三百一話 本能の震撼
美しい馬の群れが、勢いをつけて疾駆する。
鞍上の兵士たちは、胸中で静かに闘志を燃やす。
「麗どの、震えてござるか」
「なあに、武者震いってやつですよ。武者じゃなくて女学官ですけど」
引きずられて道を行く私たちも、これから起きることすべてが命に関わることかもしれないと、重く深刻な予感と覚悟を抱かざるを得ない。
けれど、おかしなほどに悲壮感がないその理由は。
「斗羅畏さまよぉ! 敵にブチ当たったときは、俺たち旧青牙部の兵士に真っ先に手柄を立てさせてくれよな!」
「今日までタダ飯を貰ってばかりだった! このままなにもせずに死んだら、覇聖鳳にあの世でバカにされっちまうぜ!」
そう叫ぶかつての仇敵で、今は仲間の青年たちがはっきり示してくれている。
みんな、この戦いを「我がこと」として捉えている。
誰一人として、仕方ないから、巻きこまれたから、命令だからと後ろ向きな戦いに身を投じているわけではないのだ。
「威勢の良いことだが、くれぐれも先陣を焦るなよ」
いかめしい顔で注意した斗羅畏さんを、周囲の苦笑が包んだ。
オメーが言うな! と全員の心の叫びが聞こえたからなのは言うまでもない。
今、南側の経路を進むことでいち早く姜さん率いる反乱軍に接敵しようとしている、私たちを含めた斗羅畏さんの軍勢。
勝ち気で強気で愉快な面々は、斗羅畏さんが本来連れて来た軍団の四分の一を占める数だ。
残りの大多数四分の三は、突骨無さんを守るために白髪部の中北にある大都へと向かっている。
「覇聖鳳の旧臣だった荒くれもんたちを、全部こっちの道に連れて来たのかい?」
乙さんが何気なく口にした質問を、斗羅畏さんは最初、黙殺しようとしていた。
けれど私たちに説明する意味もあるのか、不本意ながらと言う顔でちゃんと教えてくれた。
「覇聖鳳や邸瑠魅に対して特に忠誠心の篤かった兵たちは、重雪峡に置いてきた。お前たちと鉢合わせさせるわけにもいかんし、俺の指示をどれだけ聞くかも未知数だからな」
「その方がこっちも気を遣わなくて済むから、助かるぜ」
軽螢が納得した顔で言う。
こいつは重雪峡を放火しまくった犯人なので、そのときの関係者と直接に顔を合わせたくないだろう。
私も暴れるだけ暴れたので、同意見である。
斗羅畏さんの説明を聞いた乙さんは、いつものような意地悪な笑みを浮かべ、こう突っ込みを入れた。
「首領であるあんたの留守を、旧敵である覇聖鳳の腹心たちばっかりに預けたのかい。ひょっとしたら領地を乗っ取り返されるんじゃないの?」
なんて嫌なことを言う姉ちゃんだろうと私は思ったけれど。
斗羅畏さんは、嘲りではない余裕の笑みを浮かべて、こう答えたのだ。
「俺の身になにかあって帰ることができなくなれば、あの連中に領地を任せるしかないからな。元々はやつらの土地だ。俺の目がないなら、やつらの好きにしていいというのが道理だろう。まだ幼いが覇聖鳳の息子を中心として、案外に上手くまとまるかもしれん」
斗羅畏さんは、自分がこの戦いで死ぬ可能性もちゃんと織り込んで、事後処理を済ませていたのだ。
あくまでもそれがものごとの理、正しい筋道だと涼しい顔で語っている。
棚ボタのように覇聖鳳から任された土地だから、なにかの拍子で取り返されても仕方ないし、運命なのだと。
運で手に入れたものは、運で失うのである。
「私は斗羅畏さんを死なせるつもりなんか、これっぽっちもないですけどね」
鼻の奥にツンと来るものをこらえながら、私は気丈に言う。
もしも私たちの見ている目の前で、姜さんが斗羅畏さんを死なせたりしちゃったら。
私はきっと、その現実に耐えられない。
今までいろんな哀しいことも辛いこともあったけれど、もしそうなるのなら私のキャパを軽く超えてしまうくらいの悲劇で、本当に今度こそ頭が狂うかもしれない。
自分がどうなってしまうのか、まったく予測がつかないくらいに、残酷な想定だよ。
そんなことには、絶対にさせてたまるか!
覚悟の決まっている斗羅畏さんを、小細工発言で動揺させることは難しいと感じたのだろう。
乙さんは平静の表情に戻り、他意のなさそうな世間話兼、情報収集へと舵を切り直した。
「覇聖鳳の子ってことは、親に似て腕白で聞かないクソガキなんだろうね」
「今から探りを入れなくても、いずれ世に出て名を知らしめるだろう。そのときお前たち昂国の人間は、良くも悪くも度胆を抜かされることになる」
楽しそうに話す斗羅畏さんの顔と声色。
そこから十分に、覇聖鳳の子が類稀なる大器であり、まさに鳳凰の雛なのだろうということが伝わる。
激しく興味は惹かれるけれど、私は親の仇だからね、会わない方が良い。
なんて、少しばかり殺伐とした楽しいお喋りをしながら馬を進め、しばらく順調に距離を稼いだときだった。
「止まれ。人だかりが見える。新たな避難民かもしれん」
先頭を往く斗羅畏さんが味方に指示し、全軍の動きを止めた。
言葉通りに道の先には、主に男性ばかりの集団、数にして五十人に満たない人の群れ。
馬と徒歩の混成であり、全体的に衣服は薄汚れ、武器を持っていたり、持っていなかったり。
みな一様に、疲れた顔を浮かべている。
「おおいお前さんたち。これはいったいどういう集まりじゃ?」
老将さんが近寄って声をかけると、そのうちの何人かが斗羅畏さんの顔を見て、驚いて叫び、言った。
「と、斗羅畏か? な、なんであんたがここに!?」
「俺たちは赤目部の外れの邑のもんだよ。昂の国から来た連中に、邑を荒らされてな……」
「ああ、なんとか踏ん張って追い散らそうと思ったが、あいつら、後から後から湧いて出てくるように、途切れ目なく襲ってきやがって……」
口々に彼らが言うことには、どうやら姜さんの仕掛けた反乱軍に、住んでた邑を襲撃された人たちのようだ。
女や子ども、老人を逃がすために防波堤として戦っていた彼らも、こらえきれずに戦線を放棄し、ここまで落ち延びてきたのだな。
「除葛のやつを見たか?」
斗羅畏さんの質問に、彼らは揃って首を振り、説明した。
「ナントカ将とかいう、声のデカいやつが指揮を執ってた。噂の白髪魔人はいなかったよ」
「この辺もじきに戦場になる。さっさと逃げて仲良しこよしの角州公さまのところで、匿ってもらった方が良いぜ」
「連中の戦は……ありゃあ、人間相手の戦なんて代物じゃねえ。まるで畑を耕すみてえなやり方で、生きものでも建物でも、目につくもんは片っ端からぶち壊して行くような……」
威力偵察、というやつなのだろう。
悲痛な面持ちで語る彼らの話を聞き、私は巌力さんに水を向ける。
「蛉斬、かな……そんなことするようなやつに、見えなかったのに」
「戦は人を狂わせると聞き申す。かの御仁の中に眠る獣性が、国の外に出ることでタガが外れてしまったのやも知れませぬな」
もしそうだとしたら、本当に涙も出ないくらい哀しいことだ。
義侠と情熱であの大きな体を一杯に満たしていた蛉斬が、魔人の尖兵、破壊のみの権化となってしまったなんて。
私の消沈をよそに、斗羅畏さんは冷静に避難兵の集団へ適切な指示を与えていた。
「もしもまだ戦う気があるのなら、北へ向かって大都の突骨無と合流しろ。お前らが突骨無とどういう付き合いがあるかは知らんが、俺に言われて来たと言えばやつも無下にはするまい。そうでなければこの道を真っ直ぐ東都へ向かい、少しでも混乱の場から離れることだ。いざとなれば俺の領まで逃げても構わん」
口で言うだけではなく斗羅畏さんは、彼らが移動するのに必要な食糧までも分け与えた。
「ありがてえ、ありがてえ……」
「このまま好き勝手やられっぱなしじゃ気が済まねえ。もういっちょ暴れてやるぜ」
元気を取り戻した避難兵の一行。
その中にいる一人が、思い出したように斗羅畏さんへひょんなことを言い出した。
「さっき、歩いていたら途中の脇の林に大蛇の怪魔がいたんだ。こっちの人数が多かったから襲っては来なかったけどよ。先を進むなら気を付けた方が良いぜ」
斗羅畏さんはその話を聞き、少しだけ考えて言った。
「ふん。蛇の化物か。邪魔をされてもつまらん。先に片付けておくとしよう。どこだ?」
「すぐ近くだ。遠くから矢で撃ちまくれば問題ねえと思うぜ」
男の案内に促されるまま、斗羅畏さんはずずいと道の向こうへ行ってしまった。
「軽螢、巌力さん、私たちも行こう。少しは守ってもらってる恩を返さないと」
「メエェ!!」
斗羅畏さんに毒矢を渡す役目は譲りたくないでござるよ。
「首領殿に万が一でもあってはいけませぬからな」
巌力さんは言わずもがな、軽螢だってこう見えて怪魔退治の玄人なのだ。
けれど、軽螢は懐を押さえて深刻な顔を浮かべている。
「どしたの?」
「水晶玉が哭いてる。こんなに冷たく震えてるの、司午のヒメさんが呪いに倒れたとき以来だ……」
その言葉に、私の背筋にも鳥肌が立つ感じを覚えた。
今、これから、この先近いうちに。
なにか、私たちにとって良くないことが起きる?
けれど。
いや、だからこそ。
「だったらなおさら斗羅畏さんが心配だよ。目を離さないようにしないと」
「そ、そうだなァ……まあいざとなれば俺の法術もあるしな!」
「いざとならなくても使えや」
自信なさげに、けれど努めて自分を奮い立たせるように軽螢が言う。
巌力さんは念入りに、前後の道、左右の山林を注視し、危害の原因があるのかないのか見定めている。
ぽつり、と乙さんが私にだけ聞こえる声で囁いた。
「まだ戻って来ないって言う、斗羅畏の斥候がいただろ」
「え、ええはい。気になりますね。どうしているものだか」
「赤目部から避難してきたはずの男が、なんでその斥候が身に付けていた襟巻をしてるのさ」
言われて私は、目の前が真っ赤になる錯覚に陥り。
「斗羅畏さん! そいつらから離れてーーーーーーーーーーッ!!」
叫ぶと同時に走り出し。
ガラガラゴトゴトグワッシャーン!
同時に背後で、なにか重くて硬いものが大量に、斜面から道の上へと転がり落ちる音を聞いたのだった。




