09 シュヴァーベン領へ
その日の夜のこと、私は晩餐の場所へと向かっていた。
ちなみにお尻の痛みはまだ引いていない。
部屋にいた時はずっとフカフカのベッドに腰かけていたからまだましだったけれど、晩餐では普通の硬い椅子に座る事になるだろう。
それを考えると、少し憂鬱になります。
案内にしたがい晩餐の場所に入り、指示された場所へと着席する。
『痛っ』
着席した瞬間、お尻に奔った痛みに声を漏らしそうになったけど、なんとか押し殺す事に成功しました。
暫くすると、ファーディナンド殿下が入室してきて晩餐が始まる。
正直お腹は凄く空いていましたが、お尻の痛みが気になって食は進みませんでした。
その時、不意にファーディナンド殿下から声が掛けられる。
「シェアー、ここの食事はどうだ?」
私は慌てて笑顔を取り繕うと、この場に相応しい言葉を並べます。
「とっても美味しいです。この料理はシュヴァーベン領独自の物なんですか?」
「あぁ、そうだ。この地方独特の料理だな、王都では中々見られない物だ」
出されている料理は一見普通の肉料理なのですが、変わった野菜が添えられて一口含むとこれまた変わった香りが口の中にまで広がる。
人によってはその香りが邪魔だ、と思う方がいるかもしれませんが私にはその香りとお肉が丁度良い調和を生み出しているように感じました。
「シェアーの口に合っているようで良かった。料理長も喜ぶだろう」
そう言ってファーディナンド殿下は微笑む。
そして話は料理の話からシュヴァーベン領内の話へと進む。
「最近この領地でも魔物の被害が多発していてな。明日から私はその調査に入る」
「そうなのですか」
「あぁ。だから私自らここまで来たのだ、一応は私が納める領地だからな。暫くの間シェアーの相手を出来なくなると思うがお前は好きに過ごして良い」
「分かりました、でしたら私は領内の慰問に訪れたいのですが宜しいですか?」
「慰問?」
「はい、慰問は王族の義務なのでしょう?私は長い事そのような活動をして来なかったものですから、これを機会に挽回したいと思います」
「そうか、シェアーがそうしたいのであればそうすれば良い」
ファーディナンド殿下の許可も取れたので明日からは慰問に出かける事にしよう。
ついでに城下をイロイロ見て回りたいけど大丈夫ですよね。
ファーディナンド殿下も好きに過ごしてよいって言ってたし。
こんな感じでファーディナンド殿下から現地が取れた所で、晩餐の方はお開きとなりました。
最初はお尻の痛みのせいで食が進まないと思っていたけど、結構食べた気がします。
料理の美味しさに夢中になり、途中からはお尻の痛みはスッカリ忘れていました。
太らなければ良いのだけれど……。
部屋に戻ると、私のそんな様子に気が付いたのかアマベルが、
「どうかされましたか?」
と聞いてきました。
「いやね、料理が思いのほか美味しくてつい食べ過ぎたような気がしたの」
「もぅ、またですか?本当にお太りになっちゃいますよ?」
それを聞いたアマベルが呆れたような顔をします。
「だ、大丈夫よ。ちゃんとコルセットをしていたから太るほど食べられないわ」
するとアマベルが「フフッ」って意味深に笑いました。
「本当にそうだと宜しいですね」
私ははっとしてお腹に手に当てると、その瞬間こらえきれなくなったのかアマベルが「プッ」と噴き出す。
その動作で私はアマベルに騙されたと気づきました。
「もぅ、アマベル!」
「ふふふ、すみません。つい殿下をからかってしまいました」
そして二人で顔を見合わせるとお互いに笑い出したのでした。
★★★★★
そして次の日。
シュヴァーベンでの最初の朝はとてもとても目覚めの良い物でした。
優しく差し込む陽の光と、耳障りの良い鳥の鳴き声と共に迎える朝は格別です。
馬車旅の疲れや、お尻の痛みももう感じません。
朝食と礼拝を終えた私は外出着に着替えると早速慰問へと向かう。
今日行く場所は病院です。
魔物の被害に遭われた人々や、負傷した騎士達がそこで治療を受けていると聞いています。
その場所に足を運んだ私達を出迎えてくれたのは責任者だと言う白髪の女性でした。
「突然の訪問に出迎えていただき感謝いたします。私はシェアー・フォン・ノイブルクと申します」
「これはこれは、シェアー王女殿下自らこのような場所においで頂き感謝のしようもありません」
口ではそう敬意を現してくれましたが、顔などをみるにどうも迷惑そうな雰囲気を醸し出していました。
察するに私達が来ることにより治療や看護に支障が出る事を懸念しているのでしょうか。
「ファーディナンド殿下よりこの場所で魔物の被害に遭われた方々への治療をしてると聞きましたので慰問に訪れました」
「左様でございましたか。勿体ない事でございます」
「もし宜しければ、いろいろとお話しを聞かせていただけませんか?」
「了解いたしました」
そして彼女は淡々と話始めます。
魔物の被害は日に日に広がっており、討伐に向かう騎士達にも負傷が増えている事。
それに比べて治療や看護に携わる人数は大きく増えておらず、毎日がてんてこ舞いだという。
暗に私への対応も迷惑だと言わんばかりです。
そんな忙しい中、病院の案内をしてくれることに感謝の念を唱えます。
そして彼女はある部屋の前で立ち止まる。
「こちらの部屋は症状が重い方の病室になるため、入られるのであればシェアー王女殿下もこちらの衣装を身に付けてください」
そう言って渡されたのは病院で働くものが身に付ける白衣と目の所だけが空いた頭部を覆い隠す頭巾でした。
私はかつてズザンナが言われた事を思いだします。
『一度、病院へ慰問に行ったことがあるのですが、そこで酷い怪我をしてる人を見てしまって。びっくりして足がすくんでしまいました』
その言葉を思いだして私は一瞬戸惑いましたが、渡された白衣と頭巾を身に付けた。
そうして中に入るとまず強い薬品の臭いがしました。
辺りを見回すと部屋の隅には棚が並びそこに乾燥させた薬草などの薬品が保管されているようです。
またベッドが沢山並び、ベッドの上で包帯を撒かれて呻いている人が沢山いました。
そしてその部屋では私と同じ白衣を来た人々が忙しそうに入りまわっている。
よほど痛いのか大きな声で呻いている方や、酷い顔色で死んだように眠っている方、向こうのベッドに寝ている方は呻いてはいないものの、片足がありませんでした。
「酷い……」
私はそう呟くと、思わず顔を逸らします。
ここにいる患者は状態こそ悪いものの、何とか命は助かりそうな方ばかりだという。
病院に運び込まれる方の中には、もう手の施しようのない方々もいらっしゃるとか。
そんな後は死が訪れるのを待つしかない人々に比べたらこの方々はまだマシなのだと彼女は言います。
その時、白衣を来た人が部屋に飛び込んでくると叫びました。
「急患です、場所を開けてください!」
そして担架に乗せて運び込まれた方は、アチコチに様々に傷があり、それだけでなく腕が途中でちぎれたようになって、血を止めるために撒かれた布が真っ赤に染まっていた。
生きているのが不思議なぐらいの重症だ。
よほど苦しいのか、聞くに堪えないうめき声を出しています。
「痛い、痛い」となんども喚いているその人を数人がかりで治療台に乗せると、身体を激しく動かすその人を押さえつけると治療を始めた。
「うぎゃあぁぁぁぁぁ!!」
薬品を傷口にかけたとたん、激しい叫び声が部屋中に響き渡る。
私はとてもとても見てられずに顔を逸らすしかできませんでした。
「これから治療が始まりますので、殿下は退出をお願いします」
そう言われ、私は促されるままに部屋を後にする。
部屋を出る直前、
「これから千切れた断面を切り落とすのでもっとしっかり身体を抑えてください」
そんな背筋が凍るような声がして扉がしまったのでした。
「シェアー王女殿下、大丈夫ですか?お顔が優れないようですがお休みになっていきますか?」
よほど酷い顔をしていたのだろうか?
気が付けば無意識のうちに両手をぎゅっと握りしめていたらしく、手が少し腫れた様になっているのに気が付きました。
手を離した今でもヒリヒリと軽く痛む。
「い、いえ、大丈夫です」
まさか気が付かれたわけではないだろうけど、私はそう言って微笑み取り繕った。
「いつもあのような重篤な方が運び込まれるのでしょうか?」
私の質問に、少しためらったように彼女は答えます。
「……はい、最近は魔物の襲撃も増加しており、あのような状態で担ぎ込まれる者も以前より増えています」
「そう、なのですね……」
「えぇ、でも先程の方ならなんとか命は助かるかと」
何にせよ命が助かるようなら良かったです。
「想像したより遥かに大変な状況なのですね。思い付きで慰問などに訪れてしまい治療の妨げになってしまい申し訳ありませんでした」
私はそう言って、深く頭を下げました。
「そんな事はありません!シェアー王女殿下が慰問に訪れた事によって患者達の気も晴れる事でしょう」
慌てた様子で彼女はそう言ってくれた。
「……本当にそうでしょうか?」
「そうですとも。殿下が慰問に訪れたという事は王家が被害に有った者を気にかけている、という意思表示になりますからね。自分達が見捨てられていない、と思う方も多いはずです」
そう言って優しく微笑みながら頷く彼女の顔をみて、私も安心して頷き帰路についたのでした。
★★★★★
そして部屋に戻った私を出迎えてくれたのはカーくんのこんな心無い一言でした。
『アータなんか嫌な臭いがするわね。その臭いを落とすまでアタクシに近づかないでちょうだい』
なんと酷い言葉でしょう。
慰問で衝撃的な体験をした私に掛けられた言葉とは思えません。
「な――!!幾ら霊獣とはいえ殿下に対して不敬です!」
思わず私が文句を言おうとした瞬間、アマベルが一足先に文句を言ってくれました。
『だって本当の事じゃない。アータから薬品と血の臭いが混ざったような嫌な臭いがプンプンしてるわよ』
アマベルの睨むような視線を受けてなお、カーくんは平然とそんな台詞を吐きました。
その言葉に私は少しショックを受けた。
「わ、私、そんなに変な臭いがするかしら……」
そうアマベルに問いかけながら私は慌てて自身の腕の臭いを嗅ぎますが病院の臭いに慣れてしまったためか、よくわかりませんでした。
「そ、それは……」
そう言って言葉を濁すアマベル。
う、やっぱり変な臭いがするんだ……。
目に見えて落ち込んだ私に対し、アマベルは慌ててフォローをしてくれる。
「で、殿下は魔物の被害に遭われた方々への慰問で病院を訪れたのです。多少病院の臭いが移っても仕方がないじゃありませんか」
『それは立派だと思うわよ。だけと嫌な臭いを漂わせているのも事実じゃないの』
そう言ってパタパタ尻尾を振りながら前足で鼻の当たりを抑えるカーくんである。
その仕草にカチンと来た私は――。
「えぃ!」
と、隙をみて近づくとカーくんに抱き着きました。
『ちょ、ちょっとアータ!何をしてるのよ!』
「何って、勿論嫌がらせですよ。決っているじゃありませんか」
そう言って私は「フフフ」と勝利の笑みを浮かべる。
『や、やめて!臭いが移っちゃうじゃないの!離しなさい!』
そう言って私から逃れようと手足をバタバタとさせるが私は逃がさないようにしっかり掴みました。
「カーくんも私と同じ臭いにしてあげる。大丈夫よ?臭いなんてそのうち気にならなくなるわ」
そう言いながら私はカーくんに頬ずりして満面の笑みを浮かべました。
『ちょ、や、やめ――く、臭い!離して!』
そう言って半ば涙目になるカーくんをみて、私の気も少しは晴れました。
あまりイジメても可哀想だし、ここらでカンベンして上げましょうか。
そう思った私は腕の力を緩めると、思った通りカーくんはスルリと腕をすり抜けた。
『ア、アータがこんな酷い事をする人だとは思わなかったわ!鬼!悪魔!人でなし!』
「フフフ、御免なさい。でもカーくんも悪いんですよ?」
そう言いながら私はアマベルと顔を併せると、アマベルの方は「良くやってやりました!」という顔をしていました。
そして再びカーくんに視線を移すとカーくんは自分の身体をクンクンと嗅ぎまわっていました。
『いやぁー!やっぱり臭いが移ちゃってるじゃないの!』
そんなカーくんを無視するようにアマベルは、
「では殿下、ご入浴に行きましょうか」
そう言って私を部屋から連れ出そうとする。
「まってアマベル。……ねぇカーくん。一緒にお風呂に行かない?先程のお詫びで綺麗に洗って上げるわよ?」
そう言いながらかがんで手を広げた私を見て、カーくんは一瞬嫌な顔をするも、諦めたような溜息を吐いてから私の腕に飛び込んで来ました。
そんなわけでその日は二人と一匹でお風呂に入り、臭いをスッカリ洗い流したのでした。
 




