壱、ハジマリノ夜 ー前ー
ーー時は亥の刻へと差し掛かった頃だろう。
外は既に暗く、昔ならシン…と静まり返っている頃合だ。
しかし、数年前より取り入れられ始めた西洋文化により、近年我が家の周りもガス燈ができた。
夜でも道は明るく、長く店を開ける所も増え、人の行き来が多くなった。
景気が良さに、浮き足立つ人々。
財布の紐もゆるゆる緩み、酒に、空気に酔っていく。
町から少し離れたこの屋敷にも、賑やかな声や三味線の音色が小さな雑音として届くのだ。
…昔と比べると少々騒がしく感じる。
それでも、この騒がしさもいつもなら、嫌いじゃない。
今のような状況でなければ、この様に煩わしく感じる事は無かっただろうー…
真っ暗な暗闇に、行燈ひとつ。
母屋から少し離れた所に建つ大きな蔵の中、私は押し込められていた。
「……今日もまた、母様を怒らせてしまった。」
母も、私が憎くてこの様な所業をする訳では無い。
詰まる所、原因は私にある。
私の家は古くから続く、格式の高い家柄なのだ…そうだ。
世間では西洋文化だ、ハイカラだ、と新しい文化に目まぐるしく変化していっているというのに、良い家柄の女性の教育というのは、まだまだ凝り固まっているようで。
最近の流行に乗り遅れないように、学校には通い、基礎的学問は学ばせて貰ってはいるものの…
女子と男子ではその他の授業内容は分かれ、男子には力を入れた算術や体育の授業があるのに、女子は裁縫や家事などの“大和撫子教育”がなされるのだ。
学校以外は必要以上の外出も無く、母の言いつけで家に籠っている事の方が多い。
しかし暇という訳でも無く、家に先生を呼び、琴に舞に生け花、茶と…芸の習い事に忙しい。
堅苦しい毎日だが、何かを学ぶ事は嫌いじゃない。むしろ好きだ。
上手くでき、母や父に褒められた時などはとても嬉しかった。
嬉しかった……のだが。
幼い頃から無駄に記憶力が良く、何事も早くに習得してしまう私は、毎日のように覚えた舞や唄を繰り返すのに飽きてしまっていた…。
ーそんな私が、異文化に触れる機会があった。
私は緩やかに美しく舞う舞と違い、バタバタと激しく踊る“ダンス”に。
伸びかに、お淑やかに唄う唄と違い、息をつくのも苦しそうな速いリズムの“歌”に。
いつもと違う楽しさを覚え、心惹かれてしまったのだ。
結果ー……部屋でこっそり真似て楽しんでいた幼き私は、興が乗り始め、はしゃいで声も動作も大きくなりー……一番見つかってはいけない人、母に見られてしまった。
『何を騒いでいるのでー………』
襖をスラリと静かに、しかし素早く開かれ、私は隠す事が出来なかった。
そもそも母の摺り足は、音がほとんどしない為、来るのを察知出来た事がない。
つまりはいずれ気付かれたであろう事なのだが、この時の私にはそんな心構えはなかった…。
頭が真っ白になり、妙な姿で固まる私を、母がじっと見つめているーと、思いきや、ぐらりと後ろに傾ぐ母の身体。
廊下に響く大きな音、部屋に響く振動ーそう、母は気絶していた。
人の気絶など見た事のない私は、突然倒れた母に驚き、泣き喚いた。
そうして騒ぎになり、その日の出来事は屋敷中の誰もが知る事となった…。
あの時の母の表情を、私は今でも忘れられない…。
いつも隙がなくて、厳しくも優しい母が、あんな茫然とした表情を。
“鳩に豆鉄砲”とはきっと、あんな表情の事を言うのだと思う。
だが、今思えばそうなってしまうのも分かる気がする。
蝶よ花よと育て、物事の覚えも良く、自慢の娘ーーが、突然奇怪な踊りを踊っているのだ。
あの日の母の衝撃は、計り知れない…。
私は気絶から回復した母と、駆け付けた父に、状況を説明した。
一部説明から省き、異国の舞と歌なのだと説明し、両親に披露する。
私はこの時信じきっていた…私が感銘を受けたように、突然の事でなければ、父と母も感動し、共感してくれるのだと。
何故なら、この時まで私は、舞や唄で両親から褒められた事しかなかったのだ。
…ー結果、私は渋いをした両親に、これらの行為に対して禁止令をくらってしまう。
私にとっては青天の霹靂だった。
上手に披露すれば、必ず喜んで貰える。それが私の常識で。
両親が私にこんな表情をするのも、叱られるのも、初めてのことだった。
私に甘い父に、縋るような視線を送る。
瞬間、父の表情が目に見えて揺らぐー。
少し厳しすぎたかもしれんと、思っているのが手に取るように分かる。
娘のおねだりに、少し嬉しそうにどうしたものかと髭を片手で弄り始める父。
あと少しーそう思ったが、父が彷徨わせた視線を母に向けた瞬間、迷いは終わりを告げる。
正しく般若といった顔で、母が父を睨んでいたからだ。
瞬間、父も私も『これは無理だ』と悟る。
こうして私は、覚え立ての楽しみを封じられてしまった訳だがー
結果はご覧の通り。
…好奇心旺盛で懲りない私は、新しい異文化に触れては、真似て、母に見つかるという流れを繰り返した。
当初母は、この異国文化を使用人の誰が娘に吹き込んだのだと思い、目を光らせていた。
外に出ていない以上、それらしき事を吹き込む者がいるはず。
しかし、使用人にも、我が家へ訪れる数人の外部の者にも勿論、その様な者など何処にも居なかった。
なのに、何処からか娘は妙な知識を持ち込んで来る。
異国文化ということ自体が娘の狂言ではとも疑われたが、一部確かに西洋などに存在が確認されたのだ。
しかし、母の“大和撫子教育”には、その様なものは不要。寧ろ邪魔なのだ。
繰り返して何度目かといった頃、遂に母の怒りが頂点へと達した。
私が6歳になったばかりの頃、母屋から少し離れた所に建つこの蔵へ、罰として閉じ込められた。
蔵は自由に外に出られない私の唯一の遊び場に等しかったが、夜に一人、暗闇の中へ閉じ込められたのである。
幼き私は暗闇への恐怖から最初、泣きながら母に許しを乞うたが、『それでは、もう二度とあの様な真似はしませんね?』と聞かれるとつい、沈黙してしまう。
興味の尽きない異文化を捨てる事も、大好きな母に嘘をつく事も誤魔化す事も出来ず、口を閉じる事しか出来なかった。
…それで許される訳も無く、『反省なさい』としばらく蔵へ閉じ込められた。
ーあれから10年経った今でもこうして、何か見つかっては蔵へと閉じ込められるという罰を受けている。
今では母も諦め半分、半ば意地といった所だろうか。
両親に申し訳無いと思いつつ、止める気などさらさら無い。
…外では淑やかな振舞いを努めているのだから、家の中でくらい許して欲しいと思うのは、我儘だろうか。
今では自分でお気に入りの本と行燈、枕や毛布、寒ければ火鉢を前持って隠して置いておいているので、快適とは程遠いものの、長時間過ごしても問題はない。
…何故こんな物を隠して置いておけるのかと言えば、母が不気味がってこの蔵を避けているからだ。
他にも蔵がある為、現在は全く使われていない、使用人すら開けることが無い蔵なのだ。
(寧ろ彼等も不気味がっているようなので、進んで開けたいとは思わないだろう)
ここには藍家先祖代々の品々が眠っている。
使用用途が全く分からない物も多く、それらは母には不気味な物に、私には好奇心の対象となった。
幼い頃からここが、私の遊び場。
ふぁ…と、欠伸が出そうになる口元を押さえる。
もう夜も遅い。
今日は明日の朝日が昇るまで、このままかもしれないと思い、
毛布と枕を準備し、ここで眠る体勢に入る。
『…今日また、見られるだろうか。』
期待を胸に、夢の中へと落ちて行ったーー