三百十四話 狩りの時間
降りしきる雨、ではなく殺意を持った無数の鋭い矢じり。
「ちょっとちょっとこの数はどういうことなのよ!?」
道の両側にそびえる崖山の上から、大量の矢を浴びせかけられる腿州の兵たち。
人一倍大きな声で驚く頓倫風と言うオカマ将軍と、私は同じ疑問を持った。
「斗羅畏さんのお仲間って、三百人足らずだったはずだよね? 飛んでくる矢の数がおかしくない?」
私の言葉に、椿珠さんが首を傾げながら推測を返す。
「赤目部の避難民を、あれからまた何人か合流させたのかもな。それにしたって凄い数だが……」
腿州の兵たちがいる方向を正確に狙って、重力に従い落ちて行く数多の矢じり。
尽きることなく次から次へと放たれている人的資力も驚きだけれど、そもそも斗羅畏さんたち、そんなに武器の備蓄があったっけ?
私たちが混乱して踏みとどまっていると、通りの北側から怒鳴り声が聞こえる。
「さっさとその場を離れてこっちに来い! 穴だらけになっても知らんぞ!!」
斗羅畏さんだ。
お言葉に甘えてそろりそろりと岩壁から移動する私たちの前に、腰の引けた尾州の補給兵が立ちはだかる。
「じ、じ、自分ら、裏切りもんやったんか!? この敵を呼び込んだのも自分らの罠なんか!?」
「だったらどうした邪魔すんなやボケーーーーーーッ!!」
私が怒鳴りつけると男はひぃっと情けない声を上げて後ずさり。
「御免っ!」
「あぎゃっ」
想雲くんに剣の腹で側頭部をしたたかに殴りつけられ、きゅうと悶絶し地面に伏した。
うーん、腿州の倫風たちに比べ、なんと気合いの足らないことよ。
そのお陰でなんとかここから脱け出せそうなので、そのままのきみたちでいてください。
「麗央那ー! こっちの崖が登れそうだぞー!」
「メェ~~!」
軽螢の声が聞こえた方向を見る。
丈夫そうな樹の幹に長いロープが縛り付けられていて、ヤギ助がその端を咥えて崖を降りて来てくれた。
なんとも頭の良いフォローではないか、軽螢とヤギのくせに生意気だ。
「麗央那さん、椿珠さん、お先に登ってください! 僕がお二人の背後を守ります!」
「ありがとー! 想雲くんも気を付けてね!」
うんしょうんしょとロープクライミングを試み、私に続いて椿珠さんも崖を登る。
高所に避難すれば、仲間と合流してさっさと離脱だ。
物資の奪取に失敗したのは断腸の思いだけれど、命には換えられねえ。
と、悔しさ半分安心半分で考えていると。
「そう簡単には逃がさないわよ~~~~~~ッ!!」
矢の雨を掻い潜って、倫風が凄まじい勢いで突進して来た!
いやいや、死ぬだろ。
運が良くても痛いだけじゃ済まんぞと、なぜか私が心配しているのをよそに、倫風は叫ぶ。
「吾身如鋼! 安徹小鏃(どうしてちいさきやじりごときをとおすことがあろうか)!!」
私には聞き慣れない、おそらくは南部の古い方言で唱えられた呪文のような言葉。
口からそれを放った倫風を、斗羅畏さんの仲間たちが放ったいくつもの矢が襲うけれど。
カチカチ、カチンカチンッ!
「は、弾きやがったぞあのバケモン……!」
椿珠さんが恐怖感を孕んだ声色で驚く。
鎧を着込んでいない顔の部分に矢が当たったのに、まるで平気な顔で倫風は走り続けていて、傷一つ負っていない!?
「うふふふ! アタシの『美顔』の二つ名の由来よ! 少し気合を入れれば、アタシを傷付けられるものはこの世にはいないワ!!」
「反則じゃんそんなのーーーー!?」
全身硬化の術、とでもいうのだろうか。
鋼と化した防御力を持ちながらも、自由に動けるとかズルすぎる! チートや! ビーターや!!
縄を必死に掴みながら絶望する私の下で、椿珠さんが言う。
「いくらなんでも無敵ってことは有り得ねえだろ。すぐに時間切れが来るか、強すぎる衝撃をぶちかませば制圧できるんじゃねえか?」
「そ、そうか。じゃあ巌力さんに、投げ技とかで頭から地面に叩きつけてもらえば……」
体の表面がいくら硬くなったとしても、強大な内部ダメージに晒されれば無事では済むまい。
ナイスな案を思いつき、仲間たちがいる崖上に視線を送る。
けれど巌力さんは、斗羅畏さんたちに矢束を手渡して回るのに一杯だ。
私のいる場所とは距離があり、足下に下がるロープの端に急行する倫風の対処には、間に合いそうもない。
「こんな得体の知れない鋼のオカマにとっ捕まるのは嫌だよ~~~」
と泣きそうになっていたら。
「おっさんすげーなー! からだがカッチカチだー? やがきいてないのかー?」
「お、おい倭吽陀、戻れ!」
緊張感のないお子さまが物見遊山で前に出てきて、斗羅畏さんに怒られていた。
しかし周りが制止する声も聞かず、トテテテテーと身軽に崖肌を走り下りた倭吽陀。
倫風の前に立ちはだかって、面白そうな玩具を見つけたキラキラの瞳で、訊いた。
「それどうなってるんだー? やもかたなも、みんなはねかえしちゃうのかー?」
「あらぁ可愛い子がまた増えちゃったわねぇん? そうよ坊や、今のアタシを傷付けることができる存在は、この世のどこにもいないわ! 凄いでしょう? 好きになっちゃう?」
満面の笑みでにじり寄って来る倫風を怖れもせず。
「じゃあ、ためしてみっかー!」
倭吽陀は自分が背負っている、父の形見の大刀を鞘から抜き放った。
青光りする鋼の片刃刀。
覇聖鳳が、死ぬ間際まで持っていた、彼の分身とも言える武器。
正確には鞘の方を地面に放り投げた形になるけれど、背が低いからそれは仕方ない。
佐々木小次郎破れたり、なんてことにならないかハラハラしつつ、私は倭吽陀の挙動を見守る。
「まあまあやんちゃな坊やだこと。元気の良い子は大好きよ~~ん」
ニチャァと恐ろしげに笑って、倭吽陀を両の腕で抱き締めようと駆け寄る、青ひげのオネエおじさん。
地獄かな?
けれど倭吽陀は微塵も臆することなく、馬鹿デカい鋼の刀をよっこらせと肩担ぎにして。
「おっ、りゃああーーーーーーっ!!」
小さな体に似合わぬ見事なスウィング、坂本竜馬を思わせる大上段振り降ろしを放った。
けれどさすがに動きが大きすぎて、倫風にはバレバレだ。
「真っ直ぐすぎる太刀筋、素敵ねェ!!」
自身を鋼鉄と化す術法の防護下に置かれた彼は、笑みを絶やさずその一撃を掌で受け止めようと、手を伸ばした。
しかし、その一瞬の間になにを思ったのか。
「ちょっ待っ!?」
慌てて全身を翻し、飛びすさって刀の軌道から逃げた。
ばらばら、と倫風が着ていた鎖帷子が切断され、金属の破片が地面に散らばる。
裂けた防具の下、右脇から背中にかけて露わになった倫風の肌に滲む、一筋の血液。
ぽたりとその雫が土を濡らすのと、倫風が口を震わせて驚き叫ぶのとが、同時だった。
「ななななな、なんでアタシの法術が効かないのよおォォォ!? そのガキはなにもんなのよおォォォォッ!?」
なにものかと問われ、倭吽陀は鼻頭をピッと親指でこすり、言った。
「おれは、せいがぶ……じゃなかった! そうしんぶの、わんだだ! おぼえとけー! そしてしねーー!!」
再び大刀を肩に担ぎ、倭吽陀が駆ける。
無邪気な少年と言えどもやはり覇聖鳳の子で、一匹の餓狼であり、荒ぶる騎馬民族の若武者であるのだ。
「敵が怯んだぞ! 倭吽陀を援護しろ!!」
部下に指示を飛ばした斗羅畏さん。
自分も崖を駆け降り、白兵戦で倫風に襲い掛かる。
斗羅畏さんもきっと、気付いたのだ。
倭吽陀が父の覇聖鳳と同じく『すべての戒めやくびきを切り裂く、結界破りの異能』の持ち主であることを。
刀も弓矢も通じない鋼の体の持ち主こそ、彼にとっての最高に美味しいエサなのだということを。
「おお? とらいもいっしょにやるかー?」
「馬鹿野郎! 敵から目を離すな!」
ギンギンカンキンと斗羅畏さん、倫風の両者の武器がぶつかり合う。
取り乱していてもさすがに歴戦の猛者で、倫風は二振りの打鞭で巧みに斗羅畏さんの攻撃を受け流すけれど。
「でーい!」
「あっギィ!!」
隙を見計らって倭吽陀が刀を振り、倫風の背中を斬りつける。
深手には至らなくてもその斬撃は倫風の肌と肉を徐々に切り裂く。
周囲の地面が、少しずつ薄紅に染まって行く。
一人、また一人と斗羅畏さんの仲間がその場に駆け降り集まって、倫風に嫌がらせをしながら、倭吽陀の一撃が放たれるのを助けている。
「あーもう! イイ男たちにモテてモテて困っちゃうわー! 今にも身が張り裂けて死にそうなくらい!」
「黙って死ねこの化物!」
「しねー!」
まだ生き延びて抗戦している倫風の体力も驚きだけれど、それ以上に斗羅畏さんたちと、倭吽陀のチームワークが見事過ぎる。
一人が攻め、一人が守り、一人が陽動し、その合間に倭吽陀が刀を差し入れる。
「す、すごい。みんな息ぴったり」
こんな状況を想定して、事前に訓練していた様子なんて、ちっともなかったのに。
なんとか無事に崖上に避難した私の呟きを、椿珠さんが拾う。
「まさしく狼の狩りだ……どんなに大きく手強い獲物でも、粘り強くちまちま攻撃して、最後には弱らせて仕留めちまうような……」
多対一だから卑怯などと言う感覚は、この場には存在しない。
「こうすれば勝てるのだ」という定理に殉じた、美しさすら感じる合理性の極地。
その戦いを、呆けた心持ちで見つめる私。
けれど倫風の悪運はどこまで強いのか、彼にとって救いの一手が放たれた。
「お頭ぁ! 火薬が来る!!」
「なっ!? 倭吽陀、伏せろ!!」
倫風の仲間、腿州の兵が投石紐で投げた火薬玉が、彼らの戦場の真ん中に落ちる。
ドカーンとけたたましく爆発した。
「がぁっ! クソッタレが!!」
斗羅畏さんたちはとっさに飛び避けつつ、爆風の勢いも加わり道の両脇に吹っ飛ばされた。
防護術を身に纏った倫風だけは、平気でその場に立っている。
「頓にぃー! 無事かー!?」
「たまったもんじゃないわー! なんなのよいったいーーーッ!?」
仲間の呼びかけに応えた倫風。
傷付いた身体を懸命に動かし、降りしきる矢をものともせずに弾きながら、格好もつけず遁走した。
逃げると決めたらなりふり構わずの、倫風率いる腿州の一隊。
物資も置き去りに、自分たちの武器も捨てて一目散に走り、この場を速やかに放棄して去って行った。
「覚えてなさいよー! 特に倭吽陀ちゃんーーー! 次に会ったら徹底的に可愛がっちゃうんだからねーーーっ!!」
キッチリ捨て台詞も吐いて行く。
倭吽陀も厄介なやつに目を付けられたもんだ。
「前に戦った岳楼とか言うやつもだけど、揃いも揃ってしぶとすぎでしょ、蹄湖三鬼将……」
しかも私たちが知らない、あと一人が残っているのだから。
呆れる私に、椿珠さんが歪んだ微笑で言った。
「除葛のやつが腿州の兵を気に入った理由がわかるぜ。敵ながら面白い連中だよ」
「私にとっては、ちっとも面白くねーよ!」
尾州の輸送兵も、いつの間にかまるっと怯えて逃げ出したようだ。
私の火計の難を逃れて、健全に残された食料や弓矢が荷車にわんさと積まれている。
「あ、危ないところでしたね……ですが、結果は上々、と言ったところではないでしょうか?」
今までずっと、私と椿珠さんを守るように傍で動いてくれていた想雲くん。
はぁーと溜息を吐き、地べたに胡坐をかいて、爽やかな笑みを浮かべた。
ヤギと軽螢が、冷めた目で彼を見つめる。
「ギリギリ生き延びたことが、快感になっちゃダメだぜ。麗央那みたいにクセになったら手遅れだかんな」
「ほっとけや。私だって好きで危ない橋を渡ってるんじゃねーんですぅー」
その場にいる誰も、私の言葉を信用していない顔をしていた。




