二百八十八話 あまたの人々の思い
私、軽螢。
乗っている馬、ヤギ。
そして少し離れたところで私たちを尾行する、野良犬。
「まさか動物割合の方が高くなっちゃうとは。このまま離れ小島に鬼退治でも行っちゃう?」
「ちょっとなに言ってるか意味が分からねえよ」
軽螢に話を向けても通じなかったので、話題をこれからの本筋に戻す。
「姜さんが率いる反乱軍、その東側の本隊は、船で角州半島をぐるっと迂回して、斗羅畏さんの治める蒼心部の領地に上陸すると思う。って話はしたよね」
「ああ。だから角州公サマを通じて、孫ちゃんに『気を付けろ、ヤバいと思ったら逃げろ』って遣いを出すんだろ?」
姜さんが思い描いているこれからの図。
最終目標は、突骨無さんと斗羅畏さんたちをぶちのめすこと。
今後数十年間は、勢力としてしっかりした基盤を戌族が築けないようにすること、だと私は考えている。
「北方地域が弱れば弱るほど、昂国が外交の主導権を握ることができるからね。事態が滅茶苦茶になればなるほど、まだ領内の足場を固めきってない突骨無さんに不利に動くのは目に見えてるから……」
「でも麗央那のことだから、軍師さんの邪魔をして末っ子ちゃんを助けるネタも、いくつか用意してるんだろ?」
「まあ多少はね。上手く行くかどうかはバクチだけど」
私たちが向かっていることは、すでに先行で斜羅の街の司午本家に連絡してある。
着いてからはできる限り多くの人たちの協力を得たいと思っているけれど、なにせ急な話なのでどこまで対応してくれるか、未知数だ。
特に今は、現実に反乱が起こってしまっている段階。
きっと玄霧さんは軍の仕事で、各地を忙しく駈けずり回っているだろう。
彼が不在の状況で、司午家のみなさまや州公の得さんがどれだけ私のたわごとを聞き入れてくれるか。
正直言うと、自信がない。
などと考えながら、その日の移動を切り上げて途中の街に立ち寄った。
私たちを出迎えたのは、広場の喧噪だった。
「我々はこのままでいいのか!? これまで目を瞑っていたことに、今こそ向かい合うべきではないのか!?」
男性の叫び声が、夕暮れの街に響き渡る。
「なんだろ。誰かが大声で演説してるみたいな声が聞こえる。ちょっと聞いて行こうか」
「食いもんでもばら撒いてるならいいんだけどナ」
私と軽螢の興味の対象はやや違うようだ。
人だかりをスイマセンスイマセンと手刀で掻き分けて、騒ぎの中心に近付く。
行き掛けの駄賃だし、世間でなにが興味を持たれているのか、情報収集もいいだろう。
人の輪の中心にいる男性は、高らかに自説を述べ続けている。
「今回の反乱は明らかに、南部の税が重いことによる不満の表れだ! 我々は豊かな南部の資源に甘え、自助自立する気概を失っていた! まさに飼い慣らされた豚であるのだ! 今一度、己の力で立ち上がらなければ未来はないと、南部の人々が知らしめてくれたのではないか!?」
どうやらこの街でも、民衆は反乱の首謀者が首狩り軍師の姜さんであることを知らないらしい。
南部の住民から自然発生的に、国に不満のある暴動が起きたのだと思っているわけだな。
集まっている聴衆も、彼の意見に賛同するもの、異を唱えるものと様々だ。
「確かに角州はそれほど作物は実らねえが、船の荷や塩の利益があるからなあ」
「ちょっとやめておくれよ。今でさえカツカツなのに、これ以上を税で取られたら干上がっちまうじゃないのさ」
「それでも、蹄州や腿州だけから三割の税は、取りすぎじゃねえかな……文句の一つも言いたくなるってもんよ」
「あらあんた知らないのかい? 南の連中は、それだけ税が重いのに毎日のように牛肉を食ってるって話だよ!? こっちなんて山芋をほじくり返すのに、手の皮まで破れっちまうって言うのにさあ!」
「うちはともかく、翼州は山や荒れ地がもっと多いだろう。そんなところを土地の肥えた南部と同じ扱いにされちゃ、可哀想ってもんだぜ」
わかる言い分もあれば、それは違うという部分もある。
いくら豊かな南部だからって、毎日牛肉を食べてはいねーですわよ、たまにだ、たまに。
私が去り際に聞いた、人波の中心にいた男の言はこうだ。
「我々は野の獣ではない! 手を取り合って共に生きる人であるはずだ! 今一度、締め付けられてきたた南の同胞に、少しばかりの思いを捧げてもいいのではないか!? 乱の原因が我々の怠惰と甘えからもたらされたのであれば、わが身の振り方を今一度、正してみてもいいのではないか!?」
人の群れから離れて、私はボヤく。
「良くない、これは良くない状況ですぞ」
「なんでだよ。別に今すぐこの街で暴動だのなんだのが起きるって雰囲気じゃねえだろ。みんなお喋りしてるだけだったしナ」
軽螢の質問に、私は頭を振って答えた。
「この国の人たちはおおむね、みんな優しいからさ。いきなり一揆を起こした他人にも、同情する余地があるんだよね。もちろん、平和なときならそれは美点だけど……」
「変に引きずられて、同じ波に乗っちまうやつがこれからも出るかもしれねえってことか。あの痩せ軍師さんはそこまで計算してるんかな」
「わかんない。けど、しててもおかしくはないよね」
テロリストに理解を示すなんざ、普通に考えれば愚行の極みである。
けれど平穏が続いた地域では、そうした平和な考えを持つ人が増えてしまうのは必然とも言える。
特にこの辺り、角州の南部沿岸は覇聖鳳の襲撃もなかった。
新しい頭首として国境の向こうにいる斗羅畏さんは、仲良く共同の市場を開くほどの関係になった。
内側に目を向ければ、角州出身の翠さまがめでたくも皇子を産んで、地域全体が喜びに浮かれていたのだ。
豊かで平穏だからこそ、反乱者に対して向けられる憐憫も多いなんて、皮肉にもならねえわ。
などと話し合いながら、今日の宿をどうしたものかと意見を出し合っていると。
「失礼。人違いでなければ、確か神台邑の……」
身なりのしっかりとした男性に、軽螢が声を掛けられた。
「俺? そうだよ。応ってんだ」
「やはりそうであったか。いや、わしも夏に神台邑の慰霊祭に参列していたのだ。この街の行政長を務めている関係でな。元気そうでなによりだ」
「これはこれはどうも、ご丁寧に」
不意に偉い人に会ってしまい、私は腰をヘコヘコと下げる。
覇聖鳳に邑が焼き滅ぼされた一周忌に、この旦那さんも参加してくれたようだ。
だから、あのときに式典の中心に立っていた軽螢の顔を覚えていたんだね。
「宿を探しているなら、わしの屋敷に来ないか。神台邑を再建するという話もだが、先ごろ起こった反乱に就いても翼州の民の意見を聞きたいと思っていたところなのだ」
「やった、上等そうなメシと寝床にありついたゼ」
「こら、失礼なこと言わないの」
うーんこの、黙ってるだけで得する系男子め。
と言っても安全な一晩の屋根は貴重なので、いやもなく私たちは男性に従った。
「広場で起こっていた人だかり、あれをどう思った?」
お屋敷の客室に招かれた私たちに、長官さんから投げられた疑問。
軽螢に目線で促されたので、私は思ったことを正直に答えた。
「みんな好きなようにああして噂話で盛り上がれるのですから、この街は良いところなんだろうなと思いました」
私の返答を受け、少し自嘲する感じで長官さんは言った。
「民の言を封じるなというのは、主上が下された初勅にもある国是だ。どんな言葉であっても、それはただの言葉。是非を問うのは行動と結果に現れてから、ということだな」
民衆の言論を弾圧してはいけない、と皇帝陛下が若い頃におっしゃったらしい。
あのお方らしい勅命だなと、私は少し優しい気持ちになった。
他者の意見こそが宝なのだと、心の底から理解しておられるのだろう。
感心して聞いていたけれど、長官さんは「しかし」と言葉を挟んで、続けた。
「温情だけで政はなし得ぬ。現に今、南部の民は無軌道な暴威に巻き込まれておる。反乱の火の手が角州に及ばぬとも限るまい。若いながらも一つの邑を預かる身、応くんはそこをどう考えるね」
「うちの邑は大丈夫だよ」
軽螢は、実に簡単に言った。
「ほう、それはなぜだ。なにか人心を安んじる秘策を持っておるのか」
興味深げに聞いた長官さん。
軽螢は私の顔をちらりと見て、自信満々に説いた。
「大丈夫なように、みんな頑張るから、かな」
情報量が微塵たりとも増えていないその言葉。
なのに長官さんは不思議と納得したように笑った。
「そうか、お前たちはそれだけの強さを、身に付けたのだな……」
憐みではない、眩しいものを見つめる瞳で、長官さんはしみじみと漏らしたのだった。
そして翌朝。
私たちは長官さんに丁重にお礼を言って、先の道へと急ぐ。
もうひと山越えれば、州都である斜羅の街が見えそうだという地点まで進んだころ。
「フッフッ、バウッ!」
「あら?」
今まで私たちの後ろを遠巻きにテクテク追跡していた野良犬が、三本足で器用に駆け抜ける。
そのまま道のはるか先へと行ってしまった。
私たちにはもう飽きちゃって、違う遊びでも思いついたのかしら。
「気まぐれなやつだなあ」
「メエ」
軽螢とヤギも呆れている。
私たちは特に気にせず、今までと同じように無理のないスピードで移動を続けた。
山道や脇の林に猛獣や怪魔がいるのなら、真っ先にヤギが気付いて警戒するはず。
けれどそんな気配もなく、気ままに草を食いながら平気な顔で歩いている。
邪魔者のいない春の峠道。
かすかに潮の香りが混じり始めたのを快く思いながら、私たちは進み続けた。
斜羅の街で再会できる人たちの顔を思い浮かべる。
巌力さんは相変わらず、大きくてごついのだろうか。
玉楊さんは前に会ったときよりも、女っぷりが上がっているかもしれない。
州公の得さんは……まあきっと、いつものようにスケベでお調子者なのだろう。
と、幸せな想像に浸っていると、あることに気付いた。
「あれ、私の飴ちゃん入れてる小袋が見当たらない。落としたかな?」
「それなら犬っころが咥えてどっか行ったぜ」
「早く言えや!」
思わず軽螢に怒鳴りつけたけれど、そんなに大事なものでもない。
飴はどこでも買えるからね。
追いかけて取り戻すほどでもないかな、と諦めたそのとき。
「あいつらちゃう?」
「せやな。坊主頭の少年、肩までの髪の女、そしてヤギや」
道の脇にある林の中から、人の声が聞こえた。
私は全身に寒気を感じ、叫ぶ。
「軽螢! 全速力! 逃げるよ!」
「ああ、わかってるって! 街はもうすぐだ!」
ちっくしょうめ、完全に油断してた!
姜さんの差し金かどうか、まだハッキリとわからない。
けれど私たちがここを通ることが、ろくでもない連中に把握されていた!
「追うで! サル娘やらいうのはいてへんぞ!」
「なら楽勝やな! 怪我しても恨まんといてや!」
国の西南部、おそらく尾州の訛りがある追手たち。
どことなく素人っぽさを感じる彼らの追跡を振り切るため、軽螢が今までになく馬をおっつけ、速度を上げる。
「メエッ! メエエッ~~~~ッ!!」
「ブヒヒィン!?」
私たちの馬に従って走るヤギが、蛇行走りを敢行して相手の馬を怯えさせる。
「うわっ、なんやこのヤギ、こっちを邪魔しにかかっとるんか!?」
「かめへんかめへん! 跳ね飛ばしてもうたれや!」
男たちのその言葉に。
「や、やめ……っ!」
「やめろコラアアアアアアアアアァァァァァァァッ!! そいつに手ェ出したらぶっ殺すぞオオオオオオォォォォォォォッ!?」
まったくもって、意味も分からず、不本意にも。
軽螢より私の方が、なぜか猛烈に怒り狂って、轟声を鳴り響かせるのだった。




