07 図書室へ行こう
その日、日課の礼拝を終えた私はベルビュー宮殿にある図書室へと足を運びます。
図書室に行くのは今日が初めて……という事は無く、何度も通っている。
そのため道に迷う事はないです。
とはいえ、結構な距離が有るのです。
あらかじめ読む本が決っていればアマベル辺りに取りにいって貰う事も出来るですが……。
残念ながら決った本を読みたいわけでは無いのです。
いろいろ手に取って、コレ!っと思った本を読む。
そう言うのが楽しいのだと思ってます。
まぁ、自身が運動不足気味なのは理解しているので、丁度良い運動になるのではないかな?
自分にそう言い聞かせながら歩いていると図書館にたどり着きました。
入り口にいる司書の方と軽く挨拶を交わして中に入ります。
図書室の内部は何時もの通り薄暗い。
一度司書の方に「なぜこれほど薄暗いのか?」と聞いたことがあります。
すると分かりやすく教えてくれました。
なんでも陽の光は本を痛める大きな要因の一つだそうです。
そのためこの手の本を保管する場所は出来るだけ窓が少なく、陽の光が差し込まないような部屋作りにしてるのだとか。
その回答になるほど、とは思いましたがそれでも薄暗いのには不満が残ります。
もっと明るければいいのになぁ~、と思いながらも目に留まった本を手にとってパラパラと捲り、そして本棚へと戻す、そんな作業を繰り返しました。
ピンと来る本には中々出会えません。
それでも幾つか気になった本を数冊抱え込むと、空いている机へと向かいました。
そして着席するとおもむろに本の最初のページを開く。
今日手に取った本は魔物に関する事が載っています。
孤児院へ慰問に言った時も院長が「最近魔物の襲撃が増えていて孤児になる子供が増加している」などど言っていましたし、私も気になっていたのです。
ふむふむ、なるほど。
この本によると特定の周期で瘴気が強くなると書いている。
とすると、今がその「特定の周期」に当たるのだろうか?
なぜ強くなるのか?
その原因はいまだに詳しい事は分かってないらしい。
とはいえ王国も手をこまねいているのでは無く、各地に騎士団や傭兵団を派遣して対処していると聞きます。
この本には対処しきれなかった場合は魔物が溢れ、周辺の村々どころか大規模な都市まで襲われる危険性を指摘して抜本的な解決が望まれる、と結んで終わっていた。
正直な所、読み終わった直後は「怖い」と思いました。
でも少しばかり時間をおいて冷静になると、「今までも大丈夫だったのだから今回も大丈夫なのだろう」と思い直します。
そんな時、図書室の扉が開く音が聴こえた。
誰かが入ってきたようだ。
勿論、この図書館は特に秘せられた場所でもないので、誰かが入って来るのは珍しい事ではありません。
それでも誰だろう、と目をやると、何という事でしょう、その相手は見知った相手では有りませんか。
綺麗に撒かれた美しい髪にきりりとした蒼い眼、そう、私の話し相手を任されたズザンナです。
そんなスザンナは相変わらずの気品がオーラとなって、私の席まで漂ってくるようでした。
そして私と目があうと丁寧に頭を下げる。
「まぁ、スザンナ、貴女も図書室に?」
「はい、手が空いたので新しい本に出会えればと思っていたのですが、シェアー殿下もいらっしゃるとは思いませんでした」
そう言ってスザンナは私が読んでいた本を見ると驚いたようでした。
「殿下は随分と難しい本をお読みなのですね」
「普段はこのような本は読まないのですけど、最近魔物の発生が多いと聞きまして気になって調べてしまいました」
「そうみたいですね。私も幾度か耳に挟んだことがあります」
やっぱり、スザンナの耳にも入ってるんだ。
「お茶会などをしていると、領地の近くに魔物が発生した、なんて話すご令嬢が多いのですよ。本当にどうなっているのでしょう?」
「そうなのですか」
「はい。中には婚約者が騎士を率いて討伐に行ったは良いものの、怪我をして帰って来た。なんて涙目になりながら話す令嬢もいました」
「まぁ、それは……」
「そのお姿が本当に可哀想で、慰めるのも大変でした。それとは別の令嬢が話していたんですがどうも今まで見た事もない魔物も出現しているようですよ」
「今まで見た事もない魔物ですか?」
「はい、その方の領地では令嬢の弟君が同じように騎士を率いて討伐に向かったらしいのですが、戻ってきたその弟君が令嬢にそのように語ったようです」
そこでスザンナは声を一団小さくする。
「なんでもその魔物は人型をしていたとか」
「えっ!?」
予想外の言葉につい声が大きくなってしまった。
私は反射的に口を手で抑え辺りを見回すが、幸いと言うか周りは特に気にしていないようでした。
瘴気により狂った動物が俗に魔物と言われます。
それが人型をしていた、とはどういう事でしょうか?
「そ、それって人が瘴気によって魔物となってしまった、という事なのですか?」
「私も聞いた話ですから詳しくはわかりません。でもその令嬢は確かに弟君はそう言っていたって」
「それとも二本足で立つことが出来る動物、……例えば猿とかが魔物と化したのを見間違えたのでしょうか?」
「そうかもしれません。そのご令嬢も、私もあくまで聞いた話でしかないので……」
そんな恐ろしいヒソヒソ話はこの後も続き、二人で「怖いですわね」などと相槌を打った所で話を切り上げる。
本を元の場所に戻し、お互いに「ごきげんよう」と軽くお別れの挨拶をすませ別々に歩き出して暫くの事。
「あれはもしかして……?」
私がベルビュー宮殿の廊下を歩いていると廊下の向こう側にある人の姿が見えた。
そのまま足を進めると、その姿もハッキリ見えてくる。
やっぱり、ユリエル卿だ。
ファーディナンド殿下の側近の一人である。
いつもお部屋でお忙しそうにしてるのを拝見してるので、こうして出歩いている姿をお見かけするのは珍しいのです。
私はすれ違いざまにご挨拶しようとしましたが、それよりも早くユリエル卿の方が話しかけてきました。
「シェアー王女殿下、丁度よかった。今、丁度呼びに行こうと思っていたのです」
「えっ、私に御用だったのですか?」
「ご用事がなければ私とご一緒して頂けませんか?」
「はぁ……分かりました」
ユリエル卿の後ろをトコトコとついて行く。
そうして連れていかれた先は、案の定というかファーディナンド殿下が良く使われる部屋の一つです。
何の用事だろう?
あまり長い用事でなければ良いのだけれど。
そんな事を考えながら、私は扉を潜った。
「失礼致します」
中には予想した通りファーディナンド殿下がいらっしゃった。
でも何か普段とは違う顔つきをしてるように感じられる。
私が来るまでの間に、何か難しい話をしていたのかも知れない。
私に関係なければ良いんだけどな。
そんな事を思いながらも極力顔には出さず、勧められるままソファーへと座りました。
「調子はどうだ?」
「調子ですか?私は何時もと変わりませんが……」
「そうか、それは良かった」
ファーディナンド殿下は何かを話たそうだけど、なぜか言いよどむ。
私は出されたお茶に手を付けながら、ファーディナンド殿下の思惑を探ろうとしてました。
するとお互いの目が合い、はからずも見つめ合う形になる。
ファーディナンド殿下は微笑みながら目を細め、私は見つめ合った事が恥ずかしくなって慌てて視線を逸らす。
「こほん、殿下方?睦事はせめて二人切りの時にやっていただけませんか?この場には私もいる事をお忘れなく」
「む、睦言なんてしてません!」
私は反射的にユリエル卿に反論しました。
そんな私の慌てた様子にファーディナンド殿下は「ククク」と含み笑いを漏らしている。
「そうだな、そう言う事は二人きりの時にするか。今日はシェアーに大事な話があって呼んだんだ」
そう言ってファーディナンド殿下はティーカップを持ち上げると、お茶を口に含んでから言葉を続ける。
「しばらくシェアーには王都を離れて貰いたい」
「えっ!?」
思いもよらぬ言葉がファーディナンド殿下から飛び出しました。
「実は暫く王都を離れる事になってな。それにシェアーも付いてきてもらいたい」
「……ファーディナンド殿下が王都を離れるのですか?」
「そうだ」
「それに私も付いて行くと……まさか二人きりで旅行などという事は無いですよね?」
思わずそんな事を口にすると、ファーディナンド殿下はユリウス卿と顔を併せ、それから二人で笑い始めた。
「なんだ二人きりが良かったのか?残念だがユリウスも始めとする私の側近なども一緒だ」
私は酷い勘違いをしてしまった事にますます恥ずかしくなって、火照った顔を隠すように俯いてしまった。
「ど、どちらに向かわれるのでしょう?」
顔を見られないようにしながら私は何とか言葉を搾り出します。
「シュヴァーベン領に行くことになる。そちらに用が有るのでな」
「シュヴァーベン領?ってファーディナンド殿下の……」
「そうだ、私の領地になる」
シュヴァーベン領は王族に与えられる領地の一つだ。
肥沃な大地と様々な主要産業を持ち、王国にとっても主要な領地。
それが今はファーディナンド殿下に与えられている様です。
「ちょっとした問題が発生しているようでね。埒も明かないので私自ら行くことになった」
「そうなんですか」
「それにシェアーも同行してもらう」
口調は丁寧だが、これはお願いでは無く実質的な命令だ。
私には拒否する権利など無いに等しいのは分かっています。
「わかりました。……それで出発はいつ頃になるでしょうか?」
「そうだな……大体二週間後程度を想定している。準備もあるのでな」
「二週間ですか。分かりましたそれまでに私も準備しておきます」
突然の話で困惑していた……と、言いたいところですが実は私はひそかに喜んでいました。
実は私はこうした旅行は初めてだったのです。
二週間か……着替えとか向こうにあるのかしら?
二週間どころか、数日すら旅行をしたことが無いためよくわかりません。
着替えの他にはなにが必要なのかな……
などとアレコレ夢想していましたが、ふとファーディナンド殿下が怪訝な顔をしているのに気が付いた。
むむ?
「……予想とは違って何やら嬉しそうだな。王都を離れるのだぞ?」
おっと、ついうっかり顔に出てしまったようです。
「……実を申しますと私は王都を離れるのが初めてなのです」
「ほう?」
「なのでまだ見ぬシュヴァーベンに思いを馳せてしまいました。一体どんな所なのかと」
「王都と比べたら全然田舎だな。まぁ王都と比べるのもおかしいのだが……」
「そうなのですか。でもそれはそれとして楽しそうです」
「正直な話、華やかさの欠片も無いのでシェアーは同行を嫌がると思っていたが……」
まぁ普通の令嬢であればそうなのかもしれません。
でも私は何年も自身の離宮に引きこもっていましたら、外の世界は憧れだったのです。
「そう言えばシェアー王女殿下は長年病弱と称してご自身の離宮から離れる事はありませんでしたね。だから外の世界に憧れがあるのではありませんか?」
ユリエル卿は何かを察したらしく、そうファーディナンド殿下に説明をしてくれます。
「そう言えばそんな話だったな。だからシュヴァーベン領に同行させる話を聞いてもそんなに嬉しそうなのか」
「その通りです……」
王都を離れて別の領地に連れていかれるだけで、こんなにも喜んでしまう自分が、とてもお安い人間に思えてしまう。
私は今更ながら恥ずかしさを感じてつい顔を俯かせる。
そんな私を見てファーディナンド殿下は「ククッ」って含み笑いを漏らすと。
「まぁ、そうだな。シュヴァーベン領には華やかさは無いし、観光名所的な場所があるわけでも無い。とはいえ王都とは違った趣があるのは確かだ。シェアーには色々と新鮮なのかも知れないな」
そう言ってファーディナンド殿下とユリエル卿はお互いに顔を見合わせると苦笑しました。
「実の所、ご同行させる話をすればシェアー王女殿下はお断りにはならないが、ご不満を持つだろうと思っていましたので好都合でしたね」
「まったくだ」
どうやら二人の間ではそんな風に私は思われていたらしい。
なんとなく悔しさを感じる。
「……今からでも不満を現せば宜しいですか?」
「それは困ります」
「そうだな、折角快諾を貰って丸く収まったというのに」
そう言って二人とも笑う。
二人の様子を見て気恥ずかしさが増し顔がさらに火照るのを感じながら、私は誤魔化すように笑みを浮かべるのでした。