三百十二話 たった一つの、小さな願い
早朝。
補給隊長に化けた椿珠さんが、輸送の小隊に向けて次のように指示した。
「北の友軍に食料もろもろを送る任務やけどな、ちいと事情が変わって別の道を使うことになったんや」
堂々と聴衆を騙して平気な胆力は、素直に見習いたい。
私だって何度も翠さまの替え玉をしてたけれど、結局最後まで慣れることはなかったチキンハート少女だし。
些細だけれど、私たちの計略にリアリティを加味するための演出も用意している。
「なぜ突然、そのような変更を? 姜軍師の指示に反する行動を取るのは、いかがかと思われますが」
質問したのは想雲くんである。
隊長が急に変なことを言いだしたぞ、という状況に説得力を持たせるため、あえて否定的な質問をぶつけさせたのだ。
この若造、言いにくいことを言ってくれるやんけ、大したもんや、と周りが思ってくれれば御の字だ。
実は彼もこの隊の仲間ではないのだよという、不都合な秘密を覆い隠せるからね。
白々しさを感じさせない自然な口調で、椿珠さんがそれに答える。
「赤目部から降って来た兄ちゃん姉ちゃんがおるやろ。あん子らがな、地元の人間も使わん早道を詳しく教えてくれてん。そないな大所帯でもないねんから、ピャッと運んでピャッと帰れるならそうした方がええと考えたんや」
「地域住民からの有力情報でしたか。さすが隊長どの、適宜状況を読んで、作戦を更新しておられるのですね」
「そない褒めんなや、むず痒いわ、かかか」
話を聞いて、周囲の兵たちも明るい顔で納得した。
隊列は問題なく出発し、緊張感もないまま荷馬車が進む。
仕事が楽になるならそっちの方が良いと、全員が思っている空気が流れている。
やはりこいつら、この蜂起にノリでくっついて来ただけなのかな。
積極的に荒事に飛び込もうという覇気が、まったく感じられない。
そうとわかっていればもっと情報工作や揺さぶりに時間をかけて、この補給部隊すべてを瓦解できるか試してみたかったぜぇ、不覚ぅ。
「しかし演技上手いね。争いが終わったら翔霏のお母さんに頼んで、劇団に入れて貰ったら?」
道案内の振りをしてニセ隊長こと椿珠さんの横を歩く私。
見事なお芝居を褒めて、小声でそう提案した。
彼は本物の隊長に濃いめに絡まれた一夜の記憶だけで、隊長の喋り方や仕草をほぼ完璧にエミュレートしているのだ。
愛想笑いもろくにできない翔霏よりは、なんぼか役者に向いている。
「今あちこちでやりかけの商売はどうするんだ。他の誰かに任せられる仕事じゃないぞ」
「あらあら、何者にもなれない自分に涙していた椿珠さんの口から、そんな台詞が聞けるなんて。あたしゃ涙が止まらないよ、およよ」
自分がやるしかない、と思える務めがあるってことは、きっと幸せなことだ。
「恥ずかしい話を蒸し返すなっつうの……」
「ひひひ、死ぬまで擦り倒してやるから覚悟しておいてね」
「今に始まったことじゃねえが、性根が曲がり過ぎだろ」
軽く椿珠さんをいじめてテンションを上げた私。
これからの段取りを再確認するために、狭い山道の景色を見ながら思考を整理する。
輸送業務の下準備として、先ほどまで行動を伴にしていた赤目部の男性には先に馬で走ってもらい、経路上の安全を確認してもらっている。
と言うのはもちろん建前。
物資がしこたま輸送されますよということを、ひもじい思いで待っている斗羅畏さんたちに伝えてもらったわけだ。
幸いにもこの道は、大きな馬車が簡単に切り返せる道幅ではない。
輸送隊の前後を挟む形で斗羅畏さんたちが襲い掛かれば、装備に乏しい補給兵站部隊の兵士では対応しきれないな。
荷物を棄てて蜘蛛の子散らすように逃げてくれるだろう。
命をかけてまで物資を守ろうとする気概のある兵は、まずいないことも確認済みだ。
あとは私たちの正体がばれないように、上手く立ち回るだけ、なんだけど。
「そもそも、僕たちを警戒して探ろうとする雰囲気自体が、皆無ですね……」
敵のマヌケぶりに呆れた想雲くんも、小声で漏らす。
彼も独自に潜入作戦を遂行していた。
なし崩しの流れで仲間入りを許され、特に素性を調べられたりもしなかったのだ。
これが本当に、除葛姜指揮下の蜂起軍の有様なのかと、タヌキに化かされた感覚である。
けれど私のそんな疑念に答えるように、道中で兵隊たちが世間話を交わしていた。
「前線で泥にまみれて切った張ったするなんてなぁ、下品な雑兵の仕事やさかい。俺らはここの配属で良かったわ」
「せやせや。第一、丹谷の姜が総大将っちゅうんが気に入らんねん。うちの殿さんの方がずうっと偉いはずやのに」
「ま、どう転んでも責任取るんはあいつらや。こっちに余計なヨゴレが跳ねてくるこたあないやろ」
なるほど、旧都、旧王領である尾州から来た彼らの貴族意識の中では、やはり姜さんは田舎の傍流扱いなんだな。
さしずめこの補給部隊にいる兵員は、みながみなそれなりにイイところのお坊ちゃんか、大きい家の使用人なのだろう。
こんなやつらの手まで借りないといけないとは、姜さんも姜さんなりに、政治に振り回されてるんだな。
って、敵に同情してしまうところだった、危ない危ない。
「みなさんはとても、名のあるお家に連なる方々なのですね?」
情報収集のため、引き攣る顔を押さえて猫なで声で私は尋ねる。
フヌケ兵どもは気を良くして、聞かれた質問以上のことをべらべらと喋る。
「せやねん。うちの殿さまなんてな、なにを隠そう後宮の漣さまのまたいとこなんやで。母方やから、除葛の本家とは関係ないねんけどな」
聞きたくなかったなあ、それは。
せっかく生き残った親戚がまたバカなことをしてるなんて知ったら、さすがの漣さまのお心にも影が差すに違いない。
なにひとつわからない、と言う顔で微妙に知っている話に反応することの難しさよ。
「丹谷の姜が俺らを使うとるんやない、俺らがあいつを使うとるんや。せいぜい尾州のために、血と汗を流してもらわんとな」
「はあ」
その言葉の意味は不明瞭だけれど、姜さんがことを成し遂げたあとに、彼らには大きな報酬が約束されているのだろう。
そんな上手い話があるかなー、ただの反乱者ですけど?
という私の疑問にも、名もなきモブ兵が補足する。
「ここで戌の連中にガツンとかまして、突骨無やらいう親玉に思い知らせて大人しくさせたとするやんか。ほなら、国境を防備する軍も減らせるやろ? 軍隊が小さくなったら、うちの国の税も安くなるやろ?」
別の男が続けて言う。
「浮いたカネは商売に回るってことに、天下のしきたりで決まっとんねん。最終的には、昂国も北方も無駄な争いなんかせんと、揃って豊かになるっちゅう寸法や。そのためにはどっちが上か下か、今のうちにしっかり、わからせたらなあかんねんな」
「そういうものですか……」
演技ではなく素で、私は呆れと戸惑いの混ざった複雑な声を漏らした。
姜さんの本心がどこにあるかはわからない。
けれど少なくとも、反乱蜂起に便乗した尾州の勢力は、この戦が「戌族全体に恐怖を植え付け、昂国との上下関係をハッキリさせるための行い」であると解釈しているようだ。
国のためにやっているのだから、自分たちが重い罰を受けるはずがない。
そう信じ込んでいる理由もそこにあるのだろう。
今まで私が見聞きしてきた現実と、確かに大きく矛盾はしない。
つまるところ、姜さんは私と違って、突骨無さんも斗羅畏さんも信用していないのだと、強く再確認できた。
会話の輪から外れ、再び先頭を行く椿珠さんと想雲くんの近くに寄る。
「阿突羅さんが白髪部の大統だったときには、姜さんはそんなことを仕掛けようともしてなかったのにね。なんで今になってこんなおかしなことをおっぱじめたんだろ」
小声で私が言うと、少し驚いた顔で椿珠さんに意見された。
「そりゃ、あのおやじさんは住民の数が増えないように、生まれる赤子の数を調整してたからだろ。除葛のやつから見れば、阿突羅の政策は都合が良かっただろうさ。戌族の勢力が膨れ上がるのを抑えられるからな」
どうしてそこに気付かないんだと、バカにされているくらいの口ぶりだった。
変装優男の態度はちょっとムカつくけれど、言われてみれば確かにその通り。
私の意識から、その考えが抜け落ちていたのだろうか?
真剣に今一度考えてみると、一つの景色、思い出の日が頭の中に割り込んできた。
「そう言えば……」
あれは、神台邑を焼かれて後宮に勤め始めた、夏のことだった。
覇聖鳳も阿突羅さんもまだまだ現役で、おっかないくらい元気に生きていた時期。
中書堂で私は、姜さんと知り合った。
彼が戌族問題に対応するため、北の国境に赴任すると聞いて、こう言ったのだ。
「邑を燃やされて、仲間を殺された私の、私たちの想いを、どうか、ほんの少しでもいいので、北辺へ持って行ってください……」
まだまだ世間知らずだった私は。
その言葉が後々、どんな結果を産むかも深く考えずに、魔人を相手にそう懇願したのだ。
悪魔を相手にお願い事をしたら、それ相応以上の代償を払わなければならないことくらい、お伽噺で読むまでもなく知っていたはずなのに。
すっかり忘れて、自分の都合だけを姜さんに押し付けてしまった。
「姜さんは第二第三の覇聖鳳が生まれないように、前もってその芽を摘み取ろうと……」
他の誰でもない私が、遠くない過去にそう願ってしまったから。
巡り巡って、形を変えた自分自身の願いと私は戦わなければならなくなったのか。
「……央那さん、大丈夫ですか?」
暗い顔でブツブツ言い続けていたので、想雲くんに心配される。
父である玄霧さんによく似た真っ直ぐな眼差しが、私の胸の暗い霧を、少しだけかき消してくれた。
玄い霧の向こうに浮かぶ雲を想おうだなんて、親子して素敵な名前じゃないのさと改めて感心。
「ありがとう。なんでもないよ」
もうじき、斗羅畏さんたちとの合流地点に差し掛かるはずだ。
荷物奪取のどさくさで怪我なんてしないように、気を付けて離脱しなくては。
そう思って椿珠さんとアイコンタクトを取ろうとしたけれど。
「なんだありゃ」
短く呟いた彼の視線の先に、人垣と軍旗が見える。
目の良い連中がそれに気付いて、椿珠さん扮するニセ隊長に報告した。
「腿州の連中でっせ。途中まで受け取りに来たようでんな。手間が省けてなによりなこっちゃ」
「揃いも揃って働きもんやのう」
どうして!
この道が!
敵にバレてるんだよぉぉぉぉぉ!?




