Memory122
手に残る感触が、気持ち悪い。
さっきまで高笑いしていた男は、もはや一言も発さない置物と化してしまっている。
俺が、殺した。
この手で、目の前にあった命を、摘み取ったんだ。
でも、でも、仕方ない。こうしなければ、今後たくさんの命が奪われていたかもしれなかったんだ。
櫻達じゃこいつを殺せない。実際に、茜はこいつのことを助けた。
だから、俺が、俺が殺さないといけなかったんだ。だから、仕方なかった。こうするしかなかった。
本当に?
俺は、自分が気に食わなかったから、カナ達が死んだのに、こいつがのうのうと生きているのが許せなかったから、だから、こいつを殺したんじゃないか?
俺も結局、自分の気分でこいつを……。
「違う。そんなんじゃない。違う。違う……。違うんだ」
ここにいちゃダメだ。一旦離れよう。今の俺のメンタルはまともじゃない。だから少し動揺してるだけだ。どこか落ち着ける場所に行って、気持ちを整理しよう。そしたら、そしたら大丈夫だ。
落ち着こう。ここなら、誰もいない。1人になろう。まずは、呼吸を整えて、それで……。
「あ、いた!」
「さ、くら……?」
「外の空気を吸うって言って、それっきり帰ってこないから気になって。それと……。クロちゃんが、凄く、辛そうな顔をしていたから、何かあったのかなって」
そっか。櫻が気にしていたのは、アルファ達だけじゃない。俺のことも、気にしてくれていたんだ。櫻は、誰にでも優しいから。
「大丈夫?」
櫻が心配して、俺の顔を覗き込んでくる。
「辛いことがあったら、何でも言ってね」
今はその優しさが、辛い。
「全部終わったら、また皆で遊園地に行きたいなぁ……」
純真無垢な少女の願いは、今の俺にはあまりにも劇薬だった。
俺はもう、純粋なままではいられないのだから。
「大丈夫? 手、震えてるよ?」
そう言って、櫻は俺の手に触れようとしてくる。櫻の、真っ白で綺麗な、汚れのない手が、命を奪った、穢らわしい俺の手に、触れようとしている。俺はそれが、ひどく気持ち悪く感じられて…。
「っ触るな!!」
激しい口調で、櫻の手を払いのける。
櫻は俺の行動に、驚いて固まってしまっている。まさか拒絶されるとは思っていなかっただろうから、ショックを受けているのかもしれない。
俺自身、こうして過剰に反応してしまったことに驚いているくらいなのだから。
実際、俺はこの時冷静ではなかったのだろう。だから手は震えていて落ち着きがなかったし、櫻の優しさすら失礼な態度で返してしまうほど、心に余裕もなかった。
「あ、ごめん……。そ、そうだよね。急に触られたら、嫌だよね……」
違う。そうじゃない。悪いのは俺だ。俺なのに………。
俺の口からは、謝罪の言葉は一切出てこない。謝りたい。けど、俺に謝る資格なんてない。
櫻の顔が、曇る。さっきまで、あんなに穏やかな顔をしていたのに。
「っ」
「あ、待って!」
俺はその空気に耐えられず、その場から逃げ出してしまった。後ろで櫻が悲しそうな顔をしていても、俺にはそれを気にかけるだけの余裕がなかった。
☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★
「アルファが裏切った。うーむ。しっかりと調教していたつもりだったんだけど、失敗したか。やっぱり、道具に感情は持たせるべきではないのかもしれないね。感情を持たせておいた方が、伸び代があるだろうし、その潜在能力にも期待できるから、そうしたんだけど、ま、最低限能力があれば十分だし関係ないかぁ。ほんと、こんな時のためにスペアプランを用意しておいてよかった」
「ミリュー様、アルファが裏切ったということは、いよいよ私達の出番ですか?」
「そうだねアンプタ。裏切り者の始末。頼むよ」
アンプタと呼ばれた魔法少女は、虚な目をしたまま、ミリューの言葉にコクリと頷き、了承の意を示す。
彼女は、ミリューによって造られた、感情を持たない人造の魔法少女だ。そこに肉体はあれど、魂は限りなく本物のそれに近いだけの代替品にすぎない。
アンプタ以外にも、ミリューの配下達は存在しており、各々別の反応を示していく。
「やっと私の出番? 待ちくたびれたわん! はやく戦わせて頂戴!」
「香水臭いぞ売女」
「刻、一応女性に対する態度はもう少し改めた方がいい。奴らは面倒な性格をしている」
「はぁ……。こんな集団と一緒に行動するくらいなら、無能な大臣の面倒を見ていた方がマシかもしれませんね」
「どいつもこいつも、ミリュー様のことを考えていないな……。まったく。やはりこのぼくこそが、ミリュー様の配下に相応しいようだね」
「無能が一匹。無能が二匹。無能が三匹。あ、数えるまでもなかった。有能なのは私だけ」
魔族の女、人間の男、吸血鬼。それに魔法省大臣の元秘書と『影』と呼ばれる少年に、アンプタと同じ人造の魔法少女。彼ら彼女らは、各々の理由でミリューの部下として仕え、暗躍している。
数にして丁度7。
「そうだ、せっかくだから君達に称号を与えよう!」
ミリューは7という数字を見て、パッと思いついたことを提案する。
「丁度7だし、7つの大罪とかどうかな?」
「ミリュー様、ぼくは『影』です。そんな大それた称号を得ずとも、ぼくは裏でミリュー様の手となり足となり暗躍するだけで……」
「じゃあ『影』は『嫉妬』ね。独占欲強そうだし」
「光栄です!!」
ミリューは雑に、それぞれの配下に称号を与えていく。その行為に、特に意味はない。強いて言うとすれば、配下間の仲間意識の強化、だろうか。
ただ、どちらかというと、人の上に立っているという、その感覚に浸りたいがために。称号を与えているに過ぎないのかもしれない。
ミリューはどこまで行っても、自分至上主義なのだ。だからルサールカに指図されるのは気に食わないし、自分の思い通りに動くものは大好きだ。
そして同時に、苦しみ、もがき、無様に足掻く様を見るのも好きなのだ。
だから彼女は、考える。
(さて、次はどんなふうに料理しようかな)
その可愛らしい顔に、邪悪な笑みを浮かべながら。
☆★ ☆★ ☆★ ☆★ ☆★
流石に、あんな風に櫻を拒絶しておいて、櫻達の元に戻るなんてことができるほど、俺の神経は図太くなかった。正直、もう櫻達とは顔を合わせたくない。
見せたくないのだ。こんなみっともない自分を。汚れた自分を。
こんな汚れた手じゃ、触れ合うことすら憚られる。
殺そうと、そう考えたときには、自分の中にどこか使命感のようなものも生まれていた。でも、いざ殺してみると、後に残るのは罪悪感だけ。使命を完遂したことによる達成感なんてものはないし、後味の悪さが俺を苦しめてくるだけだった。
だから、今は、何も見たくない…。
俺は………。
「なるほどな。遂にやったか」
今日の俺は、ついてないのかもしれない。櫻から逃げた先で、また別の奴と出会ってしまったのだから。
「魔王……」
「そう警戒するな。それに安心しろ。殺しくらい俺は何度も行っている」
「そういう問題じゃない……」
「落ち着け」
そう言って、魔王は俺の肩に手を回してくる。妙に馴れ馴れしいなこいつと思いつつも、俺には抵抗するだけの気力もない。
「お前は間違ったことはしていない。もしお前が奴を殺さなかった場合、奴はおそらく何の罪もない一般の魔法少女に危害を加えていた。そうなった場合、お前はどちらにせよ奴を殺さなかったことを後悔することになるだろう。幸い、奴が死んでも悲しむ奴はいない。お前は、より良い道を選択した」
正しいとか、正しくないとか。命の問題に、正義だの悪だのを持ち出すのは、間違っている。それが、俺の考えだ。
いや、それが俺の考えのはずだったんだ。
でも、魔王の言葉は、今の俺にとって、都合の良いものだった。
「安心しろ。俺はお前の共犯者だ。お前が進みたいと思った道へ進め。俺はそれを尊重する」
きっと、こいつはそうやって俺を言いくるめたいだけなんだろう。都合の良い言葉を与えて、自分は味方であると、そうアピールしているだけで、本当の意味で俺を尊重などしてくれてはいないのかもしれない。
けど、今の不安定な俺にとっては。
魔王の提案は、まさに渡りに船だった。