Memory85
魔族進化剤で実力を底上げしたアストリッドだったが、そんなアストリッドを見ても、ホークとクロコは戦意を喪失してはいなかった。
多少恐れてはいるものの、2者の表情にはどこか余裕があるように感じられる。
「拍子抜けだね。もっと怯えてもらえるものだと思ってたんだけど……」
ホークとクロコは、アストリッドに臆せずに立ち向かう。先程と同じように、互いに連携しながら。
だが、それに対応するアストリッドは、先程と比べてかなり余裕そうな表情で、最早片手だけでホークとクロコの相手をしている。
「ホークさんもクロコさんも、あれじゃ………」
束はそんな状況を見て、1人危機感を抱く。実際、今の2人にアストリッドを足止めできるようには思えない。
今の2人がアストリッドと対等に渡り合えているように見えるのは、単純にアストリッドが手を抜いているからだろう。そもそも、アストリッドはホークにもクロコにも一度も攻撃を加えていないし、やっていることといえば片手で攻撃をガードする程度だ。
「君達は愚かだね。そんなことをしていても、私が新しい力に慣れる時間を与えているだけだよ」
「それは、どうだろうなァ?」
「?」
「今だ!」
「その首、取らせてもらうぞ!!」
ホークとクロコにばかり注目していて、アストリッドは気付かなかったが、どうやらモタモタしている内に、百山椿と、人間に協力していた『穏健派』の魔族、ドラゴがやってきていたらしく、2人はアストリッドに不意打ちを加える。
だが、アストリッドに傷がいくことはなかった。
アストリッドに気付かれていたわけではない。実際に、アストリッドはクロコとホークに注目していたせいで、椿とドラゴの接近に気づいていなかった。
では、何故か。
アストリッドの羽が自動で椿とドラゴの攻撃を自動で防御したからだ。
アストリッドの羽には、アストリッドの意思とは別で動く機能が備わっていた。
そして、羽は背後に接近していた外敵の存在に気づき、独自の判断で防御し、加えて椿とドラゴに追撃まで加えたのだ。
「まさか、そこで組んでいたなんてね。それじゃあ、少し使ってみようか、新しい力を」
アストリッドがそう言った瞬間。
鮮血が舞う。
本当に、アストリッドが呟いたその瞬間に。
クロコが全身から勢いよく血を噴き出しながら倒れたのだ。その様子はまるで、鯨の潮吹きのようで、明らかに致死量を上回っているように見えた。
「何が……」
「体内の血液を操作したんだよ。こんな風にね」
今度は、ホークの体中から、血が溢れ出してくる。今度は、緩やかに、全身からまるで鼻血が垂れているかのように、ゆったりと、ホークの毛を染めるかのように垂れていく。
「てめェ……何し……て………」
ホークの意識が朦朧としていく。
ホークが意識を失う直前、彼は椿がアストリッドに攻撃を加える様子を見た。
「何をしたのか分からないが! 妙な真似をさせる隙は与えさせない! 行くぞ、ドラゴ」
椿はドラゴと共にアストリッドを攻撃しようとするが……。
アストリッドは、椿とドラゴの持っている武器を手で受け止め、それを握りつぶす。
「なっ」
「なんと……」
そのまま、勢いに任せるかのようにドラゴに蹴りを入れて吹き飛ばし、椿に攻撃を加えていく。
蹴りを入れられたドラゴは、血反吐を吐きながら壁に激突し、気絶してしまっていた。
「くっそ……」
アストリッドは椿を何度も何度も殴り続ける。
椿は自身の中で出来る最大限の防御をして、与えられるダメージを最小限に抑える。だが、反撃の余地はなく、椿の体はアストリッドに押されるかのようにどんどん後退していく。
反撃の機会を伺うも、アストリッドにはその隙がない。だが、それでいい。
アストリッドが追い詰められているのだとすれば、彼女は常に気を張り詰めて攻撃してくるだろうが、アストリッドが優位である限り、いつか必ず、アストリッドの気が緩む瞬間がくるはずだ。
だから、椿はそれを待てば良い。
しかし、椿の体には、細かな傷が次々とつけられていく。
体中に、傷が………。
「一撃で沈めてくれた方が、楽だったでしょ?」
「ま……さか……おまえ………わざと……」
椿は最大限の防御をしていた。だから今までアストリッドの攻撃をかろうじて耐えることができたのだと、そう考えていたのだが、そうではない。
アストリッドは、あえて椿が最大限の防御をしてギリギリ耐えれる程度の攻撃を加えていたのだ。
自身の攻撃を、大幅に手加減して調整することによって。
つまり、椿は最初から遊ばれていたのだ。
だが、彼は諦めはしない。相手が手加減してくれるというのなら、それを利用しないという手はない。
耐えて、耐えて、耐えて、反撃の機会を伺う。
「あ”あ“あ”あ“あ”あ“あ”あ“!!」
椿は雄叫びを上げながら、アストリッドの猛攻を耐え続ける。
耐える。
たえろ、
たえ
だが……。
「あ…………」
ある時、まるで魂が抜けるかのように、椿の全身から力が抜け、その場に倒れ込む。
限界が来たのだ。
椿は、まるで10年使い続けて壊れてしまった玩具かのように、ボロボロになりながら、ぴたりと活動を停止する。
「おやおやおやぁ? もうおしまいかなぁ? あーあ、せっかく壊れちゃわないように手加減して遊んであげたのに。これじゃ私の新たな力を楽しめないじゃないか」
アストリッドはそう言ってつまらなさそうにしながら、その場に倒れ込んでいる椿に蹴りを入れながら、束の方へ向く。
一瞬、一瞬だ。
一瞬で、ホークも、クロコも、椿も、ドラゴも、やられてしまった。時間にして3分ほど。本当に一瞬だ。
そして、椿でもやられる相手ということは、来夏でも歯が立たないということだ。
しかも、僅差で椿よりも実力が上なわけではなく、その間には圧倒的な差がある。
「そこまでだコノヤロー!」
「うちら魔法少女3人組がお前を成敗してやる!」
「行こう、3人とも!」
その場に、駆けつけた3人組の魔法少女、焔、美希、笑深李がやってくる。ああ、可哀想に。
相手の実力が分からないというのは、それだけで不幸だ。
そして、アストリッドはそんな3人を見て……。
「くくっ………」
不敵に笑う。
そして、次の瞬間には………。
「ほ、焔ちゃん!」
焔の首を、焔が泡を吹いて気絶するまで締め続け……。
「あっ………やめ……」
焔を助けようと、ステッキを向けてきた笑深李の顔面に蹴りを入れて、整った顔に傷をつけた後………。
「い”や“あ“あ“あ”あ“あ”あ“あ”あ“ぁ”ぁ“ぁ”あ“あ”あ“!!!!!!!!!!」
美希の両腕の骨を折る。
「………もう………やめてください……何で………こんな………」
その光景を、束はただ、見ていることしかできない。
恐怖で、体が動かない。
そして、束の目からは、涙が流れていた。
赤色の、血の涙が。
(あれ……私も………もう………)
束は地面に倒れ込む。
全身から、血を垂れ流しながら。
クロコ、ホーク、ドラゴ、椿、焔、笑深李、美希、束…………。
「さて、瀕死のお人形が8体……。これだけあれば、クロのことを絶望させることができそうだね。ついでに他の子も……」
アストリッドは、あえて8人を殺さずに置いている。
利用価値があるからだ。
「まずは、クロの洗脳を解いてから、ここにいる全員を殺せばいい、かな」
アストリッドの洗脳は、その対象の精神が擦り減っていれば擦り減っているほど、より強固なものとなる。アストリッドはそのために、瀕死の状態で8人を放置しているのだ。
そして丁度、その場にやってきた魔法少女が、2人。
茜と、櫻だ。
「何で……アストリッド……! あんた……!!」
「…………」
茜はアストリッドに怒りの感情を剥き出しにしながら吠え、櫻は逆に怖いくらいに静かにアストリッドを見つめている。
「丁度2対2ってわけだな!」
そこへ、ゴブリンも合流する。
「ああ、そういえばそうだった。もういらないよ、君」
だが、アストリッドは、その優位を自ら崩す。
ゴブリンの体中から、赤色の液体が漏れ出る。
まるで、束が先程そうなっていたかのように。最初にホークやクロコがそうなっていたかのように。
彼の全身から、血液が流れていた。
遠隔の血液操作だ。発動に必要な条件は、ない。
「何で………」
「君はクロのことが嫌いだろう? だから、私がクロを眷属にする上で、邪魔だと思ったんだ。それに、好みじゃないし、君」
「て、めぇ………」
そのまま、ゴブリンは地面を赤色に染めながら倒れていく。
そんなゴブリンの様子を一切、一瞥もせずに、アストリッドは櫻達に話しかける。
「まだ実力の半分、どころか3割も出せてないよ。だから、もう少し付き合って欲しいんだ。…………さあ、戦おうじゃないか、存分に、ね」




