正義の執行者
「……この国の政治は終わっている。私が若手としてこの国の総理大臣になれば、私がこの利権まみれの国民を見ない政治を変える。国を生み出すのは老人では無く、希望も絶望も知る若き血を持った魂なのだ」
東大出身の東大史上最高の天才と呼ばれたこの40過ぎの男は自宅の室内でいつもの苦悩をしていた。その苦悩がストレスとなり男の頭髪を全て白くしてしまっているが、それは毎月の白髪染めでカバーしていた。政治家にも見た目は重要だとうという判断からであった。
男は自他共に認める天才である。
しかし、いかな天才とて一人で国の政治を取り仕切るわけにはいかない。国の政治とは所詮は数の暴力で有り、派閥や年功序列と言ったモノには勝てないのだ。
その男には理想の国を生む思想が有り、それを実行する革命する力も有り、その後を維持する保守家としての才能もあった。
テーブルの上にある新聞には、増え続ける新型コロナの話題と任期満了に近い政府与党の総裁選の事が掲載されていた。
虚な目をする男は目の前のコーヒーにミルクのみを三つ入れてそれを一気に飲み干した。そして独り言を続ける。
「国の政治や市政に関する定年制度や、政治家が平然と嘘をつき人が死ぬ事になっても無かった事にされる事。金銭を受け取っても知らぬ存ぜぬ、口利きしているにも関わらず我関せず。こんな世の中では日本の未来は存在しない。あの老人達は新型コロナの対応に四苦八苦してるフリをしていて、裏では自分達の利権のみしか考えていない。次の選挙で私が総理大臣になれば選挙に落ちた65才以上の老人達は二度と復帰出来ず、派閥や地元の地盤による力で自分が復帰するよう国政に関与したら実刑のみが下される世の中にしなくてはならない……私ならこの日本を立て直せる事が出来るのに……」
天井を見上げている男のテーブルには氏名と電話番号が書かれたリストが有り、それはバツ印だらけの総裁選推薦人リストであった。男は派閥を持っていたが13人という人数しかいない為に20人という推薦人が集まらない。新聞の隅には与党幹部の言葉として若手では無理という文が男を苛立たせ、人がいない影で口にする自分の内なる言葉を希望と絶望を混ぜて魂を生むよう吐かせた。
「私の『正義』を執行してやりたい……」
「今の言葉、二言は無いな?」
「な、何だ貴様は!?」
「俺はお前が希望と絶望が混ざる魂の声で呼んだ『正義の執行者』だ」
突如、男の部屋に灰色の髪の青い目をした学ラン姿の少年が現れた。腰には日本刀があり、暗殺者かと思い誰かに助けを求めようとスマホを取り出そうとする。その少年は男が驚く姿を気にもせず言葉を続けた。
「男よ。お前の覚悟を問おう。世界を革命したいのかどうかの覚悟を」
やけに威圧感があるが、この少年は自分を暗殺に来たわけではなさそうと思いつつも警戒は解かずに答えた。
「正義の執行者? 人に何かを聞くなら本当の名前ぐらい名乗りたまえよ。君の名は?」
「名か……テンネン・トウ。エボラ、エイズ、コレラ、インフル・エンザ。色々あるさ」
「ふざけた少年だ。それはこの世界……地球に蔓延って人類を抹殺しようとしたウイルスじゃないか。セキュリティのあるここに突然現れる事がふざけているか」
「必要無き者は排除する。それはお前の考え方でもあるはずだろう?」
「君と無駄話をしてる時間は無いさ。帰りたまえ」
「なら、ここから世界について話そうか。なに、すぐに終わる話だ」
その少年の青い瞳が怪しく輝き、男は少年に魅入られたかのような感覚に陥った。少年はそのすぐに終わる話をした。
「何かを成したら、その全てを捨ててその場から消える覚悟はあるか? 地位も名誉も栄光も捨てて、自分の作り出した結果のみを後進に譲り消える。その覚悟だ」
少年の青い瞳に絶対的な正義――かつての学生時代の自分を感じた男はスマホをテーブルに置いて答えた。
「……あるさ。だからこそ、私は地道に政治活動を続けて来た。真っ直ぐお天道様を見れるよう、やましい事を一つもせずにな! 私が次の選挙で総理大臣になれば、新型コロナも政治不信も何もかも必ず良くして見せる。少年の君が未来に希望を持てる世界を創るのさ」
「その志、死ぬまで変えるなよ」
すると、灰色の髪の青目が発光した。目の前から消えた少年に驚く男のスマホに着信音が鳴り響く。その相手の主から、恐ろしい事態を告げられた。
「最大派閥の老人三人が総裁選の工作をしていたホテルに暴漢が侵入し、あの目障りな老人達を斬殺した。こうなれば……上手く事を運べば私が総裁選で勝てる。いや、勝つんだ。私が次の内閣総理大臣になる」
男は演説をするよう独り言を言った。
そして、革命は成り男は内閣総理大臣になり自身の目標を遂行する無私の政治家として人気を博し、革命は成功したのである。
その忙しさの中で男は青目の少年の事も思い出さなくなっていた。
そして、二十年の月日が流れた。
※
現在、その男は二回目の内閣総理大臣を務めている。
男は初めて内閣総理大臣になってから7年の間、最高の内閣総理大臣として務めた。しかし、体調の悪化から辞職していた。
この間に男のやろうとしていた政策は殆どが成立し、利権や汚職にまみれて平然としている老人達を完全に排除した。新型コロナ問題を前政権から継続して批判されつつも、何とか国産ワクチンと自粛によって抑え込んだのである。
男の大義であるクリーンな政治を実行し、自分達がまず痛みを伴う改革をし、その後国民にもその痛みを少しずつ理解してもらうよう求めた。それがやがて政治不信であった日本国民にも伝わるようになり、腐り切った日本国に革命が起こったのだ。
激務から来る体調の悪化で総理大臣を辞職こそしたが、政治家という職業まで引退はしていなかった。
この日本国の政治が始まって『最高の総理大臣』と呼ばれたこの男は自身の得た最高の結果を捨てられなかったのである。
入退院を繰り返しつつ、白髪頭の状態でその後の政治を見守る予定の男は後進達のヌルい保守の仕事に満足出来ず、満足に働けない自分の身体の弱さを呪うよう苛立ちを募らせた。
いつの間にか「無私」の心で政治をしていた時代から変わり「野心」に取り憑かれていた。
革命とは三代に渡って行う。それは思想のある「発起人」から始まり、実行を成す「革命者」が革命を起こし、その後の革命を実務として処理する「保守家」がいて三代になる。
思想家は理想に殉じる余り自死するか、その正義を民衆の大義とされないよう時の政府に殺されて終わる。
革命家はその時代こそ役に立つが、安定した世では毒物にしかならぬ者が多く刺激の無い世界では存在出来ない。問題を起こして刑死するか、その国を捨ててどこかへ飛び出すしか無いだろう。
保守家は前の二代の存在のやる事は理解出来ないが、やろうとした事は仕事としてこなす事は出来る。変に才気走るような存在では無い為に、実務が可能なのだ。
公に人に多くを語ると多方面から反発され政治家として問題になる為、男の思想の時代は苦しい時代であった。しかし、地道にクリーンな政治をして国民から理解される方法を解いて13人という与党内での派閥を生み出した。
そうして、三つの時代を別の人間が行う所業を男は一人でこなしてしまった。本来なら、任期7年で日本の粗方の政治などから生まれたウミは吐き出されており、このまま病気で死んでいれば後は後進が保守的に問題無く政治を進められる状態にあった。
しかし、進化した医療がかつての老害政治家を延命させたように、この男も延命させてしまったのである。
死の淵から目覚めた男は、生と欲の洪水を受け入れる亡者に成り果てていた。
そして、体力を取り戻した男は白髪染めをして見た目にも気を配り、5年離れていた内閣総理大臣の座を取り戻したのである。
その時期――2000年代初頭に起こったウイルスの進化版である新型サーズが日本に蔓延していた。
これは、潔癖が行きすぎた日本から発生した特異なウイルスであった。
男は国の感染予防対策などもかつての新型コロナ対策と同じで行くとし、ワクチン研究が新型コロナによってかなり進んだ事から一年未満で終わるただの風邪として対処した。
それは、世界各国の政治家などの主要な人物達も日本は2020年代初頭から革命的に良くなった国という認識が有り、新型サーズについては日本だけの問題として、渡航する事を禁止せず、輸出入も停止する事はしなかったのである。無症状者が多かったのもそれに拍車をかけた。
感染者が増え出した世界では新型サーズが歩行している人間が唐突に心停止する程の突発死が出始め、人の体内で数多の型に急速変異し世界に拡大させている事を男は知る由もなかった。
やがてそれは新型サーズでは無く、変異病原体「フォース」として世界は変異し、疾患無しの無症状でも突然死を起こすウイルスに恐怖する事になる。
そうして男は、第二次政権時に自分が過去に悪だと思い込んでいた全てを実行するような状態になっていた。利権にまみれ、強欲なまま行動し、口利きをしても知らぬ存ぜぬで嘘をつき、誰かが死ぬ事態になっても問題は無かったと言えるかつての老人達と同じ存在が今の男だった。
「成功した事を失敗であるかのように封印して生きて行く事は、鬼にならねば出来る事では無い」
「? だ、誰だ貴様は!? 学生が何故ここにいる!?」
男がミルク三つと砂糖三つを入れるコーヒーを飲んでいた室内に、一人の灰色の髪の青目の少年が現れた。少年は腰の刀の柄尻に手をかけたまま言う。
「利権絡みで採算も見込めない不必要なカジノを生まれ故郷の地方に作り、未だ平和の祭典などという国民から理解されない大義を掲げるオリンピックの招致を成功させ、あれだけ混乱した新型コロナウイルス問題以上になる新型サーズ問題を危機的状況とも思わない。この国はもう一度、革命する必要があるな」
「何を言っている? この日本国最高の総理大臣であるこの私に狼藉するなど……」
「戯言はいい。思い出せ、かつてのお前との約束を。希望と絶望から生まれた魂の言葉を」
全身を抑えつけられたように動けない男は身震いをしながら記憶の濁流を辿り、20年前までの歴史年表を今の時代から遡り、サーフィンをするよう進んでいた。
(……)
いつ自分が今の自分になったのか、いつ自分が国を革命したのか、いつからかつての老人達のようになってしまったのか……自分の歴史年表は男に様々な事を思い出させた。
「……!」
そうして、かつて自分が『正義』という言葉をよく影で口にしていた事を思い出す。
「そうだ……正義。私は正義の執行者になりたかった。そしてなった。なったはいいが、その後がいけなかった。あそこで全てを捨てていれば、今のようにはならなかったのだ。ん? 確かそんな事を誰かに言われた記憶が……」
「次は貴様が贄となり、次の『正義』が生まれる。約束を破り、嘘をついた者はどうなるかは希望と絶望を魂で知る貴様自身が良くわかってるはずだ」
少年は刀の鯉口を切り、青い瞳を真っ直ぐ男に向けた。男はかつて同じ光景があった事をようやく思い出した。かつての男の理想に手を貸した少年。男の少年の時に似ている、全ての正義を執行する正義の存在。
そして、少年は駆け出すと同時に居合抜きを仕掛ける態勢になった。男は自身の革命を後押しした少年の名を口にする。
「!? 思い出したぞ! き、貴様はあの時の――貴様の名は――」
「正義の執行者」