三百二話 花に嵐
真っ先に駆け出したのは、私を同じ馬の背に乗せてくれた茶髪の女性兵士だった。
少し前に彼女が、こう話してくれた。
「斗羅畏さまはまだ奥さまがいないでしょう? この戦が終わったら私、自分から言い寄ってみようと思ってるの。正妻でなくても良いから、側に置いてもらって、身の回りのお世話をして……子どもが生まれても、斗羅畏さまの重荷にはならないように……きっとあの方は、相手の生まれや育ちとかを気にしないでくれると思うから……」
あらあらまあまあ、と私と彼女は寝床のトークを楽しみ、その未来を想像してクスクス笑った夜があったのだ。
愉快なだけではなく、若干のもやもやしたものを感じたりもしながら。
「斗羅畏さま、伏せて!!」
彼女は叫び、長い修練の痕跡が見える素早い動きでつがえた第一矢を射た。
「ガッ!?」
狙いはあやまたずに、斗羅畏さんの一番近くにいた男の眉間を正面から、矢じりが貫いた。
おそらくは意図的に仕掛けられた、土砂崩れによる道の遮断。
蛇の怪魔を仕留めるために先を歩いていた斗羅畏さんと私たちは、後続の本隊と完全に分断された形になる。
罠の真ん中、敵の口の中に放り込まれた私たち。
目の前には、おそらく斗羅畏さんを殺すためだけにどこぞの誰かからけしかけられた郎党が、五十人前後。
「この腐った外道どもがぁーーーーッ!!」
退くことを知らない、悲劇的なまでに勇敢な斗羅畏さん。
驚いた馬から振るい落とされつつも自ら刀を抜き吼え、衆寡敵せずの態で屹立する。
その闘志が結果的に、仲間の死を早めるとも気付かずに。
「死ねや斗羅畏ーーーーーッ!」
斜め後ろから斗羅畏さんを襲った男の、槍の一撃。
「危ないっ……!」
微塵の迷いもなく、茶髪の女性兵士さんがその間に割って入った。
「あ、ああ……」
ぞぶり、と肉を裂く鈍い音とともに、槍の穂先が彼女のみぞおちに埋まって行く。
「このアマぁ! 邪魔しやがっ……ギィ!!」
彼女を殺した男は、槍を握ったまま短い断末魔を上げて、斗羅畏さんの刀に首を貫かれた。
返り血を浴びたからなのか、興奮で古傷の血管が破裂したのか。
斗羅畏さんは覇聖鳳から傷を受けた左目を紅に充血させ、私の十八番を奪うかのように、喉も破けよとばかりの轟声を放った。
「一人残らず鏖にしてくれくれる!! 楽に死ねると思うなァーーーーーーッ!!」
斗羅畏さんの怒りと心の痛みが、どうしようもなく私の胸にも共鳴する。
傷付いた同胞を助けよう。
ただ、それだけを彼は純粋に思って行動したのだ。
けれどそれを信じた自分の愚かさに対する自己嫌悪と、それを踏みにじった相手への憎しみ。
本当に自分勝手で個人的な感情の奔流が周囲を包み、場にいる仲間の全員を同調させ、誰もが斗羅畏さんの怒りを瞬時に共有した。
「嬢ちゃん、おっきいお兄さんの陰に隠れてな!」
次に飛び出したのは、乙さんを同乗させていた短髪のお姉さんだ。
険しい顔で走った彼女。
前しか見ない傾向の強い斗羅畏さんと背中合わせに立ち、斗羅畏さんの持つ刀にそっくりな獲物を抜き放つ。
「へへっ、ここで私も名を上げれるってもんだね! 命が要らないやつからかかってきな!」
彼女は、武芸の腕ただ一つで斗羅畏さんの近衛に入り、ゆくゆくは翔霏や蛉斬のように、極限の強さそれだけで天下に名を響かせたいと望んでいた。
「なにかコツとか秘訣みたいなのはあるのかな? あなたも強い人といっぱい知り合いなんだから、もったいぶらずに教えてちょうだいよ」
ここに来るまでの移動中、そう訊いてきた彼女。
私はなんと答えただろう。
確か、こんなことを無責任に言った気がする。
「翔霏はただ立ったり座ってるだけのときも、どこに力を入れてどこの力を抜くべきか、それを考えてるって言ってました。行住坐臥、ずっとそんな調子なんだって。体全身をいつなんどきでも、自分の意図した通りに動かすのが大事みたいですね」
「す、座って寝てるときまでか。いやはや、それは途方もつかない話ね……」
私の答えを聞いて呆れながらも、彼女の目にはキラリと光が宿っていた。
日常をそのように研ぎ澄まして過ごすことが強さへの近道だと、理解して決意した表情だった。
実際に今、目の前で繰り広げられている短髪さんの戦いぶりは、まさに獅子奮迅と呼ぶにふさわしいものだ。
「遅い! 遅いねえ! あんたらみんな止まって見えるよ! 稽古が足りないんでないのかい!?」
一人、二人、三人、四人、五人。
押し寄せる男たちの攻撃、その合間を縫ってしなやかな体と黒光りする刀身が、滑るように走り抜けていく。
「俺の分も残せよ!」
「そいつは、大将の命令でも聞けないねえ!」
斗羅畏さんへ笑って言い返す声はどこまでも明るい。
この戦いの場にある悲劇のすべても洗い流すほどの爽やかさがあった。
「あの女を仕留めろ! 弓を使え!」
「同士討ちになっちまうぜ!?」
予想だにしない達人の登場に、敵たちは距離を取って怖気づく。
けれど遠巻きに見ている男たちの中に、おかしな、けれど見慣れた動きをしているものがいる。
「逃げて! 火薬玉が来る!!」
私が叫んだのと同じタイミングで。
「ごめんよ大将!」
「ぬぁっ!?」
短髪女性兵士は、思いっきり斗羅畏さんへ飛び膝蹴りをかました。
吹っ飛ばされた斗羅畏さんを見て、彼女は爽やかに笑い。
バァーーーーーーーン!!
足もとに落ちた手投げ爆弾から散乱する破片を喰らい、後方へと飛んで倒れた。
「は、はは、十人以上は、斃したかったんだけどな……」
片足を失い、下半身下腹部をズタズタに裂かれた彼女は、笑いながら瞳を閉じ、言葉を絶えた。
自身が仕留めた多くの男たちの骸を前にして。
私はその光景を、巌力さんに抱えられた肩の上で見ていた。
ただ、見ているだけの役立たずだったのだ。
巌力さんは私を安全な場所へと離すため、土砂崩れが起きた道の瓦礫を乗り越え、後続の隊と合流しようとしてくれていたのだ。
彼の衣服を引っ張るように掴み、私は叫ぶ。
「ダメ! 巌力さんも戦って! 斗羅畏さんを死なせないで!!」
「お断り申す! 奴才の役は、麗どのを生かして角州に帰すことにござる! それができねば三弟にも、玉楊さまにも、生きて再び見えること叶わぬ!!」
断固として譲らない巌力さんの横で、軽螢の絶望した声が返される。
「そう簡単に、逃がしてくれねえみたいだけどなァ……」
「メェ~~~~~……!!」
なんのことかと行く先を見ると。
「キシャァァァァーーーーーーーーーーーーッ!!」
崩れて積まれた岩と石の山に乗っかるように、大蛇の怪魔が丘から滑り下りてきたのだ。
「シュルルルルルルルルルゥ……」
しかも、二匹!!
男たちが言っていた言葉、この部分に関してだけは嘘ではなかった!
油断させ隊を分断した状況で、この怪魔を斗羅畏さんの軍にけしかけて、こっちの手勢を減らす算段だったのか!!
「軽螢! 二匹は無理だよね!?」
確か、彼の使う術は怪魔の動きを封じることができる。
けれど一回につき一体限りで、使っている間は自分が身動き取れなくなるはずだ。
「見くびんなよ! 塀貴妃サマ、真似させてもらうぜ!!」
軽螢は懐から黄色の水晶玉を取り出し、もう片方の手のひらを二頭の大蛇にかざす。
そしていつもよりも真面目で重い声色で、厳かに詠唱した。
「四神に愛されず、冥府へ招かれず、地底と地上の境を這う、哀れな肉の塊よ。我、今まさに汝らの悪徳を戒め、此処に固く體を縛らん。直ちに直ちに、言に従え!!」
ゴウゥゥゥンと重力場が発生し、空間と地面が軋む感覚があった。
「ギュィアアアアァァーーーー!?」
「シュアアアアアアア……」
見事に動きを拘束された大蛇が二匹、痙攣して地べたを舐め、苦悶の声を鳴らす。
軽螢の縛術が水晶玉の不思議な力によって増幅され、対象一つだけではなく、空間そのものを縛り付ける効果が表れたのだ!
いつの間にそんな高等テクを!?
「おおお俺は抑えるしかできねえからなーーー! あとは麗央那と巌力のおっちゃんがなんとかしてくれよーーーー!?」
「こ、これは見事な……応どのは、塀氏の呪術奥義を体得なされたのか……」
感心している巌力さんの肩から、私はするりと地面へと降りる。
そして彼の衣服に、まさに縋りついて懇願した。
「お願い巌力さん! 斗羅畏さんに力を貸してあげて! このままじゃ多勢に無勢でやられちゃう!」
「し、しかし……」
逡巡している巌力さん。
けれどすぐそこからは、斗羅畏さんたちがまだ戦闘を継続している怒号が鳴り響いて届いている。
「殿! ワシの命に代えてでもあんただけは生き延びさせるからのう!」
「ふざけるな! 親子ともども俺を守って死ぬなんてことは、絶対に許さんからな!!」
馴染の老将さんが奮闘し、斗羅畏さんに怒られている。
そう、あのおじさんの息子さんは、初陣で斗羅畏さんを庇って亡くなっているのだ。
もう。
もう、そんなことは、繰り返しちゃいけないんだ!
「斗羅畏さんがこの道に来たのは私のせいなの! ここで斗羅畏さんが死んだら私も死ぬから! もうこれ以上、これ以上……」
私は地面に突っ伏し、土下座の形で巌力さんの靴にしがみついて。
ぼたぼたと地面に涙を落としながら、追いすがって、言った。
「もう、やだあ……これ以上大切な人が死んじゃったら、私、もう、抱えきれない……この先もう、笑って生きていられないからぁ……」
顔を上げられず、立ち上がれずに、地面を舐めて砂を噛む。
土を掻き毟って指も爪も裂け、それでも私は泣きながら願う。
徹頭徹尾、自分だけの都合と感情を。
私が私でいたいからこその、心からの願いと祈りを。
横で頑張ってくれている軽螢も、私の願いを支えてくれた。
「へ、蛇は俺と麗央那でなんとかすっから! そうすれば土砂の向こうの離れた仲間と合流できるから! 巌力のオッチャンは、とにかく孫ちゃんに加勢して暴れまくってくれよ! 今はそうするしかねえだろ!!」
「ぬ、ぬうん、致し方なし!!」
フーンと太い息を吐いた巌力さん。
動き出せばまさに転がる巨岩のごとくで、近くに来た敵を張り手で次から次へと吹っ飛ばし、斗羅畏さんの体を守るように仁王立ちする。
「ありがとうございます、巌力さん……」
感謝を口にしつつ、泣いてばかりいられない。
なんとか気力を振り絞って立ち上がり、状況を再確認する。
斗羅畏さんたちは激しく戦い、私と軽螢はまったくの無防備になってしまったけれど。
「軽螢、ゴメンね。もうちょっと頑張れる?」
「な、なんでだよォ? 早く得意の毒串で、この蛇どもをやっつけてくれ~」
目を血走らせ、歯を食いしばりながら禁術を続ける軽螢。
けれど私が蛇の怪魔にトドメを刺さないのにも、理由があるのだ。
「この蛇がいる限り、敵も怖がって寄って来ないからさ。いわば怪魔が私たちの壁になってくれるようなものじゃん?」
「め、滅茶苦茶言ってやがらぁ。でも麗央那らしいか……」
「メェ……」
使えるものは怪魔でも使う、それが神台邑流生存術奥義ですよ。
「本当にこらえきれなくなる前には言ってね。その前に毒で殺しちゃうから」
「分かったけど、そんなに持たないぜ~」
なんとかこの場は軽螢のおかげで、少しの間は安全を保持できそうだ。
崩れ落ちてきた土砂の向こうには、きっと右往左往している斗羅畏さんの仲間たちが。
私は彼らを呼べる経路を、道の脇の山林から探す。
大蛇の怪魔がいるけれど気にしないで通ってください、と言って果たして信用されるかどうか。
この辺りかな、と人が通れそうな場所に目星をつけた。
「こっちから回って来てくださーい! 斗羅畏さんがこのままじゃ危ないんですーーー!!」
大声で呼びかけ、微かに返事があるのを確認する。
巌力さんが時間稼ぎの防御戦を繰り広げている間に、仲間たちが合流すればひとまず無事に乗り切れるだろう。
そう思いながら、足早に軽螢のところへと戻っている、その途中。
「ウロチョロしやがって、得体の知れないガキが!」
声の発せられた方向を見る。
無精ひげを生やした男が、大きな弓に矢をつがえて、こちらを見ていた。
鋼鉄の矢じりが、私の両目の真ん中をしっかりと狙っている。
逃れられない「死」と、目が合ったように感じた。




