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三百七話 女装と酒席

 移動休憩で腰を落ち着けた、林の中の廃屋。

 おそらくは林業の作業小屋なのだろう。

 長い期間にわたって放置されている様子で、周囲に人気もない。


「あの間者の姉さん、死んじまったのか……」


 そこで交わした情報に、椿珠ちんじゅさんが哀悼を込め、目を閉じた。

 彼も私と同じく、乙さんにかつての重雪峡じゅうせつきょうで命を助けられた身だ。

 思うところは大いにあるだろうと、私もしょんぼりしていたら。


「ひょっとすると除葛のやつはまだ、間者の姉さんが死んだことを知らないんじゃないか?」


 予想の斜め上なことを言いだした。

 

「そうかも。乙さんが死ぬ原因になった悪いやつらは全員、殺しちゃったんで……」


 人死には少ない方が良いと思っていたけれど、あのときばかりはどうしようもなかった。

 斗羅畏さんも大事な仲間を殺されたのであり、応報を果たさずにあの場をやり過ごすのは、無理だっただろう。

 いや、大半は私が脅してけしかけた大蛇の怪魔に、飲まれたり潰されたりして死んだのだけれどね。


「なら俺があの姉さんに化けるか。事情を詳しく知らない除葛じょかつの手のもんが、化けた俺から情報を得るために接触してくるかもしれん」


 椿珠さんは手持ちの変装グッズをあれこれ工夫して、あっと言う間に目元の涼しい二十代中盤美女にメタモルフォーゼした。

 胸元も衣類の余りを詰めて膨らませているという、念の入れようである。


「こんなもんでどうだい、央那ちゃん?」


 乙さんは女性にしては声が低く太い方だったので、椿珠さんが真似をしてもまったく違和感がない。


「似過ぎててキモい……」

「口が悪いのはこっちのお株だよ。横取りしないでおくれ」


 まるで本当に乙さんが生き返って、ここに来てくれたようだ。

 一瞬だけ嬉しくもあり、それ以上に悲しいやら切ないやら、複雑。

 ここにあなたがいないという事実よりも、いないと思ってしまうことこそが寂しいのだ。

 そっくりさんが目の前にいるせいで、余計に強く思い知らされるね。


「久しぶりに見たけど、やっぱり椿珠兄ちゃんの変わり身はとんでもねえなァ」

「昔から三弟さんていは、このようなたちの悪い遊びばかり習熟しておられましたからな」


 軽螢けいけいが呆れつつ感心し、巌力がんりきさんが単純に呆れていた。

 元から線が細いし女顔なので、女装するために生まれて来たような兄さんだよ、ほんと。

 椿之丞つばきのじょう変化へんげを引き攣った顔で鑑賞していた斗羅畏さんが、次の作戦を示す。


「忍びの女……まあ、変装なわけだが、それに接触を図ってくる連中がいれば、十中八九、除葛じょかつともこまめに連絡を取り合っているだろう。邑や町を移動しながら、そういう連中を釣り上げるか」

「ですね。私たちを足止めしておきたがっている勢力を炙り出すための、確度が上がった感じです。無駄な手間も減りそう」


 今までだと、斗羅畏さんや私に好意的な相手が現れても、それが純粋な善意なのか、姜さんの策略なのか、判別するのが難しかった。

 だから力技で、手当たり次第に制圧捕縛するしかなかったのだ。

 けれど乙さんの偽者を用意して連れ回せば、おかしな動きを見せて接近した相手はほぼ確実に、姜さんの手先だろう。

 死人まで生き返らせて使うことに、罪悪感がないのかと問われれば、めっちゃある。

 けれど、私にここまでのことをさせている姜さんがすべて悪いのだと、激怒矛先パワーを更に高めることができるぞ。

 行動指針がまとまり、老将さんが地図を広げて教えてくれる。


「幸いにも、この山を下りれば赤目部せきもくぶの邑があるはずじゃ。住民がどういう態度かは、行けばすぐわかるじゃろう」


 山の中は不心得なのか、意見を今まで出さなかった黒ずくめの用心棒さんがぽつりと漏らした。


「まだその邑が、無事にあればの話だがな」


 悪い予感がこれ以上、当たって欲しくないと、誰もが祈った。


「え……? と、斗羅畏……さまか? いやあ、こんなところまではるばる、よく……」


 訪れた最初の邑。

 すでに大半の住民が別のところへ避難し終えたらしく、ここには十数人の見張り兵士しかいなかった。

 まとめ役を務めているらしき赤ら顔のおじさんが、混乱しながら私たちを迎えた。

 横の若い兵が、疲れた顔で言い捨てる。


「生憎だがよ、ここには人手も食料も、なんにも出せるものなんかありゃしねえぜ。昂の国から来たバカ連中に渡さねえよう、みんなには持てる限り持って逃げてもらったからな」

「いや、それで結構だ。この邑はまだ襲われてはいないのだな?」


 斗羅畏さんの問いに、力無く赤おじさんは頷き、両手で頭を抱えながら言った。


「ここよりずっと南にある別の住居が、やつらに襲われて。俺たちは逃げながら、他の邑に避難するように伝えて回ってたのよ……でもなあ」


 若者がその言葉を、ぶっきらぼうに続ける。


「いい加減、矢も食いものもなくなっちまった。いよいよ馬を食っちまうかどうか、話し合ってたところだ。お前さんたちも一緒にどうだい?」


 投げやりな笑みが浮かんでいた。

 食べるだけ食べたら、そのあとは散り散りになって勝手に逃げよう、とするつもりだったらしい。

 まさに矢尽き刀折れ、満身創痍の若者たちが、ぞろぞろ集まって来た。

 彼らを一瞥して斗羅畏さんは告げる。

 

「心配するな、食いものなら多少は備えがある。少しここで休んで、お前たちはもっと北へ逃げろ。俺たちは除葛の軍を追う」

「へへっ、さすが斗羅畏だな……あんたを殴った手の、痛かったことったら……」


 イタズラっぽく笑う赤目部の若者を見て、斗羅畏さんも笑った。


「お前、親爺の葬式の場で俺に挑みかかってきたやつか」

「いやいや、あのときは悪かった。でも、楽しかったよな」


 ボロボロの男たちに共感を得た斗羅畏さんは、すぐさま仲間に命じて食事の支度をさせた。


「ああ、まともなメシなんざ、何日ぶりだ……?」

「斗羅畏こそ、これからの戌族じゅつぞくを背負って立つ器だぜ!」

「俺ァ前々から、突骨無とごんなんかよりもあんたの方が、男として上だと思ってたのよ」


 温かいご飯にありつけると知って、人々から安堵や喝采の声が巻き起こる。

 輪の中心で持ち上げられながらも、斗羅畏さんは浮かれることなく、粛々と必要な処理に従事していた。

 彼は、あのスタイルでいい。

 信頼されるのが斗羅畏さんの重要な仕事の一つだからね。

 裏でコソコソと小細工を弄するのは、私たちの役目なのだ。

 

「ずいぶんと若い女もいるんだな。斗羅畏の嫁さんか?」


 女体化椿珠さんと私に、話しかけてくる男性がいる。


「さあ、それはどうだろ。斗羅畏がそこまでイイ男なら、遊んでやるくらいは考えてもいいけど」


 澄まし顔でそれをあしらう椿珠さん。

 慣れててキモい……。


「お高いねえ、お姉さん。けどよ、あんまり選り好みしてちゃあ、一番いい時期に楽しめないまま終わっちまうぜ?」

「薔薇の蕾を慌てて摘むような野暮ちんは、はなからお呼びじゃないよ。物事には熟する機ってもんがあるじゃないのさ」


 本物の女である私が横にいるのに、ニセモノの女の方がモテていることに気付き、そのうち私は考えるのをやめた。

 そうこうしていると、ささやかだけれど酒宴の用意が終わったようだ。

 放棄された土壁の家に私たちは入る。

 おそらく邑長さんなり、偉い人の使っていたお屋敷らしい。

 この邑を守って見張っていた赤目部の男性十数人と、チーム麗央那を含めた斗羅畏さんの近臣が同じく十数人、余裕を持って入れる広さだ。

 鍋や食器類が大量に置いて行かれていたので、それを利用させてもらった。

 久々であろうお酒を大事にゆっくり味わって飲み、赤ら顔のおじさんが微かな涙を滲ませ、言った。


「余所から来た斗羅畏さまに情けをかけられてるのが、ありがたいのに悔しいわ。俺たちなんざ怯えて逃げて散るだけで、除葛の軍に一泡吹かせることもできやしねえ」


 他の兵も同調し、忌々しげに話す。


「あいつら、夜も朝も関係なしに襲ってきやがる。女や子どもがいてもお構いなしに、だ。なにからなにまで片っ端から壊して燃やしちまって、降参しようにも聞きやしねえ」


 彼らの話をじっくりと、目をしっかりと合わせて聞きながら、斗羅畏さんが尋ねた。


「やつらの部隊は今、どのあたりにいるかわかるか? それと人数や兵装の規模も」


 渋い顔で小さく首を振り、男性たちは口々に答える。


「すまねえな、俺たちがぶち当たったのはおそらく先行部隊ってやつなんだろう。除葛の姿は見えなかった。ただの露払いなのに五百人以上の兵数がいやがったぜ」

「西の山を越えたところに、大きめの集落があるんだがよ。俺はそこから逃げて来たんだ。けど今はもう、そこにはいねえだろうな……」

「同じ日に別々の場所で、いくつもの邑が同時に襲われたって話もある。先鋒だけでもいくつもの部隊がいるんだろう」

「あいつら、槍兵に鎧を着せて前面に立たせるんだ。俺たちの小弓じゃ、矢がまともに通らねえのよ」


 騎馬兵を相手にするときは、槍ぶすまが高い効果を得られると聞いたことがある。

 馬はどうしたって、ただ突き出してるだけの槍でも怯えてしまうからね。

 古代ギリシャのファランクス戦法のようにじりじりと圧迫されてしまっては、撤退するしか手段はないのだろう。


「お前はどう思う」

「ふんがっふっふ?」


 いきなり斗羅畏さんから質問が来たので、食べている炒り豆が喉に詰まりそうになりました。

 あくまで憶測だけれど、と言う前提で一応は私見を述べておく。


「千人単位の部隊を交代で休ませたり戦わせたりしてるんじゃないですかね。蛉斬れいざんと三鬼将に千人ずつ、後は尾州びしゅう時代からのお仲間にも兵を分けて、とかの編成で」


 昂国の中で集めた情報が正しいとすれば、反乱蜂起に呼応した姜さんの手勢は1万人以上、2万人以下だろう。

 そのうち約3千人は、角州かくしゅうの沖で陽動に使われてシャチ姐たちに捕縛された。

 いくら多くても、残る相手の総数は1万5千くらいじゃないかなあと、私は思う。


「除葛の本隊が、どの程度の軍勢なのかはわからんか」


 お酒が入っていながらも、まったく力を失っていない斗羅畏さんの眼光。

 あわよくば姜さん率いる本陣を急襲して、一気にことの解決を図りたいと思っているのだろう。

 斗羅畏さんたちの機動力があれば、あながち不可能ではないからね。

 オススメしませんよ、と不安な顔をあからさまに作り、私は答える。


「姜さんなら、自分を守るために沢山の兵を固めるようなことは、しないと思います。だから本隊も千人とか、多くて二千人じゃないかな。それよりも他の部隊を展開して、攻撃の戦線を広げる方を優先させると思いますので」


 補給線、連絡網を維持しつつ、布に水が浸透するように戦局を広げていくのが姜さんの好みである。

 東南海の海賊討伐でも、今回の蜂起でも、おそらくその基本は同じじゃないかな。


「なら、やつの居場所を暴いてこれから向かう先を探れば、こちらが少数であっても奇襲が成功する可能性は高いということか」


 斗羅畏さんは、どうやら桶狭間メソッドを採用したいらしい。

 少数の織田信長が、大軍の今川義元を討ち取ったように。

 けれどそう上手くは行かない可能性を、私は指摘しておかなければいけない。


「姜さんは自分が狙われることも織り込んで、そうなったときに他の隊をすぐに呼び寄せられるようにしてるはずですけどね。なんなら奇襲返しの伏兵を、常に自分の近くに忍ばせてるかも。楽観論は危険ですよ」


 決戦が近いからと意気込む斗羅畏さんの気持ちはわかる。

 だからこそここで早まってはすべてを失うことになりかねない。

 慎重さを忘れずに、とお小言を垂れる私に苛立ちをぶつけるでもなく。

 斗羅畏さんはお酒を呷って、本当に悔しそうに漏らした。


「あと十年、いや五年でも、俺が早く生まれていれば……やつとの経験の差を埋める時間を、天が俺に与えてくれたならば……」


 そう、私たちは、あまりにも早すぎたのだ。

 あんな魔人を相手にしなければいけない、その局面に放り込まれる時期が。


「少し酔っちゃったよ。外に出て風を浴びてもいいかい?」


 飲みの途中で、乙さんに化けた椿珠さんがそう言った。

 斗羅畏さんが無言で頷く。

 見張りの振りをした私と巌力さん、そして黒服用心棒さんが、椿珠さんを連れて屋敷から出る。

 まだ満ちていない月夜の下、椿珠さんが小声で言った。


「あの男たちの中に、敵の内通者がいる。全員がそうなのか、一人なのかは知らねえがな」

「どうしてわかったんです?」


 私の問いに、椿珠さんは手に握られた紙切れを見せた。

 

「斗羅畏たちの酒に眠り薬を盛る。お前は飲むな」


 そう書かれていた。

 巌力さんが険しい顔で案ずる。


「ただちに斗羅畏どのに知らせなければ」

「待ってください」


 私は彼の服の裾を掴んだ。

 心の中で、ごめんね斗羅畏さん、と謝って、続けて言った。


「斗羅畏さんには、騙されて眠ってもらいましょうか。巌力さん、用心棒さん、いざとなったらお願いします」

「ったく、追加の報酬は十分もらえるんだろうな……」

  

 やれやれと言う感じで黒服さんが愚痴る。

 敵を欺くには、まず味方から。

 斗羅畏さんたちをまんまと騙して眠らせたと思い込んだ敵を、私たちが逆に制圧してやりましょう。

 この先、なりふり構っていては。

 魔人との距離は、縮められない。

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