27 入山瀬は高待遇?
「こちらのお部屋をお使いください」
要が案内された部屋は一介の従者にあてがわれるような部屋ではなかった。
高級ホテルのスイートルーム? いや、それすら上回るだろう。それほどまでに荘厳な部屋だった。
陽毬と文香が降りた後の話だ。二人きりになった薄明のスキンシップはさらに情熱的になった。
その際に、自身の主人がレシュリアから薄明に変わったことを要は知る。
「富士宮さんは要くんに相応しくありませんから……」
薄明はそうあっけらかんと言い切った。
——早々に一手を打ってきた。
まさに電光石火。なんでもするという言葉はあながち誇張表現ではないのかもしれない。
要は新たに自身の主人となった少女の辣腕に恐怖を感じていた。
「富士様……いかがなされました?」
考え事をしていた要の様子を伺うように部屋まで案内した老執事が話しかけてくる。
「あ……いえ。私のような身分にここまで過分な待遇をしていただくことがあまりにも恐れ多くて……車中でお話は伺いました。私は薄明様の従者となったと……」
「ああ、その件でございますか。私共もお嬢様より伺っております。あくまで学生の間はそのような体裁のほうがご都合がよろしいと。
ゆくゆくは入山瀬家のご当主になる身分と承知しておりますので、主人と従者の関係性はあくまで学園だけだと……」
ささ、どうぞ中へ——
普段はエスコートする側の要。促されて通された部屋に落ち着きを隠せない。
(広い……広すぎる……)
キングサイズのベッド。高級な家具。そして奥の扉の先には大きなジャグジー。
もちろんトイレも備え付け。
木の香りが心地よい上等な棚を開けると、なんということだろうか。着慣れた燕尾服や私服がシワひとつなく並んでいる。
「……いつのまに持ち込んだんだ?」
すごいを通り越して、背中に流れる嫌な汗。
「何か足りないものがございましたら、内線にてお呼び出しください。それと、この屋敷の各ドアノブは防犯のため指紋認証にて動作するようになっております。
先ほど、富士様の指紋を登録させていただきましたので、認証までもう少々お時間がかかるかと……」
一通り説明をすると老執事は頭を下げてその場を後にする。
一人になり、少し肩の力が抜けた要。とにかく落ちつこう。そして状況を整理しなければと思い立った。
しかし思案をするには、この部屋は少々広すぎる。
なにを思ったのか、いそいそと部屋の隅へ椅子を運び、壁と向かい合うようにして座る。
「あの……要くん……」
おずおずとドアを開けて、恥ずかしながら薄明が顔を覗かせる。要はスッと立ち上がり従者モードになる。
「薄明様……なにか御用でしょうか?」
「いえ、用ってほどでないのですが……お話しをしたくて……それとここでは主人と従者ではなくて未来の夫婦として接して欲しいです……」
二人しかいないようだし、そろそろ頃合いだろうと思った要は、今後の関係性について整理させて欲しいと申し出た。
「薄明様……あなたがそこまで私個人を評価してくださった上で、このような待遇は身に余る光栄です。
ですが、重ねて申し上げます。富士家と入山瀬家では家格が違いすぎます……何卒一時の感情に振り回されぬよう——」
言い終わる前に薄明が要の腕の中へ飛び込んできた。
「……です……」
背中に回した腕の力が徐々に強くなる。ギシギシの音を立てる要の背中。
左右から引っ張られることには慣れているが、さば折りは初体験の要。
「は、薄明様……?」
「嫌です嫌です嫌です嫌です嫌です嫌です嫌です嫌です嫌です嫌です嫌です嫌です嫌です嫌です……」
抑揚のない。それはまるで呪詛。
引き剥がそうにもまるで拘束具のようにしっかりと掴んでいる薄明。
「せ、せせせ、性急過ぎましたね。とりあえず今後のことについてゆっくり話し合いを——」
そう言うや否や、フッと腕は緩み、解放される。
「ご、ごめんなさい。私ったら……なんてことを……!! お願いです!! 私を殴ってもらって構いません!! 嫌いにならないで!!」
大粒の涙をボロボロと流す薄明。若干の警戒心は残しつつ自分は大丈夫だからと宥める。
このままでは埒が開かない……そう判断した要。よく見ると薄明はまだ私服だった。明日は月曜日。普通に学校がある。
——日を跨げば状況は好転するかもしれない。
藁にもすがるとはまさにこのこと。
「薄明様。明日もございますし、まずは入浴でもなさって、就寝のご準備でもなさったほうが……」
「は、はい。その通りですね……わ、わかりました!! すぐに用意します!!」
そう言うと部屋に備え付けのバスルームに駆け込む薄明。
(ん? すぐに用意します……?)
要はてっきり、ではまた明日とばかりに部屋から出ていくものだと思っていた。
ガサゴソと音がしたのちに、水の流れる音。恐る恐るとバスルームを覗き込む。
「湯の温度はこんなものでいいかしら……」
そこにはいつのまにか湯浴み着を身にまとい、なかなかにあられも無い姿の薄明がいた。
薄手のせいか、湯気に当てられて肌にくっつきボディラインは嫌でもくっきりとわかってしまう。
(待て待て。どういうことだ……!!)
見てはいけないものを見てしまったとばかりに要は顔を背ける。とにかく一目散に部屋から逃げ出そうとする。扉の前まで猛ダッシュ。
——だが残念。ドアノブが動かない。
ガキンガキンと少し強めに動かそうと試みてもびくともしない。そして先ほどの老執事の言葉を思い出す。
(まだ認証されてないのか!?)
「要くん。お待たせしました……!!」
背後から聞こえる声には振り返らない。足音は近づいてくる。
「えーと、薄明様……」
「もう……要くんは意地悪です。呼び捨てにして欲しいのわかってクセに……」
少し拗ねた声。そして要の背中に手がかけられる。鮮やかな、そしてためらいもなくあっという間に要の上着を脱がす薄明。
(な!? なんて速さ!?)
「ささ、妻としてお背中をお流しさせてください!!」
こちらですと手を引く薄明と、そうはいくまいと、さりげなく踏ん張って抵抗を試みる要。
しかし、薄明一人とは思えないほどの力で引きずられ、無情にもバスルームへと体は向かっていく。
「わ、私。初めてで……至らぬ点があるかと思いますが、どうぞ厳しくご指導なさってください。要くんの好きなように……あなたの薄明に染めてください……」
そう艶のある声に、ありとあらゆる理性を総動員させる。
最後の抵抗で、ガシッ!! とバスルームの扉の縁に手をかけ、片腕でプルプルと耐える。
「おや? どうかなさいました?」
「どうかなさいました?」じゃないと心の中で訴えつつ。あくまで穏便に、決して波風を立てないように要は提案する。
「薄明様。お気持ちは嬉しいのですが、やはりこのような事は本当に夫婦になるまで肌を見せるべきではないといいますか……」
「ゆ、ゆくゆくは本当に夫婦になってくださるのですか!?」
薄明のギアが一段上がり、引く力が一層強くなる。
「いえいえ、あくまで例えの話でございます。今後、薄明様が真に夫婦となられる男性以外に肌を見せるべきではないと……」
「つまり!! 要くん以外に肌を見せるなと!! かしこまりました!! お願いです。もっときつく、縛るように束縛してください!!」
薄明はトップギア。さらに一層強くなる。
(だめだ、話が通じない……!!)
腕も限界。こうなったらと、覚悟を決めて薄明に向き直り、その肩を掴む。
「いいですか。薄明さま」
要は真剣な面持ちで諭そうと試みる。だが運命の愛とやらに頭をこっぴどくやられてしまった才女は何を勘違いしたのか顔を真っ赤にする。
「え……その。せめてシャワーを……あ。でも無理やりでも……いいです……」
そして目を瞑り、顔を要の方へ——
ペチンと、要は軽く薄明のおでこを叩く。
「え!? お預けなんて!! そういうプレイですか!?」
「落ち着いてください。それにはしたないですよ薄明様。罰として、私は一人で入浴させて頂きます」
そう言って薄明をバスルームから押し出そうとするが、なぜかびくともしない……
「そんな!! せめてお背中をお流しさせてください!! それが無理ならせめて入籍を!!」
「せめてのお願いが重い!! あと私はまだ結婚できる年齢ではございません!!」
「愛の前に司法なんて——」
「関係ないと仰るのでしょう!? その手の類はもう何度も聞いたことあるんですよ!!」
バスルームに要の心からの断末魔が虚しく反響した。




