三百三十話 あなたが始めて、私が終える
足よ進め、身体よ動け。
このためにここまで歩き続けて来たんだ。
目的を果たせ、私!
「でーーーーいっ!!」
いい加減、右腕一本では振り回すのに限界を感じるほど、重さを主張してくる覇聖鳳愛用の大刀。
なけなしの余力を振り絞って、突進しながら私はそれを振り降ろす。
痛いじゃ済まないと思うんで、上手いことビビッて避けてね!
真剣で襲いかかってはいるけれど、別にあなたを殺したいわけじゃないんだ!
「ええ加減、疲れとるやろに、元気やなあ?」
姜さんはしかし、逃げるでもなく悠然と待ち構えていた。
胸元に構えていた派手な孔雀の羽扇を、彼はゆったりと上方に掲げ上げる。
ガッゴォォン!!
「あんぎぎ!」
とてつもない衝撃が右腕に走り、私は握りをつい外して刀を地面に落とした。
「くっそぅ! 中身はごつい鉄扇だったのかい!?」
「こないなこともあるかなと思たんや。重いの我慢して持ってた甲斐があったわ」
にこやかに言う姜さんも、手が痺れたようで羽扇を落とした。
「どこまでも準備がよろしいことで!」
腕が痺れて武器が持てなくても。
麗央那ちゃんは、頭を使う女の子ですので!
姜さんの鼻づらめがけて、必殺の頭突きをぶちかます!
「それもお見通しやで!」
しかしあろうことか、モヤシのはずの姜さんはしっかりと腕で十字ブロックを作り、私のドタマを払い除ける。
分かっている攻撃なら、体力が最低限でも対処はできるということか。
「しっかり予習済みかよ、このガリ勉野郎!」
「央那ちゃんに言われたあないなあ~~って、ぁ痛ぁっ!」
ひゃはっと笑う姜さんのムカつく顔を、力の入らない右手で私はビンタする。
そのまま体の勢いに任せ、ドカッと前蹴りを放ち、姜さんは後方へ尻餅をついた。
「口が聞けなくなる前に、言いたいことがあるなら言っといて!」
子どもの喧嘩のように馬乗りを仕掛け、いいやこれはマウントポジションだ、格闘理論に基づいた合理的な戦術だと自分に言い聞かせながら。
その後どうしていいかわからない私は、とりあえず女の子パンチを姜さんの頭部めがけて振り降ろす。
「堪忍したってや~」
姜さんが地面の砂を握って私の顔にぶちまける。
「うえっ、きちゃないなあ! 乙女の顔に!」
視界を奪われて口にも砂が入って不快な私。
ぺっぺっと仕切り直している間に、姜さんは私の馬乗り拘束から腹這いのていでみっともなくも無事に脱け出す。
まさに、泥仕合の様相!
お互いに決定打を持たない、貧弱者同士の醜くく、かつレベルの低い争いである!
そんな、無様な闘いなのに。
「麗央那、頑張れ! 負けるな!」
棍を杖代わりにしてやっとこさ立っている翔霏が、声援をくれた。
アドバイスでもなんでもない、純粋な励ましの声を。
「ちょうだいちょうだい! そういうのもっとちょうだい! 麗央那ちゃんにみんなの声をもっともっと!!」
余裕なんて微塵もないくせに、私は調子に乗ってオーディエンスを煽る。
私たちのバトルを囲んで見ている群衆から、うおぉぉと地鳴りのような鈍色の応援が浴びせられる。
「嬢ちゃんええぞ! やっちめえ!!」
「軍師どのー! ここであんたまで負けねえでくれ!」
「そうだそうだ! これまでのことが全部ダメでも、最後くらい景気よく終わらせてくれよ!」
「馬鹿野郎この下手くそ! 顎だ! 顎を蹴れこのノロマが!」
「あああ、二人とも、もういいじゃねえか……帰ろう、故郷に帰ろうぜ……」
様々な感情の、様々な人々の想い。
すべての声をこの小さな体に受けて、私はぺちぺちと不格好なパンチやキックを放ち、姜さんを打ちのめす。
「こりゃあたまるか、たまるかぁ」
姜さんは青と白の上着を脱いで、まるで闘牛士のように私の攻撃を布でいなし、ガードする。
周囲からの声援はますますヒートアップする。
まるで競技場の野球やサッカーの試合、しかも優勝決定戦のボルテージだ。
「どや、聞こえるやろ央那ちゃん」
「ひぃふぅ、な、なにがですかぁ!」
私の息が切れたところで、姜さんはさっきまで命のやり取りをしていたはずの大勢を見渡して、言った。
とても大事な答えに辿り着いたような、晴れ晴れとした顔で。
「みんな、央那ちゃんに関わると、不思議と心を一つにできる。邑の仇討ちのために北方へ覇聖鳳を殺しに行った央那ちゃんが、斗羅畏やらなんやらと仲良うなって国に帰って来たとき、僕ははっきりとわかったんや」
「だから、なんの話だよバカ! 持って回った説明やめろ? 時間は巻いてんだよ!!」
すまんすまん、と手刀を切って姜さんは続けた。
今回の戦争。
彼がなぜ、こんな行動に踏み切ったのか。
多くの人間を動員して、バカげた被害妄想で戦線をいたずらに拡大させて。
どうして、こんなことをしたの?
その疑問の核心を、彼自身の口で、誤魔化しもなく打ち明けた。
「僕が千人殺しても、央那ちゃんは千五百人の怒りを慰められる。僕が一万の首塚を築いても、央那ちゃんなら一万五千の憎しみを癒せる。きみがそれのできる子やと確信したから、僕はこんなアホなマネをすることができたんや」
「は……?」
戌族が将来的に脅威になるから、国のためにそれを叩かなければならない。
痛めつけて、弱らせて、昂国に逆らう意志と兵力を、できる限り削らなければならい。
姜さんにはその未来が見えていたけれど、行動に移すまでに至った最大の要因は。
私?
「央那ちゃんなら、戌族の怒りを慰められる。央那ちゃんなら、戌族の憎しみを飼い慣らせる。そんな央那ちゃんが現れてくれからこそ、僕は気兼ねなく北方を荒らしたろうと思ったんや。なんせまだ若いからなあ。この先、数十年は上手いことやってくれるやろ」
「ちょっと待ってなに言ってるか意味わからない」
私の混乱を知らん顔で、姜さんは気持ち良さげに話を続ける。
「僕は荒らした後の土地で仕事を作ったり、みんなを飢えさせんで暮らしてもらうようにしたりっちゅうことは確かにできる。そんな風に誤魔化し誤魔化し、荒らした土地を治めて来たんや」
「尾州の、大乱を収拾したように、ですか……」
子どもたちが、街で歌っていたのを思い出す。
自分で壊した街を自分で立て直し、自分が踏み荒らした畑を自分で耕す。
尾州の魔人、除葛姜は自己完結、自作自演の怪物であるのだと。
「せやけど、そこに生まれたみんなの心の歪を直してやることは、僕にはどうやらでけへんねん。人の心は円や球と同じで、割り切れんもんやからな」
「そりゃそうですよ。姜さんが壊して殺した事実は消えないし、姜さんを信じて命を捧げた人たちだって生き返りはしないし。憎しみはいつまでだって残るでしょう……」
当たり前の、とても悲しい事実を私は突きつける。
失ったものは戻らないし、壊れたものは元通りにならないのだ。
「けど央那ちゃんなら、円を円のまま、まるっと受け止めて抱えることができる。亡くして死んだもんが多くても、別のことを新しく始めることができる。終わりは始まりで、始まりは終わりなんや。円環のように紡いでいく想いと命を、央那ちゃんなら大事に大事にしてくれる。そう思ったんや」
そこまで語って、姜さんはその場に腰を下ろした。
体力的に限界だったのは私だけではなかったようだ。
「私だけの力じゃないよ。私のやったことなんて、ほんのちっぽけなことでしかない……」
いつの間にか、私の内側に居座っていた覇聖鳳の気配も感じられなくなっている。
律儀に別れの挨拶を交わすような関係ではないし、これで良いのだ。
まさに憑き物が落ちた私。
すっからかんに力も抜けて、体中あちこち、まったく言うことを聞かないくらいに疲労困憊の極地である。
なにも言い返す気力がないまま、姜さんと向かい合って地べたに座り込む。
動けない私の代わりにキレてくれたのは。
「そ、そ、そんな勝手な言い訳のために……!」
意外にも軽螢だった。
「うちの麗央那を、使ってんじゃねーよコノヤロウーーーーーー!!」
「メエエエェェ~~~~ッ!!」
バキッ! ドゴォッ!
「あんぎゃ!」
パンチとヤギタックルを連続で喰らった姜さんは、大の字に仰向けになって黙った。
まさか死んではいないだろうけれど。
「軽螢が誰かを殴ってるのなんて、はじめて見たよ」
とぼけた私のコメントに、軽螢は少し気不味そうに頭の後ろをかいた。
「だ、だって腹立つだろ。自分のやったことなのによ。麗央那がいるからそうしたんだ、みたいな言い草、ふざけんなって話じゃんか」
「メェ! メエ!」
ヤギも「そうだそうだ」と言ってくれています。
いや、ヤギが人語を解するわけがない、気のせい。
あいたたた、と体をさすりながら姜さんが、小さい声で、けれどハッキリと力強く言った。
「僕の負けや。逆さに振ってもなんも出えへん。もうこれくらいにしたってんか」
「軽いんだけど。もうちょっとこう、なんかないの? 最後に名言とか」
「知らん知らーん。疲れてそれどころやないわ。もう僕になんも期待せんでくれるかな」
名軍師、万策尽きて投げやりになるの図。
子どもかよ。
大事なことが終わるときというのは、えてしてこんなものなのかもしれない。
なんだかしまりのない形ではあるにしても。
「終わったんだね、この戦いも……」
私も草原に体を預け、空を見た。
朝から戦いっぱなしで、いつの間にか陽が傾いている。
白髪部の邑や町が、昂国南部を主体とした反乱軍に蹂躙される危機は、見事に防ぐことができたのだ。
じわあ、と胸の奥から目元にこみ上げるものがあるけれど、泣いてなんかいられない。
戦争が終結したからこそ、私にはこれからやらなければならない、大事なことが課されているのだ。
すべての終わりは、すべての始まりなのだから。
「ごほっ、ごほ」
姜さんが力のない咳を吐く。
拳で隠したその口元には血が滲んでいる。
震える足をなんとか頑張らせて、私は彼の傍に寄る。
「姜さん、病気なんでしょ。だから死ぬ前に、急いでこの戦争を成し遂げたかったんじゃないの?」
「なんでもお見通しやな。もうちいと頑張れるつもりやったけど、そろそろあかんわ」
よく見ると顔色も極めて悪い。
おそらくは苦痛を和らげるために、阿片かなにかの薬物を体に入れているのだ。
元々痩せていたけれど、今は最後に会ったときよりも一回りくらい、小さくなってしまったように見えた。
「治るかどうかわかんないけど、できるだけはやらせてもらうからね。ちょっと痛いけど我慢してよ」
私は乙さんの形見である小刀を取り出した。
今まで平然としていた姜さんが、このときばかりはぎょっと目を剥いた。
「な、なんや。いったいなにが始まるねん」
「あれ、姜さんひょっとしてお医者が怖い? じっとしててね~手元が狂うから」
「こ、怖いことなんかあるかい。ただちょっとくらい、詳しく説明してくれてもやなってあいっだ!!」
くだらないことをまくし立てるのに構わず、私は姜さんの肩口に刃をぶすりと刺した。
傷口に小獅宮謹製、麗央那と江雪印の特製霊血薬をぎゅうぎゅう詰め込む。
「ちゃんと病気を治して、元気になってしかるべきお裁きを受けてもらいますからね。やり逃げ死に逃げなんて、天が許してもこの私が許しませんよ」
「どうせ死罪やんけ、こんだけのことしたんや。ところでそれ、ホンマに人の身体に入れても平気なもんなんかいな?」
「ごちゃごちゃうるさいなあ、死ぬ覚悟まで決まってるくせに。今さら怪しい薬の一つや二つで大騒ぎしないでよ」
傷口の縫合をちくちくと施す私の手に、涙が零れて落ちた。
姜さんは死ぬ。
彼の思惑が上手く行き、戦乱が拡大したとしても病気で死ぬ定めだった。
失敗した今、もし病が癒えたとしても、昂国に帰れば大罪人だ。
平和でありながらも法が厳格なあの国にあって、彼の死刑は免れないだろう。
姜さんの反乱を止めて、裁きの場に引っ立てようとしているのは、この私。
どうか大人しく死刑になってくださいと引導を渡しに来た死神は、私なのだ。
私は彼を止めるために北方に来た最初から、そのことに気付いていた。
自覚して、決意して、ここに来た。
「どうせ死ぬなら、私のせいで死んでください。治療も失敗するかもしれません。それも私のせいにしていいですから」
ぼたぼたと涙を落としながら言った私。
姜さんはそんな私を改めてまじまじと見て。
「おおきに、そうさせてもらうわ。ええ加減、僕も疲れたしな……」
穏やかな顔でそう言った。
いつも、自分でなんでもやってきた、やってのけた魔人、除葛姜は。
遂に自分の天命を放棄して、チンケな女にその重大過ぎる責の何割かを預け。
子どものように笑った。
「お疲れさまでした。後のことは、なにも心配しないでください。姜さんの役目は、もう終わったんですから」
私も嬉しくなって、涙顔のまま笑った。
いつか迎える私たちの最期のときまで、笑っていようと思った。




