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四之皿 『カツオ①』

少し長いと思いましたので①・②に分けました。

②も本日投稿予定、あわせてお楽しみ頂ければ幸いです。

四之皿 『カツオ①』


星野さんは既に十回近く、彼女の部屋とオレの部屋を往復している。

手伝いを申し出たが、あっさり断られた。

まあ、『独身女子区画』の3階に男が何度も立ち入るのはマズいだろう。

しかし...


「あの、『当面必要な物』を運んでるんですよね?」

「そう。」 涼しい顔。 女性だから、オレの感覚とは違うのは分かる。

だが、服や日用品を運んでいたのは最初だけで、

今運んでいるのは、ほとんどが釣り具。

一番理解できないのは、船釣り、しかも大物釣り用の釣り具。


「『当面必要な物』に、何で船の大物用釣り具が?それも複数。」

星野さんは悪戯っぽく微笑んだ。

「明日は何曜?」 「日曜、ですね。」

「そう、職場の釣り大会。パヤオよ、パ・ヤ・オ。」

確かに、そんな企画書が掲示板に貼られ、朝礼でも何度か呼びかけがあった。

「成る程、星野さんはその大会に参加する、と?」

「そう、二人で。エントリーは確認して、参加費も納入済み。」


目眩が、した。


「『二人で』って、つまり...」

「そう、私と星野君。絶対、同じ船にしてくれるように手配したんだから。」

「何でオレまで?星野さんなら一人で、何不自由なく釣りが出来るのに。」

「だから、それが問題なんでしょ。」 「へ?」

「私が一人で参加して普通に釣りしたら、皆に『変な女』って思われる。」

「なら、無理して参加する必要無いんじゃ?」

「あのね。さっきも言ったけど、パヤオなの。」 「はい。」

「こんなチャンス、滅多にない。釣り人なら、大物釣りは一生の浪漫。」


目眩が酷くなる。さらに、頭痛も。


「オレが、星野さんを誘って参加する事になってるんですかね?」

「理解が早くて助かる~。そう、釣り初心者の私に、司君が手取り足取り。

釣りをしつつ、二人の関係をアピール。一石二鳥。あ、明日は4時起床ね。」


全く、何でこんな事に...


翌日、星野さんは終始絶好調。 船中に賞賛の声が溢れた。

「星野さん、スゲぇな。」 「ホント、初心者とは思えないよな。」

「あの、司君の教え方が良いんです。昨夜も遅くまで道具を用意してくれて。

それで本人は今日、寝不足で船酔いしてるみたいなんですけど。」

星野さんは控えめに、でも晴れやかに、微笑む。 天使の笑顔。


結局、良型のカツオとチビマグロ多数。それにシイラも数尾。

当然星野さんが竿頭、優勝。星野さんの腕前からすれば驚く事でも無いけどね。

ただ、大会とは言っても親睦行事。賞品や賞金が設定されている訳じゃない。

釣れた魚を職場に持ち帰り、社員食堂のおばさんたちが料理してくれる。

それを食べながら大宴会という段取り。そう聞いていた。


「もう少し。そのまま、『船酔い』してて。」 星野さんが耳元で囁く。

「司君が心配だから宴会は遠慮する、最高の筋書きでしょ?あ、来た!!」

全て星野さんの思惑通り。 悪魔の計略。

30分を超えるやり取りの末、星野さんが釣ったシイラは170cm超。

その魚は見事に、大会の最後を飾った。


「え~、残念。飲み会参加しないの?」

「はい。司君が未だ船酔いで...これ以上体調が悪くなると心配だから。」

「じゃあさ、好きな魚持って帰りなよ。星野さんが一番多く釣ったんだし。」

「ありがとう。司君、ね、どの魚持って帰る?。もう、しっかりして。」


...まさに、天使の笑顔と悪魔の計略。 女は、怖いな。小声で答える。

「カツオとシイラを一尾ずつ。尾鰭に輪ゴムが巻いてある魚を。」

「ええと『カツオとシイラを一尾ずつ』って。私、選んでも良いですか?」

「じゃ、大きいのから選んで持ってってよ。」

「でも、二人では食べきれないし、小さめので。」 「OK!OK!!」


「流石は師匠。役者が違ったわね。」

「その言葉、そっくりそのまま、お返し致します。」

「何言ってるんだか。釣り上げたら即血抜き、尾鰭に目立たない輪ゴムの目印。

全てが一瞬で、私も言われるまで気付かなかったのよ。多分船長さんも。」


ああ、それはあなたがハイになってたからですよ。

フィッシャーマンズ・ハイって奴ですね。

だからお願い、オレをゲームのラスボスみたいに言わないで下さい。


バスルームでカツオとシイラの写真を撮った後、星野さんは微笑んだ。

「それより、料理。何を食べさせてくれるの?」

『小さめ』と言ったものの、ざっと見で、カツオは50cm。

シイラも楽に120cmを超えてる。

どう考えても、これだけの量を今夜で食べきるのは無理。

「今夜はカツオ尽くしにして...シイラは数日熟成させて食べましょう。」


「カツオ尽くしって、どんな?」

「刺身、タタキ、汁物。それと生姜風味の甘辛煮。」

「それで、私は何を?」

「まずはカツオを五枚におろして下さい。大丈夫ですか?」

「はい。」 星野さんがカツオと格闘している間、生姜の皮をこすり洗い。

更に、長ネギとタマネギを薄切り。


「師匠、五枚おろし完了しました。」

「一番時間がかかるのが4品目の甘辛煮、なのでこれを最初に作ります。

骨が残っていないか丁寧に確認して、それから身をサイコロ状に。

そうですね...一辺が2cm位で。」

「はい。」 その間、タタキ用に残した柵にしっかりと塩をまぶしておく。


一番大きなフライパンに湯を沸かした。

グラグラ煮立ったらカツオのサイコロを投入、軽く攪拌。

10秒待ってザルに取り、水道水でアクや残ったウロコを軽く洗う。

「そんな風に洗って、旨味とか風味は抜けないの?」

「大丈夫。熱湯で火が入って表面がコーティングされてますから。

それに、星野さんやオレには必要無いかも知れないけど、

こうすると魚が苦手な人でも食べやすくなるらしいですよ。」


俺たちの『魚食』は、星野さんへの魚料理指南を兼ねている。

自分以外の『誰か』に食べてもらう意識を持つ事にも意味があるだろう。


カツオのサイコロを深めの両手鍋に移し、出汁昆布を三切れ。

水を1ℓ、そのまま火にかける。

「沸騰したら味付けよね。調味料の種類と順番は?」

「最初に日本酒、再沸騰したら砂糖。5分待って、みりんと醤油を。」

「生姜を入れるのは何時?」 「あ、忘れてた...生姜は最後に。」

「師匠、大丈夫?ホントに船酔いしてる?」

「いいえ、生姜は最後に入れるのが正解です。えぐみが出にくいから。」

「成る程。」


「あとはアルミホイルで落とし蓋をして弱火。次は汁物ですね。」

頭と背骨を切り離し、更に背骨を4つに切り分けた。

それらをバーナーで炙り、焼き色を付ける。 う~ん、良い香り。

洗ったフライパンに炙った頭と背骨、水を2ℓ。沸騰するまでは中火。

「師匠、これにも昆布と落とし蓋?」

「極上のカツオですから、その旨味だけで十分。味付けは塩のみ。」


「潮汁?」 「はい、薬味のネギも好みで後入れということで。」

「楽しみ~。」

「ここで、星野さんはシャワー使って下さい。」 「でも、まだシイラが。」

「シイラを捌くのはシャワーの後、その間にご飯を炊いておきますから。」

「ありがと。」


星野さんがシャワーを使った後、浴槽でシイラを捌いた。

「ね、動画、撮っても良い?」 「どうぞ。」


少し照れ臭いが、捌きにかかる。

鮮度抜群とは言え、まずは念のためヒスタミン中毒の対策。

ヒスタミン生成菌の住処、分厚い皮を剥いで水洗い。


更に5枚おろし、適当な大きさに切り分ける。

切り分けた身はビニール袋に小分けして、冷蔵庫で数日寝かせる予定。

大きな頭を外し、中骨を適当に切り分けた。まとめて一番大きな寸胴へ。

コンロは満員だから、甘辛煮と潮汁の後で火を入れよう。


「...力も必要だね。私、これは真似できないかも。」

「大丈夫、こんなサイズの魚捌く機会はそうそうありませんから。」

「これからも機会があるかも知れないでしょ。プライベートで。」

「何言ってるんですか。星野さんが今日と同じくらい釣ったら、

2人じゃ食べきれませんよ。だからって、魚をそのまま配っても、

まず喜ぶ人はいません。くれぐれも、大物釣りは慎重に。」


「ふふ、嬉しい。」 「嬉しいって、何が?」

「だって司君は、2人のプライベートが重なるって考えてくれてるんだもの。」


...そうか、そう言われれば、確かに。そうかも知れない。


「今日一日、ずっと悪魔の計略の片棒担がされてたら、

うっかりその気になっちゃいましたかね。」

「ちょっと、『悪魔の計略』って何よ?それに『うっかり』って。」

不満そうな、表情。

不意に愛しさが込み上げて、細い体を抱きしめた。シャンプーの、良い香り。


「オレは『船酔い』で釣りが出来なかったんですよ?折角の、パヤオなのに。」

「...御免なさい。」 星野さんもオレを抱きしめてくれた。


深呼吸。色々と我慢して、そっと、額にキスをする。

「初めてキスしてくれたのに、お酒臭い。」 「お互い様、です。」


微かに、カラメルっぽい香り? あ、ヤバい。 甘辛煮の鍋を軽く揺する。

「もう、出来上がり?」 星野さんの頬は薄紅に染まって、とても可愛い。

でも、タイミングは多分、今しかない。

「煮汁をお玉で回しかけて、泡が細かくなったら火を止める。

その時、潮汁の火も止めて下さい。オレ、その間にシャワー使ってきます。」

「了解。」 星野さんもオレの頬にキスをしてくれた。


全速でシャワーを済ませて戻ると、星野さんは得意そうに微笑んだ。


「師匠、カツオの角煮と潮汁完成しました。確認お願いします。」

確かに...角煮の照り、潮汁の透明感。タイミングが完璧だった証拠。

「合格です。じゃ、仕上げに刺身とタタキ。」 「よっ、待ってました。」

「タタキはバーナーで炙ります。」 「氷水、用意するね。」 「はい。」

これが、阿吽の呼吸、なんだろう。とても心地良い。


シンクに敷いたアルミホイルに薄くオリーブオイルを塗り、

その上でタタキ用の柵を炙る。十分に火を通して、でも焦げ過ぎないように。

炙り終わったら即氷水へ。まぶしておいた塩を丁寧に洗い流した。

「オレ、タタキと刺身は皮を残すのが好みなんですが、星野さんは?」

「皮が残ってた方が美味しい?」 「ええと、オレはそう思います。」

「じゃ、師匠の好みで。でもタタキと刺身は、私が切りたいです。」


「はい。星野さんなら大丈夫。」

「何か注意事項は?」 集中した凜々しい表情。

「押しでも引きでも、一方向で一気に切ること、ギコギコやっちゃダメ。」

「もし一度で切れなかったら、切り口に包丁を戻して切る?」

大きなカツオから取った柵。普通の三徳包丁では刃渡りが足りない。


「それでも良いですけど、そうならない方法もあるので。」

「どうするの?」


シンクの引き戸を開ける。『取って置き』のお出ましだ。

就職祝いに親父から贈られた刺身包丁。刃渡り40cm弱、特注品らしい。

「これなら一度で切れます。こんな風に。」

手元側の刃を当て、真っ直ぐ、包丁の重みに任せて引く。

「うわ、綺麗。こんな風に切れるなんて。」 「じゃ、どうぞ。」


「この包丁、私が使って良いの?」 「嫌、ですか?」

「ううん、使いたいけど...今まで見たこともない、綺麗な包丁だから。」

「星野さんが使ってくれたら、親父はきっと喜びます。」

「お父様から頂いた包丁なのね?」 「はい、就職祝いに。」


緊張と集中がありありと見える。

大丈夫だろうか、力が入りすぎると包丁の軌道がブレる。

深呼吸を1つ、星野さんの表情が変わった。

「星野、行きます。まず刺身、それからタタキ。」

一瞬、包丁の刃が妖しい光を放ったように見えた。


四之皿 『カツオ①』了

R04/6/25 追記

こちらにも「いいね」を頂きました。

次作の投稿に向けて、何よりの励みになります。

本当に、有り難う御座いました。

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