22 この父親にして、あの娘あり。
『おー、要くん。今時間ある?』
電話の主は、レシュリアの父――富士宮友輝だった。
「何かレシュリア様の件でトラブルでも?」
『なんか僕からの電話っていつも尻拭いみたいになってるよね? いや、実際レシュリアが悪いんだけどさ。今日は違うの、要くん自身に用がある』
「え、私に……何か粗相でも?」
『粗相なんてあるわけないじゃん。ちょっと急ぎの用事でね。今から会えないかな?』
「かしこまりました。どちらへ伺えば?」
『あはは、言うと思った。――迎えの車、もう目の前に着いてるよ』
要が顔を上げると、黒塗りの車がタイミングよく停まった。
(……拒否権は、最初からないか)
一時間後。
富士宮グループ本社ビル――最上階の会長室。
IDがなければ立ち入ることすらできないフロアだが、要は当然のように通された。
室内には二人の男が向かい合って座っている。
片方は、先ほどの電話の主である富士宮友輝。整えられた髭にオールバック。威厳あるスーツ姿のイケおじ。
もう片方は、長髪をひとつに束ねたスーツ姿の男。どこかチャラく着崩していて、いい意味で自由人の雰囲気を漂わせている。
「まさか源道寺総帥もいらっしゃるとは……」
要が頭を下げる。
その男――源道寺郁也。文香の父親であり、源道寺グループの総帥だ。
「ういっす! 要くん! チョー久しぶり! そういや、いつ文香と結婚してくれるの?」
「おいおいフミフミ。要くんを独り占めしようなんてずるいぞ。レシュリアを御せるのは要くんしかいないんだからな! 要くん俺は君に決めた!!」
「ユウユウこそ要くんゲットして、レシュリアちゃんを押し付けようとしてるだけじゃんか!」
社長二人がガハハハと笑い合う。
要は深く息を吐いた。
「――ご歓談中のところ恐れ入りますが、私が呼ばれた理由をお伺いしても?」
「あ、メンゴメンゴ。実はね、これをやってほしいんだ」
友輝が差し出したプラスチックケース。
許可を得て開けると、中には無地のディスクが一枚。
「……こちらは?」
「社内で開発中のホラーゲーム、《ミッドナイト・ナイトメア》のデモだよ。あまりに怖すぎて社員が泣くらしくてさ。気になってるんだけど――僕もフミフミも見る専なんだよね」
「――だから私を呼んだと? え? 本気で仰ってますか?」
要の声が一段低く、刺々しいものになる。
しかし郁也は猫撫で声で身を乗り出した。おっさんの上目遣いとかいうおまけ付きで。
「頼むよぉ、“カナカナ”しか頼れないんだって! 僕たちの、一生のお願い!」
「その『一生のお願い』、これで七度目ですよ。お二人は転生でも繰り返してるんですか?」
「声がガチだぞカナカナ。やってくれたら――ボーナス、弾んじゃうよ?」
眉を上下に動かし、妙に下品な笑みを浮かべる友輝。
要は諦めたように小さくため息をついた。
「……かしこまりました。仰せのままに」
会長室の照明が落ち、スクリーンが降りる。
要の手にはコントローラー。隣では大人二人がスナックと炭酸ジュースを抱えていた。
『うがああああああああ!!』
「「うおおおおおおおお!! チョーこえええ!!」」
叫びに叫んで一時間後。デモ版は終了した。
要が振り返ると、二人は震える手でスナックを握り潰していた。
「なかなかのクオリティでしたね。……お二人とも大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫……全然余裕……」
「おいユウユウ。足、震えてんぞ? 漏らしてないか?」
「はぁ!? ももも漏らしてないし! ちゃんと尿漏れパンツ履いてるし!」
「俺も履いてるし!」
「……僭越ながら、お二人とも“尿漏れ”の連呼はやめてください」
要は淡々と部屋を明るくし、散らかったスナックを片付けてまわる。
二人はソファから立ち上がれず、震えるまま肩を組み合っている。
「……迎えを手配いたしましょうか?」
「だ、大丈夫だよな? フミフミ」
「おうともさユウユウ……!」
生まれたばかりの小鹿のような足取りで、なんとか立ち上がる二人。
「で……恐れ入りますが、まさか本当にゲームのためだけに私は呼び出されたのですか?」
「いやいや、ゲームもあるけど、要くん明日──」
その時だった。
友輝の言葉を遮り、ビーッ、ビーッ、と甲高いブザーが鳴り響く。
《侵入者!! 侵入者!!》
無機質な人工音声が告げる。
「な、まさか……今日は"あの子"は非番のはずだろ……!」
郁也が顔色を変える。友輝はデスクへ駆け寄り、引き出しから謎の装置を取り出した。
「防御壁を下ろした! 二人とも安心してくれ!」
「いえご当主様、それ以前に状況を――」
次の瞬間、部屋のスピーカーから可愛らしい人工音声が響く。
《第一防衛ライン、突破されたよ!! お兄ちゃん!!》
「……は? お兄ちゃん?」
要が一瞬だけ耳を疑う。
声はどう聞いても小学生の女の子。
――友輝の趣味だろうか。
あんた高校生の娘いるだろ。そんな視線を友輝に向けるが、当の本人はどうやらそれどころではないらしい。
「くそっ! なんて速さでコードを書き換えるんだ!! こいつぁウィザード級のハッカーだ!!」
友輝が額に汗を浮かべながら、鬼気迫る勢いでキーボードを叩く。
《第二防衛ライン、突破されたよ!! ポンコツ!!》
「ポンコツだあ? いいから黙ってろボイスアシスタント!!」
「……設定したの、ご当主様ですよね?」
要の冷静なツッコミ。キーを叩く友輝の指が加速する。
《最終防衛ライン、突破されたよ!! この無能!!》
最後の最後で罵声。電子音が止み、ドアがゆっくりと開く。
「あらあらあら。――まったく、おいたが過ぎますよ」
ロングスカートのメイド服を纏った女性が立っていた。
女性の笑みを見た瞬間、二人の総帥が同時に「キャーーー」と女子のように叫ぶ。
先ほどのホラーゲームの時とは比べ物にならないほどのガチの悲鳴。
「くそっ、フミフミ!! ここはカナカナに任せて逃げろ!!」
「ユウユウを置いて行けるかよ!! ユウユウこそ、カナカナに任せて逃げろ!!」
要を盾に、情けないほど本気の声だった。
女性はニコニコと近づき、目にもとまらぬ早業でテーザーガンを抜いた。
「ま、待て藍ちゃん! こいつには訳が――ガガガガガ!!」
「フミフミぃいいいい!!」
撃ち抜かれ、ぴくぴくと動く郁也。
「……ご安心を。電圧は下げてありますわ」
「下げたところで、そもそもテーザーガンは違法ですよ……」
要の冷ややかな指摘に、女性はくるりと踵を返す。
細い目、三日月のような笑み、透き通る白い肌――その姿はどんなホラーよりも恐ろしい圧をあたえる。
「あらあら、まあまあ要くん。お久しぶりですね。いつも綾がお世話になっております。有栖のブラコンは治りました?」
この女性の名は柚木藍。
綾の姉であり、有栖より一つ年上。源道寺グループの侍従長にして、郁也の専任秘書である。
そして妹同様、主人の素行を矯正するためには手段を選らなばいタイプだった。
「かわいそうな要くん。さあ、私を姉だと思って、この胸へ飛び込んで。このアホとバカな大人から守ってあげますわ。そうだ! 綾と結婚すれば、私が本当の姉になれますね!」
「なっ――いくら藍ちゃんでも、それはダメだ! カナカナは文香のおおおあああああ!!」
再びのクイックドロー。放たれるテーザーガン。
絶叫と共に、会長室に静寂が戻った。
「ふう……今日、私はお休みなのに。もう、プンプンです。でーも、要くんに久しぶりに会えたので、そこだけはラッキーです」
スッと腕を広げてみせる藍。少しの間、流れる沈黙。
「……え? いや、飛び込みませんよ?」
そう言われたのがショックなのか、藍はわざとらしく泣き真似をする。
――今がチャンス。
藍と要が話している隙に、友輝がそっと床にしゃがみ込む。
テーザーガンで二度も撃たれて、気絶した郁也の腕を掴み、床板の一角を外す。
「フミフミ……しっかりしろ! ここから逃げるぞ!!」
藍の視線を盗んで、二人の巨体が穴の中へ飛び込んだ。
直後、カタンと音を立てて床板が元に戻る。
そしてその下では――つるり、と金属のスロープをするすると滑り落ちる音。
部屋に残された二人は呆然と床を見る。
「……床下に滑り台式の脱出路を作る経営者、初めて見ましたよ」
要は額を押さえて呆れたように言う。
「あらあらまあまあ。――逃げられてしまいましたわ」
藍は少しだけ残念そうに微笑むが、その目には一片の焦りもない。
次の瞬間、トランシーバーを取り出し、淡々と指示を出した。
「――対象、滑走開始。出口で確保を」
数分後。
秘密の通路の出口、地下駐車場の裏口。
ずるりと滑り出た二人の目の前に、黒服の男たちがずらりと並んでいた。
「ひ、ひいっ!? な、なんでここに――!」
「ユウユウ……これ、もしかして……」
「……包囲されてるっぽいな、フミフミ……」
捕まる直前、二人の叫びが夜のビルに虚しくこだまする。
『――確保しました』
トランシーバーから報告が入ると、藍は満足げに微笑んだ。
そして要のもとに歩み寄り、ふわりとその身体を抱きしめる。
「怖かったでしょう? まったく、いくら明日、要くんがお見合いをするからって、さらうことなどないでしょうに……」
頭を撫でる藍と固まり微動だにしない要。
いい匂いがする。だが要が固まったのは別の理由だった……
「明日……お見合い……?」
「……あのお二人がそう仰ってましたよ?」
「私が……?」
「ええ……」
「はああああああああああああああ!?!?」
要の絶叫が会長室に響き渡った。




