三百十七話 弾けて爆ぜる
両脇に崖がそびえる山中の隘路。
背後に迫るは敵の気配。
「今度のやつはなにもの!? 名乗りとか上げてた?」
後方から危機を知らせに来た兵隊さんに、私は大声で尋ねる。
「わ、わからん! 声もなくひたすら追いすがってきやがる! 不気味な連中だぜ!」
どうやら少し前に会ったオカマの倫風などとは違い、余計な無駄口を叩くタイプではないらしい。
相手の情報は多いほど良いので、べらべら勝手に喋ってくれる敵の方がありがたいんだけどな。
こちらの取れる手段はとにかく、走って逃げて、敵部隊との距離を離して。
開けた地形、この先にあるはずの小さな丘に囲まれた平野部に躍り出ることだ。
そこからの状況次第で戦うのか、さらに逃げ続けるのかを選択しないと。
「谷間の終わりが見えたな! ……って、おいおいィ」
先頭集団に便乗して物見役を務めていた軽螢が、情けない声を出した。
山と山の間を抜け、視界には陽光がたっぷりと差し込み、鼻の先を若草の香りがくすぐる。
こんな状況でなければ敷物の上にみんなでお座りして、お弁当でも広げたい気分だけれど。
「はいはい、予想はしてましたよー!」
平野の東西、私の見ている範囲で言うと前方右と左に、ちんまりとした低い丘がある。
その両方の丘のふもとに、腿州軍のものであることを示す、こげ茶色の旗がなびいていた。
後ろから一軍、眼前の東西に二軍。
まったく憎たらしいほどに過不足なく、三つの道を軍隊が阻んでいる!
忌々しげに顔を歪めて、斗羅畏さんが毒づく。
「谷の出口を兵で塞がなかったのは、混戦が起こって俺たちを死なせないように、か。まったくありがたい心遣いだ」
彼が言うように、谷の道で私たちが完全包囲されてしまったら、破れかぶれの白兵戦が発生してしまう。
両軍の死者は膨大な数に上り、私や斗羅畏さんも無事で済む確率は低い。
姜さんはそれを嫌ったから、あえて広いこの場所に兵を配置し、私たちを諦めさせ、心を折る方法を選んだのだ。
逃げる場所はもうないのだと、視覚的に大いに見せつけることによって。
「どっか上手い逃げ場所は他にないのかよ、兄さんたち!?」
椿珠さんが、道案内の赤目部男性に問う。
「東の敵部隊を遠巻きにやり過ごして、そのまま北東へ逃げる道があるにはあるが……」
答えた男性は、声を濁した。
私は彼が躊躇う理由を察して言った。
「まず間違いなく伏兵がいるか、罠がありますね。そっちに私たちを誘導したいんでしょう」
「さすがに除葛軍師のやること。嫌になるくらいに抜かりがない……」
想雲くんが肩を落とす。
東西にデンと構える二つの軍の間には、私たちが通れそうな程度には隙間があった。
けれどもちろん敵だって動くので、私たちがそこを侵入突破しようとすれば両側から挟まれ囲まれる。
そのさらに西側は崖山が連なっているため、馬で移動するのは不可能。
山のような死人を出すのは、姜さんだけでなく私にとっても不本意な展開だ。
私たちは、選ばなければならない。
ここで屈するか。
それでも、まだ足掻くか?
足掻いても足掻いても、蜘蛛の糸に絡め取られるように姜さんの策は縦横、張り巡らされている。
「それでも!」
私は自分に喝を入れるため、大声を放つ。
「まだ私はやれる! 体も心も前に進める!」
そして斗羅畏さんの馬の背に移動しながらひょいと乗り移る。
怖かったけど上手く行ったのでセーフ。
「な、なんだいったい」
彼の剣を拝借して、指揮棒のように天に掲げて叫んだ。
「左右敵軍の真ん中に、突撃ーーーーーーーーーーーッ! 脇目も振らず駆け抜けろーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
私の命令に、仲間は一瞬、驚いて言葉を失っていたけれど。
「お、おおおおおおおっ! 行くぜえええええええええっ!!」
「ここまで来たんだ! 大人しくとっ捕まってたまるかよ!」
全員、私の意図に従って馬を全速力でおっつけ始めた。
「嬢ちゃん、美味い策が閃いたんじゃな?」
ガハハと笑う老将さんが、馬を横に着けて訊ねる。
私は斗羅畏さんの背中の肩越しに、目の前で待ち構える腿州の軍団を睨み、答える。
「そんな都合の良いものはありません!」
「な、なんじゃあ?」
愕然とする老将さんに心の中で謝罪しながら、私は二人の男性の名を呼び、懇願した。
「斗羅畏さん! 巌力さん! この先どんなことがあっても、私たちだけは敵陣を突破します! 味方が捕まっちゃっても、置き去りにして、見捨てて、私たちだけはひたすら駆け続けます!」
「れ、麗女史、なにを申されるか!?」
戸惑う巌力さんをひとまず置いといて、私は別の男性たちに請う。
「椿珠さん! 軽螢! 想雲くんも! ここで捕まっちゃうかもしれないけど、全力で交渉して、みんなが殺されないように上手く立ち回ってね! 下手に刃向っちゃダメだからね!」
「んな、無茶な」
軽螢が口をぽかんとしてクレームを入れるけど、黙殺。
大丈夫、きみたちならできるって、他でもない私が信じてる。
お金持ちで口が達者な椿珠さんと、将来有望な今や皇族縁戚の仲間入りをした想雲くんと。
軽螢は、うーん、まあ、持ち前の愛嬌で、頑張れ!
やればできる子だって麗央那わかってるよ!
斗羅畏さんは少し考えるように黙ったのち、背中の私へ向けて言った。
「……お前さえいれば、お前だけでも除葛の下に辿り着けるなら、やつを止められる。そう思っているのか」
「私だけじゃありませんよ。斗羅畏さんにも、突骨無さんにもまだまだ頑張ってもらいます。みんなの力を合わせてもまだ、足りないかもしれません。でも」
ふうと息を吐いて区切り。
今までの、ここまでの道のりを思い出すように目を閉じて。
姜さんと乙さんの笑顔を瞼の裏に並べて浮かべ、私は続けた。
「私がそこにいなきゃ、ダメなんです! これは姜さんと私の戦いだから! わかったら走れ走れ! もたもたすんな御曹司!! 美味しいところを色男の叔父さんに持ってかれるぞォ!?」
バンバンと斗羅畏さんの背中を叩く。
彼の体が小刻みに震える。
怒ってるのかな。
そう思ったけれど。
「く、くくくく」
どうやら違ったようで、安心。
「かはははははは! そうか、今の俺は、ただお前を運ぶための馬か! 面白い! 今までのお前のたわごとの中で、これが一番面白いぞ!」
豪快に笑って手綱を振るい、斗羅畏さんはなおも高らかに吠えた。
「ノロマどもめ、道を空けろ! この斗羅畏のお通りだ! 燃えたぎる災厄を、除葛の下へ運んで行くぞ!!」
彼の駆る馬は驚くほどの速さを発揮し、私たちに取りすがろうとする敵の前衛を瞬く間に置き去りにする。
「おおー? とらい、やるなーーーっ!?」
敵の放った矢が辺りを飛び交うのをまったくお構いなしに、猛烈な勢いで倭吽陀がぴったりついて来る。
ごめんね、みんな。
ここで仲間たちを置き去りのデコイにしてまで、先を駆け抜ける意味が、私にはあるんだ。
なぜならさすがの姜さんも、私がそこまでするとは思っていないはずだから!
私はいっつも、信頼できる仲間たちとどこへ行くにも一緒で。
だからこそ、この小さな体で、それなりに頑張って来られたのだ。
その私が、巌力さんを盾にして。
椿珠さんたちを囮にして。
斗羅畏さんを便利なタクシー扱いし、ぴゅーんと逃げて飛んで行くという状況を、姜さんだって読めるはずがない!
「行け行け行けーーーーーーッ! なりふり構わず突っ込めーーーーーーーーーーーーッ!!」
私は叫び、馬たちは走る。
背に私を乗せて走る斗羅畏さんの騎乗術は、今まで体験した誰のものよりも凄まじい。
「どけどけ虫ども! 俺の前に立つな! 蒼心部の斗羅畏と知っての狼藉かぁっ!!」
馬と一緒に体重を傾けて移動しながら方向を変え、片手に手綱、片手に剣を握り、近付く雑兵を牽制している。
要は馬で箱乗りをしながら、長物を振り回しているわけだ。
田舎の暴走族かよ。
ああ田舎の暴走騎馬民族そのものだったわね、この人。
そうだ、とにかく先頭を突っ走るのが大好きな人だったよ。
うわー落ちるー、怖いー、などと楽しげに思っていると、少し後ろから椿珠さんの声が聞こえた。
「巌力ー! 後は頼んだぞーー!」
「三弟も、どうかご無事で!!」
巨馬とともに敵兵を蹴散らし掻き分ける巌力さんが、彼の声に応えた。
椿珠さんは、ともに育った兄弟分の無事を祈り、その大きな背中に笑って告げた。
「今回はお前に譲ってやる! 男を見せろよーーっ!!」
「ふはは、承知いたした!」
豪快に笑う巌力さんの顔に、わずかな苦みが走っていた。
ああ、彼もかつて大事な玉楊さんを敵の手に渡した後悔から、抜け出せ切れてはいなかったんだ。
なにもできず、挫けて泣いた過去の自分の仇討ちのために。
私たちは、走る!
「待て待てぇ~~いッ!」
気持ちイイところに、邪魔者が現れた。
東側の丘から寄って来た部隊のそいつは、聞いてもいないのに勝手に名乗り始めた。
「俺の名は、蹄湖三鬼将が一人、呪いの螺紋! 貴様たちの歩みをは、ここで止めさせてもら……っておいぃ!?」
「どりゃーーーーーーーーーーっ!」
口上の途中で倭吽陀が突進し、大刀の一撃を見舞った。
ギィン! と金属音が甲高く鳴る。
螺紋とかいう男が持っていた片手剣が、その一太刀でがっつり刃こぼれした。
「お、おのれ……、小癪なガキめ! しかし悪あがきもここまでよ!」
負け惜しみめいた台詞を述べながら、螺紋は両手指を合わせ組んで、印を作った。
そして、私たちに呪詛を浴びせかけるような、低く気味の悪い声色で唱えた。
「野を駆ける卑しきけだものたちよ。その身を冷たく重き水の中に迷わせ、暗き深淵に溺れさせるがいい!」
「ん、なっ?」
違和感に気付いて驚きの声を上げたのは、斗羅畏さんだった。
私も続いて、なにが起こったのかを察する。
「う、馬が、どうかしたんですか?」
先ほどまで勇ましく勢いよく、軽快に野原を駆けていた斗羅畏さん自慢の名馬が、ここに来て急に速度を落としたのだ。
「ブ、ブヒ、ブヒヒーン……!?」
まるで見えない障害物に絡め取られ、体中に重石をかけられたかのように、お馬ちゃんの動きは鈍ってしまった。
「ど、どーしたー? ちゃんとはしれー!?」
「こ、これはいかなる術にござるか……!」
倭吽陀と巌力さんも同様の怪奇に襲われているらしく、混乱している。
フフン、とドヤ顔で芝居がかった仁王立ちをして、螺紋がわざわざ説明する。
「俺の呪術は、鳥獣や魚の動きを鈍らせる働きがあるのだ。元々はこの力で、湖の漁師として働いていたのだがな。縁あって蛉斬の仲間にならんかと誘われたのよ」
なんだか地味なエピソードですね。
けれど呪いの力は本物らしい。
軽螢は怪魔を、塀貴妃は人を縛る術を使うように、螺紋は動物を縛る術を使うのだ。
馬はとうとう立つこともできず、地面に伏してしまった。
人に効果を及ぼす術法ではないから、倭吽陀の結界破りでも攻略できないのだな。
「くっそぉ、なんでもこうもオモシロ人間がたくさんいやがるかね、腿州水軍には!?」
そしてそれを実にピンポイントで的確に運用する、姜さんの悪知恵レベルの高さよ。
てっきり私たちを後ろから追い立ててた重武装兵の中に、大物がいるもんだとミスリードされてしまったぜ。
「ふん、ならばお前をぶちのめせば、馬の活力も戻るということだろう」
「将帥が突出したのは、失策でござったな」
馬を降りた斗羅畏さんと巌力さんが、じりじりと螺紋に歩み寄る。
周囲の歩兵も、私たちへの包囲をどんどんと狭めていく。
少し離れたところにいる兵隊が、槍でも剣でもない、なにか棒状の、筒のような道具を構えたのが見えた。
筒の根元には、微かに煙が見えた。
そのとき、勝ち誇ったように螺紋が笑った。
「くっくく、馬が無事であれば、の話だがな、それも」
螺紋が軽く掲げた右腕が、振り降ろされそうになったときと。
「てててててて、鉄砲だーーーーーーーーーーーッ!?」
私が叫んで、倭吽陀の身体を庇うように胸に抱いたのは、同時だった。
うずくまって地面に伏せながら見た視線の先。
チカチカチカッ! と赤白い火花が瞬く。
一瞬遅れて、ドバババババババババァン!! という、天も裂くような爆発音が、連続でこだました。
「あんのモヤシ野郎! こんな奥の手まで持ってやがったんかい!」
悔しさと憤懣で、血管が切れそうになる。
姜さんは。
その溢れる知性で銃火器までをも、極秘のうちに実用レベルに研究開発していたのだ。




