Memory86
櫻がアストリッドと対峙し始めた頃、来夏も別の場所でまた、戦闘を繰り広げていた。
敵の名はルサールカ。5人いる組織の幹部の内の1人で、クロを”調整“し、組織の駒として使い潰そうとしている魔族だ。
「早くしないと、貴女のお姉さん、溺れ死んじゃうわよ?」
ただ、その戦況は、ルサールカに圧倒的に有利な状態だった。
ルサールカの作り出した水の水槽に、来夏の姉、去夏は閉じ込められてしまっている。
いくら身体能力が飛び抜けているからと言っても、去夏も人間だ。呼吸ができなければ、死ぬ。
「水って、人を生かすことも、殺すことも出来るのよ? 不思議じゃないかしら」
来夏はバチバチと電撃を放ちながらルサールカに攻撃を加え続けるが、ルサールカには全く効いている様子がない。
「『雷槌・ミョルニル』!!!」
必殺を繰り出し、ルサールカにダメージを与えようとするが………。
「あら、どこに向かって攻撃しているのかしら?」
その攻撃は、ルサールカに当たることはなかった。
いや、来夏はルサールカにゼロ距離で『雷槌・ミョルニル』を浴びせたはずだ。絶対に避けれないようにするために、来夏自身も『雷槌・ミョルニル』に巻き込まれる可能性があるような、そんな距離だ。
不発の電撃は全て来夏に還元されるため、来夏が無傷ということは、ルサールカにも一切ダメージは入っていないのだろう。
ただ、いくら高速で動いて避けたとしても、その余波はくらうはず……。
だが、事実として、ルサールカは来夏の攻撃をくらっていない。そう、来夏が『雷槌・ミョルニル』を繰り出した途端、一瞬で来夏の背後に周っていた。
来夏からすれば、テレポートしたようにしか見えなかった。はっきり言って、もしこれで高速で移動しているのだとしたら、ルサールカに勝てる気は一切しないくらいだ。
「ふふっ、不思議で仕方がないって顔ね。そしたら少し、ヒントをあげようかしら?」
そう言って、ルサールカは指をパチンっと鳴らし、一体の珍獣をその場に呼び寄せる。
珍獣の名は、『グリフォン』。かつてパリカーが使役していた、使い魔のようなものだ。
「この子はね、もう死んでしまったパリカーが使っていた子なの。それに………」
ルサールカの周囲の地面から、真っ黒な、人の形をした人形が、まるで冥界から蘇ってきたかのように這い出てくる。
「この子達は、死体人形。もう今はいないリリスって魔族が使っていた、死体の成れの果てよ」
☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★
このアパートも久しぶりに訪れるかもしれない。
俺は、組織の……厳密にはルサールカ様の命令で、蒼井八重の殺害をするために、オアシスアパートへと訪れてきていた。
「八重の部屋は、確か…………」
「おに………クロちゃん」
この人は確か………。
このアパートの住民の、黒沢雪、だったか。
一時期俺がこのアパートに住んでいた際、隣人としてよく会話を交わした記憶がある。
しかし、どうしようか。流石に、彼女の目の前で八重を殺してしまうのはよくない。
いや……。
そうだな。
殺せばいいか。
組織のためだ。一般人の犠牲も、多少は仕方ない。
何なら、このアパートの住民も全て皆殺しにしてしまってもいいかもしれない。
俺は、右手に鎌を持ち、雪の首に向ける。
「話は全部、聞いてるよ。洗脳されちゃってるんだってね」
洗脳? ああ、人によってはそう呼ぶ人もいるのかもしれない。ただ、正確には“調整”だ。
俺は、組織のことが大好きになれるように、組織のこと以外がどうでもよくなるように“調整”してもらっただけだ。
まあ、しかし、そこまで話されているということは、雪はただの一般人として通すわけにはいかなさそうだ。
尚更殺しておいた方がいい。そうだな、八重を殺す前に、先に雪を殺そうか。
「話すことはないから」
俺は大鎌を、雪に向かって振るい………。
「本当に覚えてないんだね。お兄ちゃん」
その腕を、すんでのところで止める。
お兄ちゃん……?
何を………。
「いっつも私のことしか頭になかったくせに、ちょっと洗脳されただけで、私のこと殺そうとしてくるなんて、ショックだな。お兄ちゃんのこと、大好きだったから」
何のことを言っている……?
頭が痛い。何か、何か思い出そうとしている……?
いや、だめだ、思い出すことなんてない。思い出してしまったら………。
組織は素晴らしいんだ。ただ、何も考えずに、組織のために貢献し続ける奴隷であり続ければいい。
過去の記憶なんて、必要ないんだ。
思い出すな、思い出すな、思い出すな………。
「あ、そういえばお兄ちゃん。私彼氏できたよ」
彼氏……?
雪に?
は?
「どこのどいつだ!? どこでであった!? 名前は!? あっ……」
そうか………。そうだった。
黒沢雪。
俺が“クロ”になる前、俺がまだ、黒沢って姓を名乗ってた頃。
1人、妹がいた。
両親がいなかった環境だったから、俺にとっては唯一の家族で、絶対に守らなきゃいけない、いや、そんな義務的なものじゃない。そう、正しくは、守りたい、そんな存在の、妹が。
何で、今まで思い出せなかったんだろう。
自分の命よりも大切な、妹のことを。
頭の中にかかっていたモヤが、一気に振り払われていくような感覚がする。
組織の“調整”によって、おかしくなってしまっていたみたいだが、今となっては、それも全部解消されたような気がする。
もし、あのまま雪のことを殺してしまっていたらと考えると、ゾッとする。
きっと今度こそ、俺は生きる意味を失ってしまっていたのかもしれない。
それこそ、一生を組織の奴隷として終えることになっていたかも。
「相変わらずのシスコンっぷりっ。やっぱり、私の勘は間違ってなかったんだ」
雪はそうやって俺に微笑みかけてくる。
そっか、俺、雪より先に逝っちゃって……。
きっと、寂しい思いをしてたんだろうな。
「雪、ごめん。今まで寂しい思いさせて」
「本当だよ。今まで私、ずっとお兄ちゃんに甘えてきたんだよ? 生活とか、そういうの全部。急にいなくなられて、本当に大変だったんだから」
俺と雪は、互いに抱きしめ合う。
たった1人の家族だ。前世の俺にとっての、生きる意味だった存在だ。
ただ、だからこそ、どうしても気になることが一つある。
それは……。
「で、彼氏って結局どんな人なの?」
そう、彼氏だ。
俺は確かに、ゆくゆくは雪に添い遂げてくれる相手は必要だろうとは考えていた。俺がいつまでも雪の面倒を見れるとは限らないし、雪だって女の子だ。恋愛の1つや2つはしたいだろう。それに、結婚して子供を産めば、老後も子供や孫に面倒を見てもらえるかもしれない。
だから、雪が恋人を作るのは、まあ、抵抗はあるが、うん、一応、納得はしている。うん、一応ね。
でも、やっぱり相手がどんな奴かくらいは確認したいだろう。
もし、ヤバい奴だったら困るし。
「あーあれ……。うん、えーと………」
雪は何だか困ったような顔をしている。
まさか………、言えないような相手なのか??
とんでもなくチャラくて浮気性な奴だったり? いや、何ならDV男の可能性もある。もしかしたら、体目当てで雪に近付いて………。
「雪、悪いことは言わない。その人とは別れた方がいい」
「あっえ? あーうん、そう、かも?」
やっぱり、雪自身もどこか思うところがあったんだろう。俺の言葉に、渋々ながらも納得してくれている。
やっぱり、雪もブラコンなところがあるからなー。俺の言うことは、素直に聞いてくれるんだろう。
(どうしよう……彼氏いるって言ったの、本当は嘘なんだけどなー……。で、でも、この歳で彼氏がいたことないって言いたくはないし………)
なんて、そんな雪の内心には、一切気づくことのない俺なのであった。




