その夢、見続けるか、見終えるか 六
貴志の部屋だった。
本を持ち、机につっぷして、貴志は寝入ってしまっていた。他の面々なく、ひとりだ。
窓からは日が差し込む。
「あれ……?」
フィチは顔を上げて、口元にたれたよだれをぬぐい、周囲を見渡してから、手にある本を見た。
知らない言葉で書かれた本だ。遥か遠い、どこかの国か地域か。
ミミズが這ったような字体で、何が書いているのかさっぱりわからない。
「夢か……」
ぽそっとつぶやいた。
異界の異国に赴き、あれやこれやがあって……。それは夢だったか。
朝起きて、朝食を済ませたのち、本棚からこの本を取った。知らない言葉で書かれた本だが、わからないなりに、頁をめくってゆくうち、寝入ってしまったらしい。
本を読みながら寝入ってしまうなど。
貴志は恥じた。
読書家である貴志にとって、本を読みながら寝入ってしまうのは、恥ずかしいことだった。
しかし、いつ、どこでこの本を求めて、本棚に置いたのか。覚えていない。
題名も内容も分からない。遠い異国の本。
貴志は本を本棚に戻し、椅子に腰かけると、ふと、懐から筆の天下を取り出して、眺める。
(この筆を、天下を使うことはあるだろうか)
そんなことを考える。
思えば、この筆の天下を使う時というのは、常に危急の時であった。逆に言えば、使わない時は平和だということだ。
手触りや毛のつくり、名筆なのは間違いがないが、使われない方がよい筆であることを、貴志は少し惜しむ気持ちはあった。
この筆を、平時に、詩を、小説を書くことにのみ使えたら。
ふと、さっきの、異国の言葉の本を再び手に取り。筆の天下の筆先で触れてみた。
「……!」
すると、なんということであろう、貴志はそんな意思など一片もないというのに、天下の筆先が勝手に動き出し。その文字をなぞるではないか。
「これは……ッ」
貴志は息をのんだ。手に力を入れ筆を止めようとした。が、その直前でやめて、動くに任せた。
貴志も、ひとりの文人として、筆が動くのを止める気には、どうしてもなれなかった。
それがたとえ、読めない異国の言葉をなぞるものでも。
貴志は筆先の動きを凝視した。
(これは、天下は、物語を書き出そうとしているのか……?)
どのように作用するものであろうか。天下はこの本に何かしらの感応を示しているのだろうか。
「読みたい」
不意にその言葉が口を突いて出た。本と天下が作用して書き出す物語を読みたいと思った。
そう思うや否や、天下の筆先となぞる文字の紙に染みた墨とが合わさったか、その筆先は黒々としてくる。まるで紙に染みた墨を吸っているかのようだ。そうかと思えば、筆先から墨が広がるように紙面が黒に染まってゆく。
文字も飲み込まれるように、広がる墨の黒に上染めされてゆく。
その黒く染まる紙面を眺めてゆくうちに、貴志の視界も……。
(って、またこれか!)
と、突っ込みつつ。視界までもが黒く染まってゆき、意識も続いて……。
第一部 完
第二部に続く




