第1話「畏れながら申し上げます!」
25.1.3 文章が古くなってきたので、リニューアルしてみました。内容は変わりませんが、読みやすくなったと思います。これから読まれる方はいらっしゃいませ! 読了された方もこのチャンスに再読はいかがでしょうか?
「あんまりです! あんまりです殿下!」
赤毛の公爵令嬢は衆人の中でうずくまり、大声を上げた。貴族学校の校門は、丁度講義を終えて研究や実習に向かう者たちで溢れかえっていた。
「そのような事を言われるぐらいなら、どうかお前はもういらないとおっしゃってください! これでは、あまりにも……!」
そこには、「美丈婦」などと噂される凛とした物腰も、自信にあふれた不敵な表情も無かった。ただ怯えて救いを求める少女が1人いるだけである。
なじられた王子と言えば、彼女の言葉が何を意味するかを理解できず、ひたすらに戸惑っていた。
「何というおっしゃりよう! 殿下がシルヴィア様の為に家臣を窘め、公正な配慮を示して頂いたと言うのに! 全て自分の物にしなければ気が済まないと申されるか!?」
王子の傍らで、側近のヤコブが役者めいた大げさな仕草で彼女を非難する。他の側近2人も「そうだ! そうだ!」と口々に喚きたてる。
「止めないか!」
王子マリウスは珍しく声を荒げて臣下を咎めるが、自分の言葉に酔うヤコブらは止まらない。
「未来の王妃がこのありさまでは、病床の陛下が浮かばれませぬ。殿下はただ、領民の為に心を痛めるマニー嬢を心配されているだけだと言うのに!」
名指しされた令嬢は、マリウス以上に酷い表情で、泣き叫ぶシルヴィアと、何とか宥めようと言葉をかける王子を代わる代わる見つめている。
褐色の肌が魅力的な、小動物の様な女性だが、その小麦色の頬はいつももより青白く見えた。いつも王子に話しかけては、楽しそうに談笑していたと言うが、その胸中は知れない。
「その様な女、将来の王妃に相応しくありませぬ。とっとと婚約破棄してしまうべきですな!」
群衆の中からヤジが飛ぶ。仮にも公爵令嬢に何という言葉をと誰かが言った。その言葉はむなしく響き渡るだけだったが。
門柱に寄りかかってヤジを飛ばしたのは、騎士団長の息子リーチだ。嫌われ者だが、この国では騎士団の発言権は非常に強く、表立って逆らう者は校内では少ない。その数少ない一人は、糾弾の渦中にいるのだ。
「き、君。その門柱は旧暦時代の貴重な……」
気弱な上級生が苦情を入れるが、一瞥されて短い悲鳴を上げた。確か美術史が研究テーマで、毎日門柱を手入れしていたのは彼だったはずだ。
「ほら、貴様らも笑え」
場を掌握できたと見たのか、リーチはシルヴィアを指さして笑い、取り巻きを煽りだす。
少数の冷静な者は、事態を収められる者を呼びに行ったり、巻き添えはご免とその場を離れたりするが、中には乗せられてひそひそやりだす者も居た。
シルヴィアは人気者だが、ストイックな言動から近寄りがたい印象も与えていた。素の自分を見せないので、きっかけがあれば「裏の顔」を邪推させやすい。
本人が平静ならいかなようにも収められようが、シルヴィアは完全に我を失っていた。さらに悪い事に、いつも上手く立ち回ってくれる側近のエマは課外授業で外出中。戻りは夕食前になる。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
好奇の視線に交じって、一人の下級貴族が唇を噛み締めていた。高等部に入る前から全く伸びない背丈と、絵具で塗りたくったような青い髪。中性的な顔立ちは美形と言えば美形だが、武を尊ぶこの国では全くと言っていいほどステータスにならなかった。
名をハル・クオンと言う。
(シルヴィア様……)
許されるなら、今すぐ王子を突き飛ばしてでも彼女に駆け寄り、助け起こしただろう。
いや、彼女自身がそれを望まないと知っていなければ間違いなくそうしていた。そして勘違い男として浴びせられる世間の失笑を喜んで受けただろう。
だが、彼は曲がりなりにも公爵家の庇護を受けている。迂闊な発言は王家と公爵家の亀裂に繋がり、それこそ彼らが婚約破棄と騒ぎ立てる口実になりかねない。
「とにかく、話をしよう。だれか部屋を押さえてくれ」
王子の言葉に安堵の息を漏らす。彼女の話を辛抱強く聞く事が出来れば、先ほど見せた激情がただのヒステリーで無いと理解できるはず。「人の心が分かる英邁な王子」として将来を期待されるマリウスなのだ。
だが、またしても側近たちが待ったをかける。
「なりません殿下。この後は貧民街で炊き出しの視察です。これ以上シルヴィア様の為に時間を使われては、周囲に示しがつきません」
ハルは怒りを込めた瞳でヤコブを睨みつける。
確かにマリウスはシルヴィアに多くの時間を使っている。しかしそれは彼の私的な時間で、公務を蔑ろにして作らせたものではない。その私的な時間すらあれこれ口出ししているのは外ならぬ側近たちである。だが、周囲の者はそう捉えないだろう。
案の定「シルヴィア様も意外と……」等と囁きあう者が出始める。
野次馬を軽く見まわしてから、ヤコブは「さ、お早く……」と促す。
「……分かった」
マリウスはシルヴィアとヤコブを見比べ、結局頷いた。ヤコブにしてみればしてやったりと言うところだろう。
「後で必ず時間を取るから」
王子は婚約者に背を向ける。
(駄目だ! 今じゃなきゃ駄目なんです!)
ヤコブの態度から、ここで状況を流したら、関係修復の機会を彼が徹底的につぶしにかかると容易に想像できた。頼られると断れないほど人が良いと評判の王子は、赤の他人の事でも必死になって助けようとする。彼の時間を奪いたければ、ちょっとしてた同情を買うような「事件」を起こさせ、対応に追われる様にしてしまえば良いのである。
「でん、か……」
マリウスの後ろ姿に、シルヴィアが懇願した。憧れ恋焦がれた覇気を漂わせた瞳も、優しく笑う唇も、くしゃくしゃに歪んで涙に濡れている。
ハルの胸の下に、何かどす黒い液体がどろどろと流れ込み始めた。もうどうでもいい。公爵家と王家の亀裂などどうでもいい。
一歩踏み出そうとして躊躇する。父や母や弟妹、領民たちの顔が浮かぶ。彼がやろうとしている事は、きっと皆に取り返しのつかない迷惑をかける。
(でも、ここで何もしなかったら、僕は胸を張って家に帰れない)
それに、父なら言うだろう
「惚れた女を見捨てる様な奴は、家の敷居を跨がせねえ!」
と。
一度腹を決めると、足取りは軽かった。人の壁を押しのけて、ずんずん進んでゆく。リーチが「おい!」と威圧してきたが、視界に入らない。
王子と側近たちの道を塞ぎ、跪いた。
「無礼であろう!」
側近の一人が前に出るが、構わず声を上げた。
「畏れながら申し上げます!」
言葉を遮ろうとしたヤコブを手で制する。温情溢れる王子は、彼の言葉は聞くだけは聞くだろう。そこが、付け入る隙だ。
「殿下、御身を検め下さいませ。毛埃が付いております」
「毛埃?」
と怪訝そうな顔をしたマリウスに、側近が手鏡を差し出す。一通り身だしなみを確認すると、畏まるハルに問う。
「そんなもの付いていないが?」
ハルは頭を振って断言した。
「いいえ、確かに三つ、付いております」
口の中が乾くが、決して言葉は止めない。不敵に笑って、まっすぐに王子を見返す。
「主君の名前と権力を使い、他者を虐げる『君側の奸』と言う毛埃が」
今度はヤコブら三人の側近が怒りで顔を歪める番だった。
周囲の野次馬も静まり返って息を飲んだ。すすり泣いていたシルヴィアさえ、驚愕に染まった瞳でハルを見つめた。
たかだか男爵の息子が、王太子の側近を「毛埃」「君側の奸」とこき下ろしたのだ。失言に寛容な校風であるとは言え、こうも大勢の前で発言してはもう取り返せない。場合によっては不敬罪もありえた。
ハル・クオン、シルヴィア・バスカヴィル。
大陸史を代表するラブロマンスとして語り継がれる、貧乏貴族と公爵令嬢の恋物語は、こうして幕を開けた。
条約暦120年初夏の事である。