00 プロローグ
「姉上……本当にそれでよろしいのですか?」
心配そうな目で弟のハルは私をじっとみつめた。
「えぇ、もうこれしか方法はないの。それともハルには良い考えがある?」
「それは……」
私が問いかけるとハルは言いよどんだ。
そう、他に方法はないのだ。
先日の事、ついに国王陛下が私の離宮に訪れてしまったのだ。
亡くなった母は口を酸っぱくして言っていたものだった。
「良い?決して国王陛下に一人で会ってはいけませんよ?それ所か人目があってさえ、お会いする事すら極力避けなければなりません」
なぜか?
それは国王陛下が好色で有名だったからだ。
母も元はといえば王宮に出入りを許された一介の使用人であり、その時点で既に結婚をし、私と言う子供を授かっていた。
それにも関わらず一目で見初めた国王陛下が強引に母を愛人としたのだった。
私は半ば人質扱いだったのか、母とともに王宮に引き取られ、国王陛下の養女とされた。
そして父とはそれ以来会ってはいない。
噂では母と分かれるか、それとも死かを選ばされ、父はそれなりの金額を渡され国外追放となったらしい。
私は、母と共に王宮に引き取られた後は、公の場に出る事は無くずっと病弱を理由に離宮へ引きこもっていたのだ。
そんな私やハルを守ってくれた母はもういない。
2年程前に流行り病にかかってあっけなく亡くなってしまったのだ。
あまり苦しまなかった事だけが唯一の救いだったと思う。
母が亡くなり、訪れる者がいなくなった私とハルが住まう離宮に、突然国王陛下がやって来たのはまさに青天の霹靂だった。
さすがに自ら足を運んだ国王陛下に会わないわけにはいかない。
「シェアーでございます。わざわざ陛下自ら足を運んで頂き、感謝のしようもありません」
そう言いながら私は膝を折り、流れるような仕草で国王陛下に挨拶をする。
「うむ、会うのは久々だが息災にしているか?」
「……はい。本日は何時もよりは体調が良いように思えます」
「そうか、それは良かった。まぁこちらに座れ」
そう言ってなぜか国王陛下は自らが座っているソファーの隣の席を勧める。
「……はい。それでは失礼いたします」
私は嫌な予感を感じながらも隣に座った。
二人分の重みで革張りの豪華なソファーが深く沈み音を立てる。
「いや、お前は美しくなったな。まるで出会った頃のお前の母、シンディを見ているようだ」
国王陛下はねっとりした視線をもって、私の事をじっとみつめた。
私はその視線を受けながら、いやな汗が身体からにじみ出るような感じを受けるのでした。
「まぁ陛下、御冗談を。私など母の足元にも及びませんわ」
「ははは。そう自分を卑下するものでもないぞ?でもまぁ確かにシンディより美しいと言う事はないか、お前の母はまさに特別だったからな」
そう言って国王陛下は私に手を伸ばし、肩に手を掛け撫でまわす。
その瞬間!
私の身体に何とも言えぬ悪寒が奔り鳥肌が全身に立つのを感じた。
「ん?どうした。少し震えているようだが?」
「……申し訳ありません、陛下。本日は体調が良かったように思えたのですが、いつものように少し熱が出てきたようです」
本当は強く拒絶したかったのだが、なんせ相手は国王陛下である。
私だけではなく弟のハルの運命まで掛かっているのだ。
奥歯をかみしめながら、そう言うにとどめた。
「そうか、本当にシェアーは身体が弱いのだな。あまり無理をするな、今日のところはこれで引き上げよう」
そう言いつつもニヤついた目……ありていに言えばえっちな視線でじっとみつめてくる。
「……折角足を運んでいただいたのに申し訳ありません」
早く帰って、もう来ないで欲しい。
私はそんな内心を隠しつつそう言うにとどめる。
「うむ、では私は帰るが、なにか困った事はないか?」
「なにも、私は今の生活に十分満足しております」
「そうか、シェアーは欲が無いのだな。また折を見て来る。それまでに身体を直しておけ」
そう言って国王陛下は帰って行ったのでした。
★★★★★
「姉上は母上に似てお綺麗ですから……でもだからといって陛下も義理とはいえご自分娘に手を出そうとするなんて」
ハルはそう言って信じられない、とばかりに頭を振る。
「本当に、陛下の女好きにも困ってしまいますわね」
そう言いつつ私は自虐的に微笑む。
だからもうこの方法しか無いのだ。
ハルも今は納得がいかないと反対しつつ、他に良い考えも浮かばないのだろう。
まだ色濃く子供の要素が残り、私と変わらないような細腕を振り上げながら憤っている。
第二王子とはいえ所詮愛人子であるハルは後ろ盾も無く、その立場は非常に弱い。
私と同じく病弱という体で離宮に引きこもっていたのも、宮廷の権力争いに巻き込まれないようにする為、母の入れ知恵だったのだ。
そしてその守ってくれた母はもういない。
ハルは私が守らなければならないのだ。
「姉上はもっとご自分の幸せを第一に考えるべきだと思います」
「ハル、そう言って貰えるて嬉しいわ。でもね?私は貴方を守る事でしたらどんな事でもするつもりよ?もう私の大切な家族はハルだけだもの」
「姉上……」
そう言ってハルは少し涙ぐんだような顔をした。
私はハルの頭をそっと撫で、安心させてやる。
「では行ってきます」
「……はい、姉上。お気をつけて」
そう言って私は自らが住まう離宮を出て、目的の場所へ向かったのだった。
そして馬車に揺られる短い時間にもアレコレとこれから自らが行う事を反芻する。
そのためだろうか?
実際はもっと短い時間のはずなのに何時間も馬車に揺られていたような気がする。
そもそも、この計画は上手くいくのだろうか?
失敗したときの代替プランは用意していない。
それどころか何かしら危険視され、わが身どころか弟のハルまで危険に晒す可能性も無いとは言えない。
やっぱりもっと良い方法が……などと考えつつも、他に良い方法が考え付かなかったから今まさに馬車に揺られている。
そして何度目かの答えの出ない思考巡らせた後、馬車が止まり扉が開かれた。
「シェアー王女殿下。到着致しました」
そう言って使用人から手を差し出され、その手を取りながら馬車をおりた。
結局結論が出ないまま到着してしまった。
目の前の立派な建物を見上げる。
私の離宮よりもさらに立派で豪華な邸宅。
ここにくるのは初めてだが、その豪壮な建物には圧倒されるばかりだ。
「シェアー王女殿下。こちらへ」
使用人のその声で我にかえた私は、作り笑いを浮かべながら頷くと、その後へついて行くのだった。
美しいステンドグラスが嵌め込まれた長い廊下のを抜けた先の部屋が客間らしく、私はそこに案内される。
「こちらで暫くお待ち願います」
そう言って出て行く使用人の背を見ながら、これからやる事が上手くいくように、と願い続けるのでした。
★★★★★
「ファーディナンド殿下、シェアー王女殿下がお越しになられましたがお会いなされますか?」
その声にカップを片手に優雅なお茶の時間を過ごしていたファーディナンドは一瞬言葉に詰まるが、手に持ったカップに口を付けると幾分落ちつきを取り戻し聞き返した。
「シェアー王女殿下、だと?」
シェアー王女は義理の兄であるファーディナンドをしても遥か前に数度出会っただけ、という人物だ。
どんな話をしたのか、いや容姿すらもまったく思いだせない。
確か年齢は……今年で18だったか?
通常の王女であれば、そろそろ嫁ぎ先の一つや二つの話が出てくるころである。
父である国王の愛人……というとストレート過ぎるので妾妃という呼び方をするが、その妾妃であったシンディ妃の連れ子だ。
なのでファーディナンドとは血のつながりはいっさい無い。
名ばかりの王女と言うわけだ。
父がシンディ妃の機嫌を取るために自身の養女……王女したというのがもっぱらの噂だった。
「ユリエル、これはどう見る?」
ユリエル・ソメス、ファーディナンドの側近を勤める男にそう問いかける。
「殿下、いつの間にシェアー王女殿下に手を出されたのですか?」
微笑みながらそう問いかける自らの側近にファーディナンドは反論する。
「……そんな事あるわけないだろう?出会ったことすら殆ど無い王女だ。最後にいつ会ったのか、スグに思いだすこともできん」
「で、あれば。私も想像が付きませんね。ご本人に問いただすしかないでしょう」
誰もが思いつく返答だな、しかしそれが一番確実な方法だ。
「その通りだ。本人に聞くしかないだろうな、こちらに通せ」
「畏まりました」
ファーディナンドがそう言うと、暫くしてから使用人に案内された女性が現れた。
その姿を見た瞬間、「ほぅ」と小さな声がファーディナンドの口から漏れる。
王子として様々な美女を目にしたファーディナンドですら思わず声が漏れてしまうような美しい女性だった。
国王の妾妃だったシンディ妃も美しい女性だったが、さすがにその娘といった所か。
バイオレットの真っ直ぐな髪に赤味がかった紫の瞳、その瞳の上の睫毛は透き通るような白いの肌に影が落ちるほど長く、柔らかそうな唇は紅を引かなくても綺麗な桜色を帯びている。
まだ幾分少女のあどけなさは残るがあと1年もすれば成熟した女性の雰囲気を醸し出すだろう。
「シェアーでございます。約束もせず訪れたこの私に快くお会いくださり、感謝のしようもありません、ファーディナンド殿下」
そう言って膝を折り挨拶する姿は、養女ではなくまるで生まれながらの王族如く、優雅で洗練された物だった。
美しい、素直にファーディナンドはそう思った。
「シェアー、それで私にどんな用件だ?」
シェアーはそれに答える前に部屋を眺めるよう視線を動かすと、ユリエルの所で止める。
「殿下、出来ればお人払いをお願い出来ないでしょうか?」
「ほぅ」
ファーディナンドも視線をユリエルに動かす、するとユリエルは笑みを浮かべたまま首を横に振った。
「悪いが私はシェアーと二人きりになる気はない。もしそうでなければ話せない、というのであれば話はここまでだな」
「左様でございますか……」
と、消え入りそうな声でシェアー頷いた。
「そちらの方はユリエル卿でございますね?殿下の腹心と聞いております」
そう言いながらシェアーはユリエルに対し挨拶をすると、笑みを浮かべたままユリエルも礼を返した。
「ほぅ、知っていたか。では話が早い。私は大事な案件であればあるほどユリエルにも意見を聞く用にしている……それで?重ねて聞くがシェアーは私にどんな用件があるのだ?」
ファーディナンドは鋭い視線をシェアーに固定したままそう問いかける。
私とユリエルの関係は王宮では広く知られた事とは言え、病弱を理由に殆ど自分の離宮から出てこないシェアーが知っている事に若干驚きを感じていた。
目の前のシェアーは特に病弱にも見えないし、一体どこから情報を入手しているのだろうか?
そんな風に思っていた所で、しばらく押し黙っていたシェアーが意を決するように口を開いた。
やっとここを訪れた目的を話す気になったようだ。
「……国王陛下の事で自身にとって出来るだけより良い道を選ぶためにファーディナンド殿下へご相談に参りました」
「国王陛下の事だと?」
「はい、これで最初、私がお人払いをお願いした理由がお分かりですね?」
「……陛下が何だと言うのだ?構わない、ユリエルにも聞かせてやれ」
「……わかりました。実は国王陛下から関係を迫られております」
その言葉に一瞬時が止まったような気がした。
「……すまない、もっと詳しく教えてくれないか?陛下が何だって?」
「はい、昨日の事です。国王陛下が突然私の離宮に訪れました。私と国王陛下が直接顔を合わすのは、私が養女になった時いらいの事です」
そんな昔か、とファーディナンドは思った。
10数年は昔の事だろう。
「急な事なのでさすがに慌てました。他の方なら王女の立場を利用すれば病気の為会う事は出来ない、そう出来るのですけどさすがに国王陛下に対してそんな事は出来ませんでしょう?」
「あ、あぁ、そうだな……」
「ですから私は急いで顔色が優れなくなるメイクをしてお会いに行ったのですけど」
そんな事までして病弱を装っていたのか、と素直に驚く。
「そ、それで?」
「そしたら国王陛下の隣に座らされて、肩を撫でまわしてくるじゃありませんか」
ここまで聞くとファーディナンドもあぜん、とするしかない。
陛下は女好きなのは知っていたが、まさか一旦王女とした自らの養女にまで手を出そうとするとは。
「そ、そうか。それは大変だったな」
「はい、他の方なら強く拒絶して、突き飛ばすことも出来ますでしょう?でも国王陛下にそんな真似が出来ようはずがありません。私は一所懸命に耐えるしかありませんでした。そんな震える私の様子を見て、国王陛下は私が病弱だと思いだしたのか引き上げてきましたが……こんな事が一度で済むとは思えません」
「そうかもしれないな」
「このままでは母と同じように国王陛下の愛人になる未来しかみえません。ですから私、いろいろと考えましたの」
ファーディナンドは嫌な予感がしたがシェアーに話を先を促す。
「私を殿下の婚約者とさせていただけませんか?」
その言葉にファーディナンドは言葉を失ってしまった。