22話
ヴァルナ帝国内の砂漠を行商の一団が移動していた。
「しかし兄ちゃん、あんな砂漠のど真ん中で何してたんだ?」
「わからない……どこから来たのかも、自分の事も……」
トレーラーの荷台で護衛の1人が隻腕の男と話していた。
男は砂漠の真ん中をふらふらと歩いていたところを保護されたばかりだ。
無論、砂漠で人間を拾う事に反対した者もいた。
"魚"の生き血を口にした者は"魚"になる──この世界で信じられている迷信のようなものだ。
実際にそれは事実なのだが、事実である事を知っている者はごく僅かだ。
ただ迷信程度であっても人が"魚"の肉を加熱して食する事を徹底させるには十分であったし、砂漠にいた人間が"魚"の死肉を食べている可能性を怖れる根拠にもなった。
その行商団を襲った"魚"は全長が40メートルを超える大型の個体だった。
「鱗が硬い!」
「傷口を狙え!」
"鎧"に乗った護衛達が苦戦する中、停まっていたトレーラーからあの隻腕の男が降りてきた。
「"魚"……お前を許さない」
男は無い筈の右腕を水平に上げた。
22話 人間の証
「こいつは酷いな」
ズールはその"魚"の残骸を見て思わず口にした。
「骨までぐちゃぐちゃだ。
どんな怪力ならこうなるんだよ」
「生きたまま食い荒らしたようにも見えるが、"バラクーダ"の鱗と骨を噛み砕くのはよっぽどだぞ……」
グレンもやはりその死骸の異常性を認める。
「小形の"掃除屋"なら削り取れるけどよ、あいつらは死肉専門だ……それにあいつらならもっと綺麗に食ってる」
「そう考えると、この死骸も見つかってから丸1日も"掃除屋"を寄せ付けてないんだな……」
ズールの言う通り、周りに"掃除屋"と呼ばれる死肉を貪る小形の"魚"は1匹も見当たらない。
「理性の無い"鰭無し"か」
「同感だな」
2人の意見は一致した。
"魚"の生き血や生肉を摂取した人間は"鰭無し"と呼ばれる異形の"魚"になる。
その時に多くは理性と記憶を失うが、より理性を失った者ほど強力な個体になりやすい。
グレンとズールは理性を残したまま強力な肉体を得ているが、"魚"の血に適応したグレンは例外中の例外であり、ズールは鍛練を重ねている。
しかし理性を失った"鰭無し"は、時には人の肉体を失った時点でグレンやズールを上回る強さとなる場合がある。
そして何より、理性を失っているためか暴れまわる為に非常に危険な存在だ。
「……グレン、目の具合はどうだ?」
ズールは度重なるカウンタースナイプによる怪我の治療を終えたばかりのグレンに問う。
「そういうお前は腹の穴はいいのか?」
グレンもまたズールへと、銃剣で貫かれた傷の事を問う。
「人間を救うのは不本意だが、こっちの国に被害が出てからじゃあ遅いからな」
「同感だよ……捜索隊を出し、見つけたら遠距離から攻撃できる俺達がやろう」
2人はそう言葉を交わし、その場は一旦別れた。
リヴィア王国の王都イリエニアでは、アリシアが図書館でスティグマの研究資料に目を通していた。
「あの3人が確認したのはこの1冊で最後ですよ」
「ありがとうございます」
司書の"干魃の魔女"から最後の1冊を受け取る。
「しかし、貴女にこれだけの内容が理解できてるのかねぇ……」
「ぜんぜんわからないですけど、私の為に何をしてくれたのか知っておきたくて」
「それだけで読める量じゃ無いと思うけどねぇ……」
"干魃の魔女"も若干呆れ気味だが、それでもアリシアは最後の1冊を受け取った。
その時、
「アリシア、やっぱりここにいたか」
図書館の入り口から声をかけてきたのはゴルドだ。
彼は普段の大声は控え、かなり静かに話している。
「"魚"を人に戻す方法……まだ探しているんだな」
「ええ、あの3人が探してくれたのに当事者の私が何もしないのはおかしいですから……でも全くわからないですね」
「ま、そうだろうな……」
ゴルドは一瞬だが少し寂しそうな顔をした。
ゴルドは建国の4騎士の1人であり、今は亡きスティグマの事はそれ以前から知っている。
そのためスティグマがある時を境に変化した事にも気付いていたし、先の戦争をスティグマが起こした事にも複雑な心境で協力していた。
「ま、スティグマの奴ですら"魔女"達と共同研究なんてしないといけなかった事だ。
何もわからなくても仕方がないだろうよ。
それより、警戒レベル3が発令された事を伝えに来た」
ゴルドの言葉を聞き、アリシアは手にしていた本をカウンターに置く。
「帝国領で見つかった死骸、ズールとグレンの見立てで理性の無い"鰭無し"の仕業と推定された」
「どうしてグレンさんが?
派遣されたのはズールさんですよね?」
「また人間に喧嘩売りに行ってたんじゃないか?
現地でたまたま合流したらしい」
アリシアの疑問にゴルドは答える。
グレンが以前から行商団等を砂漠で見かけては襲撃していた事をゴルドは知っていた。
「まあそんな訳で討伐にはグレンとズールが出ている。
捜索に向いた連中は招集されて、後の戦える奴はここら周辺の警戒だ」
「わかりました。
その本、また後程お借りします」
アリシアは"干魃の魔女"へそう告げ、図書館を後にした。
「……この国に来たばかりで、そんなに背負いすぎるんじゃないよ」
アリシアの背中へ、"干魃の魔女"は心配そうに呟いた。
翌日、また不審な"魚"の死骸が発見された。
それはやはり生きたまま骨まで食い荒らしたような惨状であり、しかもそれが3体も見つかっていた。
「おい、嘘だろ……」
捜索に駆り出されていた"鰭無し"が、遥か遠くの砂地を歩く隻腕の男を見つけた。
「どうして生きて──」
"鰭無し"は確かにその男と目が合った。
いや、"鰭無し"達の中でも視力自慢の彼だからこそ黙視できる距離であり、ただの人間が彼を見つける事などできる筈が無い。
しかしその理性的な考えを否定するかのように、男は無い筈の右腕を水平に上げた──厳密には、上げたような気がした。
その肩口から白銀の光が溢れ出し、水平に上げられた腕の形になる。
次の瞬間、男は"鰭無し"の眉間に乗り、その右腕で頭殻と頭蓋骨を貫いていた。
「何……だ……」
"鰭無し"はその場に崩れ落ち、その額から男は右腕を引き抜いた。
その"鰭無し"の亡骸が発見された報告は夕暮れ時にはイリエニアに届いていた。
「一連の死骸と同じ有り様か……」
報告を聞いたタケゾウは考える。
人間でありながら王国の第2騎士でもある彼は、ふたつの可能性を考えていた。
ひとつは"超越者"──"魚"の生き血を口にしていながら肉体の変化に抗い人の身体のまま"魚"を超えた存在。
第1騎士のエレノアもそうだ。
もうひとつは"鎧"を纏わずに"魚"をも殺せる強い"魔女"だ。
視力自慢の偵察役が亡骸となって発見されたという事は、逃げる事が出来なかった──つまり、油断したという事が考えられる。
もし相手が人間の姿をしていれば、逃げようと考える間も無く命を落とすだろう。
深夜、イリエニア付近の山間部で見張りが襲撃されたと別の見張りから報告があった。
その僅か数分後にはアリシアが現場に到着していた。
「人間……ですか?」
"鰭無し"の亡骸に覆い被さるようにしていた人影へと、アリシアは問う。
その人影はゆっくりと振り返り、右腕を亡骸から抜いた。
銀色に光るその右腕は、掌の真ん中に口のようなものがついていた。
「……また"魚"か」
そう口にしたのは男だった。
「"魚"は殺さないとなぁ……」
その瞬間、男はアリシアに右手を叩き付けていた。
十数メートルは離れていた筈だが、アリシアは距離を詰めるその動作を認識できなかった。
しかし、かつて同じような相手と戦っていたため攻撃してくるタイミングを読み防御する事だけは成功していた。
「剣を生む、か……」
男は防御された衝撃でアリシアの頭上を飛び越えながら言う。
「これだけじゃあ足りないな」
男は着地し、ゆっくりと立ち上がった。
アリシアは即座に男から離れ、両手の短剣が妙に軽い事に気付く。
見るとその刀身に噛み千切ったような跡があり、中程から先が失われていた。
「便利な力だ……お前を喰って、手に入れておきたい」
男は振り返る。
アリシアはというと、下手に近付く事もできずその場で新しい短剣を手にしていた。
「何故、戦うのですか?」
アリシアは問う。
「……わからない」
男は答える。
「何もわからない……自分が誰なのかも、何故お前達を殺したいのかも」
「じゃあ──」
「そう、わからないから止める理由も無い」
男はその瞬間にはアリシアの懐に潜り込んでいた。
男が突き出した右手を、アリシアは左右の短剣を交差させ受け止める。
「この距離で止めるか」
男の掌にある口が短剣を噛み砕くが、アリシアは後方へ跳んで距離を取った。
「"魚"は殺すのですよね」
アリシアは尚も話し合いで男を止めようとする。
「もし、"魚"が人間に戻れるとしたらどうしますか」
「……人に戻るまで、お前達はどれだけ人を殺す?」
男は立ち止まるが、アリシアの言葉を聞いても戸惑う様子は無い。
「お前達は人を殺す!
俺はお前達を殺す!
そこに何の違いがあるんだよ!」
その叫びに、流石のアリシアも交渉は不可能だと悟った。
「……わかりました。
それが貴方の答えですね」
その瞬間、アリシアは離れていた筈の男の腹に飛び蹴りを見舞った。
小柄とはいえ"鎧"程はある"鰭無し"の身体に突き飛ばされ、男は勢い良く弾き飛ばされる。
アリシアは着地した瞬間には短剣を構え、そして力一杯に放り投げた。
短剣は真っ直ぐ男へと飛んでいき、男は右手でその短剣を上空へと弾き飛ばす。
そこへアリシアは次の短剣を投げたが、それは回転しながら男を飛び越える角度へ飛んでいく。
「どこを狙って──」
男はアリシアの狙いに気付き身をかわした。
回転しながら飛んでいた短剣が先に弾き飛ばした短剣にぶつかり、弾かれて男のいた場所へと飛んできたのだ。
アリシアは更に左右の手に短剣を構え──
「そんな小細工が通用するか!」
男の右腕がのび、アリシアを襲った。
アリシアは間一髪で防御したが、それでも弾き飛ばされ体勢を崩された。
「しまった!」
倒れたアリシアへと男が襲いかかり──
その時、突然飛び出してきた巨体が男の銀色の右手に貫かれた。
「これは、効くな……」
ゴルドはその腹を貫かれたまま、男の右腕を掴んで捕まえた。
「アリシア!逃げろ!
"ヤドリギの魔女"を探せ!」
「で、でも……」
「これは命令だ!」
ゴルドに命令され、アリシアはその場から走り去る。
「悪いな……あいつはまだ、人間に戻る事を諦めていないんだ……ここは俺の命で勘弁してくれ……」
「……嫌だと言ったら?」
男は静かに問う。
「そうは言っても、これなら逃げられないだろ……」
ゴルドの言う通り、男は右腕を掴まれて引き抜く事が出来ない。
しかし数分の膠着状態が続いた頃、いきなり男の腕が消えた。
「行ったな」
「何だよ……逃げられたんじゃねえか……」
ゴルドは血の海に膝を突く。
「どうして……あいつを、追わなかった……」
「人間、だったからだ」
男の答えに迷いは無かった。
「そうかよ……認めてくれるのか、あいつを……」
「あいつじゃない、お前だよ」
男はゴルドの目を見据えた。
「そのお前が言うなら、あいつの事を信じてもいい。
暫く、気が変わるまではお前達を殺すのも止めてやる」
「そうか……だったら、俺を喰え……
話は聞こえていた……喰えば、力を奪えるんだろ……」
ゴルドは男へと頭を下げた。
「俺の力は、役に立つ筈だ……出来れば、あいつが進む道を守ってくれないか……」
「察しが良いな……はっきりと言ってはいなかった筈だが」
男はそう言うが、ゴルドに背を向けた。
「だが、人間を喰うつもりは無い」
「そうかよ……だったら……!」
ゴルドは右の拳を地に突き、ゆっくりと立ち上がった。
「嫌でも、そうさせてやる!」
ゴルドはその拳を──触れたものを消し飛ばす破壊の右手を、振り上げた。
翌朝、イリエニア近くの山間部。
発見されたゴルドの亡骸は、やはり何かに食い荒らされたような無惨な姿だった。
しかしその日を境に、そのような"魚"の残骸が見つかる事は無かった。
そしてアリシアは姿を消した。
国王エンヴィーは行き先を知っていたが、それを誰にも話さなかった。




