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三百二十五話 春だよ、来い

 物言わぬ人の姿が、気の遠くなるほどに視界びっしり林立する。

 辺りを埋め尽くさんばかりの屍、静かに佇む骸の数々。

 きょうさんが地の底から召喚したのは、命なき兵隊、亡者の大軍だった……!


「なんだこいつらはいったい。手の込んだ造りものか?」


 恐怖心がバグっている翔霏しょうひと。


「こ、こんな大がかりな術をいきなり行使できるはずはありません! まやかしの類でしょう!」


 現実的な落としどころを探し、恐怖を追い出そうと努める想雲そううんくん。


「メメメメメェェ……」

「こ、こんなやつら、こわくなんかなな、ないけどなー! なー!」

「じゃあお前に頼むわ。頑張って退治してくれな。俺は応援してるから」


 倭吽陀わんだ軽螢けいけいはすっかりその二人の後ろに隠れ、縮こまって震えている。


「……首がない人の方が多い、けど、そうでない人も?」


 生唾を飲む私。

 なによりまずは踏みとどまって、わかることを少しでも観察するしかない。

 私の目が捉えたのは、首があったりなかったり、体が傷付いていたり手が欠損していたり、平服だったり簡素な鎧を着た風体であったり。

 とにかく多種多様の、土気色ゾンビが目の前を覆い、姜さんまでの道を塞いでいた。

 数は数千から一万と言うところだろうか。

 埼玉暮らしのときに野球場やサッカー場で見た、大勢の観客を思い出すね。

 その全員が一言も発さずに、じりじりとこちらに歩みを寄せて来る。

 敵意があるのかないのかわからないくらいに、その動きはゆっくりであった。

 私はその様子を見て、一つの記憶の引っ掛かりを覚えた。


「翔霏、想雲くん。これ前にも見たよね? ほら、私がれんさまのところに仕えてたとき、後宮の外で」

「ふむ?」


 言われて翔霏も思い出してくれたのか、ああと頷く。


「私がはじめて分身拳を披露したときだな。モヤシの小細工で後宮の人間も私たちもくだらないことに振り回された、あのときか」


 思えば私たちと姜さんの関係に、最初に瑕疵が生まれた事件こそ、それだった。

 妊娠したすいさまが、原因不明の昏睡状態に陥ったとき。

 姜さんはそれが自分の仕掛けであるにもかかわらず、私に対して「後宮が怪しいから、調べたってえな」などというタワけた指示を出したのだ。

 真相を究明しようとする私を邪魔するかのように、今とよく似た首なし亡霊が霧の中に現れたんだよね。

 私はそれを、姜さんがかつて、自らの手で死なせてしまった人たち、処刑した尾州の数千人へ抱いている罪悪感が、像を結んで現れたのではないかと解釈した。

 加えてあのときは、れんさまやへい貴妃と言った力の強い呪術者が場に居合わせていたこともあり、どういう理屈であんな亡霊が出たのかイマイチ判断しかねる状況だったのだよな。

 うんざりする物量を前にしても、翔霏のスタンスは一向にブレない。


「どんな仕掛けか知らんが、邪魔をするなら蹴散らすだけだ」


 キッと前を睨んで馬を前に出し、一番手近な首なしゾンビに翔霏が棍を振るう。


「でえい!」


 その一振りでばたばたと五人ほどが倒れ。


「まだまだ!」


 二振りめでまた更に、五人ほどが地に伏した。

 手応えのなさに翔霏は少しつまらなさそうな、まるで期待外れと言わんばかりの呆れた顔をして、言った。


「殴れば効くじゃないか。おい軽螢、腰を抜かしてないで少しは手伝え」

「そ、そうは言ってもなあ、この数だぞ……」


 数字に疎い翔霏のことだ。

 一万という純然たる数の暴力がどれだけ厄介か、意識していないのだろう。

 今までずっと戦い通しで、いくら翔霏でも体力の限界を迎えるときは近い。


「あのでっかいおっさん、もどってこねーかなー。いや、こ、こわくなんかねーけど!」


 怯えた鹿のように切なげな眼をして、倭吽陀も嘆く。

 巌力がんりきさんのいる位置とも別軍の人垣で切り離されてしまい、単純な力押しで通せるレベルを遥かに超えてしまった。

 前面はゾンビの集団、後ろは生きている敵兵に、私たちは挟まれ囲まれつつある。

 姜さんはこの奥の手があるからこそ、今まで私たちに対して手荒な真似をしないでくれたんだな……。

 途中の局面がどうであれ、最後に勝つのは自分だと、確信していたのだろう。


「そっか、そういうことか……」


 苦い顔で納得する私を見て、剣を振るいゾンビを追い払いながら想雲くんが訊く。


「こ、この状況で、なにがわかったのでしょうか……?」


 彼の疑問に答える代わりに私は、遠くの姜さんを見つめて。


「姜さん!」


 その名を呼び、叫ぶ。


「なんや~。降参なら早めにな~。怪我なんてしたらアホらしいやろ~~?」


 澄まし顔で勝ち誇っている彼に、理解してしまったことを指摘する。


「ここにいる亡霊は、姜さんが今まで殺してきた人たちと!」


 どうしようもなく、気付いて知ってしまった哀しい事実を言い放つ。

 こんな残酷な答えは知りたくなかったと、腹いせのように声を張り上げる。


「姜さんと一緒に戦って死んだ仲間たち、そのすべてだ!!」


 骸の兵団の中には、昂国こうこくの兵士の姿をとっているものたちがいる。

 腿州たいしゅうの水兵の格好をした人もいれば、異国風の海賊の鉤付き武器を持っている人もいて。

 きっと首のない数千人は、尾州びしゅう大乱で姜さんに処刑された人たちなんだ。

 私が喝破したことに姜さんは喜色を浮かべて、言った。


「わは~っ! その通りやで! なんでわかったん?」

「そんなの、そんなの……」


 決着がつくまで、涙はお預け。

 そう決意していたのに、私の両目は言うことを聞かず、ぽろぽろと涙の雫を落とす。

 ああ、こんなところまで、彼は私と同じで。

 むしろ私のさらに上を行っていたのだ。


「私だって、もう会えなくなってしまった人と、今までさんざん、お話しをしてきた! 寝ては夢の中で、覚めても心の中で、何度も何度も繰り返して……」


 死んでしまった人たち。

 生きていても、遠く離れてしまった人たち。

 埼玉のお母さんやお爺ちゃん。

 小さい頃に死んでしまったお父さん。

 そんなに仲良くなかったけれど、同じ学校で何年も過ごしたクラスメイト。

 ほんの短い間だけれど、私に良くしてくれた神台邑じんだいむらのみんな。

 麻耶まやさんや、おつさん。

 そして、この手で殺した、覇聖鳳はせお……。

 仮初めの像を頭の中に形作り、私は何度も彼らと会話した。

 これで良かったのかな?

 この先、どうすればいのかな?

 その考える力の、はるか先に行きつく結果が、これだ!


「姜さんは、自分に関わって死んでしまった人たちの命を、その背中にずっと負って来たんでしょ! 彼らの死から逃げずに、自分の責任から逃げずに、ずっと向き合って来たんでしょう!?」


 イメージすることは、実現する。

 人が想像できることは、現実として具体的に形を結びうる。

 姜さんはきっと今まで、誰よりも研ぎ澄まされた知性と、誰よりも広がる想念の力を尽くし、心の中でたくさんの人々と語り続けて来たのだ。

 自分が殺した人。

 自分と共に戦い、死んでしまった人。

 自分に関わったせいで、敢え無き最期を遂げた人。

 そして敵味方問わず、自分の力では救えなかった人……。

 膨大な思念のエネルギーはやがて質量に変換し、今こうして目の前に無数の人の形を作り上げた!


「ここにいる人たちみんな、あなたに連なって命を終えた人たち! あなたは無数の『死』から一度も逃げなかったから、敵味方の立場を超えて、彼らはあなたに力を貸すんだ! 物言わぬ亡霊、動くだけの骸になっても、この大勢が姜さんになにかを『期待』している証拠だ!!」


 私の投げた言葉に、姜さんは絶大な驚きの顔で無言になる。

 昂国こうこくに重んじられてのこる、古書の泰学たいがくに曰く。


「兵は知見を以て尊しと為す。その知らざる見えざるは、すなわち戦わざるなり」


 理解できない敵とは戦ってはいけない。

 姜さんも座右の銘にしている金言だ。

 裏返せば、敵を知ることができれば、戦って勝つことはもう目の前だ、という意味になる。

 この場に展開した法術、思念から生まれた死兵の動員。

 その内情を私に暴かれ、理解されてしまった姜さん。

 戦いにおいて重大な要素、知見というその一点で、私に一手先を譲ることになったことを意味する!

 ダメ押しのように、私は喝破した。


「姜さんの力の源は、多くの『誰か』から背負わされた期待の想い! 願いの強さ! 誰もがあなたを怖れ、同じくらいあなたに期待している! 除葛じょかつ姜なら、魔人とも幼い麒麟とも称されるあの男なら、きっとみんなの希望を叶えられる! 葛の葉を除けるように、様々な問題を綺麗に解決してくれると! その数多の想いに応えようと逃げずに立ち向かう心の在り方こそが、姜さんの最大の武器なんだ!!」


 私の解答を聞き、姜さんは顔から笑みを消して、問うた。


「……なんでそこまでわかるねん、央那ちゃん。誰かに、乙のやつにでもそう教わったんか?」 


 その問いに対して、私は。

 すべての感情と想いをぶつけるように。

 かつてないくらいの大声で叫び、答えた。


「ここに来るまでの間、寝ても覚めてもあんたのことばっかり考えてたんだ! その私にわからないわけがないだろ! 馬鹿にすんなーーーーーーーーーーーっ!!」

 

 絶叫が届き、姜さんは。

 今にも泣き出しそうなくらい、優しげに嬉しそうに、顔を綻ばせた。

 自分のすべてを真正面から理解してくれる相手に出会った、その喜びに満ち溢れていた。

 ああ、その通りだよ。

 私がここに来た、たった一つの理由は。

 私はあなたを知っている、あなたを理解していると、自分の声で直接に伝えるためだったんだ。

 姜さん。

 あなたは、一人じゃないんだよ。


「おおきに、おおきになあ、央那ちゃん」


 しゃくりあげるように姜さんが感謝の言葉を漏らす。

 私の横では軽螢と倭吽陀が、動く屍に詰め寄られて泣き言を述べている。


「そ、そんなことより麗央那! もうこっちはいっぱいいっぱいなんだけどよー!?」

「こここ、こんにゃろー! くるならこい! まとめてあいてしてやらあ! ヤギが!」

「メェッ!?」


 単にゆっくりこちらに歩いて来るだけにしても、その数が絶望的だ。


「まったく! どれだけぶちのめせば終わるんだ!」

「お、央那さん! あなただけでも逃げて……!」


 翔霏と想雲くんが必死に屍の相手をしてくれているけれど、それももう限界だ。

 ごめんね、ダラダラと時間を使っちゃって。

 けれどもう、大丈夫、大丈夫だから。

 敵の正体を知って理解した私は、その攻略法もわかるということだから。


「倭吽陀! その刀ちょっと貸して!」

「え? な、なんだよー?」


 私はかつての宿敵、覇聖鳳はせおが愛用していた鋼の大刀を、戸惑う倭吽陀から無理矢理に奪い取る。


「ギッ、ギイィ!」


 その柄を握った途端、掌を通して体全身に電流が走ったかのような痛みと痺れが生じた。

 思った通り、こいつと私の間には、どうしても相容れない「なにかの力」が働いている。

 けれど、それを埋める触媒となりうるものを、私は周囲を見渡して探す。


「あ、やっぱり、いた……!」


 視線の先に見つけたのは。


「グルル……ワフン!」


 前足の片方を欠損した、一匹の獣。

 青みがかった灰色の毛を持つ、やけに牙の美しい、みすぼらしくも気高くもある、おかしな野犬。

 私たちの後ろをちょこちょこと追い掛け回して、こんな戦場の真ん中まで来てしまった、不思議な腐れ縁のそいつに向き合い、私は頼んだ。


「お願い、力を貸してね」

「クゥ~ン?」


 私は身に余るほどの長さと重さの大刀を、よっこいせと肩担ぎに構えて。


「であーーーーーーーーーーーっ!」

「ギャゥンッ……!」


 上段振りおろしの一撃を、野犬にぶちかました。

 かつてれんさまの部屋に勤めていたときに、儀式の生贄となる野犬を殴って殺したときのように。

 延髄めがけて、苦しまぬよう一撃で、獣を屠り。


「あなたが憎いわけでもない。あなたが悪いわけでもない。けれど、あなたの力を貸してほしいの。ごめんね……」


 悼むように、そして謝りながら。

 私は涙に濡れ、息の細くなった野犬の頸部から流れる血を掌に掬い取る。

 自分の顔、首、腕、そして鋼の刀に塗りつける。

 いぬは、八畜の中でなによりも賢く、強く、気高き生き物。

 獣の身でありながら道理と宿命を理解し、仲間のために命を投げ出すこともいとわない、尊い力を持った存在。

 その血を全身に浴びて、私は吠えた。


「姜さんは呪いの鎖に縛られている! こんなにたくさん死なせたのだから、それ以上の成果を上げなければならないという呪い! こんなにも怖れられ期待されているのだから、その想いに応えなければならないという鎖! 私はそれを断ち切ってみせる!」


 大刀を天に掲げて、なおも私は大声を上げる。


「私はこの広い天の下にあって、最も自由で最も自分勝手なやつを知っている! すべての戒めを打ち破り、自由を奪うすべての敵に抗って死んだ一人の男を知っている! その力で姜さん、あなたを縛るすべての戒めを解き放つ!」


 ビリビリビリ、と握った大刀から体中に衝撃が伝わる。

 今、私はとんでもないものを、自分の身体に降ろそうとしている。

 死ぬほど痛いし苦しいし、そしてなにより不快で吐きそうだけれど。

 姜さんに勝つには、こいつの助けを借りるしかない!!


「覇聖鳳ーーーーーーーーーーッ! 今だけ戻って来ーーーーーーーーーーい! あんたの念願、姜さんと遊ばせてやるぞぉーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」


 視界が真っ赤に染まる。

 全身の血管がはちきれそうに膨らむのを感じる。

 痙攣して泡まで拭きながら、私は確信する。

 青牙部せいがぶの猛者たちを殺しまくった翔霏が、おびただしい呪いをその身に受けたように。

 自分を殺した私を、覇聖鳳はずっと呪い続けて、私の身体にへばりついていたはずだと!

 私の中に存在する、覇聖鳳の怨念の残滓に、私はなおも呼び掛ける。


「春は、狩りの季節なんだろーーーーーーーーー!? 倭吽陀にカッコいいところ、見せたくねーのかよーーーーーーーーーーーーッ!!」


 ビシャアアアァァァン!

 上空に突き出した刀に、雷が落ちた気がした。

 けれど私は生きている。

 視界が一気にクリアになり、風が草を撫でる音までも微細に聞き取れるくらいに、感覚が鋭敏になったことを知る。

 右手に持った自分の身長ほどもある鋼の刀も、不思議と重さをほとんど感じない。

 そして。

 私の内側から、声が聞こえた。


『ったく、相ッ変わらずやかましいちんちくりんがよぉ。俺サマの名前を、気安く呼ぶなつってんだろーが』


 私の身体を乗っ取ったかのように、私の口を奪って。

 覇聖鳳が、最後に会ったときと変わらない、くだけた台詞を放ったのだった。

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