十七之皿 『ミズン&センネンダイ/矜持⑤』
予想していたよりも、ずっと長い物語になってしまいました。
本当に申し訳有りません。
十七之皿 『ミズン&センネンダイ/矜持⑤』
「海神様のシェフ?」
「分業制だからね。神事を司る巫女と神饌を用意する庖丁は。」
「庖丁が料理人を示す言葉って、初耳だけど。」
「馬丁とか園丁は聞いた事有るでしょ?」
「ああ、成る程。」
もし『丁』が使用人なら...庖丁の『丁』も。
ただ馬丁は『ばてい』、園丁は『えんてい』。
「何故、庖丁は『てい』でなく『ちょう』?」
「まあ、私も。以前、話を聞いただけだから。」
星野さんの瞳の奥、微かに煌めく緑色の光。
『それは昔、遠い昔の話だ。
そう。人と神々が今よりもずっと、近しく暮らしていた頃の話。』
一区切り、一区切り。言葉の度、漆黒の双眸が光を増す。
つまりこれは、星野さんの言葉じゃない。
護り神様の、『みさきさん』の言葉。
『白波洗う浜辺と深い山々。
山々を背に、穏やかな海に面する平地。
美しい地であったが、海の民と山の民の確執が影を落としていた。』
そうか、海の民と山の民。
山の幸は山の民が、海の幸は海の民が、それぞれ管理する。
そして、海の民は海神様を祀り、山の民は山神様を祀る。
「もしかして、この島と似た事情が?」
山神様を祀る一族が絶えた経緯、海神様を祀る一族の思惑。
拮抗した二つの勢力は、極端な対立関係に陥りやすい。
その拮抗が崩れれば、強者が弱者を飲み込む。あるいは滅ぼす。
瞳ちゃんの祖父は山神様の巫が滅びるまま放置した。
それは海神様と山神様の、実際の関係に反する選択だったけれど。
『そうだな。しかし、この島とは違う事情も有った。
海に面した平地。それが、この島よりも遥かに広かったから。』
山の幸。木材、木炭。そして獣の肉、猪や鹿、もしかしたら熊。
海の幸。塩、魚、海藻。そして海に面した平地の作物...そうか。
「確執の原因は稲作、ですか?」
『ふむ、察しが良いな。確執の原因は、米。
小舟で浜に流れ着いた老人が、海の民に伝えた。
種籾と稲作の技を。』
縄文後期に始まったとされている稲作。
しかし、全国的に広がったのは、やはり弥生時代。
つまり『みさきさん』の話は、弥生時代から奈良時代にかけて?
いや、流石に古すぎるか。あの庖丁は数百年前の。
『山の幸は山の民が、海の幸は海の民が。
古くからの習わしに従い、海の民と山の民は均衡を保っていた。
そこに変化をもたらしたのが稲、つまり米。
大きな田は平地に作られるが、田に水を供給する川の源は山に有る。
それが少々厄介な事情を産んだ。』
稲作がもたらす米は食糧事情を劇的に改善する。
米を得た海の民は力を増し、力の均衡が崩れる。自明の理、だ。
なら、山の民は...
「川の水利権をたてに、山の民が米の共有を主張した、とか?」
『その通り。そこで海の民は条件を出した。』
「条件?」
『繁忙期、山の民も農作業に最大限の人手を都合する。
それなら収穫の半分を山の民のものとしよう、と。』
半々? 七三とか八二でも充分じゃ?
「何と言うか、随分と山の民に有利な条件ですね。」
星野さんの、いや、『みさきさん』の双眸。
その奥に宿る光が輝きを増した。吸い込まれそうな、美しさ。
『実際、川の水源を握っているのは山の民だ。
海の民としても、その主張を無下には出来ない。
何より、全面的な敵対だけは避ける必要が有った。
山の民の方が武器、弓矢や槍の扱いに長けているのだから。」
そう、か。確かに、そうだな。
漁師が銛を持ったとしても、弓矢を使う狩人には多分敵わない。
「成る程、だから半々。それで交渉はまとまったんですか?」
『ああ。それから十数年間、両者の均衡は保たれた。
しかし、その間も海の民の不満は燻り続ける。それも当然。
日々丹精して収獲した米。毎年毎年、その半分を持って行かれるのだから。』
星野さんはオレの正面に座っている、なのに。
『みさきさん』の声は囁くように、右の耳元から聞こえてくる。
『やがて更なる転機が訪れた。
海岸近くの岩場で、海の民が湧水を見つけたのだ。
その水量は、新たな田を開くに充分。川を水源としない新開田。
当然、山の民は・・・』
すうっ、と。意識が遠くなる。
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胸の前。印を結んだ両手に、違和感。
初めての感覚。もしや、神事に何か不都合が?
そして、近づいてくる足音。予感は当たったようだ。
「海長!大事です!!」 「何事か?」
「神器が、釣り針が失われました。糸が切れたそうで。」
釣り針が失われた?糸が切れて...馬鹿な。
代々続いて来た神事、そんな事は唯の一度も。有り得ぬ。
「釣司は?」
「神器を回収する儀式の準備をする為、海長を呼んで欲しいと。」
仕組まれたか。...迂闊だった。まさか、神事にまで手を。
「分かった、直ぐに行こう。」
予想通り。神事の釣りが行われた海岸は、もぬけの殻。
「これは...謀られたのでしょうか?」
「間違い無い、神選を経た釣り糸が切れるなど前代未聞。
神事の前に釣司が手を加えていたのだろう。『何者』かの指示で。」
「直ちに追っ手を。」 「無駄だ。」 「しかし!」
「これが山長の、弟の謀なら釣司は既に骸だ。
それにしても湧水を基にした新開田、余程腹に据えかねたか。それより。」
「三日後の祀り、大祭ですね。」 「うむ。」
三日後、四年に一度催される大祭。
海の民と山の民が合同で此の地の安寧を祈る。それぞれの神に供物を捧げて。
捧げる供物は、神器で仕留めたものに限られる。
それぞれの神器。釣り針と矢。
「大祭では仕留めた供物と神器が検められる。誤魔化すのは無理だ。
望みは薄いが、まずは神器の回収を試みる。儀式の準備を。」
「は、直ちに。」
回収の儀式は効果無し。しかし翌朝、神器は戻って来た。
「神器が届けられた?」 「はい。今朝早く、漁師頭のミツヒが。」
「確かに神器なのか?」 「この通り。間違い有りません」
両手で捧げ持った白い布。その上で輝く釣り針。
釣り針が纏う青い光、神器の証。
確かに一昨日、この手で釣司に託した、神器。
「一体、どういう経緯で?」
「夜明け前、ミツヒの末の息子が釣りに行ったそうで。
その時釣れた魚の口に刺さっていた、と。」
「見ただけで、神器だと分かったのか?」
「ミツヒ自身は神器だと信じていないようでした。
ただ、息子があまりに五月蠅く言うので、取り敢えず届けたと。」
「ミツヒの息子...末子なら、確か元服も未だ。」
「はい。なのに集落では知らぬ者の無い変わり者で。」
「変わり者?」
「昨日は神事、漁師達は漁に出ません。普通なら今日も。」
確かに。神事の当日は当然、翌日も漁を休む。それが漁師達のしきたり。
「今朝、未明の海に釣りに出たなら...確かに変わり者だ。」
「は。しかも漁師達の見立てでは、釣りの腕は兄二人を凌ぐとか。」
「それならミツヒの家、漁師頭の座は安泰だな。」
「いえ、それが。随分前から漁師にはならないと言っているそうで。」
「漁師にならない、何故だ?」 「漁よりも、料理がしたいと。」
「料理?」 「はい。」
...それは一体、どういう?
「童子特有、身の程を知らぬ放言か?」
「そう決めつける事も出来ぬ理由が有るのですよ。
最近は、あちこちの家で行事の料理を任される事も多いとか。
それ故にミツヒも手を焼いているそうで。」
『あちこちの家で行事の料理を任される事も多い。』
行事。一口に冠婚葬祭と言っても、それぞれの作法は違う。
無論、家毎の味付けも千差万別。
まさか元服前の童子が、それらを身に付けているというのか。
「会いたい。」 「は?」
「その童子こそ『鍵』。そんな気がする。急ぎミツヒに連絡を取れ。」
「はい、すぐに。」
正座して、床に頭をつけたままの童子。
思っていたよりも小さな身体。
「そのままでは神器の釣り針を届けてくれた礼も言えぬ。
面、いや、顔を上げよ。」
「はい。」
? 一体、この表情は何だ。不自然に強張った口元と、目元。
まあ、突然呼び出されて緊張しているのだろう。
「突然呼び出したのは済まなかった。どうか楽にして欲しい。」
「・・え。お・・は、えが・・・りぬ。と、ば・・・が。」
微かな、途切れ途切れの声。
「今、何と?」
「笑え。お前は、笑顔が足りぬ。と、婆様が。いつも。」
笑顔を、作ろうとしているのか。この、妙ちきりんな表情は。
「くく、あははははは...」
息が詰まる。腹の底から湧き上がる笑い、こんなに笑ったのは久し振りだ。
童子の、怪訝そうな表情。
「婆様とは、ミル殿だな。」 「はい。」
「何事においても笑顔が大切。素晴らしい教えよ、流石はミル殿。」
少しだけ、童子の表情が緩んだ。これなら話が出来そうだ。
「改めて、神器を、釣り針を届けてくれた事に礼を言う。」
「いえ。あの釣り針は、海長のものだから。」
「それもミル殿が?」
「不思議な釣り針を見つけたと言ったら『すぐに海長に届けよ』と。」
「何故、不思議な釣り針だと思った?」
「光っていた、から。カワショウブの口で、青く。とても、きれいに。」
神器の光が見えるのか、この童子には。
「あの釣り針なら、釣りたい魚を幾らでも釣れるぞ。」
「そう、なのか。」
「欲しくは無いか?」 「いや。」
「お前は兄達を凌ぐ釣りの上手と聞いた。あの釣り針が無くても釣れる、か?」
童子は顔を伏せて、暫く黙った...やがて。
「自分で食べる分だけ、誰かに食べてもらう料理の分だけ、釣れれば良い。
釣りたい魚をいくらでも釣れる釣り針は、いらない。」
「それは...お前が漁師で無く、料理を志したから?」
「父も兄達も漁師として、とてもりっぱな仕事をしている。
でも、違う。私がしたい仕事とは違う。それだけ。」
ああ、この年で。確かな『自分』を持っている。
その上で父と兄達の生き方を認めて...つまり独断に呑まれていない。
「その年で、お前も立派な仕事をしているそうだな。
あちこちの家で、行事の料理を任されていると聞いたぞ。」
「...婆様が、カイズの婆様に会わせてくれて。
カイズの婆様の口利きで、あちこち、手伝わせてもらっている。
アヤメの婆様は、葬式の料理をまかせてくれた。
それからは、行事の料理を任せてくれる家が増えた。」
「皆、お前の料理に満足してくれた。という事だな。」
「...そう、思っている。」
やはり、冠婚葬祭の作法を、全て。
「お前の料理で誰かを喜ばせたい、満足させたい。そうだな?」
「うん!」
「それなら、お前に。最高の料理を作って貰いたいのだが。」
「最高の、料理?」
「うむ。大切な御客様に、心をこめて捧げる料理だ。
材料は全て、お前の望み通りにしよう。
ただし、必要な魚だけは神器の釣り針で釣ってくれ。
どうだ、頼めるか?」
「それは、とても大切な、お客さまなの?」
「ああ。この土地の、全ての者にとって。とても大切な御客様だ。」
十七之皿 『ミズン&センネンダイ/矜持⑤』了
次回投稿こそ完結予定、もう少しだけお付き合い下さい。
最後まで楽しんで頂ければ幸いです。




