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三百二十四話 途中採点

 私たちの視界の先には、大まかに三つに分かれた軍隊が待ち構えていた。


「真ん中奥の部隊だけ、なんぼか数が少ないみてえだナ」


 視力の良い軽螢けいけいが、展開する敵の陣容を教えてくれた。

 ならきょうさんがいるのは、ほぼ確実にそこだろう。


「央那さん。あえてこちらが懐に飛び込むように、おびき寄せられているのでは?」


 当然の疑問を、想雲そううんくんが口にする。

 私たちが中に突っ込んだのを見計らって、両翼の隊を内側にギュッと狭めれば、簡単に包囲されてしまうだろう。

 そんなことは百も承知で、私はこう返す。


「ううん、試されてるんだよ」


 姜さんは私を試している。

 ここに至るまで、姜さんの足取りを追いかけながら、私はたくさんのことを学んだ。

 悲しいこと、楽しいこと、苦しいこと、嬉しいこと。

 本当に、数えきれないくらいのたくさんを学習したのだ。

 間接的にそれは、顔の見えない離れた位置にいても、姜さんから「教えられていた」と言うことに等しい。

 同席したのは短い期間とは言え、私たちはともに中書堂に座り、学を志した兄弟子と妹弟子。

 互いに会えない間も、教えたのなら、学んだのなら。

 実力が身に付いたかどうか、試験せずにはいられない。

 私と姜さんどっちも、どうしようもなくガリ勉な、知の毒虫なのだ。

 なんてことを考え、奥の陣へ向け直進していると。


「でええええええええええええいッ!!」

「だりゃあああああああああああッ!!」


 ガンギンガンギンキンキンキン!!

 猛烈な勢いで、馬に乗りながら互いの武器、鉄棍と槍を打ち鳴らし合う翔霏と蛉斬れいざんが、戦場を横切ってカットインして来た。


「ありゃ、こっちに来ちゃったんだ。オカマの倫風りんぷうはどうしたの?」


 キィン! ガッチィン! と金属音を生じさせながら、翔霏が私の問いに答える。


「しこたま殴ってやったら、法力を失ったようだ! その辺で伸びてる!」


 蛉斬も翔霏の敢闘を讃えて、こう叫んだ。


「倫風の防術を力押しで打ち破ったやつなんて、かつて一人もいなかった! だんだん調子が上がって来たようだな、地獄吹雪!!」


 どうやら倫風の全身硬化法は、一定以上のダメージが蓄積すると防御の限度を超えてしまい、効果を失うらしい。

 打たれ強さとタフネスを底上げしていただけで、それを超えたら生身に戻るわけか。

 やっぱり完全無敵なんて都合の良い話は、世の中そうそうないのだね。

 目にも止まらない打撃戦の応酬をしている翔霏と蛉斬を見て、巌力がんりきさんが笑う。


「であればここは、役目を交代いたすとしよう。やはり最後に麗女史の身を守るのは、こん女史をおいて他におらぬ」


 言って巌力さんは、自らが乗る巨馬を蛉斬へ向けて突進させた。


「おおおおおおおおおっ!」


 どっかーん、と馬体ごと蛉斬に激突した巌力さん。

 二人はもんどりうって地面に転がる。


「ああっ! 毛州もうしゅうの、牛旦那か!?」


 もう一人の好敵手に向き合い、顔を綻ばせる蛉斬。

 巌力さんも静かに笑みを返しながら、左手で蛉斬の槍の一端、穂の根元を硬く握りしめていた。


「いかにも。昔の話と言えど、負けたままでは面白うござらぬ。ここは奴才ぬさいが男を上げるのに、しばし付き合ってもらおう」

「ははっ! 男比べと言われちゃ、逃げることはできねえな! 来いっ!!」


 二人は槍の両端を握ったまま、お互いに真っ直ぐ前へ出て。


「ぬうん!」

「がっぎ!?」


 ごぉぅん!

 正面衝突の頭突きをぶちかまし合い、岩と岩が衝突したような鈍く大きい音を奏でた。

 昂国こうこく大相撲、北方場所巡業、いきなり千秋楽の優勝決定戦だ。

 出会い頭にはっけよいと立ち合ったせいで、鋼鉄製の槍が二人の握力と腕力によってくの字に折れ曲がって縮んでしまっている。

 がらん、と打ち捨てられた槍を真ん中に挟み、額から流れる血に塗れた顔で両者が仕切り直す。


「あの日は客と使用人の立場があり申した。真の決着をつけましょうぞ」

「悪いが旦那、手加減なしの今日も勝つのは俺だ!!」


 少年の心を持った巨漢二人が、退くことも躱すことも忘れてぶつかり合う。

 相撲が元々は神事であり、神への捧げものであることを私は急に思い出した。

 私たちの闘いを、神さまも見ているのだろうか。


「麗央那、行くぞ! ここでモヤシを叩けば、斗羅畏とらいたちの勝利だ!」

「うん、行こう、翔霏!!」


 雑念を振り払い、蛉斬を巌力さんに任せて。

 私たちは、前へ走る。

 左右から寄せて、私たちを捕えようと試みる敵兵。

 それも小獅宮しょうしきゅうのみんなが放つ援護射撃弾幕が退ける。


「あーはは! のろまにはつかまんないぞー!」

「だから突出するなと言うのに、このガキ!」


 それに加えて戦場の中を誰よりも早く、縦横無尽に駆け回って敵兵を錯乱する倭吽陀わんだ

 そのフォローに回って、隊列から乱れた敵兵を一人ずつぶちのめしていく我らが翼州の地獄吹雪、翔霏。


「道が開けたぞー!」


 右往左往する敵兵の中に、わずかな隙間を軽螢が見つけ。


「このまま駆け続けます! 必ず央那さんを送り届けます!!」


 それを信じ、脇目も振らず真っ直ぐに突き進む想雲くん。

 私は叫ぶ。

 自慢の大声を張り上げる。

 純粋過ぎる、混じりっ気ない事実と、その目的を。


「姜さーーーーーーーーーーーーーん! 来たよーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」


 ああ、あなたは今、どんな顔をしているだろう。

 どんな思いで、私を待ち構え、迎えてくれるのだろう。


「恥ずかしがってないで、出てこいやあーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」


 低い丘の中腹に、彼はいた。

 空のように青い生地、襟と裾に雲を思わせる白の筋があしらわれた衣服に身を纏い。

 それほど多くもない近衛兵に囲まれて。

 昂国の高級官僚の証しである四角い帽子を被り、孔雀の羽扇を手に携えた、痩せた男が、そこにいて。


「央那ちゃ~ん、じっくり顔を合わせるんは、なんや久し振りやな~」


 私の予想通り、久しぶりに会う親戚のおじさんのように、屈託なく笑っていた。

 海の上で会ったときは、遠目過ぎてお互いの表情はよくわからなかったからね。


「すっかり、大人になってもうたなあ~。元気しとったか?」


 私も無意識に笑みを浮かべて、問いに答えた。


「なにもかも、反省しっぱなしですよ!」

「ははは、せやな~。僕もそんな感じや」


 丘の麓から睨みつける私たちの視線、その中に含まれる敵意も怒りも、まるで気にすることもないかのようだった。

 私はまず、伝えなければならないことを、真っ先に言った。

 言わずには、いられなかった。


「乙さんが、死んだよ」

「うん、そうらしいなあ。残念なこっちゃ」


 涙をこらえて、私は続ける。


「私のせいで、そしてあなたのせいで、乙さんは死んだんだよ!!」


 一瞬、姜さんは悲しみに笑顔を歪めて、寂しそうに応えた。


「せやな。けど、あいつは務めを果たしたんやろ」


 その言葉を、私は感情的に否定しようとしたけれど。

 まったく、異論を挟めなかった。

 姜さんの意見の中にある齟齬を、私は否定できず、突っ込みを入れることもできず、黙ることしかできなかった。

 私の心にある悩みも迷いも見透かすように、姜さんは続けた。


「できることやらんで、なんの命やねん。乙はやり切った。やり切って終わったんや。なんもできひんで死んでまうより、ずっと幸せなことちゃうんかい?」


 ああ、その通りだよ、こん畜生。

 私もきっと、それを理解してた。

 笑って死んだ乙さんは、私と姜さんが争うことなんて、最後の最期まで望んでいなかったのだと。

 私が怒りに叫んで姜さんに立ち向かうことが、そもそも正解からは程遠いことなのだと。

 けれど目の前のモヤシは、容赦なく私の中の懊悩を突いてくる。

 誰よりもその問いと答えを繰り返した、正解を求めて間違い続けた先輩である姜さんだから、言えるのだ。


「まさか央那ちゃん、乙のやつに同情なんてしてへんやろな? 確かにあいつの生まれ育ちは哀れなもんやった。けどな、僕はあいつに食うて暮らすための糧と、命を賭けるべき使命を与えたんやで。僕は見てへんけど、あいつは笑って死んだはずや」

「ええ、乙さんは、最期まで笑ってました……」


 本当にこいつは。

 私の想定しうることくらいは、なんだってわかっているんだ。

 私の出した答えのすべてを先回りして、そのさらに向こうにあるもっと高い答えに辿り着いているのだ。


「せやったら、同情なんてあいつにとっちゃ侮辱でしかないやろ。あいつのためになんもせんで、守られただけの央那ちゃんがあいつのために怒る資格も、泣く資格もあらへんのと違うかな」


 ふうと息を吐き、姜さんは在りし日を思い返すように優しい声色で言う。


「僕は乙のために、僕のできることをなんでもしたったよ。給金も与えたし、仕事のやり方も教えたわ。愚痴を言うたら聞いてやることも。死んで怒るくらいなら、生きとる間にやれることやってやるんが、人道っちゅうもんやろ。それをやらんで勝手に怒られても、僕困るで」

「うるせえ! この正論クソ野郎! テメーが人の道を語るんじゃねえ!!」


 私は馬を降りて、適当に拾った石を姜さんめがけて投げた。

 もちろん届くわけもなく、狙いも外れてあらぬ場所へと落ちるのみ。

 周りの兵士にも、くすくすケラケラと嘲笑されてしまった。

 彼らには私たちを手荒に捕縛する動きはまだない。

 その緩い空気を証明するかのように、姜さんの説教は続く。


「そもそも央那ちゃん、僕が今なんでこないな僻地まで足運んで、こないなことしとるか、ある程度はわかっとるやろ?」

「そりゃあ、戌族じゅつぞくの勢力が伸長すれば、そのまま昂国にとっての脅威になるからでしょうよ」


 うんうん、と姜さんは頷く。

 そして、彼がこう動いたその詳細、内訳を教えてくれた。


「二年前、覇聖鳳はせお神台邑じんだいむらを襲ったわな。そんとき、神台邑以外にも、翼州よくしゅう角州かくしゅうにある国境沿いの邑のいくつかが、戌族を怖れてもっと南に人が避難したのを覚えとるやろ」

「ええまあ。私は翼州にいましたし、角州のことは玄霧げんむさんやすいさまから詳しく聞きましたので」

 

 関係者の一人として、私も事件前後の情報はできる限り集めていた。

 そのことが覇聖鳳に対抗する道につながると信じて。


「たった五百人ばかしの覇聖鳳の郎党が、翼州角州の二千人を動揺させて避難させたんや。そんあとで、秋に覇聖鳳が首都の後宮を襲ったときも、僕らの軍隊や都の検視けんし、合わせて三千人くらいが動員されたわな。五百人の戌族が、五千人の昂国の人間を動かしたっちゅうことやね。気を揉んだ庶民や文官まで入れたら、数万人でも収まらんやろ」


 五百人対、五千人。

 比率にして十倍であり、間接的な被害を受けた人を含めるとその倍率はさらに膨れ上がるということだ。


「だから姜さんは、戌族全体の人口を、昂国の十分の一以下に抑え込みたい、と思っているんですか」

「せや。阿突羅あつらが生きとった頃は、それも上手く行っとったんやけど。あのおっさんは話が分かるやつやったで」


 人口増加の抑制と、生まれすぎてしまった赤ん坊の間引き。

 けれど次代を担った斗羅畏さんも突骨無とごんさんも、そんな悲しい習慣は払拭したいと考えている。

 追い風になるかのように、昂国と戌族の商業は自由化の流れにある。

 貿易を上手く行えば、無理な人口抑制を行わなくてもやっていけるだろうというのが、昨今の戌族に流れる経済的な空気感なのだ。

 黙って話を聞いていた想雲くんが、あ、と思い付いたように言った。


「軍師どのが行った東南の海賊退治も、元々は海の商業権益を北の戌族に渡さず、昂国の中だけで独占しようと考えた結果、ということになるのでしょうか……?」

「お、誰かと思たら司午しごの坊ちゃんやんけ。せやせや。海の商売さえ渡さんかったら、北の経済はそこまで伸びひんやろ。そう思て気張ったんやけどな、央那ちゃんと角州のお偉いさんにワヤにされてもうたでなあ」

「ぐぬぬ……」


 そんなことを聞されては、歯噛みせざるを得ない。

 姜さんは事前の策として、戌族を「穏便に締め上げる」と言う手段を、一度は採っていたわけだ。

 けれどそれを私たちが壊してしまったせいで「直接的に痛めつける」という、次なる策に転じるしかなかったと言うことか。

 ダメだ、こいつに口で勝てるわけはない!

 さっさとぶん殴って黙らせるしか、私たちに取るべき道はないんだと、この短いやりとりで十分に思い知ったよ!


「御託はたくさんだ。どんな高尚な大義があろうと、いい加減に迷惑だからやめろ。私たちはそれを言うためだけにここにいる」


 翔霏も私の意を察したらしく、馬上で棍を構え、突進の姿勢を取る。

 姜さんがなにを考えているかは、今の状況にも隠し玉があるのか、まだ完璧にはわからない。

 けれど、一気に突っ込めばワンチャン、翔霏の攻めが先手を打てる位置関係と敵の数だ。

 泣いても笑っても最初で最後のチャンスがここか。

 ごくりと唾を飲んだとき、隣後ろにいる軽螢が不安げな声を漏らした。


「まずい、まずいぞこれ。なんか来る。とんでもないのが……」

「なんかってなに?」


 反対を見れば、倭吽陀もなにか感じることがあるのか、ビクビクした顔で周囲を窺っていた。

 私の問いに軽螢が答える前に、姜さんが大声で告げた。


「央那ちゃん、ここまでようやったわ! 満点はあげられへんけど、十分に及第点や! 一所懸命やったご褒美に、僕のとっておき、珍しいもん見せたろか!」


 姜さんが手に持った孔雀扇を天に掲げる。

 辺りが一気に薄暗くなり、まるで嵐でも来るかのように灰色の雲が天を覆う。

 寒くもないのに鳥肌が立ち、全身の内部を怖気が襲う。

 そして姜さんは、んだ。


「同胞たちよ! 昏き地の底から黄泉返れ! 今一度その勇姿を、神々の前にしろしめせ!!」


 声に応えるかのように、目の前の地面が盛り上がる。

 まるで植物が急速な勢いで地を破り芽を出し、樹が生えてくるように。

 その奇妙な動きを煽り立てるように、姜さんは更に声を張る。


「昂八州に生まれ、志半ばで地に伏した英霊たちよ! 数多の想いを一つにし、ここに諸力を打ち振るうのだ!!」


 ぼこぼこぼこ、と音を立ててその場に現れた無数の、おそらく千は下らない……いや、まだどんどん増えてる!

 あっと言う間に、一万ほども発生したのではないかと思われる「それ」は。


「く、首のない、人間たち……?」


 あまりに異様な目の前の光景に、卒倒しそうになりながら。

 私はそう呟くことしかできなかった。

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