第18話「騒動の後で」
「ごめんねシルヴィ! 居てあげられなくてごめんね!」
課外授業から戻ってきたエマは大泣きし、シルヴィアに縋り付いて彼女のドレスをびしょびしょに濡らした。
一方で、すっきりした表情のシルヴィアは、エマの頭を撫でながらささやいた。
「大丈夫だよ。ありがとう」
だがエマは収まらない。
「あのヤコブって腰巾着、前々から言う事が鼻についてたけど、私のシルヴィをいじめるなら、もう容赦しないわ! 刺客を雇って海に沈してやる!」
過激な事を言いだす側近に、シルヴィアは苦笑して、水を持ってくるように頼む。ハルにコップを手渡され、エマはようやく落ち着いた。
「でもシルヴィ、なんでそんなに元気なの?」
当の本人は「なぜだろうな」と苦笑気味に首を傾げ、何かに気付いたように頷いた。
「きっとハルが居たからだろう。クリエンテスが体を張ってくれているのに、うじうじしている自分がバカらしくなった」
エマは、その答えに感想を返さなかった。たださきほどの泣き顔は何処へやら、「ふーん」とにやにや笑いでシルヴィアとハルを交互に見つめた。
「それにしても、いったいヤコブは何を考えているのでしょうか? このまま公爵家が介入したら、殿下は対立勢力につけ入る隙を与えてしまうから、今後苦しくなりますよ?」
二人はそれが分からないと首をひねる。そもそも側近たちの実家は皆保守派の古参貴族。新興貴族のマニーを王子と親しくさせる理由がない。シルヴィアを王太子妃から外したところで、ヤコブになんの利益があると言うのか。
「考えうるのは、ヤコブの領地は馬の生産地で、殿下も軍馬や農耕馬の増産を政策として提案している。一方でヴァスカヴィル公爵家は大陸からパウダーの原料やアーティファクトの輸入を行っている。パウダーは騎竜の餌になって馬と競合するから、私が王妃になれば馬の増産を撤回させると思った……と言うのは?」
自分でも苦しいと思ったのか、自説を語りながらシルヴィアもピンとこない様子。それだけ彼の行動は謎だった。
「僕は、彼が殿下に叱責された時の表情が気になってまして。何と言うか、恍惚としたというか」
「え? そう言う趣味ってこと!?」
「うわー」とエマがいたたまれない顔をする。
「多分、違うと思うぞ」
シルヴィアはと彼女の妄想を断ち切って、話題を切り替えた。
「で、これからのことだが、やはり私は殿下と決闘しようと思う」
「シルヴィア様!」
「まあ聞け。父には事情を説明する手紙を書く。私が負ければ本当に勘当でも、勝てば『勘当は殿下をお諫めするための偽装だった』で通す。いずれにしても殿下も私もダメージを免れないが、公爵家が大っぴらに動くよりはマシの筈だ」
「駄目です! もし負けたら、シルヴィア様が公爵令嬢の立場を失うと言う事じゃないですか!」
「自分の首をかけた者が何を言う。身をもって殿下をお諫めできるなら、平民になることくらい……」
「そういう事を言ってるんじゃないです!」
ぎゃあぎゃあとやり合うふたりを、紅茶片手に見守っていたエマが話題を遮った。
「はーい。初めての対等なケンカをお楽しみ中のところ悪いけど、私聞きたい事があるの」
「た、対等なケンカって、それじゃまるで僕が……」
「良いから良いから。ハル君は、王子と決闘した場合、どうするつもりだったの?」
ハルは言葉に詰まる。向こう見ずさを自白するようで気が進まないが、黙っている訳にもいかない。
「剣の名手である王子には、絶対勝てません。でも決闘前にはお互いの口上を述べる事が認められています。そこでヤコブ達の公私混同を証拠付きで糾弾して、聴衆を味方に付ければ、たとえ負けても場をひっくり返せるだろうと……」
気まずそうに白状するハルに、ふたりは額に手をあて絶句した。それは文字通り捨て身の戦法だったからだ。
「暴走したのは分かってますよ。でもあの時啖呵をきっておかないと、シルヴィア様の悪評に繋がると必死で……」
シルヴィアは、大げさにため息をつくと、ハルの頬に手をあてた。
「お前がしたのは、恐ろしく馬鹿な行為だ。だが、その馬鹿を私のために命を懸けてやってくれたことを嬉しく思う。ありがとう」
「……シルヴィア様」
泣きそうだった。釘を刺されたのにも関わらず、この一言をもう一度貰えるなら、何度でも王子に喧嘩を売ってやるとすら思った。
やはり、シルヴィアは自分の……。
「あー、ごほんごほん。私提案があるんだけど!」
手を挙げていい雰囲気を遮るエマに、失礼ながら「空気を読んで欲しい」と思ってしまった事は秘密だ。
「シルヴィは、もう平民になってハル君とくっついちゃおうよ! スーリーヤ商会が全力でバックアップするから!」
「ちょっ!」
前々から破天荒な発言をされる御仁だと思っていたが、今回の爆弾は特大だ。舌戦に自信を持つハルも、完全に思考がフリーズした。
「なっ、何を言っているのだ!?」
「だって、あんな馬鹿王子と結婚してもシルヴィは苦労ばかりだもの。その点ハル君なら有望株だよ。いつもシルヴィの事を最優先にしてくれるし」
「そう言う話では無い! 私は殿下を……」
「好き? 本当に? 今でも信じられる?」
シルヴィアは、一瞬沈黙した後「ああ、お慕いしている」と答えた。婚約者に恋焦がれるあの嬉しそうな瞳は何処へ行ったのか。
ハルには、あの表情を見る事ができないのが、何より悲しかった。




