past memory2
文化祭前日の放課後。クラスは文化祭の出し物の準備で忙しく、人手もあまり足りていない状況だった。俺はクラス委員長の深丸、そして親友の愛と一緒に資材を作っている最中なんだが、正直ここらで切り上げたいと思っている。
勿論、クラス一丸となって協力することも大事だとは思うし、人手が足りていない状況で仕事を放り出すのはあまりよろしくないだろう。けど、雪の晩御飯を用意しに帰りたいと、正直そう思ってしまう。別に雪だって、晩を適当に済ますことくらいはできる。でも、できれば雪にはおいしいご飯を食べてもらいたいし、手作りの温かみを感じて欲しいって思ってる。それに雪に寂しい思いをさせたくはない。だから……。
「ごめん委員長…」
「………妹のこと? 大丈夫だよ。黒沢君は準備を最後まで手伝ってくれてた。そういうことにしておくから」
「ありがとう」
委員長には俺のシスコン度合いはバレている。だから、度々こうやって口裏合わせをしてもらっているのだ。
確かに、クラスメイトから非難を受けたくないという思いも多少は持ち合わせてはいるが、1番は雪から変に思われるのが嫌だから、だ。雪から、兄は協調性のない人間だ、他人のことを思いやれない人間だ、なんて思われたくはない。
だから、クラス内でも程々に他人に気を使いながら過ごしているし、困っている人がいたらできる範囲で助けるようには心がけている。それは俺自身に善性があるわけではなくて、ただ単に雪に嫌われるような人間になりたくないから、というただそれだけの理由だ。
俺は足早に帰路を進む。
材料はすでに買ってあるから、後は帰宅して料理を作るだけだ。
「クロ、何してるの?」
「?」
突然、俺の目の前に、雪のように真っ白な髪を持った、俺より少し幼そうな少女が現れる。
その少女のことを、俺は………。
知っている。
景色が変わる。
見慣れた通学路は、まるでそこに最初から存在しなかったかのように、塗り替えられていく。
あっという間に、俺のいた場所は、ありふれた通学路から、殺風景で無味無臭な部屋へと様変わりしていた。いつの間にか俺の姿も、どこか見慣れた少女のものへと変わっていた。
俺の目の前で、シロが、ルサールカに殴られ、蹴られ、涙を流しながら、血だらけになっている。
俺の手には、一丁の銃が握られていて、本能で分かる。これを使えば、ルサールカは殺せる。
けど、殺すことしかできない。殺す以外に、彼女を止める選択肢はない。
かと言って、俺の足は動いてはくれない。
だって、殺すことなんて許されていいはずがないんだから。
俺は、ぼーっと突っ立って見ていることしかできない。
やがてシロの顔から生気がなくなり、ピタリと動かなくなるまで、俺はその場に棒立ちし続けた。
俺が銃を使わなかったから。俺がルサールカの命を摘み取らなかったから。
「自分の手は汚したくないのかしら? 最低ね」
ルサールカの嘲笑が、俺の耳に届く。
「チャンスを与えてあげたのに。行動できないなんて間抜けだわ。安心しなさい。殺してはいないわ」
そう言って、ルサールカはその場から姿を消す。
場面は変わる。
景色も時間も、何もかもが異なる。
目の前には、俺がホワイトホールから取り出した血の刃の攻撃によって倒れている吸血姫の姿。
どう見ても動ける状態ではないし、わざわざ殺す必要もないだろう。
でも、何かが引っ掛かる。
この後、俺は後悔した気がする。
ああ、そうか。
ここでアストリッドにトドメを刺さなかったせいで、俺は自分の手でユカリを殺さなくいちゃいけなくなったんだ。
どうして、今まで忘れてたんだろう。
この怒りを。恨みを。
「君はさ、自分が綺麗なままでいたかっただけなんだよ」
「愛……」
「妹に嫌われたくない。根源にあるのはそれかもしれない。どちらにせよ、君は心のどこかで。自分をよく見せたい、善人であるように振る舞いたい。そういうありふれた欲望を持っていたんだよ」
そうかもしれない。
俺は、自分が周りによく見られるように振る舞ってきた。深丸に口裏を合わせてもらったのも、クラスメイトから薄情なやつだって思われたくないからだ。
「自分の手を汚さずに、誰かを助けることは、難しい。八重も、過去にクロを守るために、殺しを行ったことはある」
「シロ…」
「クロじゃわたしをたすけられなかった。だってクロには、だれかをころすかくごがなかったから」
「カナ……。違う。ただ、ちょっとすれ違いがあっただけで、今から話せば……」
「違わないだろう。お前は組織に脳を弄られたせいで記憶力に影響が出たと言っていたが、それは違う。お前は自分自身で、見たくないものを、今の自分にあっては不都合なものを、意図的に記憶から消去していたんだ。記憶だけじゃない。誰かを恨み、妬む感情も、思いも、全て」
俺は、過剰なまでに物忘れが酷かった。だからきっと、組織に脳を弄られた影響なんだって、そう信じて疑ったことなんて一度もなかった。けど、実際には、アスモデウスの言う通りなのかもしれない。
俺は、俺が残しておきたくない記憶を、自分で消している節もあったんだろう。見たくないものから目を背けて、自分を正当化して、綺麗なままであろうとした。
多分、きっかけは俺が妹に嫌われたくないって思ったことからだろう。けど、それもただの言い訳に過ぎない。
俺は、妹を理由にして、また自分を正当化していただけなんだ。自分の手を汚さずに、綺麗なままで、誰かを助けたいって。
だから、魔族を恨む感情も、なかったことにした。櫻達は、そんな醜い感情、持っていなかったから。だから自分もそうならないとって、いい子ぶって、感情を忘却させた。
きっと、そうなんだろう。どこまでも、自分が大事で、他人に手を汚させてまで自分を守ってもらって、それでいて自分は綺麗なままで誰かを助けたいだなんて………。
「いい加減取り繕うの、やめたら? 今の貴方で助けられる人間なんて、そんなにいないんだから」
そう言ってミリューは、血まみれになって倒れているアストリッドの方を指差す。
「丁度いいや。これ、殺しなよ。良い練習になると思うよ。でも、あんまり遅いと、前みたいに、自分の手で妹を殺すことになっちゃうかもね」
俺は言われた通り、その手に大鎌を持ち、それをアストリッドに向けて振るう。
力は、そんなにこめていなかった。けれど、俺が一振りしただけで、彼女の命は絶たれる。
簡単だった。こんなにも、簡単なことだったんだ。
たった一回。鎌を振るうだけで、俺はユカリを殺さずに済んだ。ユカリの命を救ったんだ。
でも………。
「うっ……おえ………」
後から、やってくる。命を摘み取った、その重みが。
初めての経験だ。慣れない経験だ。だからかもしれない。けど、やっぱりこんなこと、慣れたいとは思わない。
「安心しろ。ここは夢の中だ。お前は実際には誰も殺してはいない。実際にお前がどうするかは、この後目覚めてから考えれば良い」
「たつき……? いや………お前は………」
「随分うなされていたようだったからな。つい様子が気になって夢の世界を鑑賞してしまった。だが、あのまま地べたで寝られていても困るのでな。こうして起こしに来たというわけだ」
「そっか……寝てたのか……。って、そういえばカナは……」
「続きは夢から目覚めた後でやろう。ここでは俺も好きなように力が使えん故、外界で問題が起こっていた場合、対処できんからな」
そう言って、魔王は霧となって消えていく。
殺すという選択肢、か。
できれば、そんな選択は取りたくない。でも……。
「俺って、こんなにも、他人を恨んでたんだな……」
今まで忘却させていた、憎悪の数々。
それを思い出してしまった今、正直、誰も傷つけない、なんてこと、達成できそうもない。
やっぱり俺は、正義でもなんでもないのかもしれない。
過去編のつもりが、何も過去えがいてへんやないかーい!