婚約者からの告白
サクッと進み、サクッと終わります。
ベルギア王国には貴族の子どもたちが通う王立学園がある。
全ての貴族は14才から成人前の17才までの3年間を王立学園で過ごさなければならない。
デビュー前の顔つなぎや、結婚相手を探したりする意味もあるが、主に大人による試験の様な意味合いがある。
卒業し、成人してしまえば否応なく大人として扱われる。その前に簡単な縮図である学園で社交を学び、合わぬ者は親が身の振り方を考えてやらねばならない。
そんな学園にある中庭の東屋で、侯爵家の令嬢リーシャは己の婚約者と共にいた。
サイドを編み込んだ髪は輝くような黄金、切れ長で冷めていると言われるアイスブルーの瞳、誰もが美しいと褒め称える冷たい美貌の彼女の向かいに座るのは、柔らかそうな淡い水色の髪を揺らし、水の膜が張られてキラキラと揺れる紫の瞳をした彼は年齢よりも幼さを感じさせる美少年であった。
リーシャの婚約者でもある伯爵家三男のシオンは、悲痛な顔で両手を胸の前で組んで彼女へと話しかける。
「あの、あのね、その……お願いがあるんだ」
「はい。なんでございましょう?」
「その、…………えっと………」
「………」
「あのねっ…………ごめん。やっぱり……いい…」
余程言い難い事なのか、組んでいた両手は力なく膝の上に下り、何度も俯いては上げていた顔もしょんぼりと下を向いてしまう。
思わず頭を撫でてあげたい衝動に駆られるも、冷静に聞き返す。
「なんですの?男ならハッキリとお話しなさいませ」
「うっ。でも、その、ね…」
「本当に男性ですの?付いてますの?必要ないのなら切り取って差し上げてよ?」
「リーシャ!お、おんなの子が、そんな事言っちゃ、ダメだよ」
冗談を話せば彼は真っ赤な顔で首をぷるぷると振る。
その可愛さを楽しみながら、にっこりと微笑みかける。
滅多に笑わない彼女が彼に対してだけはよく笑う。その事実を当の彼だけが知らない。
「では、言わせないでくださいませ。それで?用事がないのなら帰りますわよ?」
「えっ、あ、待って」
腰を浮かせれば、慌てて止められる。
仕方なしに再び座り直せば、両手の拳をギュッと握って意を決した彼が口を開いた。
「あの、あのね、僕と、ぼくと…………さぃ」
「聞こえませんわ」
段々と尻すぼみになってしまった言葉は後半がほとんど聞こえない。
「…………して、…ださい」
「もう一度」
再び話した言葉は最初から声量が小さく聞き取りづらい。
ついには目をギュッと閉じて、顔を下に向けたまま口を開いた。
「ぼ、僕と!…………っ、して、くださぃ」
「もう一度、大きな声で」
「僕と、婚約破棄してくださいっ!」
「却下」
「……え?えぇぇ…」
やっとの事で話した言葉を素気無く断れば、目に涙を浮かべた情けない顔をする。
まるで雨の日にびしょ濡れになった子犬の様だ。
「文法がおかしいという自覚はおあり?」
「え?変だった?」
指摘すれば不思議そうにコテンと首を傾げる。あざとい令嬢がやれば嫌悪しか湧かないが、彼の場合は無意識なのでただただ可愛い。
「破棄というのは、片方が一方的な事情で宣言するものですわ。ですので『 君との婚約を破棄する』が正しいのです。貴方が私に提案するならば婚約解消という形が妥当ですわね」
「そうなんだ。やっぱり、リーシャは頭がいいね」
「当然ですわ」
大きな目をぱちくりと瞬きした後ふにゃりと笑顔を浮かべる。
愛らしい笑顔に少々照れながらも、当たり前だと素気無く返答した。
「じゃあ、その、君から婚約を破棄してくれないかな?」
「お断りしますわ」
「えぇぇ…」
「どうして私が婚約を破棄しなければなりませんの?」
婚約者の提案をバッサリと切り捨てて聞き返せば、まるで叱られた子犬のようにしょんぼりと顔が俯いてしまう。
誰に何を吹き込まれたのやら。
ため息を堪えて待っていると、どう話そうかと思案する様に視線がうろうろと彷徨っている。
「それは、その……」
「貴方との結婚は確定です。そんな事をする意味も益もありませんわ」
「うぅぅ」
「ねぇ、シオン。誰が、貴方に、そんな話をしたの?」
向かい側から隣へと席を移動し、膝の上で握り込まれた拳にそっと手を添える。
添えた手で拳を優しく開かせれば掌に爪が食い込んでいた。その痕を痛ましげに撫でると彼の手がぴくりと震えた。
そして、なるべく優しく、諭すように問いかける。
「誰って…」
「喋らないと嫌いになりますわよ」
「えっ!それはダメ!」
嫌いと言う言葉にガバッと顔を上げて嫌だと首を振る。
そんな可愛い婚約者の手を両手で包み込み、顔をグッと近づける。
「ほら、早く喋らないと嫌いになってしまいますわよ」
うっと唇を引き結んで、泣きそうな顔が徐々に下を向く。
耐えていた涙がポツリと膝に落ちた後、彼はゆっくりと話し始めた。
「あのね、アカリさんとか、フォックスくんとかオリバーくんが、僕がリーシャと釣り合ってないって言うんだ」
「あのゴミどもが」
出てきた名前に思わず心の声が漏れる。
幸いな事に彼には聞き取れなかったようだった。
「何か言った?」
「いいえ。なんでもありませんわ。それで?他には?」
「それでね、他の人も僕とリーシャが婚約者なのはおかしいって賛同してて、そしたらアカリさんが『リーシャ様との婚約を破棄しちゃえばいいんですよ』って言い出して、僕…」
「それで、他人に言われるままにあのような事をおっしゃったのですね」
野次馬たちは後で特定するが、首謀者には怒りしか感じない。
そして、愛しい彼にも少々腹立たしさを覚えたせいか、思ったよりも冷たい声が出た。
「でもね、人に言われたからと言うだけじゃなくて、僕もおかしいって、前から思ってたんだ」
私の手の中にある彼の手がギュッと力を増し、もう片方の手と共に私の手を優しく握ってくる。
側から見ると手を取り合ってる恋人同士のようだ。
婚約者だし恋人と言われればそんなに間違いでもないが、こんなに積極的に触れてくるのは随分と久しぶりなので、状況も忘れて少々照れてしまう。
「だって、リーシャはすごく頭がよくて、行動力も決断力もあるし、優しくて、親切で、それにすっごく綺麗で、僕は君を見る度にドキドキして、君に会う度に恋に落ちるんだ」
なんですの。告白されてますの?
気弱だった目に力が宿り、紫の瞳がしっかりとリーシャを射抜く。その真っ直ぐな視線に胸がときめく。
不意に握っている手が自分よりも少し大きな事に気がついた。
そういえば、最近は目線が少し上に行くようになった気もする。
「そんな君に比べて、僕は勉強も運動も普通で、剣で君を守る事さえできない。気弱で軟弱で、とても、君に……釣り合わない…」
悲しげに視線が下に落ちる。
確かに、彼の成績は私には劣るし、運動神経も抜群とは言えない。
だからなんだと言うのだろう。
それでも、私の答えは揺るぐ事はあり得ない。
「だから?」
「だから、君から婚約を破棄して欲しいんだ。そして、君に相応しい人と幸せになって欲しい」
「却下」
「えぇぇ…」
被せ気味で断れば、眉を下げて更に垂れ目になった情けない顔になった彼の頬をぎゅむと摘む。
「私の幸せを勝手に決めないでくださる?」
「えっと、ごめん、ね?」
「それに貴方に守ってもらおうなんて今まで一度だって思った事はありませんわ」
「そ、そうだよね…」
僕、弱いし…と小さく呟く声にそうではないと首を振る。
「何の為に護衛がいると思ってらっしゃるの?護衛が倒れるような敵が出た場合、貴方にどうこうできるはずもないでしょう」
「うん、そうだよね」
「私たちは大人しく守られていれば良いのです。護衛は貴方の仕事ではございません」
「うん。そうだね、彼等の仕事を取っちゃダメだよね」
まぁ、少し違いますけれどいいですわ。
「そうね。もしも、私の命が危険に晒されたら、共に死んでくださる?」
「うん。いいよ」
躊躇いもなく即答する彼の気持ちが嬉しくて、思わず笑顔になってしまう。
本当に、彼は昔から変わらず私を好きでいてくれる。
その事実がこの上もなく嬉しい。
まぁ、そんな事態に落ちる前に対処しますし、こちらの護衛は表も裏も腕利きばかり。
それでも確実とは言えませんから、いざと言う覚悟はいつもしております。
そこに彼が付き合ってくれるのならば、何を怖がりましょう。
「まだ私に婚約破棄して欲しいですか?」
「ううん。僕はリーシャが大好きだから、本当は君と結婚したい。リーシャは?僕でいいの?」
「貴方がいいですわ。いえ、貴方でないと嫌ですわ」
「えへへ。嬉しい。ありがとう、リーシャ」
「ふふふ。ねぇ、貴方、寝不足なのではなくて?」
やっと彼らしい笑顔になったその頬に手を伸ばす。
最近、目の下の隈が酷くなっているのがとても気になっていた。
「……分かっちゃった?婚約の事、言わなきゃってずっと悩んでて、最近あまり寝れてないんだ」
思った通りの答えに、首謀者たちへの報復が一段階上がった。
「それはいけないわ。さぁ、こちらにいらして」
自分の太腿を軽く叩くと、途端に顔が真っ赤に染める。
「え?で、でも…」
「私の膝はお嫌?」
「ううん!そんな事ないよっ」
悲しげに聞き返せば、即座に否定する。
その返答を嬉しく思い、笑顔で手を上げて太腿の上を開ける。
「では、どうぞ」
「はい、じゃあ、その…ありがとう」
「ふふふ。はい」
体を横たえて、おずおずと頭を太腿に乗せてくる。
そういえば、どうして太腿の上なのに「膝枕」なのかしら?
そんなどうでもいい事を考えつつ、柔らかな髪を梳いていれば程なくして穏やかな寝息が聞こえてきた。
愛おしそうに頭を撫で、完全に寝入った事を確かめてから肩に手を上げれば背後からブランケットが手渡された。
それを広げてシオンの上半身に掛ける。
彼へと向ける穏やかな顔のまま、背後にいる護衛に声をかける。
「お父様に報告を。そして、皆を集めてちょうだい」
「畏まりました」
たったそれだけの命令だが、優秀な護衛は読み取ってくれる。
これからの事を考えれば、シオンには一度も向けた事のない捕食者のような残忍な笑顔が浮かぶ。
私と彼の間に入ってこようなどと、愚かにも程がある。
「さぁ。権力の本当の使い方を教えてさしあげるわ」
身をもって知るがいい。
後日、ある貴族が汚職で爵位を剥奪され、数名の子息が勘当され、平民から貴族令嬢となった娘が戒律の厳しい修道院へと送られた。
そして、シオンとリーシャは卒業後に結婚し、婿入りしたシオンは女侯爵となったリーシャを支えて2人で幸せに暮らしている。
*終わり*
お読みくださりありがとうございます。
なんとなくお分かりでしょうが、アカリはハーレム狙いの令嬢で、シオンは攻略対象者、リーシャは悪役令嬢役です。