1 朝から修羅場!? 粘度高めの黄色い歓声
翌朝。レシュリアと要は、パズルのように緻密に組まれた石畳の道を並んで歩いていた。その先にあるのは——私立雅山学園。
学費は世間一般の顎が外れる水準、寄付金は血の気が引くレベル。風の噂では国家予算が小銭に見えるとか見えないとか。敷地のセキュリティは各国の特殊部隊が泣いて帰る堅牢さ。通うのは“やんごとなき”か“マネー・イズ・パワー”の令息令嬢ばかりだ。
「ふぁ……はふ」
レシュリアが口元を隠して可愛くあくびをする。
「お嬢様。新年度早々その緩みはよろしくありません。シャキッと」
たしなめる要の目の下にも薄いクマ。昨夜は彼女が負けるたび「お願いだからもう一回」を数回繰り返し、日付が変わるまでゲームに付き合わされたのだ。
校舎が近づくにつれ人影が増え、二人の前で道が割れる。まさにモーゼ方式である。
——ご覧になって、レシュリア様よ。今日もお美しい。
——要様も凛として素敵……はぁ、叶うなら従者にお迎えしたいですわ。
——新年度から眼福ですわね。
否応なしに耳へ届く称賛。レシュリアがちらと要を見ると、彼は柔らかく微笑んだ。
(……まあ、顔立ちは悪くないですわ)
不意打ちの笑顔にレシュリアの頬が熱くなる。すると周囲の令嬢が一斉に黄色い歓声。
「きゃあああああ、要様ぁ! 今日もかっこいいですぅ!」
その中でもひときわ甘ったるい声が耳にまとわりつく。砂糖水だ、しかも粘度高め。
声の主は、漆黒のショートヘアに日本人形めいた整った顔立ち。そして小柄な少女。
「源道寺文香。まさかあなたに朝っぱらから会うなんて……」
文香はするりと要の腕へ絡みついた。
「あら、いたのねレシュリア。それはそうと要様――今日こそ文香と“永遠の主従契約”、結びましょう? ええ、もちろん主は要様ですぅ」
レシュリアの額に青筋。負けじと反対側から要の腕を引き寄せる。
「ええい文香! なにしているの? 私の要から離れなさい!」
***
二人のお嬢様の生家。富士宮家と源道寺家は、ソフトの富士宮とハードの源道寺、――と業界で並び称される。
週刊誌という煽り屋は“犬猿”を望むが、実際は総帥同士、つまり彼女の父親たちは幼馴染で大の仲良しだった。なんなら二人きりで遊園地にお忍びで行くくらい。
それゆえ潰す潰されるの企業間戦争は無縁なのだが……令嬢二人は、日常的に口撃合戦。
同い年の彼女たちは幼馴染で腐れ縁。お約束の“おまいう”で、自分も刺さるタイプのやり合いを日夜繰り返す。つまりとっても仲がよい
いまも要を挟んで激しく火花を散らす。
——ああ、また要様を巡るレシュリア様と文香様の戦いですわ。
——恋とは戦争。負けられませんわ。
生徒たちは見慣れたショーの開幕にワクワク。もはや娯楽番組である。
「要様ぁ、レシュリアの従者なんて辞めて、文香の従者になりません? おはようからおやすみまでずっと一緒。ついでに二人三脚で人生のゴールイン、どうです?」
文香は要の腕をその豊満な胸部装甲ではさみ、上目遣いでうるり。視線の角度、声色、完璧。
「騙されてはいけませんわ要! 結婚は人生の墓場であると、フランスの詩人ボードレールも仰っていますわ!」
対抗してレシュリアも要の腕を抱き寄せる。しかし残念ながら、こちらは“はさむ”というより“押し当てる”。
「レシュリアぁ、あなたって無知ねぇ。その言葉は“愛する人と墓のある教会で結婚しろ”という浮気な方たちへの戒めの意ですよぉ。胸部装甲だけでなく脳みそまで貧弱なのかしら?」
「失礼な! 先月より少し大きくなりましたわ! あなたこそ、ちんまり身長に垂れ気味の乳。アンバランスで滑稽ですわ!」
「これは“ロリ巨乳”というジャンルですぅ! あなたこそ“ですわですわ”とキャラ作りに必死。金髪にお嬢様言葉まで盛って、いったいどれだけキャラを渋滞させたら気が済むの?」
「この言葉遣いは教育の賜物ですの! いいかげん砂糖と蜂蜜を混ぜたみたいな声、やめてくださる? 私、あなたみたいに尿糖値がⅮ判定になりたくありませんの!」
「それはお父様ですぅ!! 私はいたって健康体ですぅ!!」
天を仰ぐ要。
(あー始まった。落としどころ、落としどころ……やばい、どこにあるんだ……)
二人は左右から要の腕を引っ張る。綱引き状態。
ミシミシとかなりよろしくない音を立てて要の体が悲鳴を上げる。
あわやさけるチーズのごとく。体が真っ二つになる危機の寸前——
ドスン。鈍い音。左右からの引力がなくなる。
「うう……痛いですぅ……」
音源は頭を押さえる文香。隣には要と同じ燕尾服の麗人が、細めた目に怒気を宿して立っている。
拳を鳴らしつつ。文香を見下ろすその姿は悪鬼さながらだ。
「ちょ、ちょっと綾。さすがに拳骨はやりすぎですわ。文香、頭大丈夫?」
『頭大丈夫』これは煽りではない。現場を見れば誰でもそう言う。さすがのレシュリアも悪友を案じる。
「おはようございます、レシュリア様、要君。朝っぱらから我が“クソお嬢様”がご迷惑を。大変申し訳ございません」
麗人――柚木綾は、文香の首根っこをひょいと掴み、文香を立ち上がらせる。
キュートというよりクール。大人びているが彼女も高校二年生。
まさに見た目はモデル、所作は頑固な親方。
——そう主の脳天に拳骨を落とすこともいとわない。だがこれでも文香の“従者”である。
借りてきた猫のように縮こまる文香。生徒たちは「はい解散」とばかりに校舎へ向かっていく。毎度この二人の争いは、綾の拳骨で幕引きがテンプレだ。
先を歩くお嬢様二人に、要と綾が付き従う形で校舎へ向かう。
だが周りをよく見ると、従者を連れて歩くのはレシュリアと文香のみ。
校則では、生徒は従者を一人だけ帯同可とされている。
学力、身体テストはもちろん。身辺調査はプライベートのプの字も残らぬほど徹底して調査され、その後に理事会との面談をし、そして生徒の学費とほぼ同額の保証金を納める。
学園の売りである高いセキュリティを最優先するからだ。
つまり、この学園にいる従者はとにかく優秀であり、そもそも連れて通えるのはお金持ちの中のお金持ち。
要の実家である富士家は、富士宮家の遠縁にあたる。世間からすれば十分に富裕層だが、なぜか彼は“富士家の要”としてではなく“レシュリアの従者”として在籍している。
だがここで一つ問題がある。——従者は同性限定なのだ。
学園は《紳士は紳士によって研がれ、淑女は淑女によって磨かれる》を校訓に掲げており、基本は男女別生活。
校舎も男子棟と女子棟に分かれ、間に広大な中庭と本棟を擁している。
男子が行けるのは本棟まであり、女子棟に立ち入る事は許されない。それは逆も然り。
ゆえに、本来なら要がレシュリアの従者として通うことも、いやそもそもこの先の女子棟へ向かうこの道にいることすら許されないない。
だが——そこは天下の富士宮、そして源道寺。
『それなら、本棟に特別クラスを作ればいいじゃないか』
両家の当主による脳筋プラン。そして理事会の頬を札の塊でやさしく撫でたところ、レシュリアと文香、そして各従者のための“特別学級”が本棟に爆誕した。
さすがは富士宮と源道寺はやることが汚い。
***
「うーん。まだ頭が痛いですぅ。要さまぁ、文香の頭をいい子いい子してください。そのまま抱きしめて、耳元で終わらない愛を囁いてくださぁい」
場所は特別学級。教室には机と椅子が四組しかなかった。四人しか所属していないクラスなのだから当然といえば当然なのだが、問題はその配置だ。
等間隔に並べばいいものを、要を中心に両サイドをお嬢様二人がべったりとくっつけている。
これでは要だけ非常に狭い。
「いい加減になさい文香! 綾! 構いませんわ! この女に再び裁きの鉄槌を——」
「姦しいぞ。朝礼の時間が迫っている。諸君、席につきたまえ」
教室のドアがガラリと開く。
入ってきたのは、黒のパンツスーツを鎧のように着こなした女性教諭。
後ろで束ねた長い髪、きりっとした眼鏡。
その姿はまるで“鬼教官 ”だった。
「まずは出欠を取る……とはいえ、四人全員そろっているようだがな。まあせっかくの新年度だ、たまには形式的にやっておこう。名前を呼ばれたら返事をするように」
淡々と進む出欠確認。
レシュリア、文香、綾……そして最後に——
「富士……要キュン!!」
キュン。
“さん”でも“くん”でもなく、“キュン”。
「……富士先生。大変恐縮なのですが、私の名前は“要キュン”ではありません」
要の冷静な訂正に、教諭はにやりと笑った。
次の瞬間、彼女は目にもとまらぬ早業で、要の机の前に回りこみ――勢いよく両腕を広げて――
「要キュ〜〜〜ン♡♡♡」
抱きしめた。
それはもう全力で。
まるでお気に入りの抱き枕に頬擦りする勢いで。
「ちょ、ちょっと有栖姉様——」
「“富士先生”と呼びたまえ、レシュリア・レンハート・富士宮!! それと、貴様に“姉”と呼ばれる筋合いはなあああああい!!」
豹変。
これである。
女性教諭——富士有栖
一切の隙を感じさせないパンツスーツの下には、弟マジラブという名の爆弾を隠し持つブラコンモンスター。
年齢は二十代半ば……いや、正確には後半だろという外野の声が聞こえてきそうなデリケートなお年頃。だがそれは地雷なので誰も触れない。
要の実姉であり、特別学級の担任教師。
海外の有名大学を卒業後、難関とよばれるこの学園の採用試験をやすやすと突破した才媛なのだが、身内からの評価は、“弟を愛しすぎて一般的な社会常識を捨てた女”である。
「もぉ〜! 要キュンったらぁ♡♡ お姉ちゃんなんだから、大好きな弟をどう呼んでもいいでしょっ!」
——むぎゅむぎゅ。
ぬいぐるみのように要を抱きしめ、頬ずり。
見た目は美人。中身はサイコパス。
「姉さん、やめてください。公私を分けてください。そもそも教師としての威厳が——」
「威厳? そんなもの、とうの昔に、燃えるゴミの日に捨てたわ!!」
可燃性の威厳とは一体。
レシュリアは思い出していた。
幼いころ、有栖姉様は確かに私たち幼馴染グループのリーダーというか“面倒見のいいお姉ちゃん”だった。
だった、はずなのだが……いや待てよ……
今思い返せば、要が汗をかけば、その首筋に顔を寄せて深呼吸。
飲み終わったコップの縁を、涎を垂らしながら見つめる。
……はい、完全にアウトである。
(あら? “片鱗”どころか、あの頃から完成してましたわね?)
——カッ!
突然、視界の端に強い光。記憶の海を遠泳中だったレシュリアが、強制的に現在に水揚げされる。
見ると、有栖が腕を組み、阿修羅のような形相で睨んでいた。
「——何をぼーっと呆けている、富士宮。私の前で随分といい度胸ではないか。ん? そんなに教育的指導をされたいのか?」
こめかみに青筋、目は完全にハイライトオフ。
圧が物理的にくる。
レシュリアは即座に背筋を伸ばした。




