三百十三話 真偽、混然
往く手の先にはためく、腿州軍の旗。
人数はさほど多くなく、百人ほどだろうか。
動揺を隠しつつ、椿珠さんは完璧な補給隊長の顔を堅持し、望まれぬ珍客に応対した。
「ご苦労はん、ご苦労はん。ええと、失礼やけどどちらさんの隊やったかいのう……? 忙しゅうて、人の顔と名前がしっちゃかめっちゃかやねん」
所属を問われた集団の中から、一人の男性がずいと歩み出る。
やや大きな、歴戦の兵士らしい立派な体格。
もみあげ、口ひげ、顎ひげのすべてが繋がっている、強そうなもののふだ。
二振りのごっつい打撃鞭を両の腰に提げた彼は、こう名乗った。
「アタシは蹄湖四鬼将……あらやだ、今はもう一人死んじゃったから、三鬼将だったワ! その一人の頓倫風、通り名は『美顔の倫風』よ! 覚えておいてくれなきゃ、いや~~ン」
男性、ではあるけれど、オネエだった。
いや、オカマと言うのかな、よくわっかんねえよぉー。
腿州軍は、どうやらジェンダーフリーも推進している職場らしいね! 先進的だね! ってやかましいわ!
しなしなっとなだれ込むようにして椿珠さんの肩を気安く抱く。
自称なのか他称なのかわからない、美顔の倫風オネエさんはふふふんと笑った。
「あらぁ、なかなかイイ男じゃないのさ、隊長さぁん? こんな辺鄙なところまで出張って来たかいがあったわよォ」
「そ、そらぁ、どうもほんま、おおきにやでぇ……」
未だかつて出会わなかったような敵にすっかり面食らった椿珠さん、狼狽。
女装が得意な美男子、オッサンに変装中でありながらもオカマに気に入られるの図。
倒錯しすぎて頭が混乱して来たわ。
二人の男……男でいいんだよね? の濃厚な絡みを見せつけられ、若干顔を歪め声を震わせながらも、想雲くんが質問した。
「なぜここに、頓閣下はいらっしゃるのでしょうか。この区域で作戦行動があるとは、聞いておりませんでしたが」
「あらあらこっちにも可愛い子がいるじゃな~~~い!? ウフフ、なんでアタシが、こっちにいるのか、知りた~い?」
「は、はあ。できればよろしくお教え願いたく……」
無意識に後ずさりする想雲くんの鼻先をちょんとつついて、倫風は言う。
「アタシのイイ人……、あ、岳楼のことよ。あの人がほら、手当てをされた寝床の上で、血まで吐きながら呻き続けるのよォ。あの卑怯なクソガキども、忌々しい馬追い小僧どもめ、って。奇襲されたのがそれだけ悔しかったのねェ」
先だって、斗羅畏さんたちにいいようにボコられた「力の岳楼」のことだ。
倫風と仲が良く、そしてまだご存命らしい。
「お仲間はんがやられたっちゅう仕返しに、この辺を警戒しはったんでっか。下手人どもが見つかるんやないかと思うて?」
椿珠さんの質問に、ウーンと少し考える顔を見せ、倫風は答えた。
「そういうのとちょっと違うんだけど、なにか虫が知らせたのよねェ。このあたりで調べが及んでいない道で、なにかあるんじゃないかしら? って」
勘かよ!
これだけ一生懸命にあれこれ考え、奸知を弄してお膳立てした物資横取り作戦が、オカマ野郎の第六感だけで崩壊しようとしている!!
動揺を隠しながら、椿珠さんが時間稼ぎのおべんちゃらを並べた。
「そらあ、さすが歴戦の猛将さん、見事な読みですわなあ。なら補給物資の受け取りも、任せてええんやろか?」
「構わないんじゃないかしら。どうせそろそろ大隊に戻るつもりだったし。輸送のお兄さんたちを何人かは、そのまま借りるわよ?」
「結構、結構。あ、せやけど、一応は所属隊の印章を確認して、受け取りの記録を作らなあかん決まりやったかいの……」
もたもたと書類を探す振りをして、ちらっと私に目配せする椿珠さん。
最悪の状況を想定し、私はコソコソと人目を忍ぶように動き、最後の手段の準備に向かう。
できれば使いたくないけれど、そうも言ってられない可能性が高いぞ、こりゃあ。
椿珠さんが上手いこと、騙し通してくれれば。
物資は諦めるとしても、安全にこの現場を離脱することは、できる、はず、そう信じたい。
幸いにも、倫風はまったく私に興味関心を抱いておらず、モブ女としてアウトオブ眼中の扱いだ。
それよりも男に興味があるんですね。
腑抜けた補給兵士たちの並ぶ中、私たちだけが歯の震えるような緊張感を味わっている。
椿珠さんがやっと取り出した荷物の目録。
それを手にして、書かれている内容を確認する倫風。
ふんふんと納得した顔で、こう言った。
「書類は本物みたいねェ。変なところはないみたい」
「そらそうでっしゃろ」
「ならどうして隊長さんは、ニセモノが変装してるのかしら~? おかしいわねェ~、フフフ」
その瞬間。
倫風の後ろに控えていた腿州兵たちが、声も発さず一斉に武器を振りかざし、椿珠さんに襲い掛かった。
「危ないっ!!」
ガギィン!
敵の振るう槍を、自分の持つ鉄剣で弾き防ぐ想雲くん。
その最中に椿珠さんは兜を倫風に放り投げ、走り出していた。
「ちっくしょう! 逃げるぞ! 失敗だ!!」
「やっぱこうなっちゃったかー!」
這う這うの体で逃げながら椿珠さんが叫ぶのを聞き、私は運んで来た荷車の一つに、あるものを放り投げる。
なにを投げたかと言うともちろん、火の点いた布であり。
どこへ投げたかと問われれば、それは言うまでもなく火薬燃料を山と積んだ荷車へ、だ。
ドバアアアアアァァァン!!
けたたましい爆発音が鳴り響き、狭い山道が揺れて震え、木の葉が舞い落ちる。
荷車の周囲にいた兵たちが衝撃ではじけ飛び、轟音に目を回していた。
「派手なことしてくれるじゃな~~い!? あら、あなたってばひょっとして、船に乗ってた女の子よね! 姜ニィさんの知り合いの、麗ちゃんでしょ?」
きらりと光る倫風のまなざしが、私を捕えた。
そっか、腿州の沖で船団対決したときに、顔を覚えられていたのか。
「そんな人は知りません他人の空似ですゥ~~!」
「逃げなくても良いじゃな~~い! ちょっとお話ししましょうよ~~! 姜ニィさんだって、あなたに会いたがってるわァ~~~ン」
青ひげのごっついオカマが、笑いながら私を真っ直ぐに追いかけてくる。
恐怖!
それ以外の表現が思いつかないほど、身の毛もよだつ戦慄!!
「この化物め! 央那さんに触れるなってぐわぁっ!?」
私を守るために飛び出してきた想雲くんを、倫風は打鞭の一撃で軽く吹っ飛ばす。
想定はしていたけれど、フィジカルも文句なく強いよこのオネエさんは!
戸惑い、目を回してたたらを踏んでいる輸送兵たちの隙間を私はちょこまかと走り回って、ヒィヒィ言いながら倫風の追跡を振り切ろうとする。
「ちょっと邪魔よあなたたちぃ! 脇に避けてなさい!」
尾州の輸送兵たちをゴミのように両手の鞭で払いのけながら、まったく勢いを殺さずに倫風は突っ込んでくる。
もはや、これまでか……!
岩崖に追い詰められた私は、残りも少なくなった虎の子の毒串を手に構える。
それを見ても倫風は笑みを崩さず、むしろ優しいような声色で話しかけてきた。
「殺気が見えないわねェ。それは死ぬような毒じゃないんでしょう? 意地張ってないで、降参しちゃわない?」
「死ぬかどうかは、喰らってみればわかるんじゃないですかね。男は度胸、なんでも試してみるもんですよ」
「ダメダメ、アタシに脅しやハッタリは通じないわ。嘘かどうかなんて一目でわかるもの」
あーもう、やりにくいなこのタイプは!
ええその通り、これはただの痺れ薬で、刺しても効果が表れるまで多少の時間がかかりますとも。
実は致死毒の串も懐にまだあるのだけれど、倫風相手に使う気には、どうしてもならないのだ。
こいつだって、私たちに対して殺気がないのが丸わかりだし。
きっとここで捕まっても、私たちは酷い扱いを受けない。
なぜか嘘の通じない倫風という男は、他人にも嘘を吐かない好漢なのかもしれないね。
心から、戦いにくい敵だわぁ……。
「すまねえ、しくじった」
「僕の力が足りないばかりに……」
私と同じく道の端に追い詰められた椿珠さんと想雲くん。
視界の向こうでは、私が派手に燃やした荷車の消火に輸送兵たちが大童になっている。
もうもうと立ち上る煙にむせてる人が多いのは、木炭と一緒に硫黄も燃えているからだ。
ドゴォン、バァン、とまだ立て続けに小さな爆発が起きており、周囲の兵もおっかなびっくりで上手く対応できていない。
ド素人どもめ、そんなものは無理に消火しようとせず、他の荷車を離して延焼させるのを防げばいいだけなのに、と老婆心。
「……わっかりました。もう抵抗しません」
私は両手を小さくバンザイに挙げて、その場に跪く。
悔しそうな顔で椿珠さんと想雲くんもそれに従う。
満足げに倫風は頷き、武器を腰に収めた。
「そうそう、聞き分けの良い子は好きよォ? まず質問だけど、あなたたちみたいに、こっちの軍に紛れ込んでる子は他にいるのかしら?」
「それはいないと思いますね。少なくとも私は知りません」
倫風なら、私の言ってることが嘘ではないとわかるだろう。
そんな不思議な信頼感から私は正直に話した。
納得した倫風は、次の質問、実に当たり前に彼らが知りたい情報を問うた。
「なら斗羅畏たちはどこに隠れてるのかしら? 無理強いして聞き出したくはないんだけど、アタシも仕事だから。素直に教えてくれないと、お互いにちょっと悲しい思いをしちゃうかも」
恨みはないけれど、それはそれとして拷問はできるという性格の持ち主のようだ。
倫風が本当に「悲しい」顔をしていることから、それが嫌でもわかる。
私を傷付けないように姜さんに言われているだろうから、この場合に痛めつけられるのは椿珠さんか、想雲くんか、はたまた両方か。
けれど私は、やはり嘘など一つもない言葉でそれに答える。
「細かい場所は私にもわかりません。ここらの土地に詳しい案内役の人を連れて、斗羅畏さんたちもあちこち走り回って居場所を変えてますから。極端に離れたところにはいない、というくらいしか」
話しても怪しまれない、けれどこちらの致命傷にはならない情報を、ちょこっとだけ提示。
「そう。困ったわねェ。なら今まで通り地道に探すしかないかしらン」
口をへの字に曲げ、そして倫風は燃え盛る荷車を見て、作業者たちに声をかけた。
「そんなの放っておきなさい! どうせ燃えちゃったんだから使いものになんかならないわヨ! 他の物資に燃え移らないように気を付けて!」
彼女、じゃなかった彼の目線が私たちから切れたその一瞬を見逃すこの麗央那ではないわ。
「二人とも、地面に伏せて!」
小声だけれどしっかり命令した私。
さっきまでは、斗羅畏さんがどこにいるのかわからなかった。
だから「わからない」と答えても、倫風に疑われることはなかった。
けれどたった今、私は知って、理解した。
爆音と煙を目印に、荒ぶる若き山犬の群れが、この場に近付いていることを。
「と、頓将軍! 上を――――!」
目と勘のいい兵士が叫んだ。
けれどすぐに声は途切れ、彼の体は力を失って斃れた。
「んなーーーーーーーーッ!?」
倫風が叫び、まだ燃えている荷車の陰に転がり込んで身を隠す。
頭上から雨霰と形容するほど降り注ぐ無数の矢が、地面に影を作りながら飛来する。
「敵襲! 敵襲ーーーーーーーーーッ! 防御態勢ーーーーーーーーーーーーーッ!!」
ズカカカカカカカッ! と勢いをつけた矢の群れが、当たり構わず降り注ぐ。
「斗羅畏さん、間に合ってくれたかぁ~~……」
岩陰に身を伏せて縮こまりながら、私はおしっこが漏れそうなくらいに安堵するのだった。




