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三之皿 『アオリイカ』

R04/6/25 追記

こちらにも「いいね」を頂きました。

次作の投稿に向けて励みになります。

本当に、有り難う御座いました。

三之皿 『アオリイカ』


7時前、帰宅。 うん、今日も仕事頑張ったよ。俺なりに、それなりに。


まずはバーボンのお湯割りを作って、グラスをテーブルに。

お湯割りが良い感じに冷めるまでの間に米を研ぎ、炊飯器のスイッチON。

晩秋の夕暮れ。いつもの習慣、という奴だ。

TVのリモコンを取り、ソファに体を沈める。晩飯はどうしよう?

ふと窓を見ると、真ん丸の大きなお月様。


そうか、今夜は大潮...きっと今、星野さんは釣りをしてる。

一体何を狙ってるんだろう? 餌釣りか、それともルアー?

心当たりの釣り場を車でまわって、探してみようか。

何しろ金曜の夜、やっぱり若い女性一人での釣りは何かと...

いや待て、冗談じゃ無いぞ。本格的に心配になってきた。

お湯割りなんて、後で良い。


その時、ドアのチャイムが鳴った。不吉な予感。


全速で走り、ドアを開ける。 星野さん。 途端に力が抜けた。

「どうしたんです。何時もは、来る前に連絡をくれるのに。」

「失礼な男達がいて、しつこいから早めに切り上げて逃げてきたの。」


...胸騒ぎの原因はこれか。やっぱり、車で釣り場を回れば。

いや、それより今は星野さん。 『失礼な男達』って。

服に乱れはないように見える。髪が少し乱れているのは、風のせい、か?

「大丈夫、なんですか?」

「全然、大丈夫。それでね、今夜釣ったのはこれ。」


差し出されたレジ袋を受け取り、中を覗く。


「旬のアオリイカ、しかも良い型。流石です。」

良型、二杯とも1kg前後はあるだろう。

「でしょ?」 得意そうな笑顔。

「でも少し寒かったし、お腹も空いちゃった。何か作って頂戴。」

「じゃあ、まずはホットウイスキーで体を温めてから。」 「ありがと。」


もう一度ホットウイスキーを作り、グラスを星野さんに渡す。

それからイカを軽く水洗い。


「イカが大きいから、今夜は、定番の刺身とイカ汁を作ります。

残った分は冷蔵庫で熟成させましょう。それで、良いですか。」

「うん、素敵。どっちもご飯に合うよね?」

「はい、ご飯も炊いてますよ。」


アオリイカを捌く。星野さんはオレの左隣に立っていた。

でも、いつもと違う。ずっと黙ったまま、料理の様子を見ている。

それが少し気になるが、折角釣って来てくれたアオリイカだ。

集中して、最高の料理に仕上げないと。


「身が厚いので、皮を剥いてからこんな風に包丁を入れます。これは刺身用。」

星野さんは小さく頷いた。まあ、釣り人一家だと聞いたし、

アオリイカの刺身なんて珍しくも無いんだろうと思ったら、違った。


「凄~い。両面からこんなに細かく包丁を入れるの?」

「飾り包丁の一種です。アオリイカ、偶に寄生虫がいるらしくて...

アニサキスって、聞いた事有ります?」

「名前は知ってるけど、アオリイカにもいるの?」 若干、引き気味。

しかし、知らないなら尚更、一応説明してからでないと。


「このイカ、皮を剥いた時に見た限りでは大丈夫です。

身が綺麗に透き通ってて、濁ったり、色が変わったりしてる所はない。

こうやって、出来るだけ細かく包丁入れるのは、まあ。『保険』って事で。」

「保険、包丁で細かく...何か、グロい。」


確かに。

でもイカ釣って来て、料理してって言ったのはあなたですよ、っと。


「イカ汁ですけど、インスタントの昆布出汁とチキンコンソメを使います。

あと豚バラ肉。それに、新鮮なイカスミをたっぷり。」

ニンニクも使いたい所だが、今日はあいにく在庫切れ。

レンチンした大根とニンジンを加え、醤油で味を調える。良し。

ここでイカの身を投入。下足とエンペラのぶつ切り。

イカの身が固くなり過ぎないように、一工夫。

鍋の火を強めて10秒数える。後は数分、予熱で火を通すだけ。


「さあ、これで出来上がり、です。」

意気揚々と振り向いた途端、星野さんの頬に一筋の涙。

胸の奥の、とてもとても深い所から、激しい感情が湧き上がる。

ああ、オレはどんだけ鈍感なんだ。

普通は、星野さんが事情を話してくれた時点で。


「さっきは大丈夫だって言ったのに。何で...」

「さっきはホントに、大丈夫だと思ってたの。

でも司君がイカ捌くとこ見てて、美味しそうな料理が出来て。

『もう心配ないんだ』って思ったら、いきなり、怖くなって。」


思わず、星野さんを抱きしめた。細く、冷たい体が微かに震えている。


「何か酷いこと、されたんですか?」

「酷い、こと?」 星野さんは顔を上げ、オレを真っ直ぐに見つめた。

「あ、いや、何て言うか。無理に何かされた、とか。」

「...ううん、酷いことしたのは。」

星野さんはオレの胸に顔を埋めたまま、また黙った。


どれ位、経ったろう。 星野さんは突然顔を上げた。


「今度こそ大丈夫。それより、お腹空いた。」 柔らかな、笑顔。

オレの腕の中からスルリと抜け出し、刺身を盛り付けた皿を覗き込む。

「美味しそう。」 「イカ汁、温め直しますね。」 「大丈夫。私、猫舌だし。」

そう言えば、星野さんはホットウイスキーに口を付けていなかった。


アオリイカの美味さは万人の認める所だろう。

それが3タイプに区別できるという認識も一般的になってきた。

星野さんが釣ってきたのは、『シロイカ』と呼ばれるタイプ。

3タイプの中で、いや、全てのイカの中でも『究極の美味』と称される。

しかも正真正銘の釣りたて、釣り人でなければ食べられない、抜群の鮮度。

よほど腕が悪いのでも無ければ、どんな料理にしても美味いに決まってる。


「このお刺身、凄いね。お醤油とワサビに、イカの甘さが負けてない。

飾り包丁?のおかげでしっかりお醤油が絡むのに。」

「刺身で食べるとしたら、やっぱりアオリイカですね。

だからオレ、エギング下手なんですよ。」

「刺身が好きなのに釣りが下手って、どういう事?」

「早く食べたくて、一杯釣れたら帰っちゃう。だから上達しないんです。」

「う~ん、男と女の差、かな。私なら、沢山釣って食材確保したいけど。」


うん、良いね。釣りと料理の話で盛り上がれるって、最高。

ささ、お姉さん、飲みねぇ。どんどん飲みねぇ。

こちとら江戸っ子じゃ無ぇけど、取って置きの日本酒だい。四国の。


「私、イカスミ汁、初めてなの。」 「そう、なんですか?」

「前に話したでしょ?私の家、こういう料理を作れる人がいなかったから。」

「初めてだと、見た目が不気味ですよね。止めときます?」

「ううん、食べる。ずっと、食べてみたいと思ってたんだから。」


「で、どうでしょう?」

難しい顔の星野さんに恐る恐る声を掛ける。


「驚いた。見た目は、こってりしてそうなのに。

舌触りがすっごく滑らかで、喉越しも悪くない。」

「ええと、免疫を強化すると言われてて、抗ガン作用も有るらしくて。

疲労回復や美肌効果も。まあ、滋養強壮の薬膳、ですね。」


「師匠?」 「はい。」 「能書きより味、でしょ?」 「そう、ですね。」

「初めての味だけど、これ、美味しい。

大根とニンジンの食感は爽やかで、ビックリするほどイカの食感が良い。

司君お勧めの日本酒との相性も、抜群だと思う。」


流石、星野さん。判っていらっしゃる。褒められると、素直に嬉しい。


イカ刺しとイカ墨汁を食べる星野さんはとても楽しそうで、

何もかも、いつも通り。でも、そんな筈が無い。オレはどうすれば良いのか。

星野さんの涙が、いつまでも心の何処かに引っかかっていた。


夕食の後、2人ソファに並んで座り、TVを見ている。

白ワインの瓶はそろそろ空になる。時計は11時に近い。

星野さんは時々小さな欠伸をしているし、オレも少し眠気が...

でも、このままダラダラするのは良くない。思い切って声をかけた。

「あの、星野さん。」 「なあに?」


「何て言うか、その、今夜は此処に泊まった方が良いと思うんです。」


万が一、『失礼な男達』が星野さんの後をつけていたら。

取り越し苦労かも知れない。それは自分でも判ってる。

でも。少なくとも今夜だけは、念のために様子を見た方が良い。


「もう遅いし、星野さんはベッドを使って下さい。オレはソファで寝ます。」

星野さんは俯いた。絞り出すような、小さな声。

「お願い、一緒に...」 それで、覚悟が決まった。

「分かりました。」 「司君?」 「毛布を取って来ます。」


押し入れから取り出した新品の毛布、いつも使っている毛布。

新品を星野さんの肩にかけ、オレはソファのすぐ傍、

床に座って毛布にくるまった。

「ずっとここに、傍にいます。それなら大丈夫でしょ?」

「...2人でベッドの方が良い。」

星野さんは不満そうに口を尖らせた。可愛い、だが駄目だ。


「いくら友達でも、男と女なんですから、一緒にベッドは駄目ですよ。」

「前にも一緒に。」 「あの時はお互い泥酔してたからノーカンで。」

「私は、そんなに酔ってなかったけど...

せめて、手を繋いだままでいて。司君が寝るまでの間で良いから。」

「これで、良いですか?」

「うん、ありがと。」



眼が、醒めた。台所の方向に人の気配。そして良い匂い。

ゆっくりと上体を起こす。ベッド!? ...何で、昨夜オレはソファの。

「あ、司君、起きた?朝ご飯出来たよ。昨日のアレンジだけど。」

「あのう、オレは何でベッドで寝てるんですかね?」

「夜中に眼が覚めたら、司君が何だか寒そうだったから、

『やっぱりベッドで寝た方が良いよ』って、私が。覚えてないの?」


「星野さんは?」 聞こえていたのかどうか、星野さんは体を翻した。

「ね、冷めちゃうから。早く食べよ。」 明るい、笑顔。


イカ汁は、ほんのり味噌風味にアレンジ。それと、微かな唐辛子の辛み。

柔らかな、ダイコンとニンジン。これは、美味い。

味噌風味なのにえぐみが出ていないから、加熱は温め直し程度。

って事は、ダイコンとニンジンは...おそらくレンチン。

昨夜のレッスンを活かしたのか、いや、星野さんならこれ位は当たり前に。


「ね、味はどう?」 少し不安そうな表情。

「とっても美味しいです。汁と別に加熱した具の食感が最高で。」

「あ、判ってくれたんだ。嬉しい。」

「はい、隠し味の唐辛子も最高ですよ。」


朝食後、ほうじ茶を淹れた。

「それで、これからの事ですけど。昨夜のこともあるし、

この際ちゃんと話をしておくべきだと思って。」

「はい。」 星野さんは神妙な表情。

釣り人には厳しい条件だろう。でも、これだけは譲れない。

「暫く、1人での夜釣りは止めて下さい。」

「...釣り人が沢山いて、安全な場所なら。」


「昨夜は、わざわざ『危険な』釣り場を選んで釣りをしたんですか?」

「そうじゃ、ないけど。」

通い慣れた釣り場でも、日々状況は変わる。

女性1人、絶対安全な釣り場などない。

ただ、オレ自身釣りをするから、星野さんの気持ちも理解できる。

「これから夜釣りにはオレが一緒に行きます。一緒に行けない時は夜釣り禁止。」


「明るくなってからは?昼とか。」

「昼に釣り出来るのは休日でしょ?それも出来るだけオレが一緒に行きます。」

「朝は?夜明け前。」 必死な表情、胸の奥がキュンとなる。

確かに、良い潮回りなら、夜明け前の上げ潮は絶好の...いや、駄目だ。

「暗い、人が少ない。夜釣りと同じですね。

オレが一緒に行けない時は、それも禁止で。」


星野さんは暫く黙っていた。妥協点を探ってる?

いや今回、この件について妥協の余地はない。全面的にオレの提案を。


突然、星野さんの表情がパアッと輝いた。一体、何?


「分かった。じゃ、私、この部屋に住む。」

「へ?」 今までの話の流れで、何故その結論が...


「何時でも釣りの相談が出来るし、

私がコッソリ釣りに行こうとしてもすぐ分かるでしょ?」

成る程、道理。だが、『この部屋に住む』というのは、つまり。

「それは『同棲』、ということになりますが...」

「友達だから、同棲じゃなくてルームシェア。不都合は無いでしょ?」


得意そうな笑顔。 何て答えるのが正解なのか?

星野さんに出会ってから、心の中に積もってきた想いを必死で整理する。


「確かに、不都合は無いですね。というか、確かに好都合です。

星野さんが釣りに行く時はすぐ把握できて、『今日は駄目』って相談も出来る。

それに、オレ的にも、飲み会断るのに絶好の理由になります。」

そう、週末の飲み会は、オレを釣りから遠ざけていた要因の1つ。だが。

「でも星野さんは、本当にそれで良いんですか?」 「何が?」

「どう考えても、周りからはルームシェアじゃなくて同棲ですよ。

こんな、冴えない男と同棲なんて...正直、お勧め出来ません。」


「私、全然あきらめるつもりはありませんから。」 「何を?」

「『友達』じゃなく、『彼女』になること、よ。」 

「だからオレなんて」


「止めて!」

大きな声、真剣な表情。凜々しい、思わず見惚れてしまう。

いやゴメン、そんな問題じゃ無いよね。


「私は、司君が好き。釣り人で、魚料理を教えてくれる師匠。

『趣味の一致』は生涯の伴侶を探す時の必要条件でしょ。

それに司君は凄く優しい。昨夜だって、司君がいなかったら...」

星野さんは俯いて、涙を拭った。


「司君は、私の事、嫌い?」

...これは、こんなの反則だよ。全く。


「好き、です。いつも驚かされるし、振り回されてばっかりだし。

でも、一緒にいると、心の奥が暖かいです。

だから、昨夜は本当に心配で。どうすれば良いのか分からなくて。」


星野さんは立ち上がり、オレの背後に回り込んだ。

ふわりと、オレを抱く両腕が温かい。左の耳元で囁く声。


「心配してくれて、ホントに有り難う。凄く嬉しくて、心強かった。

だから私がこの部屋に住めば、問題はまとめて全部解決。そうでしょ?」


「まあ、そうです。」

「じゃあ決まり。今から、当面必要な物を運んでくるね。」


三之皿 『アオリイカ』 完

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