を治すことを考えないとね……。
「軽いなあ。どういうことなのよいったい」
昂国に来てからというもの、健康的でアクティブな暮らしを二年も続ける羽目になった。
そのおかげか、私の体力筋力は中学生時代よりずいぶんと向上した。
けれどそれを差し引いても、姜さんの身体は軽すぎる。
こんなに、文字通り出枯らしのすっからかんになるまで、この人は「生き切った」のだ。
表に出て私が見た光景は、予想通りと予想外の折衷のような状態だった。
「あら突骨無さんに、玄霧さんまで。ずいぶんとお早いお着きですこと。もっとかかるかと思ってたのに」
平然と感想を述べた私を、場にいる大勢が唖然とした顔で見た。
巨大狼と化した斗羅畏さんの背に乗って置き去りにした、その主たるメンバーがだいたい揃っていた。
最も心配そうな表情を浮かべてる軽螢が、真っ先に訊いてきた。
「れ、麗央那。まさかとは思うけどさ。もう四日も籠ってゴソゴソやってたの、自分で気付いてないんか……?」
「四日!?」
驚きのあまり、私は姜さんの骸を地面に落としそうになる。
私と姜さんは、四日間も納屋に籠りっぱなしで数学講義に狂っていたらしい。
通りで時間の感覚があやふやになっていたわけだよ。
つくづく頭おかしいな、私たち。
笑える。
けれど笑顔からほど遠く、深刻な皺を眉間に刻んだ玄霧さんが、見ればわかることをわざわざ確認した。
「じょ、除葛は……死んでおるのか?」
「ええ、死にました。おそらく今朝方、まだ暗いうちにでしょうかね」
「お、お前! でしょうかね、で済む話か……!」
玄霧さんが怒りそうになった空気を敏感に察知して。
私は、先手を打ってキレることにした!
「病気で死んじゃったんだから、仕方ないでしょ! それともなに!? 玄霧さんならどうにかできたって言うの!?」
逆ギレ勝負なら負けねえよ!?
「な……し、しかし。今ここで死なれては」
「知らねえよんなもん! あんたの都合で死んだり生きたりしてねえっての! 血まで吐きながら無茶なことして暴れ倒した姜さんを、どこの誰がこうして止めたかわかってんの!? 私だよ! その私が『仕方ないね』って言ってんだから、もう納得しとけや! どうしようもねえんだよこれ以上!!」
私がキレ散らかすと手に負えないことを知っているのは、突骨無さんである。
前歯の欠けた口で苦笑いしながら、玄霧さんの肩を叩いてこう言った。
「死者に鞭打つ習慣は、俺たちにはない。除葛が死んだ以上、以降の裁判の段取りは昂国に任せよう。日取りなどは追って連絡していただきたい」
「だ、大統どのがそうおっしゃられるのであれば……」
姜さんの身柄を誰がどう扱うか。
そこで話がこじれるのも、姜さんが生きていてこそである。
死人に罪を問える道理はない。
突骨無さんはあっけないほどに潔く、主導権争いから降りた。
この辺の合理的な態度は、さすが儀礼や建前にうるさくない騎馬の民だね。
話がほぼまとまったことを受けて、斗羅畏さんが告げる。
「ならば昂の軍使どの、急かすようで悪いがなるべく早めにこの邑から撤収していただきたい。小さな邑に他国の軍人がひしめいていると、住民が恐れてしまうからな」
「か、かしこまりました……おい、麗。除葛の遺骸をこちらに」
玄霧さんから促されても私は知らんぷりを決め込み。
「ちょいとヤギ太郎。こっちへおいで」
「メェ~」
脇にヤギを呼んで、その背中に姜さんの身体を腹這いの形で乗せた。
「この期に及んで、まだなにかあるのか?」
不機嫌マックスなのをまったく隠そうとせずに、玄霧さんが凄んで来る。
私は彼を掌で制して、一枚の紙を掲げた。
そこそこの大きさの紙が、四つに折りたたまれたものだ。
「この紙は姜さんが着ている服の、内側にあったものです」
「な、なにが書いている。寄越せ」
玄霧さんが咄嗟に手を出して奪おうとしてきたのを、翔霏が服の裾を掴んで食い止めてくれた。
「こ、紺! なんのつもりだ? 離せ!」
「麗央那が話している途中だ。玄霧どのであろうと、余計なマネは私が許さない」
「この、分からず屋の、クソガキどもが……!」
うわあ玄霧さん、タコみたいに顔真っ赤、血管切れそう。
それでも翔霏に勝てるわけはないことを承知しているので、その場で地団駄を踏むしかできないのが可愛い。
邪魔者は制圧されたので、私はゆったりと、分かりやすく伝わるように心がけて説明を始めた。
「この紙には、今回の反乱蜂起に関わった『責任の重い人たち』の姓名と所在が羅列されています。姜さんを筆頭として、各部隊長、将軍級の人であるとか、あるいは後方支援の責任者たちの情報がつらつらと記されているようです」
「な、なんだと……? と言うことは」
玄霧さんにこの書の意義がちゃんと伝わっていることを確認し、私は続ける。
「直接の戦闘行為には加わっていなくても、この蜂起のために資金や物品を提供した尾州の旧王族除葛氏、その重鎮たちの情報もしっかりと書かれています。尾州に居ながら多額の出資をした旧王族たちは、現場で戦った将軍たちと同じく『今回の乱に重い責任を負うもの』と扱っているようです」
そう、姜さんは「成功しても失敗しても、反乱が終わった後のこと」まで完璧に計算して、この書を残したのだ。
自分は裁きの場に引っ立てられる前に、病で確実に死ぬと予測して。
裁判が公平公正に、遅滞なく進むための資料として、誰にどれだけの罪があるのかを、紙に明示して残したのである。
「そ、それさえあれば、今後の調査や司法の作業全般が、驚くほど速く進む……」
さっきまでネガティブな表情しか見せていなかった玄霧さんの目に、光が指していた。
普通、大掛かりな犯罪を行う場合は、悪いことを一緒する仲間たちの資料など、可能な限り他者に見せないように腐心するものだからね。
けれど姜さんは「自分が死に、仲間たちが裁かれるまでがこの蜂起の意味」として考え、国が後始末をするための助けとなる証拠を、あえて残した。
姜さんなりにそろばんを弾いて、誰の罪がより重く、より軽いかを客観的な数字指標で計算したわけだ。
裁判がすんなり進むと言うことは、昂国の行政上の負担が減る、と言うことに繋がる。
乱の目的はあくまでも「戌族をブッ叩くことで得られる、昂国万民の利益」なのだから、その目的を妨げる要素は徹底的に排除していたのだな。
こういう用意周到で本義を外さないところはホント、敵わないなあ、って思うよ。
「内容はわかった。ならその文書は俺が預かる。つつがなく朝廷に提出しよう」
玄霧の野郎がまだお花畑なことを言っているので、私はそれを一笑に付す。
「渡しても良いけど、条件があります」
「お、お前!? 調子に乗るのもいい加減に……!」
怒髪が天を衝いた玄霧さん。
けれど周囲に翔霏、斗羅畏さん、突骨無さんたちの冷ややかな目線があることを察し、言葉を引っ込めた。
私を粗末に扱わないこと、と言う血を流したほどの約束が活きてきたね。
ちょっと離れたところでは、一緒に駆け付けた巌力さんも怖い顔で睨んでくれている。
ありがたいねえ、仲間がいてくれるということは。
「私の出す条件は些細なことです。みなさんにご迷惑をおかけすることも、ほぼないでしょう。そのあたりは弁えてますよ」
「とにかく言ってみろ。俺の権限で許せる範囲かどうかは知らぬがな」
苦虫くちゃくちゃフェイスの玄霧さんに、私はこう要求した。
「姜さんの遺体は私たちが昂国まで運びます。そして私が彼のお葬式を取り仕切ります。沸教の形式で行い、火葬にするつもりです。遺灰は腿州から、東海に撒きます。もちろん、ご遺族が了解したら、の話ですけど」
大罪人になってしまった姜さんのお葬式だ。
進んで喪主をやりたがる人は、いくら近親者でも少ないだろうと、私は踏んでいる。
式事の細かいことは百憩さんに任せれば、きっと上手いことやってくれるでしょう。
私の言い分を聞いた玄霧さんは、しばらくぬぅんと考え押し黙って。
「遺体を焼く前に、主上のおん前に引き出す必要はある。それは承知するか」
「ええ、それはもちろん」
国を騒がせた反乱軍の首魁なのだ。
その亡骸を皇帝陛下の前に引っ立てることは、どうしたって必要なことくらい私も理解しているよ。
もう一つ、玄霧さんは確認を付け加えた。
「そこで主上が、除葛の骸を八つ裂きにせよとおっしゃったのなら、お前はどうする」
「バラバラになった姜さんの四肢を集めて、それから焼くだけです」
真っ直ぐに目を見て、堂々と言ってのける私。
本気が伝わったのか、玄霧さんはいつも通りの、観念した吐息を漏らして、納得してくれた。
「わかった。なんとかしてやろう」
「約束ですよ。破ったらこれですからね。翔霏が」
ぶんぶんと拳骨を振る仕草を見せつける私と、頷く翔霏。
玄霧さんも納得してくれたし。
斗羅畏さんは、話が決まったなら早く帰れオーラを出してるし。
「大統さま。また生きてお目にかかれて、嬉しく思います」
「や、やあ楠婦人、お元気そうでこちらこそなによりだ」
江雪と突骨無さんは、なんだかイチャつき始めたし。
「さ、帰ろっか、みんな!」
チーム麗央那に号令をかけて。
私たちは北方への遠征を、ここに終結した。
「やれやれ、誰にどれだけ請求したらいいんだ、今回かかった費用は」
「俺の賃金はちゃんと出るんだろうな」
椿珠さんと、いつの間にか合流した黒ずくめ用心棒さんとが、けち臭いゼニの話をしていた。
「は~あ、やっと帰れるぜ」
「今回はさすがに、堪えたな……」
軽螢と翔霏が、緊張を解いていつもの顔に戻った。
「父上、ありがとうございます。ここまで取り計らってくれて」
「お前も官職に就くつもりなら、ままならんことばかりだと言うことを思い知るだろう」
想雲くんと玄霧さんが、どこにでもいるような父子のやり取りをしていた。
「麗女史」
「はい?」
巌力さんに呼び止められる。
彼はその静かで力強い目で、私に問うた。
「この戦いの旅で、いかなることを学ばれましたか」
私はそれに、自信を持ってこう答える。
「姜さんが教えてくれた、すべてを」
「メェ!」
優しく頷いた巌力さんは、ヤギの背にあった姜さんの遺体を、代わって抱きかかえる。
そのあまりの軽さに驚いた顔を見せ、ぽつりと自問した。
「強さとは、なんでござろうかな」
それもまた、難しい問題だ。
巌力さんですらわからないのだから、チンケな私にすんなり解けるはずもない。
これからの宿題にしよう。
まだ解けない難問があると思えば、きっと今日も、明日も。
その先も、楽しいから。
こうして、私たちの一世一代の戦いは幕を閉じて。
魔人とまで呼ばれた英雄のいない世界が、新しく始まった。
「寂しがってなんて、あげないんだからね」
私は明るく、姜さんの遺体に呼びかけた。
返事は、なかった。




