30 要ロス
昼時のカフェテリア。娯楽遊戯倶楽部専用テーブルに座るレシュリアと文香の顔は、まさに生気ゼロだった。
「「うう……」」
諦め、恨み、怨念……あらゆる感情を混ぜ合わせた呻きが同時に漏れる。
口は半開き、視線は虚空。金髪と黒髪のゾンビが二体並んでいるようである。
そんな有様を前に、陽毬はいよいよ“要ロス”の恐ろしさを理解し始めていた。
「綾先輩……お二人って、もしかして午前中ずっと……?」
「ええ、ご想像の通り、ずっとこの調子でしたよ」
ため息をつきつつ、要の分まで含め三人前を手際よく運んでくる綾。
「昨日の今日で、まさかここまで甚大な被害が出るとは……」
「要くんが入山瀬家の従者になってしまったダメージが相当効いているのでしょうね。……ところで陽毬さんは何を召し上がります?」
「あ、ではシーフードドリアとスープを……」
「シーフ……?」
その単語に、金髪のゾンビが反応した。陽毬が一瞬きょとんとする。
「そう、入山瀬はシーフ。まさに盗人ですわ……!!」
「そうよ……あれは窃盗罪……奴はとんでもないものを盗んでいったの……それは要様です……」
悪態だけは健在だが、声量はいつもの半分。
「お二人とも、要先輩がいなくて辛いのはわかりますけど……まずはお昼食べて、午後に備えましょうよ。ね?」
励ますように陽毬が肩をそっと叩く。
「陽毬さんの仰る通りですよお嬢様方。それに、陽毬さんにまでお通夜みたいな空気で接するのは失礼というものです。……さ、何を召し上がります?」
「……陽毬さんと同じものにするわぁ……」
文香も同意するように頷く。
三人仲良く同じメニューを食べ始めるが、レシュリアと文香のスプーンはたびたび止まる。
「要先輩……もしかしてこのままずっと入山瀬先輩の従者として……?」
陽毬は、富士宮家と入山瀬家の水面下の取り決めを知らない。
「いえ、要本人が復帰を望めば再び富士宮に……つまり私の従者に復職が叶うのですが……」
「でもブラック主人のレシュリアが選ばれるなんて……無理ゲーなのよねぇ……入山瀬さんは少なくともレシュリアよりもホワイト主人だと思うわぁ」
ふたりは再び深いため息を吐いた。
「でも……今更な話ですけど、要先輩ってどんな人に仕えたいんでしょう」
そこで、文香の後ろに控えていた綾が「確か」と思い出す。
「要くん、以前“料理ができる女性は個人的に好印象”って言っていましたね。
それが仕える云々の判断材料になるかは……別問題ですが……」
綾の言葉を聞いた瞬間、レシュリアと文香がピクンと反応をする。
「文香……あなたって……」
「みなまで言わなくてもわかるわ。そう、私はあなたと違って料理くらい出来るわ。そもそも料理は淑女の嗜みでしょ?
陽毬さんのために作ったあのスープも、我ながら職人の仕事だと自負しているわ」
ふふんとドヤ顔で胸を張る文香。
陽毬は、文香の手料理……あのダークマターのことを思い出していた。
粘度の高い、漆黒の物質。異臭を漂わせていたあれを果たして料理と呼んでいいのか。
だが陽毬に同意を求めると言うことは、文香の中であの危険物は料理という判定なのだろう。なんというガバ判定。
「いや、その……あの……あれを料理と呼んでいいのか……
いや!! 気持ちは嬉しかったですよ!! でも、結局あの後、処分するの大変でしたし……」
陽毬の恐る恐るのツッコミをかき消すように、レシュリアがかぶせる。
「それを言うなら、私だってカップ麺の水量調整は“匠の業”と言われていますわ!!」
「いや、それも容器の内側に水量のラインが書いてありますよね……」
薄々……いやほぼ確信していたが、どうやら二人は料理が作れないらしい。
「陽毬さんは何かご自身で作る機会とかはあるのですか?」
「まあ……最近はないですけど……中学の時とかクッキーとかたまに。それこそ海外にいた時は味噌汁とか恋しくて自分で作ってましたね。簡単に作れるじゃないですか」
陽毬の言葉に、信じられないとばかりに目と口を開いたレシュリアと文香。
その表情から「お前天才かよ」みたいな空気を感じる。
「陽毬さん……この二人は味噌汁すら、まともに作れないんですよ……」
綾の呆れたような、力の抜けた声。陽毬はそれに乾いた笑いで返事をするしかなかった。
「どうぞ十島様……」
要は陽子の前へメインの料理を運ぶ。包みを解くと文化財のような重箱が現れ、その中には数種の料理が型崩れなく収められていた。
一緒に届けられたバスケットにはカトラリー類が揃っており、入山瀬家の料理番のメモをもとに、一部を軽く温め直し、皿に指示通り盛り付けるだけ。
それだけで立派なフルコースが出来上がるのだから、いかに元の完成度が高いのか思い知らされる。
「ありがとうございます、富士様」
「さて、十島さん。今日は来てくれて本当に嬉しいわ……ところで、竪堀さんとはその後うまくお付き合いをなさっているの?」
——いきなり。なんの躊躇もなく切り込む薄明。
「うまく」の部分にだけ、他の言葉より強いイントネーションがある。
要が視線を陽子へ向けると、陽子の顔は極刑を言い渡された罪人のように青ざめていた。
返事をしようと口を開くが、緊張で息が上手く入らない。水を何度も口に運ぶ。
(……これでは彼女があまりにも不憫だ)
そう思った要は少々強引だが話題を変える。
「薄明様。十島様。もしよろしければ温かい和紅茶などはいかがでしょう。本日のメインは和食ですし、和紅茶なら相性も良いかと……」
「まあ、それは素敵ですね……!! 十島さんもぜひ召し上がってください。彼の淹れる紅茶は格別なんですよ」
「ありがとうございます。お褒め頂き光栄です……」
張り詰めた空気がわずかに和らぐ。
ホッと胸を撫で下ろす陽子にも、返事をする余裕が戻った。
「竪堀さんに対する私の行いは、ただただ私が愚かでした。
寛大にも竪堀さんは謝罪を受け入れてくださり、その後は良好な関係を築かせていただいております」
要は手早く和紅茶を用意し、二人の前に差し出す。
「それは重畳」
薄明は静かに紅茶へ口をつけた。
「「藍姉様!! 私達に料理を教えてください!!」」
午後の授業開始早々。まるで主神に祈りを捧げる信徒のように、藍へ頭を垂れるレシュリアと文香。
戸惑う藍に、妹の綾が昼休みにあった出来事を説明する。
「なるほど……確かにカップ麺は料理とは言わないわね。じゃあ丁度いいし、このまま午後は調理実習にしちゃいましょうか〜」
「姉さん大丈夫ですか? 勝手に授業を変更してしまって」
「大丈夫よ〜。それに今の二人、机に縛ってもまともに勉強しないでしょ〜」
さあ善は急げと向かったのは片付け中のカフェテリア。
調理場の一区画にはすでに調理器具一式と、野菜や果物が整然と並べられていた。
「肉や魚などはあちらの冷蔵庫内にストックがございますので、ご自由にどうぞ……」
料理長はそれだけ言うと「では失礼します」と立ち去る。
レシュリアと文香は、てっきり彼が教えてくれるものだと思っていたので目を丸くする。
「お待たせしました〜」
代わりに現れたのはコックコート姿の藍だった。
「え、まさか藍姉様が?」
「まさかってひどいわ〜。藍さん、こう見えて和食も洋食も中華も……はてはフレンチまでなんでもござれなのよ〜」
任せておけとばかりに胸を叩く藍。
「ではではレシュリアちゃん、文香ちゃん。頑張って要くんの胃袋を鷲掴みにするわよ〜
今日のお題はズバリ——お味噌汁です!!」




