五之皿 『シイラ』
R04/6/25 追記
こちらにも「いいね」を頂きました。
次作の投稿に向けて、何よりの励みになります。
本当に、有り難う御座いました。
五之皿 『シイラ』
「サテ、今日ハ木曜デ~ス。イヨイヨ明日カラ3連~休!!」
「ヒューヒュー。」
テンションが、かなり怪しい。
「と、いう事で、熟成させていたシイラを料理したいと思います。」
「よっ師匠、世界一!私、今週はただひたすら、この時のために。」
当然2人共、既に酒が入ってる。
だが、ハイテンションの理由はそれだけじゃ無い。
キッチンのステンレスボウルにシイラの切り身が山盛り。
捌く前に分厚い皮を剥いで、適当な大きさに切り分けておいた。
美しい、美味そう。この状態でシイラだと分かる人は少ないだろう。
しかも、この量で未だ半分。残り半分は冷蔵庫のチルドルーム。
「さて、1品目はオレの完全オリジナルですよ。」
「その料理とは?」 「シンプルな他人丼、です。」
研いだ米は浸水処理中。あと数分で炊飯準備完了。
「他人丼...鶏肉の代わりにシイラを使うって事?」 「はい。」
不審に思うのも無理は無い。
大抵の場合、シイラはカツオやマグロのゲスト扱い。
美味しく食べるために、シイラを狙って釣るのは一般的じゃ無い。
釣り番組では『あ~、またシイラ来ちゃった。』みたいな扱いだったり。
「2品目は、これもシンプルな竜田揚げ。」 「あ、それは美味しそう。」
シイラの揚げ物。近年、あちこちの港町で名物になりつつある。
ただ、それだけでは『厄介者を美味しく食べる』という縛りを切れていない。
「3品目は刺身とタタキ。」 「刺身とタタキ?シイラの...」
「はい、これが一番のお勧めです。」 「そう、なんだ。」
やはり不審そうな、怪訝そうな、表情。 まあ、良い。
「じゃ、手分けして準備にかかりましょう。」 「私は何を?」
「まずはネギを刻んで下さい。長ネギは白髪ネギ、細ネギは微塵切りで薬味に。」
「了~解!」星野さんの作業の間、米の状態を確認して炊飯器のスイッチをON。
「師匠、ネギを刻み終わりました。」
「最初に竜田揚げを作ります。今日は白胡麻油を使いましょう。」
IHクッキングヒーターに、鋳物の小鍋を乗せる。そして白胡麻油。
温度は160℃にセット、スイッチON。ビニール袋に片栗粉を適量。
背側・腹側の身をそれぞれ厚めに切り分け、キッチンペーバーで水気を取る。
それを片栗粉のビニール袋に入れたら、お楽しみの時間。
「こうやって空気を一杯にしてパフパフと。」 片栗粉を均一に付ける小技。
「あ、それ知ってる。やりた~い。」 「どうぞ。」
無機質な電子音が響いた。IHが設定した160℃に達した合図。
「鍋が小さいので2切れずつ、じっくり揚げます。」 「はい。」
しっかり水気を切ってあるので、油のハネはそれ程でもない。
「泡が小さくなってきたら取り出す?」
「はい、キッチンペーパーを敷いた皿に。」
竜田揚げを星野さんに任せ、他人丼の準備。
腹側の身、刺身と同じ位の薄切り。タマネギは細めの短冊切りで軽く水洗い。
どちらもキッチンペーパーに取って水気を切っておく。
「師匠、揚げ終わりました。」 「じゃ2度揚げを。180℃で。」
2度揚げも2切れずつじっくりと。二人で小鍋を見つめる。
「何だか、楽しいね。」 「はい。弟子が優秀なので仕事が捗ります。」
「...嬉しい。」 星野さんはオレの肩に頭をもたせかけた。
でもここは小鍋に集中。
濃い黄色から薄茶色。そして焦げ茶色に変化するタイミングを計る。
2度揚げだから、完成まで計30分位?
あとは星野さんに任せて、親子丼の割り下を作る。雪平に。
「あ、それ親子丼の割り下でしょ?酷~い。」 「酷いって。」
「私が作らないと勉強にならない。だから代わって。」
「あの、レシピは?」 「指示を!」 うん、良い機会かも知れない。
「この雪平、昨夜から昆布を水に浸けてあります。」 「それが昆布出汁?」
「そう、昆布を取り出して。」 「はい。」
「おっと、竜田揚げも。」 2度揚げしながら指示を出していく。
「まずは出汁の味を見て。」 「はい...これ、えぐみが無くて美味しい。」
ここからが本番、実力テストだ。
「使う調味料は順番にお酒、みりん、砂糖、麺汁、醤油です。」 「はい?」
「お酒を入れたら火に掛けて、沸騰したら調味料を入れていきます。」
「あの、師匠?」
「イメージして下さい。さっきの昆布出汁、割り下だから味付けは濃い目。」
「何か、変なセミナーみたいになってきた。」
「真面目に。」 「はい。」
説明しながら、完成した竜田揚げを順次キッチンペーパーへ。
「日本酒とみりんは甘み、足りなければ砂糖を。麺汁と醤油で塩味と旨味。」
「師匠、もしかして。」 「はい、調味料の分量は全て任せます。」
「でも、もし失敗したら。」 不安そうな表情。でも『今回は』大丈夫。
「構いませんよ。折角『彼女』が作ってくれる他人丼、有り難く食べますから。
それに、我が儘な『彼女』が釣ったシイラの身が沢山残ってます。
そうですね。あと10回くらいは試行錯誤が可能かと。」
「意地悪。」 可愛過ぎて抱きしめたくなるが、ぐっと我慢。
竜田揚げが進行中だし、星野さんが集中してる。
「シイラの身は薄切りで、多分鶏肉よりアッサリしてて柔らかい、なら。」
考え込む仕草が愛しくて堪らない。
「一味とかは後入れって事よね?」 「はい。」 そう言えば星野さんは辛党。
「分かった。」 吹っ切れた表情。
雪平を火に掛け、手際よく調味料を並べていく。
日本酒の量は大丈夫。この後は本当に『お任せ』、オレは竜田揚げに集中する。
「割り下、出来ました。」 「次は刺身とタタキですね。」
今回、刺身に使うのは背側の身。大きさを利用して薄造りに。
タタキには腹側の身。塩をまぶし、5分待ってからバーナーで炙る。
それをたっぷりの氷水で絞め、アクや塩を丁寧に洗い流す。
「タタキを切るのは星野さんにお願いしましょうか。」 「頑張ります。」
先日のカツオ、その仕事を見たところでは何の問題もなかった。
やっぱり真っ直ぐで真摯な切り口。丁寧な盛り付けも美しい。
ここで竜田揚げの2度揚げが完成、最後の2個をキッチンペーパーへ。
ピピピッ、ピピピッ... タイミング良く、ご飯が炊き上がった。
炊飯器の蓋を開け、ご飯をざっくりと混ぜる。
「これは同じね。母から習った手順通り。」
「はい、これをするのとしないのとでは味が段違いですから。」
「最後は他人丼の仕上げです。」 丼を2つ、八部目まで水を入れてレンジへ。
「丼を予熱するの?」 「はい。この料理のキモ、絶対必要な工程なんで。」
レンジがピーッと鳴ったら丼を半回転、もう一度スイッチON。
暫くして、丼の中で泡が見えた。沸騰してる、これで他人丼の準備はOK。
「ここからはスピード勝負。段取りを説明します。」 「はい。」
「星野さんはタマネギをこのフライパンで炒めて、オレは卵を溶きます。」
オレを見つめる真剣な表情。少し照れ臭く、そして愛おしい。
「炒めたタマネギにシイラの切り身を乗せて、割り下をお玉で半分。
沸騰したら溶き卵を回しかけます。卵の白身の色が変わってきた所で二等分。
予熱した丼によそったご飯の上に『滑らせる』感じで。
それぞれに白髪ネギを乗せたら丼のフタをして、蒸らしを10分。
丼にご飯をよそうのはオレがやります。準備、良いですか?」
「はい。」 「じゃ、星野さんのタイミングで合図を。」
「On your mark.」 そうきたか。 そう言えば星野さん、体育会系っぽいしね。
「Get set. Go!!」 よっしゃ!
躓く事なく親子丼の仕込みが完了。
竜田揚げ、刺身、タタキの盛り付けも完了。
「10分経ったら、いよいよパーティの始まりね?」
「その通~り。」 「いぇ~い。」
「キッチリ10分、他人丼の完成です。」 「やった~。」
丼の蓋を取る。白い湯気、良い香り。白身がツヤツヤで美しい。
黄身の色も鮮やかで火の入り具合も絶妙。 薬味の細ネギをたっぷりと。
「じゃ、食べてみて下さい。」 「頂きま~す。」
「何コレ?」 一口食べて、星野さんは目を見張った。
その後は黙ったまま、凄いペースで食べ続ける。見ていて気持ちが良い。
オレも一口、美味い。星野さんにつられてペースが上がる。良い出来だ。
シイラの身は口の中でホロホロと崩れ、タマネギと卵に溶ける。
それらとご飯をネギが結びつけ、割り下で全体がふわりとまとまっている。
「流石はお師匠様。」 「割り下で味を決めたのは星野さんですよ。」
「それはそうなんだけど...ちょっと、信じられない。」
既に星野さんの丼は空っぽ、満足そうな表情。
ここで小休止。2つの江戸切子に、キリッと冷やした日本酒を注ぐ。
他人丼の余韻が日本酒にゆっくりと溶け、静かに消えていく。
名残惜しいが、今夜はまだ、2つの料理が待っている。
「次は竜田揚げ、です。これは、ビールで。」 「待ってました!」
「揚げものは鉄板だけど、予想以上に美味しい。ビールとの相性も最高。」
「それは何より。」
「でも刺身とタタキ、これは何て言うか...正直不安しかない。」
「まあそこは師匠を信じて『チャレンジ』です。」 「はい。」
江戸切子に日本酒を補充、ワイングラスにはリースリングの白ワイン。
「刺身は普通に醤油で。タタキは塩味充分の筈ですが、必要なら醤油を追加。
まずは刺身と白ワイン、次にタタキと日本酒。苦情を聞くのはその後で。」
刺身を一切れ食べて、星野さんの表情が変わった。
白ワインを飲んでニッコリと微笑む。 これなら多分、大丈夫。
刺身&白ワイン、タタキ&日本酒、3巡目でようやく星野さんは口を開いた。
「一品目の他人丼だけでも凄いのに、
シイラを刺身やタタキで食べる事を考えつくなんて。師匠、天才。」
「いや、これはオレが考えたんじゃありません。親父が教えてくれたんです。」
「お父様が?」 オレを見つめる、綺麗な瞳。
胸の奥に蘇る、懐かしくて温かな記憶。
「いつも『シイラが不味いって言う奴らの気が知れない』って言ってて。」
そう、魚を釣るより、釣った魚を美味しく食べる料理を考えてる時間の方が長い。
キッチンで釣って来た魚を捌きながら、考え込む後ろ姿が目に浮かぶ。
「実際、大抵の魚は少し手をかけるだけでビックリする位美味しくなります。」
何故だか今夜、珍しくオレは感傷的になっているらしい。
「竜田揚げも良いですが、ニンニクを効かせた唐揚げも最高ですよ。
明日、いや今夜。お腹に余裕があれば唐揚げも作って見ましょう。」
「そう...私、何時かお父様にご挨拶できると良いな。」
『ご挨拶』。それが実現するとしたら、恋人として? それとも。
胸の奥深く、癒える事のない傷口から、血が流れる。
「もし、ホントにそんな事になったら、父は大喜びでしょうね。母も。」
自分の声があまりに冷たく、余所余所しい事に驚く。
この人に邪気はない、ただ素直な思いを口にしているだけ。
だから、気付かれるな。平静に、心の傷口を強く強く締め上げる。
「それより、竜田揚げの味変を。」 冷蔵庫からタルタルソースを取り出す。
顔が、強張ってる。でも大丈夫、大丈夫だ。落ち着け、オレ。
この人に、無用な心配をかけてはいけない。
「未だ少し、時間が必要みたいだから、ご挨拶の件は保留するね。」
「...はい。」
オレの努力は灰燼に帰した。
本当に、鋭い人。それは分かっていたつもりなのに。
六之皿 『シイラ』 完
本日投稿予定は1回、任務完了。