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二百九十八話 陣触れ

 出陣の直前のことだった。


「おおい、おうのぼっちゃん。ちょっとええか」


 蒼心部そうしんぶの重鎮であるおじいさん将軍が、軽螢けいけいを呼び止めた。


「もうすぐ出るんだろ、わかってるよ」

「そうでなく、ちょいと渡すもんがあっての。ほれ、これじゃ」


 老将さんが軽螢の手に持たせたのは、小さな毛糸の人形だった。

 編みぐるみ、というやつだろう。

 羊の毛で編んだモコモコの羊という、なかなかキュートな一品である。

 受け取った軽螢は、思いのほか真剣な顔でそれをじぃっと見つめて、訊いた。


「誰から? まさかおっちゃんが作ったわけじゃないだろ」

「がはは、ワシはそんな小物を器用に作れんわ。いやなに、この邑に住んどる若い奥さんがの、ヤギを連れた坊主頭の男の子に渡してくれと言って来たんじゃ」

「ああ、お守りかあ」


 優しく笑って軽螢は、編みぐるみを大事そうに胸にしまった。

 軽螢の出自である応氏はひつじの氏族なので、羊のお守りを作ってくれた人がいるわけだ。

 もちろんそれは、軽螢を以前から知っている、関係の深い人のはずで。

 私は側に寄って確認する。


石数せきすうくんのお姉さんの、確か砂図さとさんだっけ? 会って行かなくていいの?」

「ん、大丈夫。全部終わって時間があったらでも」


 こだわりなく軽螢は答えた。

 遠く離れてしまった昔馴染みでも、お互いが思い合って心を配っている。

 顔が見えなくても、それがちゃんとわかるんだ。

 小さなお守りは軽螢に大きな勇気を与えてくれてたのだな。


「じゃあ帰りもまた寄らないとね」


 私もそのエネルギーのおこぼれに預かり、さあ斗羅畏とらいさんたちとともに、西の地へいざ往かん。

 どんな運命が待っていたとしても、大事な人たちの想いに恥かしくない私であろう。


「皆、準備は良いようだな。西に向かう前に少し、言っておく」


 それなりの大軍団に膨らんだ手勢を前に、斗羅畏さんが出発前の最終号令をかける。

 緊張し、あるいは昂揚している若い戦士たち。

 ベテラン将兵たちはさすがに落ち着いている。

 居並んでいる大勢をゆっくりと見渡して、斗羅畏さんは言った。


「此度の闘いは、除葛じょかつのクソ野郎が俺たち北方の戌族じゅつぞくを舐め腐っているからこそ起きた闘いだ。突骨無とごんの白髪部だけの問題ではない。戌の五族すべてが、叩けば下を向く他愛もない連中だと侮っているからこそ、除葛は寄せ集めの雑兵ごときで俺たちに喧嘩を売って来たのだ」


 その言葉に反応し、不快を表す舌打ちや歯ぎしりの音が微かに聞こえた。


「けっ、なにさまのつもりだよ」

「旧王族だろうがなんだろうが、俺たちと同じ山育ちの田舎もんじゃねえか」


 誇り高き草原の、飢えた豺狼たち。

 彼らはなによりも、プライドを傷つけられることを嫌う。

 心中の憤りを静かに抑えつつ、斗羅畏さんは続けた。


「俺はそれが我慢ならん。確かに俺たち一人一人は、痩せた野良犬のごとき力しかないだろう。しかしだからと言って、温かい部屋で書をいじって過ごしてたモヤシ野郎に舐められていい理由になるものか。今回の陣は、そんな俺個人のつまらん怒りと誇りによって立てられている。せっかく集まってもらって悪いが、そんなものに付き合ってられんと思う利口なやつは、ここで帰っていい。特に罰など与えんつもりだ」


 煽られて、兵たちの中から怒号が起きる。


「冗談じゃねえ! このまま黙ってられるか!!」

「おうよ! 突骨無のやつに義理なんてねえが、舐められっぱなしでたまるかってんだ!」

「大将よぉ! 俺たちもあんたの怒りに、いっちょ噛ませてくれや!」

「俺だって、斗羅畏の喧嘩が見てえんだ!」


 数多の声が大波のように、斗羅畏さんに届けられる。

 微笑して頷いた斗羅畏さんは、ひときわ大きな声でこう返した。


「よく言った、損得の勘定もできん、俺と同じバカ野郎ども! だが腰抜けは一人もいないようだな!!」 

「うおおおおおおおおおおおおおおお!!」

「やるぜ! 俺はやってやるぜ!!」

「除葛の野郎に、馬のクソを喰らわせてやらあ!!」

「メエエエエエエエェェ!!」


 地鳴りと疑うほどの狂奔に場がつつまれ、私の肌も総毛立つ。

 って、ヤギまで吠えてるし。

 意味わかってるんかあいつは。

 お祭り騒ぎにも似たそのテンションに、軽螢も興奮しながら笑った。


「ははは、孫ちゃん、阿突羅あつらさまにそっくりじゃんか……」


 確かに似ている。

 生き写しかと思うほどに。

 けれど私は首を振る。


「ううん、あれが斗羅畏さんだよ。阿突羅さまの孫でも、突骨無さんの甥でもなく、この広い草原にたった一人の、斗羅畏さんなんだよ」


 不思議な感動に身を震わせて、目を潤すものを感じ取りながら私は言った。

 あれこそが、友人の帽子一つを取り返すために、相手と自分の服を破りまくってまで意地で闘う斗羅畏さんなのだ。

 そんな彼だからこそ得られた光景が、目の前に厳然たる事実として広がっていた。

 さあ姜さん、せいぜい楽しみに待ってろよ。

 計算高いあんたの盤面を、計算のできない斗羅畏さんと共に、私がひっくり返しに行くぞ。


「クゥ~~~ン?」


 熱気を保ったまま動き出した斗羅畏さんの軍団を、犬が上機嫌に尻尾を振りながら眺めていた。

 まるで「おもしれーやつ」とでも言っているようだった。

 まだついて来るなら、さぞかし面白いものが見れるだろうよ。

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