三百六話 戦争、経済、政治
倭吽陀に真実を説明するのは、色々と面倒臭い。
だから私たちの仮の素性は、斗羅畏さんに保護された流しの商人、ということになった。
「へー、しょうにんなー。たまにくるからしってるぞ。おもしろくもねーもんを、もったいぶってうりつけるれんちゅうだって、かあちゃんがゆってた」
当たり前のように同行した倭吽陀は、まったく物怖じする様子もなく、初対面の私たちにも話しかけて来る。
生まれながらにして、陽キャの王になる運命が決まっている子なのだろう。
「母ちゃん、きっと家で心配してるぞ。早く帰れよ」
軽螢が珍しく、実にまっとうなことを言って聞かせた。
倭吽陀は悪びれることもなく言い返す。
「ほんとうはなー、かあちゃんが、きたがってたんだ。てがしびれて、かたながもてないから、おれがかわりにきたんだ。とらいはまだまだ、おやぶんに、はんにんまえだからなー。みんな、しんぱいしてるんだ」
「倭吽陀、お前少し黙ってろ。これから大人同士で難しい話がある」
「ちぇ。むずかしいはなしは、つまんないなー」
ぴしゃりと斗羅畏さんに言われ、倭吽陀は景色を眺めながら口笛を吹いた。
「でっけー、おっさんだな。うまがつぶれないのか?」
巌力さんの巨体が気になるらしく、器用に馬を前後左右に振り回し操って、頭から足先まで詳しく観察している。
母親の邸瑠魅と同じく、騎乗の際に鐙を踏まない流儀らしいな。
ま、ちびっ子の動向はさておいて、大人同士の深刻な作戦会議だ。
人員と会話の関係から、今は私が斗羅畏さんの後ろに乗せてもらっている。
私の手からお茶を受け取って飲み、喉の滑りを良くしてから、斗羅畏さんが言った。
「この先、左に行けば黄指部の領域に近付き、右へ行けば白髪部の領を抜けて、赤目部の小さな邑があるはずだ」
説明を受け、私は考える。
どちらのルート、エリアが姜さんたち反乱軍に狙われて、より激しく攻撃を受けているのか、まだわからない。
悲しいことに、最初に出した斥候さんはすでに敵にやられてしまい、情報を持ち帰ることができなかったから。
「人のいる邑が近い方に行きませんか? 話を聞きたいし、もしかしたらそこに、姜さんに抱きこまれた勢力がいるかも」
私の意見に、斗羅畏さんが重苦しい声色で返した。
「そのためには川を渡って黄指部の地に入らねばならん。この人数で何度も渡河をするのもな」
「あ、向こうにある川の先が、もう黄色部なんですね」
木々の合間、少しい遠いところに、さっきから大河が見えるようになっていた。
「そうだ。しかし橋のあるところまで行こうとすると、今度は赤目部の邑に行った方が近いと言った位置関係になる。ここはちょうど、三部族の領が入り組んでいる地点だからな」
さすがに数百人ものお仲間を引き連れて大河を渡ろうとすると、ちょっとした大仕事だ。
春なので山の雪も解け始めており、河川の水量も多い。
馬で渡れない以上は船だけれど、この人数を捌けるわけもないからね。
横を走る老将さんが、意見を出した。
「殿。少数の忍びだけに川を渡らせ、黄指部の内情を探らせる。赤目部の地に進んだワシらとは、のちに合流。というのはどうじゃろうな」
「悪くない。が、まずは船着き場を見てから決めるか。使いものになる船が、一艘でもないことには話にならん。敵に潰されているかもしれんからな」
「確かに」
頷き合った斗羅畏さんと老将さん。
一番近くにあるはずの船着場を確認する旨を、仲間たちに伝えた。
先遣の若い兵士がシュババと動き、川べりを調べてすぐさま戻って来た。
「大将、舟は使えそうなのがいくつかありました。だけどよぉ……」
「なにか問題でもあるのか」
「得体の知れねえ連中が十人ばかり、川を渡り終えたばかりみたいでね。なにやら岸にたむろしてやがります。女や年寄りがいねえから、邑の避難民じゃねえと思うんだが」
「気付かれんように近寄るぞ。一気に制圧する」
怪しいやつは、一にも二にもなく取り押さえろの方針、さっそく実行である。
私たちは非戦闘員で、巌力さんは大きすぎて目立つからと言う理由で、後ろに控えていろと言われた。
斗羅畏さんとのタンデムシートも、短い時間で終わってしまい、寂しい。
蒼心部自慢の精鋭たちが、木々の間に身を隠し、気付かれないよう慎重に川辺に近付く。
敵の集団を中間距離から半包囲して、弓矢で脅す作戦だろう。
包囲できない面は川なので、相手はすぐに逃げ出すこともできない。
小舟で逃げようとしても、乗り込むときに射かけられちゃうからね。
けれど、斗羅畏さんの指示で左右に展開された仲間の一人が、驚いて叫ぶ。
「か、かしら! 連中の姿が岸に見えねえ! 勘付かれた!!」
「なんだと!? しまった、迎え撃たれるぞ!!」
相手集団はただのボンクラではなかった。
こっちの動きを察して、奇襲をやり返してきたのだ!
木々の陰から黒い影が躍り出て、馬上の斗羅畏さんを一直線に襲う!
「うおおおおおッ!!」
ガギィン、と金属音が鳴る。
とっさに刀を抜いて相手の一撃を防いだ斗羅畏さん。
しかし体勢を崩して、地面に落馬してしまった。
「うらあああああああっ! なにしやがるてめえらーーーーーーーっ!」
誰よりも早くそれに反応して、倭吽陀が馬ごと突っ込み割り込んだ。
体は小さくても、いっぱしの戦士なのだ。
別の仲間たちも、弓を刀剣に持ち替えて相手集団の襲撃に対応している。
「クソッ! なんなんだてめーら!」
「こっちの台詞だ!」
剣戟の応酬と怒号が飛び交う中。
私と軽螢を護るように屹立し、事態を注視していた巌力さんが、なにかに気付いたように叫んだ。
「待て! 待たれよ! 双方剣を収めなされ! 敵ではござらんぞ!!」
太く良く通るその声に瞬時に反応し、相手集団の中から返事があった。
「ま、まさか巌力か!? おーい全員、戦闘をやめろーッ! 俺だ、商人の環だ! 味方だーーっ!!」
椿珠さんの声だ!
どうやら彼らは、なにかの事情があって椿珠さんと一緒に行動していた集まりらしい。
よく見ると、斗羅畏さんを真っ先に襲った黒い影も、シャチ姐の用心棒を務めている黒ずくめの剣士さんだった。
確か椿珠さんの商売を護衛する形で、一緒に行動してたんだったね。
距離を取ったのちに刀を鞘に納め、用心棒さんがこぼす。
「なんだ、山林の若旦那と女官の嬢ちゃんか。だったら先に言え。うっかり斬り殺すところだったぞ」
「いやはは申し訳ない、会話より先に制圧するという作戦の最中だったもので」
せっかく仲間に会えたというのに、わずかなすれ違いで死人が出るところだった。
集団で行動することの難しさを感じるね。
双方、とりあえず武器を納めて話し合いの体勢に一瞬で移った。
「三弟、無事でなによりでござる。しかしなぜここに?」
巌力さんが椿珠さんと、一緒に行動している約十人の男性たちを見渡して質問した。
額の冷や汗を拭った椿珠さんは、私の顔を見て説明する。
「商売の方を早めに片付けてから、皇都の翠蝶さまにまず相談したんだ。北で物騒なことが起こり、どうやらお前さんらがそこに飛び込むようだってことを中心に、まあいろいろとな」
「翠さま、なんて言ってました?」
私が食い気味に訊くのを、掌で抑えるジェスチャーをして椿珠さんは言う。
「お前さんが大変な目に遭ってるかもしれないと、翠蝶さまはもちろん案じておられたさ。だから俺に、皇都の衛兵の中でも腕に覚えのある連中を選んで連れて、北方でお前さんたちを守って欲しいとおっしゃられたのよ。今連れてる仲間たちが、それだ」
だから全員に隙がなく、やたら優秀だったのか。
その話の中に疑問点を感じたらしく、苦い顔で斗羅畏さんが尋ねた。
「司午のお妃と言えば、王子の母君だろう。その肝煎りにしては、ずいぶんと人数が少ないようだが」
私も感じた当然の疑問。
椿珠さんは、綺麗な顔を苦々しく歪めて答える。
「それなんだがな、今、皇都朝廷の意見は真っ二つに割れているんだ。一刻も早く除葛の起こした騒乱を鎮めて、北方の白髪部が面している危難を取り除いてやろう、という意見。逆に、除葛と白髪部をしばらく争わせて、両者が弱り切ったときに鎮圧軍を出し、昂国の負担を最小限に抑える意見とにな」
「やっぱりそうなるのかあ……」
私は、悪い方の予感が当たってしまった哀しさに、溜息を吐いて頭を抱える。
今回の事案をものすごく単純化して捉えるなら。
魔人と呼ばれる大軍師が兵を起こし、北方の戌族を攻撃しに行った、という事実だけが残る。
となると、昂国の官僚や将軍はどう考えるだろう。
「昂国の中が荒らされているわけではないのだから、わざわざ魔人を相手に戦いたくない。得るものが少なすぎるし、被害がどれだけ膨らむか予測がつかない」
そう考えてしまう人たちが一定数いるのは、なんの不思議もないことだ。
政治や経済と言うのはつまるところ算数なので、損になる、マイナスが増えることは、最初からやらないのが鉄則なんだよね。
さすがの翠さまでも、公式に大規模な兵団を私の助けとして送れないのだ。
政治的事情というのは、実に難しい。
椿珠さんが付け加えたのは、明るい材料と暗い材料の両方だった。
「もちろん、皇帝陛下は慈悲深く道理を弁えたお方だ。今回の騒乱をただちに解決するため、文武百官に適切な指示を出している。しかし現場の兵を動かす将軍たちの中には、事態をしばらく静観して、騒乱の行方がどうなるかを判断してから動きたがってるやつらも多いようだ。それに……」
言いにくいことを言わねばならない、という苦しげな顔を椿珠さんは浮かべる。
なにを言っても驚かない、構わない、というような慎重真剣な面持ちで斗羅畏さんが頷き、続きを促した。
椿珠さんは、申し訳ない、と言いたげな切ない口調で、言った。
「戦が長引けば、それだけ商人は潤う。昂国の大きな商家連中は、将軍たちを抱きこんで鎮圧軍の進みを遅らせる工作にかかりっきりだ。もちろん、俺の実家もな……」
本当に、悔しそうに言う椿珠さん。
特に環家は一時の隆盛を失い、これからなんとか持ち直そうと頑張っている最中だ。
戦争需要だろうがなんだろうが、商機があればそこに乗っかりたいよね。
「しょうにんってのは、やっぱり、くだらないれんちゅうなんだなー」
わかっているのかわかっていないのか、倭吽陀が適当なコメントを発している。
でも、いいよいいよ。
椿珠さんがが悪くないのはわかってる。
妾腹のみそっかすだからね、本家の商売にあなたが負ってる責任なんて、微塵もありゃしないでしょ。
それはそれ、別の問題として、だ。
「あー、怒りゲージがまた溜まって来た。姜さんにぶつける八つ当たりが、どんどん大きくなってきたぞ。これは凄いエネルギーになる……!」
歯を食いしばりながら、飛んじゃった目線で呻く私。
みんなが気持ち悪がって見ていた。
私がキモがられているのも、みんな姜さんのせい!




