10 初めてのコーヒー
その日の事、私はお庭にお散歩に行く途中でした。
今日は朝からとてもとても良い天気で空は晴れ渡り、小鳥の美しい歌声が聴こえる、そんな絶好のお散歩日和の日だったのです。
と、そこへ見知った方が目に入りました。
ファーディナンド殿下です。
「シェアーか、今日はまた慰問にでも出かけるのか?」
「いえ、今日は今からお庭でお散歩でもしようと思っていた所です。こんなに良い天気ですから、部屋に籠っているのはなんか勿体なく思いまして」
「そうか……。なら丁度良い、お前も私についてこい」
「えっ!?……了解いたしました」
突然のファーディナンド殿下のお誘いに少しびっくりしました。
どこに連れていかれるのか、聞いてみます。
「ファーディナンド殿下は何処に行かれるのでしょうか?ご公務でのご訪問なら私は着替えなければなりません」
「ん?そのままで良いぞ。別に公務では無い。私的な事だ」
そう言ってファーディナンド殿下は不自然に視線を逸らしたように見えました。
なんか怪しい……。
「左様でございますか」
その私の言葉に何かを感じ取ったのかユリエル卿は笑みを浮かべながら口を開く。
「別に隠さなくても良いでしょう殿下。単にお忍びですよ。先ごろ評判になっているカフェが有るとかで殿下が興味を持たれたのです」
「カフェ?」
「えぇ、外国から取り寄せた珍しいお茶が売りだそうで、配下の騎士達が話題にしていました。それを聞きつけた殿下が興味を持たれたのでご案内する所です」
以外だ。
ファーディナンド殿下もそんな事に興味を持たれるんなんて。
チラリとファーディナンド殿下の顔を伺うと、なんとなく気恥ずかしそうな顔をしていました。
「……今日は公務が入っていないからな。ただの興味本位だ、意外に思うか?」
「いいえ、日々ご公務でお忙しいファーディナンド殿下にも息抜きは必要ですものね。それにそんな素敵な場所なら私も興味があります」
そう言いながら私はにこやかに微笑みました。
「そ、そうか。だが勘違いするな。これは市井の生活を知るうえでも大切な事なんだ。だから只の息抜きや遊びではない」
「了解いたしました」
まるで言い訳をするようにそんな事を捲し立てるファーディナンド殿下です。
別にそんな説明をする必要も無いんですけどね。
そんな事を思いながら一緒の馬車に乘りその場所へと向かう。
馬車に揺られる事十数分後、その場所へとたどり着いたようだ。
事前に連絡が入っていたのか、私達は奥まった場所にある個室へと案内されました。
落ち着いた雰囲気のあるテーブルと椅子だけの部屋です。
小さいながらも窓があり、外の様子も伺えます。
店員さんが注文を取りにくるとメニューも碌に見ないうちにユリエル卿が注文をする。
「ここで評判になっている外国の飲み物があると聞いたのだが」
「はい、コーヒーの事でございますね」
「恐らくソレだろう。ソレを人数分頼む」
「了解いたしました」
店員はお辞儀をするとさっさと出て行きます。
「コーヒーという名前の飲み物ですか。どこかで聞いたような気がします」
「そうか、私はこの間しったばかりだが、シェアーは博識だな。じゃ飲んだこともあるのか?」
「いいえ、飲むのは初めてです。聞いたことがあるのも私の勘違いかも知れませんし」
そんな事を話している間にコンコンとドアがノックされ店員が入室し、全員の前にコーヒーが並べられました。
私は目の前に並べられたカップをじっとみつめる。
カップには黒い液体が並々と注がれており、香ばしい香りを漂わせています。
こ、これが外国のお茶なんでしょうか?
私の知っているお茶はどんなに濃く入れても決してこんな色にはなりません。
私は予想外のお茶にちょっと躊躇してしまいましたがファーディナンド殿下は特に躊躇される事なくカップを手に取ったようです。
「どうした、シェアーは飲まないのか」
「あ、いえ。ちょっと想像とは違ったものが出てきたのでビックリしてしまいました」
いつまでもカップを手に取らずじっとみつめていた私をファーディナンド殿下はコーヒーを一口含むと笑みを浮かべながら声をかけてきました。
私は慌ててカップを取りコーヒーを口に付けます。
ん!?
なにコレ……苦い。
お世辞にも美味しいと思いませんでした……。
「普段飲んでいる茶よりも味が濃いのだな」
「両殿下、この飲み物は好みに応じてミルクや砂糖をいれて飲むようです」
私の心中を察したのか、そう言ってユリエル卿はコーヒーと一緒に運ばれてきた入れ物からミルクや砂糖を注ぎ込む。
それを見て私も真似をしてミルクと砂糖を自身のコーヒーに注いで口を付けました。
あ、美味しい!
苦みが適度に中和され、程よい甘味となって感じられました。
「正直最初はそうでも無かったのですが、ミルクや砂糖を入れると美味しさが際立ったような気がします」
「そうか?私はそのままでも十分美味いと思ったのだがな」
「この飲み物にはもう一つ、眠気を吹き飛ばす効果も有るようですよ」
「ほぅ、そうなのか」
「えぇ、それもあって夜勤担当の騎士が良く飲みに来るようです」
「そんな効果があるのですか」
「えぇ、シェアー殿下。昼に飲み過ぎると夜寝れなくなってしまう者もいるとか。シェアー殿下もお気をつけください」
「えっ!?」
私はビックリして慌ててカップを机の上に戻します。
そんな私の姿が滑稽だったのか、ユリエル卿は笑みを浮かべると、
「あくまで『飲み過ぎたら』のお話しです。一杯程度なら大丈夫では無いでしょうか」
その言葉を聞いて私はホッとして再びカップを口に運びました。
そんな私の様子をみてファーディナンド殿下はフフフと笑いながら、
「眠たく無くなるならば私には好都合だがな」
などと言うと、ユリエル卿が爆弾発言をした。
「ファーディナンド殿下、夜遊びもホドホドにしてくださいね」
「えっ!!」
夜遊びってそれってつまりツマルとこ詰まればアレよね。
馴染みの女性とアレコレをしてるとかそういう事!?
「な、違う!」
突然ファーディナンド殿下は大きな声を出すとユリエル卿を睨みつけました。
そんな様子のファーディナンド殿下を見ながらユリエル卿は小さく笑うと、
「そうですね、ファーディナンド殿下にはそんな暇はありませんでした。この後も戻ってから処理しなければならない案件が溜まっております。ですので――」
そういってユリエル卿はわざとらしく言葉を切ると、
「ですのでファーディナンド殿下は夜遅くまでご公務にいそしんでおられるのです。先程のは私のホンの冗談で、決してシェアー殿下がご想像されたような事はありませんのでご安心ください」
そんな事を言われて、私は自身の変な想像が見透かされたような気がして恥ずかしさのあまり、顔が火照ってくるのを感じて見られないように俯いてしまいました。
「そ、そうですか」
「まったく、ユリエル。お前もいい加減にしろ。いずれ冗談ではすまなくなるぞ」
「はい、ファーディナンド殿下」
そう言われて頭を下げながらもユリエル卿はその顔に含み笑いを浮かべています。
もぅ!
これからこの人の言う事はいちいちまに受けないようにしよう。
そう決心した一日でした。
★★★★★
「お披露目ですか?」
「そうだ」
その日の夕食で顔を併せた私にファーディナンド殿下はそう仰いました。
誰の?
とは聞きません。
私の事ですよね、皆まで言わなくてもわかります。
「一応シェアーは私の婚約者と言う事になっているからな。ここは私が拝領している領地だ。領民にお披露目は必要だろう」
デスヨネー。
概ね私の想像通りの答えが返ってきました。
実のところ私の本音では『そんなもの開かなくて良いのでは?』と感じています。
が、やはりそう言うわけには行かないのが王族の辛いところ。
基本あまり外を出歩かない私と違ってファーディナンド殿下はご公務でアチコチ行かれる事が多いので訪れた先でイロイロと言われる事もあるのでしょうね。
「了解致しました。それで開催はいつになるのでしょうか?」
「正式な日取りは調整中だが、それほど遠くない日程で行う予定だ」
幸い、現在は社交シーズンの為、多くの貴族は領地から王都に集まっています。
なので参加者はそれほど多くはならないだろうとの事。
あくまで領地領民を蔑ろにしていないという実績造りの一環でしょうか?
聞くところに寄ると近年における魔物の被害増加により、この手のイベントは自粛傾向に有ったそうです。
なのでシュヴァーベン領では久々の良い話題になりそうだ、との事らしい。
「そうですか、これで領民にも明るい顔が戻られると良いですね」
「そんなに上手くは行かないと思うがな。それでも領民にも娯楽は必要だろう」
そう言ってファーディナンド殿下は渋い顔をされる。
私も華やかなイベントで一時的にでも領民に笑顔が戻ってくれればと思う。
とはいえ、このイベントのメインはファーディナンド殿下と私です。
寧ろ領民にある程度馴染みがあるファーディナンド殿下より、初めて見る私に注目が集まる事は目に見えているわけで。
考えると気が重くなります。
参加するにしても私は壁の花で居たいのだけれど。
「と、言うわけだ。シェアーも心しておけ」
「はい、了解致しました」
「良い返事だが、実際はどうだ?気が重そうだな」
上手く取り繕ったつもりだったけど、実際は表情に出ていたのでしょうか?
ファーディナンド殿下にはお見通しだったようです。
「えっと、まぁ、少しだけ……」
「舞踏会のダンスの事ならあまり気にしなくてよいぞ、私が上手くフォローしてやる。女性に足を踏まれる事には慣れているからな」
などど笑いながら言ってきます。
なるほど、ファーディナンド殿下はダンスにはよほど自信があるようですね。
「そんな事を言うと本当に踏んでしまうかも知れないですよ?」
そんな私の冗談に、ファーディナンド殿下は苦笑して答える。
「おっとすまない、今のは言葉の綾だ。出来れば踏んでほしくないからな」
「正直に申しますと注目を浴びるのが嫌なのです。出来れば壁の花でいたいと思っています」
と、正直に言いました。
が、返って来た返事は私の思っていた通りのものでした。
「ソレは無理だな、シェアーは私の婚約者、という事になっている。注目を浴びざるを得ないだろうさ」
はい、わかってました。
でも分かっていたとはいえ、正面から否定されるとますます気が重くなってしまいます。
「それとも私のそばにいるのは嫌か?」
ファーディナンド殿下はそう、意味ありげな視線で私に問う。
その視線の色っぽさに思わず私の鼓動は高鳴ってしまった。
「そ、そんな事はありません」
胸の高鳴りと共に顔が火照るのを感じた私は、思わず視線を落としながらそう答えるのが精いっぱいでした。
★★★★★
「お披露目ですか、それは準備のし甲斐が有りそうですね」
部屋に戻った私はアマベルに話すとそう言って目を輝かせました。
「殿下、衣装はもう決まっているのですか?」
「いいえ。もうこの際だから衣装もアマベルにお任せするわ。好きにして頂戴」
私が投げやり気味にそう言うと、より一層アマベルの目が輝いた気がしました。
「わかりました殿下、このアマベルにお任せください!」
そうして選んできたのは鮮やかなブルーのドレスでした。
「殿下はどの衣装もお似合いですが、特にこの色が一番映えると常々思っておりました」
「そうかしら?」
「そうですよ!私を信じてください」
そうしてテキパキと私に着せてくれる。
「ほら、良くお似合いですよ!」
そう言ってアマベルはご満悦な様子ですが、私にはイマイチ他のドレスとの差がわかりません。
でもアマベルがそう言うのですからここは任せましょう。
「後は髪型も決めなければなりませんね」
そう言ってアマベルは私の後ろに回り込むと丁寧に髪を結い上げてゆく。
「よし!あとはアクセントに髪留め――いや、殿下にはリボンの方がお似合いですね」
そしてアマベルが選んだのはドレスと同じようなブルーのリボン。
それで髪を緩やかに縛るとアマベルはウンウンと頷いた。
「殿下、このような感じで如何でしょうか?」
「悪くはないと思うけど、正直の所良く分からないわ。でもアマベルからみたらこれが私に一番似合っているのよね?」
「勿論、この国で一番綺麗だと思います!」
そんな大げさな言葉まで飛び出す始末です。
さすがにこの国一番は大げさですよね?
と思いましたが口には出さず苦笑するに留めます。
「頭はこれで良いとして……あとは胸元のアクセリーが――」
こうしてしばしの間、私はアマベルの着せ替え人形となって時を過ごしたのでした。
 




