十五之皿 『ヤイトハタ①』
十五之皿 『ヤイトハタ①』
その日、職場で重要な会議があり、オレは新しい提案をした。
もちろん上司の○山さんに指示されていた案件だし、提案も指示に従っただけ。
とは言え、出席者の反応はまずまずでホッとした。
正直、えらく疲れけど。
「お疲れ様、コーヒーどうぞ。隣、良いですか?」
「あ、はい。」
ボンヤリしていたせいか、接近を全く感知できなかった。
職場のアイドルツートップの一人。桜ちゃん。
流れで缶コーヒーを受け取り、そのままタブを開ける。良い、香りだ。
「会議の提案、凄く良かったですよ。私、感動しちゃって。」
「いや、あれは○山さんに指示された通りにやっただけなんです。」
「それでも、資料は綺麗にまとめられてたし、話も凄く分かりやすかった。」
缶コーヒーを一口、長い髪を掻き上げる。形の良い耳と、白い首筋。
「私、初めて会った時から、水野さんの事、気になってたんです。」
違和感。皮膚に何かがベタ付くような感覚。一体、これは何だろう?
「凄く頭の良さそうな人だと思ってて、それは間違ってなかった。」
ああ、そうか。
今日の会議で、オレの株が少し上がったのに反応しているんだ。
さっき説明した通り、○山さんの指示通り動いただけなのに。
「それで、あの。聞きたい事があって。」 「はい?」
オレに聞きたい事? 一体何だろう。
「前に水野さんの部屋から星野さんが。」
「あ~、そうですね。確かに、そんな事も。」
あれは、初めて星野さんと食事を作った、いや、その翌日だったか。
俺の部屋からを出た星野さんと、通りがかった桜ちゃんが鉢合わせて。
「否定、しないんですね。付き合ってるって、ホントなんですか?」
「はい。ええと、まあ、成り行きというか。」
「成り行き?」
「何で星野さんがオレを好きになってくれたのか、
それが今でも分からないんですよ。」
桜ちゃんは俯いて、小さく溜息。そして顔を上げた。
「じゃあ私、キャンセル待ちの一番に立候補します。」
輝くような笑顔。
「え、キャンセル待ちって...」 どういう、意味だ?
「何で好きになってくれたのか分からないなら、
何で嫌われたのか分からないって事になるかも知れないし。」
折り畳んだ紙片がオレの手に残された。見事な去り際。
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終業時刻ピッタリ。職場の駐車場に、見慣れた車。
今日、星野さんは午後から有給を取って釣りに出かけていた。
釣りを終え、終業時刻に合わせて迎えに来てくれる約束。
『釣り大会以来星野さんが釣りにハマっている』
それは周知の事実だし、自分で『私は水野君の彼女』って公言してる。
だから職場の中まで来ても問題ない、筈。
そうしないのは、多分、星野さんが桜ちゃんに会いたくないからだろう。
駐車場。手を上げて合図すると、星野さんは車の運転席で微笑んだ。
頭の先から足の先まで、釣り人としてはバッチリの服と装備。
だが、それは女性として、お洒落としてはどうなのか。
例えば、隙の無い化粧と事務方の制服に身を包んだ桜ちゃんと比較されたら。
オレとしては、星野さんが桜ちゃんを意識する必要を全く感じない。
だけど多分、以前のオレと同じ。星野さんにも『曲解』がある。
それは...
まあ良い。真っ昼間の釣りで、釣り場はメジャーな港。
約束の時間ピッタリだから、釣り場でのトラブルは無かったって事。
助手席のドアを開けた。得意そうな笑顔。
「何が釣れたんですか?」
「ハタが釣れた。ハタよ、ハタ。高級魚でしょ?」
何、このハイテンション?
トランクのクーラーを開けて、その理由が分かった。
ブロックアイスの上に、その魚がど~んと鎮座している。
ヤイトハタ、だ。しかもデカい、軽く60cm超。
確か三大高級魚、いや四大高級魚の一角。
しかも『筆頭はヤイトハタ』という意見も多い。
「アカハタは釣ったことあるけど、美味しかった。
この魚、師匠の料理なら、もっと。」
はしゃぐ星野さんを見ていて、一計を案じた。 これこそ千載一遇。
「それなら、○×ストアーに寄りましょう。」
「でも、私...こんな格好だから。」
「車で待ってて下さい。必要な食材はオレが買ってきます。」
「うん!」
星野さんの『曲解』がもたらした、奇跡の筋書き。
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星野さんがシャワーを使っている間に、マイバッグからその食材を取り出した。
それは、星野さんが釣ったのと同じ魚。ヤイトハタ。
商業養殖が軌道に乗ったと聞いてから随分経つ。
最近ではスーパーの鮮魚売り場でも普通に見かけるようになった。
今日の売り場に並んでいたのは切り身のパックだったが、
店員に掛け合って半身を売ってもらった。3980円(税抜き)也。
町中のスーパーでは、文句なしの超高級食材。
星野さんが釣って来たヤイトハタも3枚におろしておく。
『下拵えは済ませておくから、ゆっくりお風呂に。」と言ってある。
計画を悟られる心配はない。
他の食材の用意をしている所で、星野さんがお風呂から上がった。
「お待たせ。ね、今日のメニューは何?」
「一品目は湯引きの刺身、二品目はしゃぶしゃぶです。」
「楽しみ~。あ、お酒。お酒は何が良い?」
「白ワインと辛口の特別純米を冷やしてありますよ。」
「そう。じゃあ、安心ね。」
オレの左側に立ち、少し距離を取る。それがとても、心地良い。
利き腕の反対側。調理の邪魔にならないようにという心遣い。
「何だか、高級料亭みたいで素敵。ふふ、私は行った事ないけど。」
傾げた横顔。オレの手元を見つめる、澄んだ瞳。
サラサラと軽く乾いているのに、でも柔らかくて優しい気配。
この人の傍でなら、オレは自分自身のままでいられる。
...やっぱり、そうだ。
一見、どちらも無邪気で純粋。
しかし、それはやはり、似て非なるもの。
冷蔵庫から取り出した皿のラップを取る。皮を引いた刺身。
「さあ、どうぞ。これは白ワインで。」
「頂きま~す。」
星野さんは刺身を一口、そして白ワインのグラスを一気に飲み干した。
「美味しい。思っていたより柔らかくて、優しい味。
脂も乗ってるし、白ワインとすごく合う。うん、美味しい。」
それはまるで、自分で自分の味覚を確認するかのような。
もしかして、気付かれたか? いや、気付かれたとしても、問題ない。
「次はしゃぶしゃぶを。スタンダードな昆布出汁です。」
「これも、白ワイン?」
「はい。皮が固いので、しっかりめにしゃぶしゃぶして下さい。」
しゃぶしゃぶと白ワイン。星野さんは微笑んだ。
「美味しい。同じ系統の魚なら、北の魚がずっと美味しいって聞いてたのに。
前に食べたアカハタより、こっちの方が上だと思う。
あ、司君の腕が良いのかな?
口の中でホロホロ崩れてく身が、凄く上品。ちょっと信じられない位。」
「ありがとうございます。ではもう一巡、今度は日本酒で。」
皮を引き、冷蔵庫で冷やしておいた刺身。そして、しゃぶしゃぶの鍋。
「ちょっと待って。刺身が別の皿なのは温度の関係だと思うけど、
しゃぶしゃぶの鍋まで変える必要があるの?」
「質問は食べてから受け付けますよ。」
不審そうな表情。しかし、その表情はすぐに一変した。
「これ、ホントに、さっきのと同じ魚?」 「ヤイトハタです。何か?」
「全く違う、こっちはすごくあっさりしてて...どっちも美味しいんだけど。」
やっぱり、星野さんの味覚は本物。そろそろ種明かしの時間。
「最初に食べてもらった刺身。背側でした。」 「うん。」
「腹側を炙りで刺身にしてみましょう。」
十五之皿 『ヤイトハタ①』了
本日投稿予定は1回、任務完了。




