三百八話 想うがゆえに
夜更け。
あくまでも表面上は、宴の席で怪しいことなど起きなかった。
誰もが和気藹々と酒を酌み交わし、今までの苦労を分かち合い讃え合って、今後の展望について意見を交わした。
けれど斗羅畏さんたち中心人物が酔いと疲れ、そしていくばくか仕込まれた眠り薬の効果で深く寝入った頃。
「な、なあ、本当にやるのかよ……?」
「あったりめえだ、斗羅畏の身柄さえ押さえちまえば、俺たちの命も助かるんだぞ……!」
小声を発しながら、ごそごそと悪だくみに動く男たちが現れた。
私や巌力さんたちが寝た振りをして、行く末を薄目開けて見守る。
「屋敷の裏に回れ。こっちなら人はほとんどいねえよ」
「ちょうどいい具合に、月も雲に隠れてるな……よし、今だ!」
見張り役の若者たちが促す。
それ以外の面子が斗羅畏さんの体を慎重に、刺激しないように持ち上げて外に運ぶ。
一人が斗羅畏さんの上半身を、もう二人が斗羅畏さんの脚を持ち上げて。
まるで斗羅畏さんが空中で椅子にゆったりと座っているかのような有様だ。
ちょっと、いやかなり間抜けな絵面になってしまっているので、私は笑いをこらえるのに必死。
とりあえずここの邑で踏ん張っていた人の全員が裏切り行為に加担しているわけではなく、せいぜい五人くらいのようだな。
内通者たちが屋敷を出たタイミングで、私は仲間にゴーサインを出す。
「なるべく手荒なことはしないでくださいね。刃向われたときは仕方ないですけど」
「若旦那が危ないと思ったときは、手加減できんぞ」
そう言って凄腕用心棒さんは、黒服に包まれた体を闇夜に溶かした。
確かに斗羅畏さんの安全が最優先ですね。
「巌力、お前は最後に来い。目立つからな」
「最後の一言は、今さら言われずとも物心ついたときから自覚してござる」
どこか楽しそうに言う椿珠さんと巌力さん。
「ほら軽螢も起きた起きた」
「う~ん、もう食えねえよォ……むにゃむにゃ」
「ベタな寝言ほざいてんじゃねえ!」
小声で幸せなやつを叱る。
おかしい、こいつにも「あまり飲み食いしないでね、特にお酒」と注意したはずなのに……。
私は念のために痺れ毒串を携えて、そろりそろりと屋敷の外へ出た。
「は、早く斗羅畏の体を縛れ、馬にくくり付けるんだ」
「丈夫な縄なんてあったか……?」
「余ってる帯でもなんでもいいだろ!」
段取り悪く右往左往している男たち。
そこに凄まじい速さで黒い影が突進し、一人の男を体当たりで吹っ飛ばして地面に倒した。
「ぐわっ! な、なん……?」
「おっと起きるなよ。喉を冷たいもんが徹るぞ」
用心棒さんは一人の男を足で踏んづけながら、その喉元に刀の切っ先を突きつけていた。
恐ろしく速い制圧、私でも見逃しちゃうね。
「うぬ……ん」
驚いた男たちが地面にどさりと斗羅畏さんの体を落とす。
けれど軽く唸っただけで、起きない。
なんかカワイイ。
すっかり油断しきっていたということは、斗羅畏さんは彼らを疑っていなかったということだ。
こんな状況だけれど、彼らを信じたいと、強く思っていたんだね。
「な、なんだ!?」
「ちくしょう、おい、女ァ! なんで手伝わねえんだ! なにやってやがる!」
彼らは今夜、乙さんの助力があるものと期待して、思い切った行動に出たようだ。
けれど残念でした。
「いやあ済まないね。でも上手い話には落とし穴があるってことを、身を持って学べただろ? 感謝して欲しいくらいさ」
「ちっくしょう! 裏切りやがったな!」
「先に戌族の同胞を裏切ったのはあんたらでしょ……どの口が言ってるんだい……」
お喋りクソ姉ちゃんはお喋りクソ女装美男子にすり替わってしまったので、あなたたちの役には立ちません。
「もう観念なされよ。素直に話せば、斗羅畏どのも無情な措置は下されぬでござろう」
最後に巌力さんがのっそりと歩み出て、小刀を握って震える男たちをやんわり制した。
彼らは賢明にも無駄なあがきを放棄し、大人しく膝を崩した。
「ううう、やっぱ、上手く行かなかったか……」
「おしまいだあ、みんな、殺されちまう」
彼らの失敗は覚悟の足りなさから来る、動作の遅さ、躊躇いにほぼ起因していると思う。
そんな気概のなさじゃどのみち、なにか企んでても良い方向には運ばなかったでしょうよ。
私たちが男たちの手を軽く背中側で結んで拘束している、そのとき。
「ううー、しょんべん……あれ、なんでとらい、こんなところでねてるんだー? かぜひくぞー?」
建物の裏手から倭吽陀がちょこちょこと出て来た。
「あいやー、もれるもれる」
驚き、混乱していたけれど、尿意には逆らえず木陰に走る小僧。
私たちは顔を見合わせてぷっと吹き出した。
そして日の出が近付いてきた早朝。
全員が起きて私たちから事情を聴き、驚きと悲しみの色を滲ませて、口々に怒鳴った。
「て、てめえら、これだけよくしてくれてる斗羅畏さまを、敵に売ろうとしやがったのかあ!!」
「恥さらしどもが! 俺たち腰抜けのために、斗羅畏は自分の血を流そうとまでしてくれてるんだぞ! 情けねえ、本当に情けねえよ……!」
激憤のあまり涙ぐんでいる人もいる。
確か彼は阿突羅さんのお葬式で、斗羅畏さんと楽しいステゴロのタイマンを繰り広げていた青年だな。
けれど囲まれて非難を受けている内通者たちも、切ない声で反駁していた。
「じょ、除葛の手下は、斗羅畏を殺さず丁重に扱うって言ってるんだ! 勝ち目のない戦に斗羅畏を巻きこむより、そっちの方がマシだろう!」
「そうだ! 俺だって斗羅畏に死んで欲しくねえ!」
「俺たちが、いいやみんなが生き延びるには、こうするしかなかったんだよ!」
彼ら双方の言い分を黙って聞く斗羅畏さん。
痛みをこらえているかのように眉間に皺を作っている。
辿る道筋は違っても、彼らが斗羅畏さんを想って行動したことに変わりはないのだ。
言い争う人々の間に静かに割って入り、彼は言った。
「もういい。お前たちがいがみ合うより、大事なことが今はある。除葛の軍がここに迫っているのかどうか、やつらは俺たちの情報を知っているのかどうか、だ」
斗羅畏さんに見つめられた内通者の一人は、視線を合さずに下を向いて、か弱く言った。
「お、俺たちが定期的に、やつらの仲間に連絡を入れる段取りになってる。連絡が滞れば、問答無用で邑に兵を向けるって、やつらは言ってた……」
斗羅畏さんはそれを聞いて、少し楽しそうに片頬を吊り上げた。
「規模はわからんにしても、連中がここに来るのは時間の問題というわけか」
その顔から勇者の闘志を感じ取ったのか。
まとめ役の赤顔おじさんが、慌てふためいて斗羅畏さんに取りすがる。
「い、いけねえ。こんな少人数でやつらとやり合おうなんざ無謀の極みだ。俺たちがなんとしても目くらましをして時間を稼ぐから、あんたさまは機を窺い直して……」
「俺は戦に来たんだ。いい加減、コソコソ動き回るのも飽きた」
そう言った斗羅畏さんは居並ぶ全員と私たちを順にぐるりと眺めて、続けた。
「敵は多く、強く、こちらは少なく、兵装も軽い。まともにぶつかれば虫のように叩き潰されるだろう。しかし幸いにもこちらには、狂った毒虫のような戦い方を得意とするやつがいてな」
へー、誰だよソイツ、おもしれーじゃん?
なんて思っていたら、斗羅畏さんが私から視線を外さずに一方的な要求を寄越した。
「策を出せ。敵をここで撃滅させるのは無理なのはわかっている。だが出会い頭に一泡吹かせ、目を回してやるくらいのことはできるだろう。自分の足が踏もうとしている虫に猛毒の針があることを、やつらに思い知らせてやるぞ」
「偉そうに言ってるけどこっちに丸投げかよ!」
思わず突っ込む私。
まったく、誰がオモシロ毒虫じゃい、失礼しちゃうわねホント。
「ってえことは、この邑を守って敵を迎え撃つことになるンか」
「メェ……ッ!」
ぷんぷんと憤慨している私の横で、ぽつりと軽螢が呟く。
その言葉に、私の脳みそが氷水をぶっかけられたかのように、瞬時に覚醒する。
これはまさに私の記憶と怒りが、知恵の力に変換される感覚である。
実は私、下品な大軍から小さな陣地を守るのは、得意分野ですので!
何度も予習復習済みですので!
「若殿さまから策を出せと言われちゃあ、不肖、この央那、期待に応えるしかありませんなあ」
クククと笑い、私は邑の全景を一望する。
昨日のうちに土地条件はある程度、把握してはいたけれど、点在する空き家の細かい調査はしていなかった。
第一に、私が提案したのは。
やっぱり、これだ。
「みなさん、邑の中を隅々まで引っ掻き回して、可燃物を一か所に集めてください。よく燃えそうな大きな建物があれば、その近くに運んでください」
「やはり、麗どのは火を好まれますな」
含み笑いをたたえて、巌力さんが家々を調べに走る。
私は軽螢を連れて、邑を挟む形で盛り上がる二つの丘、その北側に立ち、地形を俯瞰する。
邑の入り口を見ながら、軽螢へ確認の質問をする。
「敵の一部隊が千人前後の単位だとしても、千人全員が一度にこの邑に押し寄せるのは無理だよね?」
「そりゃそうだ。邑の入り口に繋がる道幅はそんなに広くねえよ」
ボトルネック、というやつだ。
当たり前の話だけれど、道を進む軍隊というのは縦に長い行列を作る。
邑の中は広さがあるから軍を展開できるけれど、邑に入るまでの途上や入り口付近では、大軍の優位を発揮できないのだ。
織田信長と桶狭間の故事が示すようにね。
他にもハンニバル、韓信、アレクサンドロス、レオニダス王、ナポレオン、東郷平八郎、もろもろ。
地獄の底から彼らの叡智と栄光をほじくり返し、私は有効な一手を探る。
そして軽螢に聞いた。
「流れる川を堰き止めて、敵が来たとき一気にドカーンって決壊させたら、道を進む敵軍を分断させられないかな?」
ティンと来たので、水計に決めた!
「ええ? 確かに水の流れはあるけどよォ。時間も人手もかかるぜ、そんな工事」
「斗羅畏さんのお仲間の手を借りて、なんとか超っパヤでお願い。水量の威力だけじゃなくて、土砂崩れが起きるような形でさ。道が塞がればなんでもいいんだよ。火薬もありったけ使っていいから」
先日、所属不明のならずものたちは、土砂崩れで私たちの隊列を分断した。
そのせいで乙さんが死んでしまったのだ。
次はそっくりそのまんま、これから来る連中に、学習の成果と八つ当たりをプレゼントしてやる。
工事のために大量の人が、邑の中から外の丘に繰り出される。
それ自体にも、邑に人の数が少ないと敵に錯覚させる意味があるのだ。
一通りの作戦指示を行き渡らせてから、私は内通者の男性たちに聞いた。
「あなたたちは、除葛軍師には直接会ってないですよね? あなたたちに内通を持ちかけた部隊の責任者は、誰かわかりますか?」
「え、ええと、確か南部の軍人だ。日焼けた顔の、体がデカい……名前はなんて言ったかな」
「まさか、柴蛉斬じゃねえだろうな」
女装したまま、けれど演技をやめて素の喋り方に戻った椿珠さんが、顔を歪めた。
私もそうじゃないかと思っていたけれど、彼らの口から出た答えは違った。
「そんな有名人じゃねえよ。ああ、思い出した。確か、蹄湖三鬼将の『力の岳楼』とか名乗る、長柄の斧使いだ」
「蛉斬の地元のお仲間かあ」
どんなやつかは知らんけど。
私の怒り、その最初の矛先はお前に決まったぞ、岳楼さんとやら。
準備して待ち構える私が、どれだけ厄介なのか。
もしもお前が姜さんにそれを教わっていなかったら。
泡を吹くだけじゃ、済まないだろうね。




