九之皿 『マルコバン』
R04/6/25 追記
こちらにも「いいね」を頂きました。
自分でも、かなり気に入っている作品なので嬉しいです。
本当に、有り難う御座いました。
九之皿 『マルコバン』
すっかり日が傾いた港の波止。
星野さんと並んで、ルアーを投げている。
すぐに話そう、そう思っていた。嘘じゃない。
だけど、星野さんの一投目に大物がヒットして大変な事に。
数分のファイトの末、見えてきたのはマルコバン。多分60cmUP
魚は激しい抵抗を続け、釣り上げるまで10分近くかかった。
取り込んで、〆て...とても美味しい魚だし、釣れたのは素直に嬉しい。
でも、完全にタイミングを逃した。どうやって切り出せば良いのか。
と言う訳で、その後は二人とも黙ったまま、ルアーを投げ続けている。
気まずい。とんでもなく気まずい。何とか話の切掛を。
「ええっと、男にはあの妖が美人に見えるって話ですけど。」 「うん。」
「考えたんですよ。トランスジェンダーの人にはどう見えるんだろうって。」
「トランスジェンダーにも色々あるらしいから、見え方も様々でしょ。
でも、きっと今の司君には美人に見えない。」
「え?」 「男らしくない。『話を聞いて』って言ったのは司君なのに。」
そうだ、全てを話すと約束した週末。土曜日の夕方。
考えても、取り繕っても仕方ない。真っ直ぐに、話すしか無い。
「2つ年上の姉が、いたんです。」 「『いた』って、まさか。」
「22歳でした。出産の時、原因不明の大量出血で、お腹の子も一緒に。
兄2人とは少し歳が離れていたからか、すごく僕を可愛がってくれて。
一番身近な遊び相手だったし、一緒にいる時間が長かったんです。
とても、仲が良かったから、立ち直るのには...
いや、正直、まだ立ち直れてません。」
二人共黙ったまま、過ぎていく時間。
だがそれは、以前星野さんが言った通り、必要な時間。
「大変、だったのね。結婚して出産となれば、
司君達だけじゃなく相手の方も、その御家族も楽しみに...」
「結婚は、してません。」 星野さんの表情が、少し曇った。当然の、反応。
「それどころか姉は、子供の父親が誰なのか、話さなかったんです。」
それでも、思いの他に親父は冷静で、結局は母も親父に同意した。
自分達の娘を、心の底から信頼していたのだろう。
たとえ世間に認められなくても、何か絶対に必要な事情が有るのだと。
「それでも父と母は『ここで産めば良い、全面的にサポートする。』って。
多分、姉と相手の...恋人との間に、何か退っ引きならない事情が有って、
でもそれは決して疚しい事じゃないと、信じていたんだと思います。
姉の、良識というか、覚悟というか。」
「それなら...結果はともかく、お姉様は精一杯生きたんだと思う。
なのに司君が、それ程までに強い想いを残してるのは何故?」
話せば、きっと、ドン引きされる。
最悪、星野さんとの関係もこれっきり。その覚悟が出来るか。
だけど、オレを『好き』だと、『彼女として』と、言ってくれた人。
ずっと黙ったままで、その人と一つ屋根の下で暮らすなんて出来ない。
深く息を吸い、自分の覚悟を確かめる。よし。
「姉の、お腹の子の父親は、オレだったかも知れないんです。」
父母にも、兄達にも。当然、他の誰にも話せなかった。
話せばどんな結果が待っているかが明白だったから。
でも、星野さんの反応は予想と違っていた。
釣りを止め、オレの目を真っ直ぐに見つめている。
「『かも知れない』って、確実じゃないのよね?」
「まあ、そうです。」 「じゃあ、司君がそう思ったのは何故?」
単刀直入。こんなにも軽やかに、他人の心に踏み込むなんて。
そして何故か、怒りや警戒ではなく、温かな感情が湧いてくる。
本当に、不思議な人。星野さんじゃなければ、答える気にはなれなかった。
「亡くなる一年位前から、姉は仕事から帰ると時々オレの部屋に...」
「それなのに確実じゃないって。私、納得できないな。」
「え?」 どういう、意味だ?
「失礼な言い方かも知れないけど。」 「はい。」
「お姉様には恋人がいたのに、司君とも『そういう事』をしたの?
私の知ってる司君、そのお姉様が、そんな人だとは思えないんだけど。」
頭の中がぐるぐる回る。いや、違う。そんな人じゃない。
「違う!違います...そもそも『そういう事』をしたかどうかも。
二人でお酒を飲んで、朝まで一緒に、ベッドで寝てた事があったから。」
「やっばり、ね。」
星野さんは溜息を1つ、またルアーを投げ始めた。
「やっぱり、って。」
「何度も機会は有ったのに、司君は私に『そういう事』をしなかった。
一緒にベッドで寝るのさえ、あからさまに避けてたじゃない。」
「でも、それは。きっと、姉の件がトラウマになって。」
「ベッドで私と一緒に寝たのは2度、あれは酔ってトラウマが消えてたから?」
「そう、ですね。多分、そうです。」
「酔ったらトラウマが消えて、私と一緒にベッドで寝ても大丈夫。
でも『そういう事』をしないのは何故? お酒でトラウマは消えてるのに?」
??? 確かに... オレは何で。
「アレの力を借りるのは、気が進まないけど。確かめる必要がある。」
「確かめるって、どうやって?それに『アレの力を借りる』というのは。」
多分、数秒。星野さんは目を閉じたまま、何事か呟いた。
開いた目が真っ直ぐにオレを捉える。全てを射貫くような、鋭い視線。
「ね、私の目を見て。」 「何で。」 「良いから、見て。」
大きく見開かれた目。その中で光る、緑色の瞳。 意識が。
その日、自作のルアーで初めて魚を釣り、オレは有頂天。釣れたのはサワラ。
たまたま父母は留守。仕事から帰ってきた姉に、刺身と塩焼きを作った。
純米辛口の日本酒を添えると、それなりに豪華な仕上がり。
姉はとても喜んで、刺身と塩焼きを美味しそうに食べてくれた。そして。
「眠くなった。お風呂入ってくるから、お刺身、もう一皿お願い。」
十数分後、風呂から帰ってきた姉はパジャマ姿。
長い髪をタオルで巻き上げた姿が眩しい。 そして刺身と日本酒。
「うーん、やっぱり美味しい。最高。
父さんの才能受け継いだのは、やっぱり司だけね。」
「そうかな?」 「そう、兄さん達も私も、こんな料理は作れない。」
「それは嬉しいけど、明日も仕事でしょ?もう、寝ないと。」
「実は今夜、とっても良い事が有ったんだ~。」
「良い事、一体何?」
「教えない。でも凄く眠い。今日は此処で寝る。」
「此処で寝るって、何言ってんの。自分の部屋で。」
オレの言葉に頓着せず、姉はオレのベッドに潜り込んだ。
「お願い。明日、6時半に起こして。朝ご飯は私が作るから...」
それからもたまに、姉はオレの部屋で夜を過ごすようになった。
毎回タイミング良く魚が釣れる訳はない、当然姉もそれを承知している。
大抵はお土産、お酒と夜食を持って訪ねて来た。
デパ地下の豪華な惣菜、時にはコンビニのジャンキーなスナック菓子。
そして必ず、翌朝起こす時間を指定して、オレのベッドで寝る。
オレはベッドの傍、床で毛布にくるまって寝るのがお決まりになっていた。
そんな日々が続いて約二ヶ月。
その日は姉の帰りが遅く、両親はとうに眠りについている時間。
何となく胸騒ぎがして、TVの録画を見ながら起きていた。
もちろん集中出来ないから、どんな番組だったか全く憶えていない。
12時過ぎ、部屋のドアをそっと叩く音。
「司、起きてる?」
慌ててドアを開けると、姉がオレの胸に飛び込んできた。 漏れる嗚咽。
「どうしたの? 一体、何?」
五分、いや十分か。暫くして、姉は泣き止んだ。
「何でもない。これ、お土産。一緒に、お酒飲も。」
姉が買ってきたのは、デパ地下の高級惣菜と白ワイン。
料理は豪華で美味しそう。でも不吉な気配に包まれた、二人きりの宴会。
「眠い。あ、お風呂...明日で良いや。6時に起こして。」
すい、と、立ち上がって服を脱ぐ。眩し過ぎて直視できない、下着姿。
「ちょっと、何で脱いでんの。せめてパジャマに。」
「...朝一番にお風呂入るから、これで良い。」
「馬鹿。明日、その格好で自分の部屋に戻るのかよ。」
「馬鹿は司、部屋は隣でしょ。男が細かい事言わないの。それより。」
オレのベッドに潜り込む。オレを見つめる目に、溢れる涙。
「私、今日、一番大切なものを無くしちゃった。今夜は一緒に寝て。」
「姉弟でも、男と女だよ。そんなの駄目。」
「男と女か...司は男だけど、私が無くしたものの代わりにはなれない。」
「無くしたものって、何? 代わりになれるなら、オレ。」
「あはは、やっぱり司は真面目ね。お酒、頂戴。」
結局二人とも泥酔し、翌朝6時起きはギリギリのタイミング。
それから数日、姉はオレの部屋で夜を過ごした。
不意に涙ぐむ姉をそれとなく励ましたり、借りてきた新作映画のビデオを見たり。
大きな不安を無視して、その時間を過ごす自分に嫌悪感もあった。
でも、正直な所、姉と一緒に過ごす時間はオレにとって幸せだったんだ。
その時間がずっと続いて欲しいと思っていた。そう思う自分が最低だとしても。
オレの願いも空しく、そんな日々は突然終わった。
その日、姉は珍しく早く帰ってきて、夕食後、妊娠を父と母に告げた。
「父親が誰かは言えない。でも私、この子を産む。
父さんと母さんが許してくれないと言うなら、家を出るしかないけど。」
「あなた、何言ってるの?いきなりそんな、私たちは。」
「待て!ここはオレに、オレに任せてくれ。」
取り乱す母を制したのは、父だった。
「晶がここまで言うんだ。それなりの事情が有るんだろう、オレは晶を信じる。」
「父さん、ありがとう...御免なさい。」 姉の頬を、大粒の涙が伝った。
「何が何でもその子を産む。そういう覚悟、なんだな?」 「はい。」
「じゃあ、此処で産めば良い。今の仕事をどうするかはおまえに任せる。
ただ、その子を産んで育てるのは全面的に応援する。何も心配は要らん。」
その涙に戸惑いながら、姉と共に過ごした、幾つかの夜。
もしかしたら、オレがその子の父親ではないのか。
オレの心はボンヤリとした薄闇に包まれたまま、時間が過ぎていった。
数日後。既に独立し、家を出ていた兄達が招集された。
そして兄達も父の言葉に同意し、姉を支援すると決めた。
皆、姉を心の底から信頼していたんだろう。
それでも真相の露見を恐れたオレは、ただ黙っているしかなかった。
臆病で、卑怯。もしオレがその子の父親なら、
きっと姉はオレから皆に伝えて欲しいと思っていた筈なのに。
「その『曲解』が、司君を現実から遠ざけた。」
穏やかな、しかし心臓を鷲づかみにするような、力強い声。
我に返る。 確か、オレは星野さんと釣りを。 何故?
突然、視界が開けた。オレの、部屋。
出来上がった料理の、良い匂い。テーブルの向こうに、星野さんの微笑。
「『自分が父親』その子が生まれたら、皆に告白するつもりだったのね。」
そう、だ。 だからオレが姉とその子を守る、そう言うつもりで。
「でも、2人が亡くなった事で『曲解』が解ける機会は失われた。」
曲解? 一体何を、オレは。
「万が一、司君がお姉様と『そういう事』をしたとして。」
淡々と、星野さんの言葉は続く。
「それでも、司君は、その子の父親じゃない。決して。」
「でも、オレは!!」
声を荒げたオレを見つめる、穏やかな眼差し。静かな、声。
「例え『そういう事』をしても、そんなに早く妊娠が確認出来る筈がない。
判るでしょ?」
...確かに、そうだ。あの夜、姉は『妊娠3ヶ月』と。
でもそれじゃ、あの、一連の出来事の意味は?
「『とっても良い事』、きっと、その夜、お姉様の恋が成就したのね。
だから司君にも、それを祝って欲しかった。
でも、お姉様はためらった。気を遣ったんだと思う。
司君がお姉様を慕う気持ちを知っていたから。」
そう、か。 だからこそ、『教えない』。 確かに、そうだ。
もしストレートに、姉の恋が成就したと告げられたら、
オレは素直に喜べただろうか。正直、自信がない。
いや待て...それなら『一番大切なものを失った』というのは。
「恋人との別れ。そう考えるのが自然だけど...
御免なさい、そこまで確かめるのには、私の力が足りない。それに。」
不意に、星野さんは俯いて言い淀んだ。
「それに、何ですか?」
「冷たい言い方だけど、私にはそれを調べる動機がない。
私は、司君の『曲解』が解ければ、それで良いんだもの。」
そうだ、さっき波止で星野さんは『アレの力を借りる』と言った。
護り神様の力。それは星野さんの生命力を媒にして発動する。
星野さんには、既に、相当な負荷がかかっているのではないか。
この上、既に他界した姉の事情まで探るとなれば。
「幻滅した?」 「いいえ。オレなんかのために力を。」
『オレなんか?』 部屋の空気が大きく揺れた。
「馬鹿ね。ホントに。」 冷たい声。テーブルの向こうで立ち上がる気配。
次の瞬間、オレの左頬が派手な音を立てた。 痛い。
『もしかして、お姉様が、今のあなたを喜ぶとでも思ってるの?』
突然、目が覚めた。そう、『曲解』。
誰よりも、オレ自身が信じたかった。
その子の父親はオレ、だからオレは一生、姉とその子を...
でも、そうじゃない。本当は、オレ自身が誰よりも判ってた。
星野さんのお陰で、思い出した。認めたくなくて、封じていた記憶。
オレは姉に、愛した人に、キスも出来なかった。
突然、背後から抱きしめられた。 暖かい、感触。
「納得、出来た?」 耳元で、星野さんの声。 オレを抱く細い腕。
納得、したよ。 深い喪失感と、微かな安堵。 そして。
星野さんは、オレの記憶を完全に再現し、追体験させてくれた。
覚えている事、忘れてしまった事、そしてオレ自身が封印していた事さえも。
これが...星野さんの、いや『護り神様』の力。
どうしてそんな事が出来るのか全く理解出来ない。正直怖い気持ちもある。
だけど、その力がオレの心に蟠っていた『曲解』を解いた。それは間違いない。
そうでなければ、オレは一生過去に囚われたままだったろう。
「でも、ホントの馬鹿は私ね。」 星野さんの腕がオレを離れた。
「司君とお姉様は『そういう事』をしてない。最初からそれは判ってた。
じゃあ、『護り神様』の力を借りる前から?
「何故、判ったんですか?」
「私も女だから。司君はあんまり意識してないかもしれないけど。」
「でも結局、司君は極度のシスコンのまま。
それに、私もう、お姉様には絶対に勝てない。
司君の中で、お姉様は、天使になってしまったんだもの。
星野さんは俯いて、深い溜息をついた。
「じゃあ、晩御飯準備するね。私、今夜は頑張ったんだから!」
天使...確かにそうだね。でも、姉を天使にしてくれたのは。星野さんだ。
心の奥で、何かが消え、何かが生まれた。不思議な、感覚。
テーブルの上に並べられていく、見事なマルコバン料理の数々。
マルコバンはあまり市場に出ないが、とても美味しい魚だ。
その料理を見ていると、とても嬉しく、暖かい気持ちになる。
「星野さんは馬鹿じゃないし、負けてない。」 「え?」
「この料理、凄いよ。出逢った頃とは大違い。これ全部、星野さんが?」
アラで出汁を取ったんだろう、透き通った、薄い金色のスープ。
具は、色鮮やかなタマネギ・ニンジン・ジャガイモ。ディルと胡椒の香り。
カルパッチョっぽい、ルッコラを添えたサラダ。
皿の模様が透けて見える程薄い身に、オリーブオイルの艶が映える。
野菜とキノコたっぷりの、ちゃんちゃん焼き。
焼けた味噌の、甘い香りが食欲をそそる。これは絶対に美味しい。
そして極めつけは、フライ。
見かけ(だけ)は、パン粉をつけて揚げた普通のフライ。
でも、中身はマルコバン。まさに『究極のアジフライ』。
「...御免なさい、まだ、司君が『元』に戻ってなかったから。
でも、ちゃんと捌いてくれたし、この料理のレシピも教えてくれたよ。」
成る程。確かに、どれもオレの知っている料理だ。
「それにね。」 胸を張る、得意気な表情。可愛い。
「ちゃんちゃん焼き以外は、私だけで作ったの。」
「近い内に、オレが教える事もなくなりそうだなぁ。」
「ホント?」 「ホント。」 「嬉しい。」
「早速食べよう、冷めたら勿体ない。」 「うん。御飯よそってくる。」
「あ、オレ、御飯特盛りで。」 「了~解!」
そう、これなら、幾らでも御飯が食べられる。
もしかしたら、魚が苦手な人でも。
ゆっくりと、料理を味わう。そして星野さんが選んでくれたお酒。
うん、星野さんの勝ち。コールド勝ちだよ。
あの人は、晶姉さんは、こんな料理を作れなかったから。
九之皿 『マルコバン』完
本日投稿予定は1回、任務完了。




