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三百三十二話 最後に残った、たった一つの冴えたやり方

 太陽が山の端に、ほぼ沈みかけたころ。


角州かくしゅう左軍正使、司午しご玄霧げんむと申します」


 厳つい部下をぞろぞろと連れ、この場に玄霧さんが到着した。

 馬から静かに降りた彼は、私情を覗かせぬ礼儀正しさで、まず真っ先に突骨無とごんさんに挨拶を述べ、頭を下げた。

 若造とは言っても相手は白髪部はくはつぶを束ねる大統サマである。

 偉さを示す指標としては「州公」もしくはそれに準ずる立場と言っていい。

 州軍に属する便利屋武官の玄霧さんとは、公人としての格、位階が大きく違うわけだ。


「丁寧なご挨拶、痛み入る。はるばるこんなところまでご苦労なことだ」


 突骨無さんも拳礼を返したけれど、目は笑っていない。

 今さらなにしに来やがった、さっさと帰りやがれ、という本音が透けて見えるようだ。

 玄霧さんは少しばかり悲しい表情で、私たちいつもの面子を眺めた。

 いろいろと言いたいことがありそうだね、毎度のことながら。

 けれど今は仕事と割り切って真面目な顔を作り、きっぱりと言った。


「そこにあるは我が国から発した罪人、除葛じょかつきょうでありますれば、身柄を引き受けに参りました」

「断る」


 社交も建前も抜きで、突骨無さんは突っぱねた。

 彼をの後ろに控える戌族じゅつぞくの兵士たちも、我が意を得たりとばかりに頷く。

 この戦で多くの血を流したのは、北方の民なのだ。

 ならば北方の民の手で裁かねばならないと考えるのは、まったく自然なこと。

 突骨無さんの返答を予測していたのか、玄霧さんは取り乱すこともなく、粛々と述べた。


「此度の災禍によって、みなさまに掛かったご負担は、責任を持って補償させていただく。無論、除葛の罪を問う場には、大統どのを含め戌族各氏部の重鎮方にも、ぜひとも参画していただく所存。どうか安心してお任せいただけないか」


 玄霧さんの言い分を翻訳すると。

 戌族のみなさんの事情は最大限に配慮させていただくので、裁判の主導権は昂国に握らせていただけないでしょうか、ということだね。

 昂国としても、身内から出た厄介者なので、身内の中で始末をつけたいという動機と事情があるのだよな。

 けれども、慇懃にも見えるその玄霧さんの物言いに、若き大統サマが吼える。


「来るなり勝手なことを言いやがって。司午玄霧。あまり俺を甘く見るなよ」

「小官は国の務めを全うするのみです。なにとぞご理解いただきたい」

「ただの仕事だと抜かすなら大人しく帰ってもらおうか。俺たちにとっては仕事以上の、滅ぶか残るかの問題だったんだ。貴国の皇帝陛下がなんとおっしゃろうと、生死の問題にまで口を挟む義はないはずだ」


 あくまでも、大義は自分たちにあると主張する突骨無さん。

 昂国の皇帝を軽んじているわけではないと一言加えているあたり、気が回る兄ちゃんだなと感心する。

 怒っていても冷静さを併せ持てる、これが今の北方の大統の姿だと知らしめているのはさすがの政治手腕だね。

 玄霧さんは押し黙って、しばし両者の睨み合いが続く。

 脇で見ている私の耳元、翔霏しょうひが小声で言う。


「揉めるぞこれは。いいのか?」

「でも私たちが変に口を挟んじゃうと、余計にこんがらがるし……」


 心情的には突骨無さん、と言うか戌族のみなさんに助太刀したくある。

 私も彼らと一緒に、この草原で生きるや死ぬやの大立ち回りをしたのだから。

 でもそうしたら、玄霧さんのお説教の矛先が私に向いて来るのは火を見るより明らか!

 いい加減くたびれたんで、この上誰かに怒られたくありませんことよ。

 突骨無さんはすいさまを通して、間接的に司午家と縁が繋がっている。

 けれどそんな馴れ合いを背景にここでイモ退いては、一族のみなさんに示しがつかないのだよな。

 だからこそ私が今、差し出がましい真似をするわけにもいかないのだ。

 明確に助けを求められてしまったら、なにか言うくらいはするけれどさ。

 立場のハッキリしない私は、ボッ立ちして役立たずの傍観を決め込むのみ。

 そんな動かしがたい空気の中。


「……」

「……」


 同じタイミングで、斗羅畏さんと玄霧さんの目が、姜さんに向いた。

 無意識だったのかもしれない。

 けれどその視線の中に、私は微かな感情を見た気がする。

 ああ、この二人は。

 いや周りにいるみんな、きっとまだ、期待しているんだ。

 こんなとき、どうすれば場が上手くまとまるのか。

 心の底で、姜さん自身がなにか冴えた考えを出してくれるのではないかと。


「メェ~~~ッ!」

「あはは、気付かれてもうた」


 ヤギに小石を投げて遊んでいるやせっぽちの白髪男に、答えを出してくれないかとせがんでいるんじゃないか?


「はーあ、この期に及んで、どいつもこいつもよぉ……」


 もう口も聞きたくないくらいに、私は凹んだ。

 あんたたち全員がそうやって、姜さんに大きな荷物を預けようとするから。

 除葛姜なら、なんとかしてくれるって思ってるから。

 こんなとんでもない化物が、生まれちゃったんじゃないのかよ……。

 ぐす、と私が情けなさから鼻を鳴らした、そのとき。


「末叔父……いや、大統どの。そして昂の正使どの。一つ俺から、良いだろうか」


 緊張した双方の間に、斗羅畏とらいさんが割って入った。

 突骨無さんが頷く。


「ああ、この戦に最も多くの血と汗を注いだのは、斗羅畏たち蒼心部そうしんぶの面々だ。ぜひ意見を聞かせてくれ」


 わずかに訝しんだ顔を見せた玄霧さんも、特に異論はないようで、肯定の沈黙を示した。

 夕闇の雲向こうに覗いた月を、一瞬だけ見た斗羅畏さん。

 言葉を選ぶように、ゆっくりと話し始めた。


「この北の草原を、大いなる災厄が襲った。あるものは傷付き、あるものは倒れ、またあるものは哭きながら逃げて行くうちに力尽きた……決して長くはない俺の生の中でも、此度の戦が最も死に近く、そして死力を尽くした場面だったと断言できる」


 今まで辿った道のりを思い出すように。

 斗羅畏さんは目を伏せ、斃れて行った彼ら彼女らの魂を鎮めるような面持ちを見せた。

 言うなれば、回りくどい話の入り方。

 直接的ではない物言いに少し驚いて目を剥いたのは、突骨無さんである。

 斗羅畏さんが単刀直入の好きな人物であることを、誰よりも知っているからね。

 その困惑を知らぬ顔で、斗羅畏さんは続ける。

 私の顔を、ちらりと見つめて。


「ここに至って、なんとか厄を食い止めることができたのは、あなたたちもよく知る、この狂った女の力があってこそだ。俺たちはこいつの策がなければ動けなかったし、なによりこいつが、なにがあっても、どんなときでも諦めなかった。こいつに俺たち全員は引っ張られ、ここまで辿り着いたのだ」


 うんうん、と横にいる翔霏と巌力がんりきさんが同意してくれる。

 フフン、と自分のことのようにドヤ顔する軽螢けいけい椿珠ちんじゅさんが、ちょっとウザい。


「さすが央那さんです……」

 

 想雲くんは疲労が極限に達したのか、眠そうである。

 お父さんが見てるよ、しっかりしなさい。

 彼に背負われているちびっ子倭吽陀わんだは、完璧に寝ている。

 さっきまでげんなりした気分だった私も、褒められてちょっと元気になっちゃう。

 我ながらチョロい。

 って誰が狂った女か。

 ちょっとおかしい女、くらいで収めておいてください。

 斗羅畏さんの失礼ながらもありがたい口上は、しかしまだ止まらない。


「しかし正使どの。この女は貴国の定めるところに従えば、勝手に国外に出て騒ぎを起こした大罪人の一人に数えられてしまうのではないか」

「む。いや、それに関しては……」


 急に話を振られて、玄霧さんは苦い顔をした。

 そう、暴徒を引き連れて北方を荒らした姜さんが謀反人なら、軍人でもないのに勝手な判断で姜さんを追って大いに暴れ倒した私も、お尋ねものになるのが道理である。

 法律が四角四面なまでに厳しくカッチリした昂国の理屈では、そうなってしまうはずだ。

 ま、私は「罪には問われる、けれど翠さまや偉い人たちの口添えで恩赦が下される」というところが落としどころかなと予想してるけれど。

 ……そうならないと困りますよ、玄霧さん?

 この部分に、斗羅畏さんは注文があるらしい。


「たとえ形式上の話だとしても、こいつを罪人つみびととして扱うことは、こいつに助けられた俺たち全員、断固として承服するわけにはいかない。まずこの女が国の法を無視したことを許し、その行いは広く天下に益することであったと認め、その上で働きに見合った褒賞を十分に与えると約束してもらわなければ、この場の誰も納得はしない。それを正使どのに俺は、この戦場を駆け抜けたものたちを代表して申し上げたいのだ」


 決して攻撃的ではなく。

 けれど祖父譲りの物凄い目力で、斗羅畏さんは玄霧さんに詰め寄った。

 いつもふてぶてしいまでに偉そうにしている玄霧さんが、わずかに気圧されたのが伝わったほどだ。


「麗央那のためにそこまで言うなんて、斗羅畏も話の分かる親分になって来たな」


 後方で理解ヅラをして腕を組み、満足そうな翔霏。

 なんだかんだ、私たちの知る中で一番、短い期間に成長した人って、斗羅畏さんだよね。

 突骨無さんも同意して、柔らかい表情を見せた。


「斗羅畏の言う通りだ。正使どのも、わざわざここまで子どもの遣いで来たのではないのだろう。まずは麗さんの立場を安堵することを、今ここで責任を持って約束してくれ。除葛の扱いについては、その次に話そうじゃないか」


 二人の若き狼に迫られ、玄霧さんは眉間に皺を寄せる。

 そして私の方を恨めし気な目で見た。

 もちろん、私はそっぽ向いて知らん顔、下手な口笛までピューと吹いちゃう。

 玄霧さんは諦めたように大きく息を吐き、強い口調で確約してくれた。


「承知しました。小官の全責任を以て、この麗なにがしという女官が我が国で罪に問われぬよう、お二方に誓いましょう」


 その証しとして玄霧さんは自分の軍服の裾をわずかだけ切り取り、さらに親指の腹にちょっとだけ傷を付け、布に血を染みこませた。

 二つの血の付いた布を作って、それぞれ突骨無さんと斗羅畏さんに渡す。

 男と男の、違うことができない固い約束、みたいな証拠品なのかな。

 戦場や軍人のしきたりは、よくわからない。

 って、私の扱いが雑だなおい、玄霧よ?

 突骨無さんと斗羅畏さんも同じように、自分の血が染みた布地を玄霧さんに渡した。

 こうしてわずかにだけれど、理解し合った男たち。

 さすがに武力衝突はないと思っていたけれど、いがみ合いの空気が緩和されて、私は大いに安心する。


「夜も更けて来た。正使どのはひとまず、俺たちの砦に歓迎しよう。大事な話は休んでからでも遅くはないだろう?」


 突骨無さんが気さくに言って、玄霧さんを屋根壁のある場所へと誘った。

 ま、こんな野っ原の真ん中でするような話じゃないからね。


「除葛にはひとまず縄をかけて俺たちが連行しよう。始末がつく前に自殺でもされては困る」


 斗羅畏さんがそう申し出て、姜さんを後ろ手に縛りサルグツワを噛ませる。


「今さらそんなアホなマネせえへんよぉ、ってもごもごもが~」

奴才ぬさいが運ぶといたそう」


 手と口を封じられた姜さんが、巌力さんの肩に担がれた。

 突骨無さんは玄霧さん一行を砦に招くため、先導して歩を進める。

 当然、私たちもそれに続くものだと思っていた、けれど。


「待て」


 小声で斗羅畏さんが、チーム麗央那の歩みを止めた。

 そして彼は、想雲くんにおんぶしてもらい、スヤァと寝ている倭吽陀の横へ近付く。

 

「すまんな、少し痛いぞ」

「んー……? あ、とらい、あれ、やるのか!?」


 斗羅畏さんに一声かけられて、一瞬で覚醒し元気になった倭吽陀。

 ぴょんと想雲くんの背から飛び降りて、腰に提げていた可愛らしい、いかにも子ども用といった短剣を抜いた。


「え、どうしたんです?」


 まったくなにが起こるのかわからない私。

 その目の前で、倭吽陀が自分の腕の甲に、短剣でシュッと傷を付けた。

 じわぁ、と微かに血が滲む細い腕を取り、斗羅畏さんは言った。


「お前ら、倭吽陀が合図したらすぐに俺の背にしがみつけ。五、六人程度なら楽に運べる」

「どういうことですか!?」


 言葉の意味を理解できない私たちを置き去りにして。

 斗羅畏さんは、倭吽陀の腕に流れる血液を、ぺろりと舐めた。

 私たちがなにかやっているのを、先を行った突骨無さんが振り返って見て。


「と、斗羅畏!? お前ーーーーーーーーーッ!!」


 天地がひっくり返ったほどの驚きを見せながら、叫んでいた。


「おおお……」

「え、えぇ……?」


 唸りを上げる斗羅畏さん、その姿を見て。

 私は腰を抜かしそうになりながらもなんとか耐えて。


「ゥオオオオオォォォーーーーーーーーーーン……!」


 さっきまで、厳めしい顔つきの斗羅畏さんだった存在が。

 一頭の巨大な、青灰色の毛を持った狼へと変化し、どこまでも響きそうな遠吠えを上げたのだ。


「みんなー! とらいのせなかにのっかれーー!」


 倭吽陀は掛け声とともに斗羅畏さんの身体をよじ登り、首後ろの特等席を占拠した。

 それを見た翔霏もジャンプ一番、斗羅畏さんだったはずの灰色狼の背に乗り移って。

 

「はっはは、なんだこれは。おかしなやつだとは前から思っていたが、まさか獣に化けるとはな。どういう理屈の術なんだいったい」


 朗らかに言って、私に手を伸ばした。


「麗央那、来い! モヤシ野郎も乗せてな!」

「えっえっ、ああうん」


 勢いに流されて、思わず翔霏の手を握り返し、狼青年斗羅畏さんの背に私も乗る。

 鎖骨が折れて左手が動かないから、ちょっと怖いけれど、翔霏がしっかり私の服を掴んでくれている。


「奴才は遠慮いたそう。軍師どのをお任せする」

「ふがふごっ」


 巌力さんは、姜さんの身柄をぽいっと投げてこちらに寄越し。


「俺も残るかあ。言い訳する人間が必要だろうしな」

「央那さん、行ってください!」


 椿珠さんと想雲くんが、後は任せろという目で私たちを見送る。


「ま、待て貴様ら! こんなことをしてどうなるか――――――」

「ごめーん玄霧さん、後で埋め合わせするから、もろもろツケといてーーーーーー!!」


 私の叫びを置き去りに。

 狼に化けた斗羅畏さんは矢のように弾丸のように、とてつもない速さでその場を飛び出し。


「わー待って待って! 俺も俺もー!」

「メェ~~~~~!!」


 ギリギリでそのお尻に飛びついた軽螢とヤギを器用に乗せて、一目散にその場を逃げ出した。


「あははは、速っいーーー!」


 風を受け、すべての面倒事からエスケープする私たち。

 その背中を、雲間から顔を出した満月が押していた。

 うんざりした顔で項垂れ、頭を抱える玄霧さんの姿が、視界から遠ざかって行った。

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